2020年2月 369回スケジュール

 

1日

18:00

金沢でライブ

金沢

2日

15:00

金沢でトークショー

金沢

3日

13:00

あいとぅるー

海老名

5日

12:00

谷本グループ 9回目

クラブワールド

6日

 

ツーソン&セドナ 13日まで

 

15日

14:30

松尾泰伸 体験・体感型ピアノコンサート

青山

18日

13:00

守谷 8回目

アースハーモニー

18日

19:00

アドバンス

クラブワールド

19日

13:00

東京V 9回目

クラブワールド

19日

18:30

古事記の神by二條隆時

クラブワールド

20日

 

三峯神社 ご眷属拝借ツアー

 

21日

19:00

東京W 4回目

クラブワールド

22日

10:00

2020年から13年後までの歩き方

クラブワールド

23日

 

スリランカ アーユルベーダツアー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年3月 369回スケジュール

 

 

 

 

 

5日

19:00

東京 新規

クラブワールド

6日

11:00

大阪 5回目

天満橋

 

14:00

大阪 6回目

天満橋

7日

10:00

大阪 マンダラカード上級編

天満橋

8日

10:00

2020年から13年後までの歩き方 

天満橋

9日

13:00

あいとぅるー

海老名

13日

13:00

エジプトトーク&過去生トラベル

名古屋

16日

13:00

名古屋369ランチ会

名古屋

18日

13:00

東京V 10回目 

クラブワールド

18日

18:30

古事記の神 by二条隆時

クラブワールド

20日

 

奥井雅美さんと諏訪ツアー

 

21日

 

スピリチュアル春祭りで講演

市ヶ谷

22日

 

スピリチュアル春祭りで講演

市ヶ谷

23日

19:00

東京w 5回目

クラブワールド

24日

13:00

守谷 9回目

アースハーモニー

25日

19:00

アドバンス

クラブワールド

27日

 

東西文化の交差点 ウズベキスタン

黒田月水さんとウズベキスタンへ 4/3まで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月15日にヒーリングピアニストの松尾泰伸さんがピアノコンサートを行います。

2020年から松尾さんは新しいコンセプトのコンサートを始めます。

2020年松尾泰伸氏は新しい境地に入っていきます。

松尾泰伸の考える世界それは

「宇宙と音と細胞の調和」です。

 

2500年前ピタゴラスは「天球の音楽」という理論を打ち立てました。

 

「天球の音楽」理論とは各惑星がそれぞれの音に対応し、それらがハーモニーを形成しているという考えです。

 

私たちの内なる世界には「宇宙がある」と言われます。

 

その内なる宇宙は地球外の宇宙と相似形をなしているともいわれます。

 

ピタゴラスの言うように惑星の持つ音がハーモニーを形成しているのであれば、そのハーモニーを体で浴びることにより、内なる宇宙である私たちの身体は癒されるはずです。

 

文字通り体内が調和するという訳です。

 

帝京大学医学部の新見正則外科准教授が「マウスとオペラ」という実験を行いイグノーベル賞を受賞しました。

 

その研究とは心臓移植したマウスは免疫の拒絶反応平均で7日で死亡してしまいます。

 

そのネズミに様々な音を聞かせたのです。

 

その結果

 

・オペラ「椿姫」:平均40日

・モーツアルトの音楽:平均20日

・エンヤの音楽:平均11日

に生存期間が延びました。

英語のリスニングCDや、工事現場の音、単一周波数などを聴かせたマウスは、変化がなかったそうです。

 慶応丸の内キャンパス https://www.keiomcc.com/magazine/report128/より参照

 

今までコンサートに行ったお客さんから
「不眠症だったのに、コンサートの夜はよく眠れた」
「症状が改善した」
「すっきりした」
との声が寄せられています。
治療院などで松尾さんのCDをかけることにより、施術などに効果が出ているとの報告もきています。

 

~~~コンサート セットリスト~~~

第一章:点の世界 細胞の振動

「風を待つ」~宇宙の音列~

 

第二章:線の世界 天と地を繋ぐ

「天と地のレクイエム」~命の誕生と終焉~

 

第三章:面の世界 母なる大地を踏みしめる

「Mother TERRA」~大地を這う~

「ROOTS」~バランスの定着~

 

第四章:立体の世界 螺旋を描いて空間へ

「サークル」 ~内なる宇宙から外宇宙との交信~

 

第五章:アセンション 中庸の世界

★「イエスの遺言」奔放初演 最新曲!

新たな時代へのメッセージ はじまりの煌(ひかり)以前の何もない世界へ

 

各章のほかに

 

*音を体感する ~延伸音と思念の連動~

各チャクラに相当した倍音でチャクラの活性化を促するワーク(皆さんが参加できます)

 

*自己表現力の開花

数人の方に松尾さんと即興を演じてもらいます。

ボイパでもスキャットでもハミングでも宇宙語でも朗読でも、楽器でも連弾でも構いません。

貴方の発する音に松尾氏が呼応してピアノを演奏します。

インスピレーションのコラボレーションです。

 

通常のコンサートとは全くことなる形態です。

 

各曲の前後には、その楽曲の誕生秘話などもお話し、質問にも答えながら進行する参加型のコンサートです。

 

★また、それだけではなく
ピアノの中に頭を入れて音を聞いてみたり
ピアノの下に潜って旋律と波動を感じてみたり
と普通のコンサートではありえない体験もしていただきます。
その時に聴き手の心身に音のメッセージが送られるに違いありません。

途方もない可能性を秘めたコンサート
松尾泰伸 NEW STYLE
ユニバーサル ハーモニック ピアノ コンサート
2020年2月15日(土) 14時30分開演(14時15分開場)
場所:南青山Blimp Club ブリンプ クラブ
東京都港区南青山6-3-11 Pan南青山ビルB1
参加費:前売り¥9000 松尾泰伸ファンクラブ会員¥8000
当日¥12000 
(アルコール・ソフトドリンク飲み放題)
です。
是非 松尾さんのヒーリングピアノの体験をしませんか

 

お申込みはコチラからお願いします

 

 

 

2020年1月 369会スケジュール

2020年1月 369回スケジュール

 

6日

13:00

あいとぅるー 4回目

海老名

8日

13:00

守谷

アースハーモニー

9日

13:00

東京T 12回

クラブワールド

12日

10:00

札幌 2020年からの13年の歩き方

札幌ちえりあ

13日

09:30

1・2回目

ここにいるよ

 

12:30

3回目

ここにいるよ

 

14:30

4回目

ここにいるよ

 

16:30

6回目

ここにいるよ

 

20:00

アドバンス

ここにいるよ

14日

09:30

7回目

ここにいるよ

16日

13:00

東京V 8回目

クラブワールド

16日

19:00

東京W 3回目

クラブワールド

17日

12:00

谷本グループ 8回目

中野

18日

18:30

たまりら200回記念公開収録&ライブ

青山

19日

10:00

東京 2020年からの13年の歩き方

クラブワールド

21日

13:00

守谷7回目

アースハーモニー

22日

 

大阪

天満橋

23日

 

大阪

天満橋

27日

19:00

東京アドバンス

クラブワールド

 

 

 

 

こんにちは

開運極楽パワースポット巡りのスピリチュアルキュレーターの大村真吾

です。

 

今回のテーマは

モーセの出エジプトはいつ?どんなルートで?行われたのか。十戒とは?」です。

 

私は12月12日から23日までの12日間

「エジプト・イスラエル・ヨルダン モーセの出エジプトをたどる」

というツアーを行ってきました。

 

これはずっと昔からやりたかったツアーだったのですが、

どうしてもエジプトに行くのを躊躇っていたのです。

 

そう、なぜかエジプトには行きたくない。

いやもちろんピラミッドやスフィンクスや見どころがいっぱいあるので行きたいのですが

 

「足が向かなかった」

 

のです。

 

2年前セルフ過去生リーディングをしたときに、その理由が分りました。

 

それはモーセの時代にエジプトで奴隷として死んでいくユダヤ人だったからなのです。

↑ ↑ ↑

あくまでも自覚的な過去生です。そう思って読んでくださいね。

 

だからエジプトに足が向かなかったということが腑に落ちたのです。

 

それならば、分かった上で行ってみようという訳で

 

モーセの足跡を追ってみようとツアーを作ってみたのです。

 

といってもモーセとは誰だ? 

 

聞いたことはあるけど良くわからないという方もいらっしゃると思いますので掻い摘んでご紹介をしたいと思います。

モーセとはそもそもいつの人?

モーセは旧約聖書の「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」にわたってモーセのことがしめされています。

その中でラメセスという町から出発したと記されていることから(民数記33章5)エジプトのファラオがラムセス2世であった時代と推察できます。

そこでモーセが生きた時代はおよそ紀元前1300年ころと思われます。

 

モーセとはどこの人?

モーセは生まれはエジプトです。

モーセが生まれるずっと以前、イスラエルの土地は飢餓にみまわれてイスラエル人(ヘブライ人・ユダヤ人)はエジプトへのがれてきます。

実にイスラエル人は出エジプトをするまで430年間イスラエル人はエジプトに留まっていたのです(出エジプト記12章40)。

モーセはイスラエル人でありながらも生まれたのはエジプトだということになります。

 

モーセはどんな人

モーセが生まれるころエジプトに住むイスラエル人の数が膨大になっていました。

人口が増えイスラエル人の力が増すことを嫌ったファラオは重労働を課します。

イスラエル人の生活は過酷を極めるのですが、さらに生まれた男の子はみなナイル川に放り込めと命じます。

まさにその時にモーセは生まれたのです。

母は三か月間赤ちゃんを隠そうとするのですが、いよいよ隠し切れなくなりパピルスの篭に赤ちゃんであるモーセを入れてナイル川畔の葦の茂みに置いたのです。

赤ちゃんのモーセである姉は心配そうにその様子を遠くから見ていました。

そこにファラオの王女が水浴びにやってきて葦の茂みで篭を見つけます。

王女は籠の中の赤やんを見て不憫に思っているところに、姉がやってきて

「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んできましょうか」というのです。

(お姉ちゃんいい仕事をします!!!)

乳母と称された母を連れてくると

王女は「この子を連れて行って、私に代わって乳を飲ませておやり。手当は私が出しますから」

というのです。

その赤ちゃんが大きくなると、王女のもとへ連れていき、王女の養子となったのです。

王女は彼をモーセ(マーシャ:水の中から引き上げるという意味)と名付けたのです。(出エジプト記2章)

モーセは王宮で育ち成人したころイスラエル人の住んでいる町にでかけます。

そこでエジプト人がイスラエル人を鞭打っているのをみて怒りエジプト人を殺してしまいます。

それが明るみになりモーセは逃亡することになります。

そこでモーセに神からの声が届きます。

「イスラエルの民にエジプトから逃れて乳と蜜の流れる土地へ導こう」

神はその旨をイスラエル人達に伝えろとモーセに言うのです。

 

しかし

 

モーセは訳が分からず、懸命に拒否します。

 

しかし結局モーセは神に説得されます(というか神の怒りが怖くて従ったのだと思います)

 

モーセはどうやら口下手だったようです。

その旨を神に告げると神は「兄のアロンと一緒にやれ」と言ってきます。

モーセとアロンは二人してイスラエル人達に「奴隷として過酷な生活をしているエジプトからもとの先祖たちがいた土地に戻ろうと」説得をするのです。

 

しかし環境に慣れてしまった人々を変えるには相当苦労をします。

 

同時にモーセはファラオにイスラエル人たちの解放を懇願しに行きます。

しかし事は進まず、逆にファラオは更に厳しい仕打ちをイスラエル人に与えることになってしまいます。

 

イスラエル人にとってはモーセとアロンは疫病神のように思えたに違いありません。

 

そんなとき神はモーセにエジプトに起きる不吉な現象をいわれます。

疫病や腫物の流行り、雹、いなごの大群、暗闇の禍です

そのたびごとに神に言われたモーセはファラオに忠告に行きます。

しかしファラオは

 

無視

 

そして最後の禍が起きます。

神はモーセに

「真夜中にエジプト国中の初子はみな死ぬ。子羊を用意して家に応じて食事にする用意をしなさい。それは家族の人数にみあって食べる量でなければならない。そしてその血を家の玄関の柱と鴨居に塗りなさい。その夜、肉を火で焼き、酵母の入っていないパンを苦菜を添えて食べなさい」(出エジプト記12章1)

といわれたのです。

イスラエルの人達はモーセの言うことをきき備えをします。

その夜災いは起きてエジプト人の初子はみな死んでしまいました。

ところがモーセの忠告を聞いたイスラエル人の家族には災いは起こらなかったのです。

これがユダヤ教で最も重要な儀式である過越しの祭になるのです。

 

ファラオは自分の子供も失い、イスラエル人の国外脱出を認めることになります。(出エジプト記12章29)

大挙してエジプト脱出を図るイスラエル人。その数が男性だけで60万人と聖書には書かれています。

しかし翻意したファラオは大挙して兵を差し向けます。

 

モーセ達の前には海。

後ろにはエジプト軍。

前にも後ろにも行けないイスラエルの人達はパニックに陥ります。

そして猛然とモーセを非難する声を上げます。

阿鼻叫喚

 

そこで神がモーセに言います

「イスラエルの民を出発させなさい。杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい」

 

海は裂け、そこをイスラエル人々は渡りきったとき、再び海は元に戻りその波の中にエジプト軍は飲まれてしまいます。

 

出エジプト成功!!!!!

 

モーセはエジプトに奴隷として400年以上留まっていたイスラエル人達を先導してエジプト脱出を導いた人なのです。

 

出エジプトのルートとは?

前述しましたが当時のエジプトにいたイスラエル人の人口は成人男だけで60万人。

女性子供も居れると200万人はいたのではないでしょうか。

もう民族大移動です。

それだけの数の人が奴隷として働いていたのでエジプトとしては大打撃です。

また、通過される村はたまったもんじゃありません。

気になったので日本の年の人口を調べてみました(Wikipediaより)

東京都区部 9,200,000

横浜市   3,700,000

大阪市   2,600,000

名古屋市  2,200,000

札幌市   1,900,000

福岡市   1,500,000

神戸市   1,500,000

政令指定都市の人みんなが移動しちゃう規模なのです。

この大集団が移動したルートです。

日本聖書教会発行 聖書 新共同訳より

イスラエルの人々はラメセスを出発してスコトタムに宿営し(中略)

海の中を通って荒れ野に入り(中略)

シナイの荒れ野に宿営し(中略)

エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平原に宿営した。(民数記33章)

 

全体地図はこんな感じ

ふ~んと思うかもしれませんがこの辺りの地形をみてみると

ヨーロッパの緑とくらべて辺り一面茶色。

ということは砂漠、荒野ということです。

ここを40年間彷徨ったのです。しかもあの大規模人数で!!!!

 

この彷徨える大集団を導いたのがモーセ、そして兄のアロンです。

これが簡単じゃなかった・・・

 

水がない、食べ物がない、暑い、寒いなど人々は不満を口にします

「こんなことならエジプトにいた方が良かった」

「お前たちに騙された!!」

みたいな罵詈雑言がモーセとアロンに向けられます。

死んでいく者もいれば、生まれる者もいます。

争いもあったでしょう、不衛生にもなったでしょう。

 

だからこそ、神はモーセに戒律を教えるのです。

それが十戒であり、その他のこまごまとした律法なのです。

出エジプト記や民数記、申命記には行程やモーセ達のことが記されていますが、

大部分は決りごとの詳細が記されています。

レビ記にいたっては全てが決まり事といっても過言ではありません。

 

モーセは民たちからの突き上げ(200万人からの突き上げですよ)

しかも生死の淵を彷徨っているのも同然の200万人です。

そして神からの言葉。

絶望的な自然環境の中、神と民の間で苦悩するモーセ。そしてアロン。

圧倒的逃げ場のない中間管理職。

しかしモーセは神を信じ、民を説得し、時に奇跡をおこしながら約束の地を目指すのです。

 

十戒とシナイ山

イスラエルの人達はエジプトを出て3月目にシナイの荒れ野に到着しました。

そして「神が3日後にシナイ山の頂に降りる」ことと注意事項をモーセに告げます。

雷鳴で山全体が震え煙で覆われ、角笛が鳴り響く中、神が降臨されます。

(出スエジプト記19章)

その後、モーセは民のもとに戻り、再びシナイ山の頂に登ります。

そこで十戒を授かるのです。

「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である・・・(以下略)

そして十戒を話されます。(出エジプト記20章)

内容は

1:主が唯一の神であること
2:偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3:神の名をみだりに唱えてはならないこと
4:安息日を守ること
5:父母を敬うこと
6:殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
7:姦淫をしてはいけないこと
8:盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
9:隣人について偽証してはいけないこと
10:隣人の財産をむさぼってはいけないこと

以上が10の戒めです。これは聖書に書かれていることを要約しています。

キリスト教徒の人達にとっては当たり前のことかもしれませんが、

ここの大きな疑問があるのです。

上記の十戒は正教会やプロテスタントの十戒です。

 

かたや

カソリックの十戒はというと

1:わたしのほかに神があってはならない。
2:あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3:主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4:あなたの父母を敬え。
5:殺してはならない。
6:姦淫してはならない。
7:盗んではならない。
8:隣人に関して偽証してはならない。
9:隣人の妻を欲してはならない。
10:隣人の財産を欲してはならない。

大きな違いは

偶像崇拝を禁止する項目がカソリックでは無いのです。

そして 10の他人のものを取ってはならないという項を妻と財産に分けて9と10にしてるのです。

 

確かに

プロテスタントの教会に行くと十字架しかありませんが

カソリックの教会に行くとイエス像やマリア像などがあります。

 

モーセの十戒における偶像とは他の宗教を信仰することの禁止を言っているとの見解があります。

その後、イスラエルの民は苦難に合い、モーセは山に登ったまま帰ってこないときに

牛の偶像をつくり祈ってしまいます。

そこで神が怒るというシーンがでてくるように

祈りの対象を形にしてはいけないという意味だったと思われます。

 

ユダヤ教にはもちろん偶像はありません。そこから発した宗教にキリスト教とイスラム教

があるのですが、イスラム教にも偶像はありません。

そう思うと、神道にも偶像は無いんですよね。

 

イエスの像を造らないプロテスタントだって十字架があるというのに・・・。

 

ここにこれからの宗教問題を解くカギがあるように思えます。

 

私の疑問はさておき十戒はというと。

すったもんだがあるのですが結論を示します↓

 

モーセはシナイ山の上で40日間神と語り、10の戒めを2枚の石板

に記し下山しました。

石板を携えて降りてきたモーセは光り輝いていたそうです。

モーセは神から聞いた幕屋の作り方、それにまつわる仔細を人々に話して

祭壇の場所を作り整えていきます。

そのなかには石板を入れる箱もありました。

その箱はとは

おみやげ物だと

 

 

この箱に十戒を入れてイスラエルの民は再び約束の地を目指して大移動を続けるのです。

 

モーセ最期の場所

モアブの地に移動したイスラエルの民たち。

モアブはヨルダン川の東側に位置します。

モーセはモアブの平野からネポ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。

主はモーセにすべての土地が見渡せるようにされた。

ギレアドからダンまで、ナフタリの全土・・・(中略)

主はモーセに言われた「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに

誓った土地である。

わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。

あなたはしかし、そこに渡っていくことはできない。」

主のしもべモーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。

主はモーセをベト・ぺオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、

今日に至るまで、誰も彼が葬られた場所を知らない。(申命記34章)

 

モーセは120歳で天寿をまっとうされ、イスラエルの民は30日間モーセの死を悼んで泣き、

喪に服したと聖書に記されています。

 

今回のツアーの行程

2019年12月12日から23日の12日間 エジプト・イスラエル・ヨルダンを巡る旅行でした。

 

1日目:成田空港からイスタンブール経由でカイロへ

成田からトルコ航空でイスタンブールへ。乗り換えてカイロへ

2日目:エジプト歴史博物館とクフ王のミラミッド

朝にカイロに到着。ビザは空港で取得します。

あらかじめ現地エージェントにお願いをしているので空港スタッフが出迎えてくれて

つつがなく入国。この空港スタッフFayekさんが後に大活躍をしてくれることになるのです。

まずはエジプト考古学博物館へ

このピンクの建物が考古学博物館

 

一歩中にはいるとクラクラします。

もう驚くようなものばかり

これはピラミッドキャップ。ピラミッドの上、最上部にあるもの。

宇宙的です。

クフ王像

あんなに大きなピラミッドがあるのに、クフ王の像はこの小さいものしか現存していません。

これはミイラが入っていた棺。この外側には幾重にも箱があり、中にも小さな棺がありました。

その中にミイラを弔ったのです。

そして念願のラムセス2世のミイラとご対面。

これは写真は撮れなかったのでお見せすることはできません。

かなり大柄の人だったようです。ミイラにすると小さくなると思うのですが

ミイラの横に寝そべってみると私の身長よりも大きそうでした。

ちはみに私は170CMですので、ラムセス2世は180CMくらいあったのではないでしょうか

この写真は映画十戒でユルブリンナー演じるラムセス2世

なぜラムセス2世にこだわるかというと、

モーセが対峙したファラオがラムセス2世だった可能性があるからなのです。

モーセは聖書の中の人です。前述したようにお墓もありません。

そこで実在するモーセのミイラを見ることで、モーセをもっと身近に感じてみようと思ったのです。

 

考古学博物館はとても1日では回り切れません。

しかも2020年には新しくエジプト大博物館として場所も移転して生まれ変わります。

ますます楽しみが増えますね。

 

そして夕暮れ誓いギザのクフ王のピラミッドへ。

これは貸し切りにしてもらいました。

ピラミッドの中へ。

女王の間、王の間両方にいくことができました。

ピラミッドについては中がまるで古代の出雲大社が高く本殿をしていたころにそっくりだ。

ギザの3つのピラミッドがオリオンの3星の並びとそっくりとか様々なことが言われています。

出雲大社はともかくとして、天体の動きを計算して作られていることは確かだともいます。

一体だれが、どのようにして作ったのだろう?と思うのですが

もうひとつ疑問があります。

ピラミッドの石組は非常に精密なのです。なかにシャフトい呼ばれる空気穴が通ているのですが、

それは作った後から穴をあけたわけではなく

事前に窪みのある石を造り、それをちゃんと計算して組み合わせて積み上げて1本の直線の穴にしているのです。

しかもその穴は横に空いてるのではく、斜めに開いています。

もっと驚きは、その穴が星座を向けて開いているというのだから驚きです。

その石組の技術も持っていたならば、いや誰かから与えられたのだとしたら、今のエジプトの人達に

その片鱗でも残っていてもいいのではなかと思ってしまうのです。

エジプトの方々には申し訳わりませんが、橋げたの基礎や道の穴とか・・・

古代の先祖が見たら気を失うのではないかと思うくらいの雑さなのです。

DNAが受け継がれていない・・・

ピラミッドを造ったの人達とは別の民族なのではと思ってしまうのです。

方やモーセ率いたイスラエルの人々は、今もその気質やライフスタイル、宗教を受け継いでいます。

もちろんエジプトの方々は気さくでいい人たちなのですが、古代の人達とは違うDNAをもった人たちの

ように思えてなりませんでした。

 

3日目:アブシンベルへ

カイロからアスワンで飛行機を乗り換えてアブシンベルへ。

早朝にの飛行機なので、集合時間は4時半。

ロビーで待っていてもあと4人がなかなかやってきません。

ふと携帯をみてみると「エレベーターに閉じ込められてます」とのメッセージ。

あわててフロントのスタッフと現地ガイドさんに行って救出をまちます。

ところが、一向に進まない。

飛行機の時間はせまってくるは、中の人達の様子も心配だし。。。

やっとのことで50分後にドアーがあいて脱出成功。

出エジプトならぬ出エレベーター。

笑い話になったところで、空港へ。

バスが飛んでるんじゃないかってくらいのスピードで走り空港へまっしぐら、

ここで昨日の空港スタッフFayekが大活躍。

航空会社と交渉をしてくれてチェックインの時間をじわりじわりと引き延ばし作戦に成功。

滑り込みでチェックインすることができました。

それ以降FayekのことをMRエアポート呼ぶことに。

一路アスワン乗り継ぎでアブシンベルへ。

アブシンベル大神殿。これはラムセス2世が作った神殿です。

門の4体のの像 これみんなラムセス2世です。

ラムセス2世 究極の俺様感。

なんとこの像 高さ20m!!!

しかもアスワンハイダムの建設で目の前に人造湖ができることに。

それにより水没することになったのです。 何やってるエジプト政府!!!

確かにナイル川の治水は大事です。しかし・・・

この難局にユネスコが呼び掛けて世界中が援助をすることになり。

元の位置から約60m上にあげた場所に移設したのです。

ただの移設ではすみません。

なんといっても4体の像の後ろは山の中。そこに巨大な空間があり、その中に壁画や像や柱があるのです。

そう山ごと移さなければならないという事態。

各国からさまざまなプランが出されましたが、結局切り刻んで上にあげることになったのです。

1960年から4年かけて大移設工事は無事終わったのです。

工事終了の時は目の前まで水が迫っていたそうです。

そしてこの神殿の中には

壁画も残っています。

これはヒッタイトとのカデシュの戦いの様子です。

戦いは膠着し、結果エジプトとヒッタイトは世界初の和平条約を結ぶことになります。

この絵に描かれているのは戦車です。

きっとモーセ達を追ったのもこの戦車だったのでしょう。

至聖所

至聖所は神殿の最深部。この四体の像は右から

ラー・ホルアクティ ラムセス2世 アメン神 プタハ神

ちなみに4月21日と10月21日には太陽が昇ると入り口から光が至聖所まで差し込むのです。

しかしプタハ神だけには光があたりません。

それはプタハ神が冥界の神だからだそうです。

ところで移設をしたらどうなったのか?

もちろん太陽の事も考えて移設をしたのですが・・・

1日ずれて4月22日と10月22日に太陽が差し込むことになったそうです。

アブシンベルをあとにして空港からカイロへ。

あわただしい日帰りアブシンベルでした

 

4日目:出エジプト イスラエルへ マリアの受胎告知教会へ

昨日の事件に懲りて、エレベーターを使わずにロビー集合。

今日はエジプトからイスラエルに行きます。

本当はシナイ山をへて、陸路で国境をこえたいところなのですが、

シナイ半島全体が危険度3

自分一人で行くのは構わないですが、さすがに人を連れていくとなるとあきらめざるえません。

ということで飛行機で出エジプト。

ここでまたMRエアポートと再会

なぜか白くかすむMRエアポート

シナイ航空という航空会社でイスラエル テルアビブに飛ぶのですが

ご覧の通り真っ白な気機材。

ペインティングが一切されていません。まさに覆面飛行機。

そういえばチェックインカウンターにもシナイ航空とは表示がありませんでした。

だけど機内のプリントはエジプト航空。

機内でアテンダントに聞いてみると

何聞いてくるのみたいな感じでまごつきつつ

「会社のポリシーだからわからないわ」という返事。

調べてみると、イスラエルと反目しているアラブ諸国。

そのなかでエジプトは国交を保っています。

アラブ諸国とエジプトは同じイスラム教の国として国交があります。

そこでエジプト政府はフラッグキャリア(国の代表的な航空会社)がアラブの敵国であるイスラエル

に就航するのは政治的に不都合というわけで、別会社のシナイ航空ということにして就航させているようです。

だから覆面にしているというわけです。

ここでも複雑な中東諸国の現状を垣間見ることができました。

テルアビブに到着して目指すはナザレを経てガリラヤ湖へ。

ナザレの受胎告知教会

ここは聖母マリアが大天使ガブリエルから受胎を告知されたことを記念する教会です

教会の内部

教会の内部に大きな窪みがあり、下に降りていけるようになっています。

地下に当たるその場所が受胎告知をうけた場所なのです

受胎告知の場所

 

そうです、ここで聖母マリアは受胎を告知されたのです。

当時のマリヤの心境や、ましてはヨセフの心境はどうだったのでしょうか。

相当パニックになるのではないかと思うのですが、実はそうでもなかったらしいのです。

実はマリアが懐妊する少し前に親戚の女性エリサベトも高齢にもかかわらず身もごり、

天使がそれを告げに来るということが起きているのです(ルカによる福音書1章5)

 

だから聖母マリアは懐妊を告げられてからエリサベトの元をちゃんと訪れてるのです。

エリサベトに生まれた子供がヨハネ。

マリアに生まれた子供がイエス。

後年、イエスはこのヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けることになるのです。

 

受胎告知教会の隣にあるヨセフの教会へ。ここでヨセフは石工の仕事をしていたのです。

 

ナザレをあとにして変貌教会へ。

変貌教会

ここはイエスが降臨してきたモーセとエリヤと話をした場所。

弟子たちからその時イエスは光り輝いて見えたと聖書には書かれています(マタイによる福音書17章)

ここは4世紀までの祭壇の場所。

教会の外にあります。ここが気持ちよい場所でした。

そしてガリラヤ湖のキブツが経営するホテルに到着

5日目:ガリラヤ湖周辺 カバラ発祥の町など

ガリラヤ湖はイエスが数々の奇跡をおこなった場所です。

そして多くの人達のを奇跡的な治療をしていきます。

そうですイエスは超ヒーラーなのです。

そしてイエスはペテロ達ガリラヤの漁師を弟子にしていきます。

ペテロ召命教会

イエスは磔刑をうけて亡くなった後、ガリラヤ湖のこの教会の近くに出現をします。

そしてペテロはここでイエスから召命(神の恵みによって神に呼び出される)を受けるのです。

つまり、この時ペテロはイエスから後の使命を託された場所なのです。

 

この日はほかにカバラの発祥の町ともいえるツハットにいったり、

マグダラに行ったりしました、まさにイエス一色といった1日でした

ここはマグダラの遺跡。マグダラというのは地名です、

マグダラのマリアとはマグダラに住むマリアという意味なのです。

 

6日目:ヨルダンへ モーセ終焉の場 ネポ山へ

今日はイスラエルから国境を越えてヨルダンにはいります。

ヨルダン川が国境になっていてます。

そしてモーセが神から約束の地をみせられたネポ山へ

ネポ山に立つモーセの杖

ネポ山からみるイスラエルの土地

ここでモーセは神から約束の地を見せられたのです。

ここからイスラエルの大地を見たときは、やはりモーセに感情移入してしまいました。

苦難の末、やっと神から見せられた約束の地。

アブラハムから続く子孫をエジプトから脱出させて、ここまで導いてきた。

目の前にその血が迫っている。

しかし

しかし

自分はその地は踏むことはできない。

自分の使命はここで終わる。

非常に感慨深い場所でした。そしてモーセを辿る旅のクライマックスといってもよい場所だなのです。

旅は続くのですが・・・

そしてペトラへ向かいます

 

7日目:ペトラ遺跡

そして憧れのペトラ遺跡。

画像ではなんども見た遺跡、絶対に行ってみたい遺跡。それがペトラでした。

まずは最初にノックアウト!!!!!!

上の写真山の上に小さく見える白い点。

その近くにアロンがアロンの亡くなった場所なのです。

そうですモーセの兄アロン。モーセより先にホル山で亡くなります。

そこはペトラ遺跡から片道3時間くらいの場所なのです。

こんな景色を見ながらシークに

シークはインディジョーンズでおなじみの地形です

 

シークを抜けると信じられないような光景が待ち受けています

あ~~この感激

このあとはロバに乗って一番奥のエルシッドまで。

もう感激のペトラ遺跡でした

ペトラ遺跡の詳しくはコチラを見てみてください

 

8日目:死海 イエスが洗礼を受けた場所

今日はフリータイム。

といわけで、午前はイエスがヨハネから洗礼を受けた場所へ

死海のホテルから車で30分ほど。

このあたりはイスラエルとの国境地帯。

ここでガイドさんが警察に届け出を出しに行きます

また車に乗ってしばらくいくとバプテスマの場所に到着します

この教会のむこうにその場所はあります。

これは対岸のイスラエル側。

ヨルダン川よりも賑わっています。昨年私もここで沐浴をしました。

そしてここがバプテスマの場所。

昔はもっとヨルダン川の川幅が広く、この辺りまで川だったそうです。

そして、ここがバプテスマの場所を祭壇として崇めている場所。

普通 祭壇があるはずなのに、その場所は水辺に降りていく階段になっています。

つまりそれは、その場所が特別であったという証拠になります。

それによりイエスがバプテスマを受けた場所とされることになりました。

運よく、私たち以外には誰も人がおらず聖地感を味わうことができました。

イエスのバプテスマの場所の様子は動画にもしましたのでご覧ください

そして死海に戻り、死海で水遊びアンド泥パック

死海の浮遊体験

9日目:エルサレム入城 ダビデの町

ヨルダンから再びイスラエルに戻りダビデの町へ

モーセ以降結局イスラエルに入ることができたのはダビデの時代になってからでした。

ダビデがイスラエル人を率いてエルサレムに来たときは、エブス人が町に住んでいました。

攻めることにできないダビデは彼らの水道施設から入ることを思いつきます。

エルサレムは左右が谷になっている長細い土地です。

その右側に水場があり、そこから上に向けて水路が作られています。

そこをダビデは伝わりエブス人の懐に入り、町を攻め落とすことに成功しました。

上の写真は水路です。

こうしてエジプトを出たイスラエルの民の40年にわたる放浪が終わるのです。

そしてダビデは契約の箱を岩の上に置いたのです。

そうです、その岩とはアブラハムがイサクを生贄にしようとしたあの岩です。

そこに神殿を建てることになります。

そのあと、ビアドロロサを歩きました

ビアドロロサとは十字架を背負ってあるいた道。

旧市街の道をたどりながらゴルゴダ、聖墳墓教会へ歩きます。

そしてたどり着くのが聖墳墓教会

この日はアルメニア教の儀式が行われていて、うんよくその場に立ち会うことができました。

そしてここが十字架が刺さっていた穴が残る場所

 

そしてイエスの遺体が置かれたところ

ビアドロロサを歩くのは何度目だろう。

だけどやはりいつも胸が痛くなる。

イエスの思いはどれほど伝わっているのだろうか?

 

10日目:イエスが生まれた生誕教会

オリーブ山から岩のドームを眺めます

教はもうひとつのゴルゴダの丘へ。

ここは昨日の聖墳墓教会よりも開け放たれた場所。名前も園の墓

写真はここが発見された当時の写真。

ゴルゴダとはしゃれこうべの意味、崖の穴がしゃれこうべのように見えます。

園の墓を見終えて生誕教会へ

イエスが生まれた場所。

ここがイエスが生まれた場所。その場所は教会になっています

 

ここがイエスが生まれた場所。

この旅でイエスを身ごもったことを告知された場所

イエスが生まれた場所

イエスが亡くなった場所

イエスが復活した場所

を巡ったことになります。

イスラエルは面白すぎる

 

11日目:岩のドームテルアビブ空港へ

これが神殿の場所、イサクの燔祭の場所、ダビデが契約の箱を置いた場所です

しかしいま、ここはユダヤ人の場所ではありません。

アラブ人の聖地となっています。

ここの岩からマホメッドが昇天をしたということになっているのです。

ここの東には閉ざされた門があります。

その門は救世主が現れたときに広くとされています。

果たして門は開くのか? 救世主は現れるのか?

聖書はまだその時を待っているのです。

12日目:成田到着

 

エジプト観光 危険度

エジプトはかつては危険なときがありましたが

今は平穏を保っています。いたるところに観光警察なる警官が警備をしています。

エジプトは観光立国だけに観光客の安全にはことさら力を入れています。

現在(2020年1月)の外務省の情報は以下のとおり

黄色い部分がいわゆるエジプトの観光で訪れるところです。

ここはレベル1ということになっています。

ずっとレベル1が続いている状況です。

 

ちなみにモーセが十戒を受け取ったシナイ山はシナイ半島(地図の右側)濃いオレンジ色の危険度レベル3に該当をしています。

シナイ山にも個人で観光に訪れる人はいるようですが、ここはお勧めできません。

 

しはがって、いまのところエジプトに行ってカイロ市内でピラミッドやスフィンクス、あるいはナイル川のクルーズ、アスワンやルクソールといった場所は問題のいえると思われます。

 

今回はエジプト、イスラエル、レバノンの旅行、特にモーセをテーマにしてみました。

また新しい記事をアップしますのでお楽しみに。

2019年12月 369回スケジュール

 

4日

13:00

東京V 7回目

クラブワールド

5日

12:00

谷本グループ

クラブワールド

5日

19:00

東京W 2回目

クラブワールド

9日

13:00

あいとぅるー3回目 4回目

 

10日

17:00

東京U10回目

クラブワールド

10日

19:00

東京U 12回目

クラブワールド

28日

13:00

守谷 4回目

守谷

28日

19:00

アドバンス

クラブワールド

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クレッグの古代の叡智フィールドワーク奈良を開催しました。

クレッグはハイヤーセルフディスカバリーやサイキックアウエアネスといったセミナーのほかに

瞑想で古代にアクセスしてクレッグの古代の叡智フィールドワーク奈良を開催しました。

 

クレッグはハイヤーセルフディスカバリーやサイキックアウエアネスといったセミナーのほかに

瞑想で古代にアクセスして叡智をおろしてくるということをしています。

彼は古代の事にも詳しいのです。

まずはホテルの会議室で古代の叡智セミナー

ここで話題になったのは二ビルやアヌンナキについてのことでした。

私たちの知っている歴史以外の歴史がいかようにあるのか?想像を膨らせると好奇心があふれ出します。

そして

日本の古代と言えば奈良

 橿原神宮

 

令和の大嘗祭の数日後に橿原神宮を参拝するのも意味があったと思います。

次に訪れたのは益田石船

名のために作られた石なのか分かっていません。

付近には巨石の姿はなく、突如として人工的な造作がある巨石が益田石府です


岩の下部には四角形の凸凹した形が記されています。

上部には二つの四角形の穴が開けれています。

よくみると下の模様と上部の穴では繊細さが違うようにみえます。

上部はシャープな切り口でインカの石組を想起させるような緻密さを伺わせます。

この石はいったに何のためのものなのでしょうか?

石船という名前がつけられていますが、空を飛んできたものなのか、

あるいは何かの装置のようにも思えます。

 

次に訪れたのは石舞台古墳

石舞台ではクレッグの誘導瞑想で古代へアストラルトラベル。

ここは蘇我馬子の墓と類されている古墳です。

そもそも石舞台は空間が開けていて、西側は遠くに二上山が見える眺望の良い場所。

瞑想にはうってつけの場所です。

さらに最後に訪れたのは談山神社。

中大兄皇子と中臣鎌足が大化の改新にいたる相談をしたとされるところです。

この時期は紅葉が美しく、夜間はライトアップがされていました。

超古代から宇宙、そして大和・明日香と古代を満喫した1日でした

★おかげさまで満席になりました★

11月2日にカミーノ巡礼凱旋トークライブを開催します

南仏からルルド、45日間のカミーノ巡礼、ポルトガル、イギリスの2ヶ月間にわたる聖ヤコブ、マグダラのマリア、聖母マリア、聖ミカエルを巡る旅でした。

加えて、2年前に一緒にカミーノ巡礼をした琵琶奏者の黒田月水さんにもスペシャルゲストで来ていただきます。

また、旅行中に日本と電話で収録をしてきた鎌倉FMの「魂のリラックス略してたまりら」のパーソナリティでボイストレーナーの宇津雄一さんにも来ていただきます。

2時間という限られた時間でどこまで話せるか? 未知なのですが、巡礼中に作った替え歌なども披露しつつ、カミーノ巡礼の意味や巡礼で感じた事などをお話しいたします。

出演は大村真吾、小山美由紀、平野裕子、宮島暁子、関田直美。
スペシャルゲスト:宇津雄一、黒田月水

日時 令和元年11月2日土曜日
開場 13時30分
開始 13時30分
終了15時30分

参加費 1000円 1ドリンク付き!(18時からのBMSライブにも来てくださる方は「当イベント」を割引で600円でご参加いただけます。BMSライブはコチラをご覧ください https://www.kokuchpro.com/…/a6355f1298fe54b2761610bfff2b87…/
場所:u-ma kagurazaka
住所:東京都新宿区矢来町132-5
お申込み:https://www.kokuchpro.com/…/8db2b495c3976d69dec530110fa0b5…/

こんにちは、極楽開運パワースポット巡りのスピリチュアルキュレーターの大村真吾です。

 

今回は「カミーノ サンティアゴ800km巡礼ブログ」です。巡礼の様子を綴っています。

 

1日目「ピレネー山脈越え」サン・ジャン・ピエ・ポーからロンセスバージェス

1日目(令和元年8月21日)

 

カミーノ巡礼の出発地はフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポー。

 

ピレネー山脈のふもとにある小さくて可愛い町です。

 

昨日私たちはルルドからバイヨンヌで電車を乗り換えてここまでやってきました。

 

サンジャンの様子は動画にもアップしていますのでご覧ください

 

 

お菓子のマドレーヌの由来とは?@サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからライブ配信

サンティアゴ巡礼の出発地サンジャンピエドポーの町並み

 

見てみてくださいね、なんとなくサンジャンの街の様子がわかると思います。

 

そして、いよいよサンジャンを出発してピレネー山脈へ

 

はっきりいってキツイです。

 

朝早くに出発、6時から6時半には出ることをお勧めします。その理由はロンセスバージェスまでは25キロなのですが、なんといってもピレネー山脈の山越えなのです。サンジャンの海抜は約200メートル、途中の峠レポエデールの標高は1429メートルなので1230メートルあまりを登ることになります。距離数以上に時間がかかるのです。

 

 

 

6時30分 サンジャンのアルベルゲを出発。

 

bty

 

サンジャンの町を出て巡礼路は2種類にわかれます。目印は白と赤です。白は比較的ゆるやかな道です。多くの巡礼者は古来からある赤いコースを行きます。

 

 

 

急な舗装路の上り坂を5キロいくとフントという集落につきます。ここのカフェ(開いてるような開いてないようなカフェ)があります。椅子があり水を汲める場所もあります。トイレもあるのでここでひと休み。

 

bty

 

フントからは更に上り坂が急になる感じがします。雲海から出る日の出を見ながら1.5キロくらいの坂を登るとオリソンに到着。

 

bty

 

 

ここにはアルベルゲとカフェがあります。眺望のよいテラスのような場所にテーブルと椅子があるので休憩&ブランチに最適です。ここにも給水所があります。もちろんトイレもあるのでカミーノ巡礼の洗礼をうける巡礼者にとっては恵みの休憩所です。

カミーノ巡礼、歩き始めて8キロのオリソンからライブ配信

 

オリソンからまだ急な上り坂は続きます。それを補うにあまりある眺望の良さ。牧草地の羊たちの光景が辛い体と気持ちを和らげてくれます。

 

bty

 

すこし勾配がゆるくなり360度に牧草地がひろがると十字路の左にこんもりとした岩山が見えてきます。この岩山の上にマリア像があるのです。これがビルコリアの聖母といわれています。マリア像の先は絶壁。晴天の青にマリア様が映えます。ここでしばし休憩。自転車でカミーノ巡礼をしている韓国人のグループと話をしていたら私たちひとりづつに韓国のりを頂きました。欲しかった塩味!!彼らはサポートの車が並走していて荷物は全部その中に乗せています。どうやらランチタイムで火をおこしラーメンを作っているようす。美味しそうです。彼らにお礼を言って再び歩き出すことに。

 

bty

 

草原地帯を登っていきます。

 

bty

 

しかし今までの登りよりはすこし勾配はゆるやかになっています。ビルコリアの聖母から1時間くらい歩いたでしょうか。道の先に白いバンが見えてきます。この車を待ち望んでいました!! 2年前もこのバンにどれだけ助けられたか。水や飲み物、くだものやスナック類の販売カーなのです。ここが実質上フランス最後のお店でスタンプも押してもらえます。ここでコーヒーとバナナを買って一休み。まさにオアシスです。

 

 

バンから1キロほどは上りが続きます。

 

あと5キロほどが比較的平坦&登りをいくと標高 1429メートル の レポエデール 峠に到着します。

 

 

ここからは急激なくだりが5キロ続きます。登りもつらいが下りもつらい。膝に負担がかかります。

 

延々とくだっていくと比較的ゆるやかな森の中の下り坂にかわります。やがてあと1キロくらいで平坦になり突如としてロンセスバージェスの教会が姿を現せます。この教会に併設されている大きなアルベルゲに宿泊。

 

 

夕食はアルベルゲで予約をして教会の横にあるレストランで頂きました。

 

夜のミサがあったのですが、睡魔に負けてそうそうに就寝。

 

1日目の難関ピレネー越えを無事終了しました。

 

 

 

行程

 

6時20分 サンジャン出発

 

8時2分 フントに到着、休憩 8時15分出発

 

9時25分 オリソンに到着、休憩 10時18分出発

 

11時40分  ビルコリアの聖母 に到着、休憩 12時出発

 

13時 販売カーに到着、休憩 13時16分出発

 

15時30分  レポエデール 峠

 

17時 ロンセスバージェス到着

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2日目「陽気なラテン民族」ロンセスバージェスからズビリ

 

2日目(令和元年8月22日)

 

今回は「カミーノ サンティアゴ巡礼ブログ2日目ロンセスバージェスからズビリ」です。

 

 

ロンセスバージェスのアルベルゲに併設されているレストランで朝食、そのままズビリへ歩き始めます。昨日の山越えの疲労が若干残っていますが、みんな元気そう。

 

bty

 

アルベルゲを出たところにサンティアゴまでの標識がでていたのでそこで記念撮影。はるか700km以上先の標識があるのはカミーノらしいです。

 

フラットの道が続くので足取りも軽く30分ほどで小さいマーケットがあります。そこで昼食がわりの果物などを購入。

 

 

そこからしばらく進むとヘミングウエイが泊まった宿があります。彼はここでマス釣りをよく楽しんだそうです。

 

 

bty

 

このまちの教会をすぎて小道を右折。小川がながれる橋をわたって緑の中をすすみます。

 

 

2年前見たときはピレネー越えの疲れがどっときて足が重かったのですが、今回はそうでもありません。一緒の3人もそんなにつらくなさそうです。

 

 

途中で巡礼中にこの地でなくなったYAMASHITA SHINGOさんの慰霊碑の前で黙祷。2002年に64歳でお亡くなりになられました。ズビリ目前での急死。そしてここをお参りしてくれている人たちがいることに感謝です。2年前はここで琵琶奏者の黒田月水さんが般若心経を琵琶演奏で唱えました。

 

 

エロ峠の売店で休憩をしてズビリへ。

 

アルベルゲは El Palo de Avellano 2年前は満室だったところです。ズビリはアルベルゲがそんなに多く、ズビリ以上に歩く人も少ないためか部屋が混んでいることが多いよう。今回はあらかじめ予約をしておいて正解でした。

 

bty

 

夕食もアルベルゲで食べることができます。13.5ユーロとちょっと高めのメヌーですがサラダもどっさりでてきてなかなか美味しかったです。

 

次の宿泊先まで荷物を送るサービスがあって、同席のスペイン人おじさんとイタリア人おじさん、フランス人おじさん、ブラジル人おばさんがその話をしていました。かみ合わないような、かみ合っているような微妙な会話が面白かったので思わず参加してしまいました。以下現場の実況です(たぶんに私の想像がはいっています。ご容赦を。ちなみにおじさん達は65歳以上、おばさんは50歳代か?)

 

スペイン人男性「荷物って送れるんだよな」(スペイン語)

 

フランス人男性「ああこの紙にお金入れておくるんだべ」(スペイン語)

 

ブラジル人女性「え~なんのこと?」(これポルトガル語)

 

スペイン人男性「荷物送れるんだよ」(スペイン語)

 

フランス人男性 イタリア人男性「そーいうこと」(スペイン語)

 

ブラジル人女性「えっつ? 何??」

 

スペイン人男性「ポルトガル語かい?」(たぶんスペイン語で)

 

ブラジル人女性「そーよ ところでそれはなに?」(ポルトガル語)

 

フランス人男性「荷物をつぎのアルベルゲまで送ってくれるの、その封筒だべさ」(スペイン語)

 

スペイン人男性「5ユーロだよ。そんでもってオイラ達の名前はシスコ」(スペイン語)といってイタリア人男性を指さします。

 

フランス人男性「シャンピオ~~ン」といってイタリア人男性を指さします(フランス語らしい)

 

スペイン人男性「シスコ~~」 「シスコ~~」 「シスコ~~」 連呼

 

イタリア人男性「2回」(たぶん2回チャンピオンになったのか)(イタリア語)

 

ブラジル人女性「いくらなの?」ブラジル語

 

フランス人男性「5ユーロだべさ」(スペイン語)

 

スペイン人男性「シンコ シンコ シスコ~ シスコ~」(スペイン語)(シンコはスペイン語で「5」のことです)

 

ここで私の出番だと直感しました。

 

私 封筒を指さして「シンコ シンコ」 自分を指さして「シンゴ シンゴ」

 

おじさん達と おばさん私を注目

 

一瞬の沈黙

 

スペイン人「お前の名前はシンゴか おれはシスコ わははは」

 

私 手を開いて5をしめして「シンコ」、自分を指さし「シンゴ」、股間を指さし「チ●コ」というと 大笑い

 

さらに拍子をつけて「シンコ シンゴ チ●コ 、シンコ シンゴ チ●コ 」

 

さらなる爆笑

 

最後にイタリア人男性の股間を指さし「シャンピオン チ●コ」

 

でダメ押しと思いきや

 

イタリア人男性「2」で笑いを全部もっていかれちゃった

 

という楽しい夕食でした。

 

言葉はあまり関係ないみたいですね。ラテンの人々は面白いです。

 

どうやらイタリア人のおじさんは自転車のロードレーサーのようです。若いときにチャピオンになったのでしょうね。

 

行程

 

8時00分 ロンセスバージェス出発

 

9時50分 エスピナル着

 

11時50分 リンツアアオイン着 小休憩 12時15分発

 

13時13分 YAMASHITA SHINGOさん慰霊碑 13時20分発

 

13時50分 プエルトエロ移動販売車 14時05分発

 

15時00 ズビリ着 

 

 

 

3日目「優しい道とヘミングウエイのカフェ」ズビリからパンプローナ

 

3日目(令和元年8月23日)優しい

ズビリからパンプローナは21kmの平坦な道のりです。

カミーノ3日目 ライブ配信

 

 

7時50分 ズビリのアルベルゲを出発。ズビリを出てしばらくは右手に工場をみながら歩くことになります。ススキのような草の中を進み、ときに森の中のような気持ちのよい道が続きます。

 

 

 

ズビリからパンプローナは平坦な道なので初日とくらべれば天国のよう、初日の疲れが体に残っていた2日目とくらべても体が慣れてきたのか足取りも軽く歩むことが出来ます。

 

思い返せば2年前は3日目にも疲労が残っていて歩くのが辛かったおぼえがありました。それにくらべると天と地の差。一緒に歩いている美由紀さん、裕子さん、美香さんも平気そうです。ちなみに美香さんはお遍路も歩いているのでプロ級の安定感です。(関係ないですが、美香さんのお姉さんのお名前は恭子さん。叶姉妹か!!すみません・・・)

 

途中で木の実をとっているおじさんとおばさんに遭遇、何を採ってるのか尋ねると「アニス」とのこと。食べれるの?と聞くと二人そろって首を横にふります。二人の動作が合っていて可愛い。よくよく聞くとお酒を造る実のよう。そういえば「アニス酒」というのがあったことを思い出しました。このあたりの名産だといってました。するとこんな看板

 

 

あっという間にアレの街まで到着

 

2年前はこの町にとまりましたが、今年は休憩もせずにアレを通過。絶好調!!と思いきや町を出たところから急に登り坂。いままで天国♪♪と思っていたメンタル、フィジカルに隙あり。急に体が重くなります。

 

 

 

 

トリニダードアレにつくと、そこはパンプローナのベッドタウン。ここからアスファルトが続くので余計に体に負担がかかります。

 

目前に緑が見えてくると、そこはパンプローナの城壁の外の公園。

 

 

パンプローナかっこいい!!

 

 

ここから街の中にはいります

 

 

パンプローナといえば牛追いの祭で有名です。この街並みの中を牛と大勢の人が駆け抜けていきます。あとパンプローナで有名なものがヘミングウエイの通ったカフェ イルーナ

 

 

 

メヌーの中にガスパチョがあったので迷わずチョイス

 

 

ガスパチョがあれば元気になれる!!!!!!!!!!

 

 

 

 

ヘミングウエイと2ショット。

 

あとはアルベルゲに泊まって3日目も無事終了

 

行程

 

7時50分 ズビリ発

 

9時26分 ララソーニャ着

 

10時19分 スリア―ニ着

 

11時51分 イロッソ着

 

13時50分 パンプローナ着

 

 

 

4日目 ザビエルの生家ハビエル城へ

4日目(令和元年8月24日)

 

フランシスコ.ザビエルの生家ハビエル城からライブ配信

今日は一日お休みの日。といってもアルベルゲは朝8時にはチェックアウトしなければなりません。宿を出て近くのカフェで朝食。大聖堂は9時に開門まのでそのれまでカフェで時間をつぶします。

 

とはいうもののカフェで意外に時間を過ごしてあわててパンプローナの大聖堂へ

 

 

よく見ると右側の時計が普通とは違います

 

 

日時計です

 

こういう塔に日時計とはかっこいいです。

 

 

中に入ってみるとミサが行われていました。

 

その奥にはマリア様が祀らています

 

 

このマリア像は実際にはさらに光り輝いていました

 

 


あっという間に時間が過ぎ去り、今日の目玉であるハビエル城に行くことに。
ハビエル城はパンプローナからは車で1時間の距離、どこかでタクシーを見つけなければなりません。そこでこまったのが何処にタクシーがいるのかがわからない!!パンプローナは城塞都市なので市の中心部は車がほぼ通ていないのです。そこで博物館に行ってみることにしました。しかし周りにタクシーが停まっている様子はありません。試しに博物館の受付のに行ってタクシーを呼びたいというと電話番号を教えてくれました。ついでに電話までしてくれて、実際にタクシーがくるまでの確認までして見送りまでしてくれる念の入れよう。受付の警備のおばさん、ありがとう!!

 

 

 


一路ハビエル城へ

 

 


ハビエル城とは1549年に日本にやってきたフランシスコ ザビエルの生まれ育った家なのです。

 

 


彼はスペインのナバラ王国の生まれなのです。ここパンプローナやハビエル城があるのはナバラ県。昔の王国がそのまま県名になっています。その王国の貴族の家の生まれたのです。ハビエル城はその後戦争で破壊されるのですが、再建されていま博物館になっていて当時の絵画やハビエルの伝記、功績、家系などが展示されています。

 

 


19歳でザビエルはパリに留学、そこでイグナチオ・デ・ロヨラと運命的な出会いをします。イグナチオから強い影響を受けてザビエルは聖職者を志すことになります。その他5人の仲間と合計7人で「神に生涯を捧げる」という誓いをたてますこれが「モンマルトルの誓い」となりイエズス会の創立となります。

 

 


世界中にキリスト教の布教を目指したイエズス会はポルトガル国王のジョアン3世の要請でポルトガル領であったインドに赴くことになります。ザビエルはそこに加わりアフリカ経由でインドのゴアにたどり着きます。そこで仏教の僧達にキリスト教を説き、一人をキリスト教に転じさせることにも成功します。
また浜辺で祈っていたときに波にロザリオがさらわれるのですが、翌日浜辺でロザリオをツメにかけた蟹を発見するという奇跡も起こったりします。 

 

 

 


そしてマレー半島にわたり、そこでヤジロウと出会いザビエルはジャンク船に乗り鹿児島にたどり着きました。

 

 

 


京都に行き天皇陛下、将軍に謁見をもとめますが、外見にこだわっていなかったザビエルは謁見に能わずと判断され拝謁をすることはできませでした。
その後、山口で大内氏に謁見が叶い布教を認めらます。その際に盲目の琵琶法師が洗礼を受けたロレンソ了斎など600人以上を信徒にしたといわれています。

 

 


2年の滞在ののち中国での布教の必要を感じたザビエルは日本を出て広東を目指します。結果的にはそこで最期をとげてしまいますが、一緒に日本を出た4人の日本人のうちの一人ベルナルドはポルトガルにまでわたり留学をしてローマ法王に拝謁までしています。ベルナルドは日本にはもどらずコインブラで亡くなっています。
このようにザビエルと日本は深い関係があるのです。

 

 

パンプローナにくると是非とも行ってほしい場所です。

 

4日目はハビエル城に行って、帰りはタクシーでシースルメノールのアルベルゲで一泊。これで今日は終了です

 

 

 

5日目「ぺルドン赦しの丘とマリア」シースルメノールからプエンタラレイナ

5日目(令和元年8月25日)

 

マルタ騎士団のおじさんにみおくられてシースルメノールを出発。

 

 


今日はぺルドンの丘を越えるので早めに起きて6時40分に出発。足取りは軽い。
もう枯れてしまったひまわり畑を横目に見ながらぺルドンの丘に近づいていきます。

 

 

 


途中、慰霊碑とベンチがあるところで休憩。
しばらくすると登りに入っていきます。
丘の上には風車が丘の端から端まで数十キロも並んでいます。

 

 


しかし無風で羽は回っていません。
出発の時には朝靄で丘の姿は見えなかったですが、
日が昇るとともに視界がよくなり真っ青の晴天になりました。
ぺルドンの丘は「赦しの丘」。昔は今のように道は整備されてなく、サンティアゴに道は困難を極めました。
マルタ騎士団などが守ってくれるといえども野犬や盗賊にも襲われたようです。
元来サンティアゴ巡礼は自分の家から始まります。
するとサンティアゴに着くのは至難の業で、この丘までくることができたら、サンティアゴまで行けたのの同じにしようという言うなれば免罪符のようなものが施されたようです。そこでぺルドン許しの丘と名付けられたといわれます。
丘の上はカミーノの前半部分のハイライトともいうべきオブジェがあります。

 

 


ここで記念撮影をしたり休憩をしたり巡礼者は思い思いの時間を過ごします。
車でここまで登ってくる観光客の姿も見えるほどここは名所となっているのです。

 

 


丘をおりるとウルテガの裏に着きます。
ここには村の始まりにマリア像があります。

 

 


このマリア像はこの場所にマリア様が出現したことを示すものなのです。(バチカンが認めるまでには至ってないのでしょう)
マドリッドからきた巡礼者がこの村の井戸の近くで休息をしていました。するとそこに6歳くらいの少女があらわれて色々と質問をしてきたそうです。
不思議に思ったその巡礼者はよく少女を見てみると光り輝いたそうです。
話すことやその精神性の高さ、光り輝いている姿からこの少女は聖母マリアに違いないと彼は確信しました。
それ以降毎月第一土曜日にここに参拝を重ね、亡くなるまで欠かさなかったそうです。
そういったいわれのあるマリア像なのです。
しばしそこで静かな時間を過ごし再び歩き始めます。
ムルサバルの村ではカミーノが二手に分かれます、エウテナを経由していく少し遠回りな道と、オバリスを通る近い道。近いほうがフランス人の道ですのこちらを通ってプエンタラレイナに到着。

 

5日目の行程

 

6時40分 シースルメノール出発

 

8時30分 サリエリギ手前のベンチ 8時40分発

 

9時20分 ぺルドンの丘 9時40分発

 

10時30分 ウルテガ マリア像 10時50分

 

11時30分 ムルサバル

 

12時40分 プエンタラレイナ

 

 

6日目「パエリアとガスパチョとお姉さんの優しさ」プエンタラレイラからエステージャ

6日目(令和元年8月26日)

今日はプエンテラレイナからエステージャまでの22キロ。

カミーノ巡礼6日目 ライブ配信


プエンテラレイナには王妃の橋といわれる美しい橋があります。

町の川のほとりにあり、その橋を渡ってエステージャに向かうことになります。

しかし、朝6時半に出発したため、まだ真っ暗で橋の写真を撮ることができませんでした。町を出て緩い登りが続きます。


緩い下り登りを繰り返してるうちにブドウ畑がちらほら出てきます。

隣ののリオハはワインで有名ですが、カミーノ上ではナバラやガリシアのワインも有名ようです。


途中にローマ時代の道をところどころ歩いていきます。

全ての道はローマに通じる。2000年前にこの道がローマにまで続いていたなんて考えるとワクワクします。

道であることを堅持するために石畳を作っていったのでしょう。今でもその痕跡が残っています。

カミーノという言葉も「道」です。道があるから文明は栄え、広がり、道の上に人が集まり文化や習慣が形作られる。インカ帝国もその基礎をなしたのは「道」であったとも考えられます。

道の横に手を伸ばせばある実を時々口にしながら歩き続けます。酸味と甘みが身体を癒してくれます。

ゆったりした登り下りを快調に歩いてロルカの町に到着しました。二年前はこの町で力尽きて歩くのをやめてしまった所です。

その際に飲んだガスパチョが美味しくて生き返ったことがカミーノの鮮明な思い出になっています。


今回もそのお店に入りまガスパチョを注文。

パエリアも美味かったことを話すとブランチのような食事をすることに。

やっぱりここは安くて美味しい!ほとんどがシーズンが終わり枯れてしまっていたのです。

一時間くらい休んでエステージャを目指して再び歩きだします。

するとひまわり畑が出現。今までもひまわり畑は沢山あったのですが、若干枯れ始めていて、花は大地の方を向いてしまってますが、やはり綺麗。

正午をまわり日差しが強くなってきます。エステージャまであと2キロくらいからだんだん身体がキツくなってきました。


暑いなあまだかなと思う頃エステージャの緑の芝生と教会が現れました。着いた!
だけど今回のアルベルゲは町の端。そこまでが遠い。。。おまけにアルベルゲのある場所までは上り坂。やっとの思いで到着。


夕食は坂をくだった大通りのバー・レストランで巡礼者のメヌーを。サラダに煮込み風の牛肉。

どちらも美味しい。ふと気づいたら外は大目。傘もカッパも持って来てないのでずぶ濡れになってしまう。しばらく待ってもやむ様子はなく、カミナリまで鳴り出すしまつ。
お店のお姉さまにタクシーを呼んでもらうことを楽しむと、数件のタクシー会社に電話をしてくれるも少なくとも45分は来ないとの。10時頃になっていたのでお店の時間を確認すると、タクシーが来るか、雨が止むまでお店にいていいですよとのこと。優しい! カフェコンレチェを注文してしばらくするとタクシーが来て武士道アルベルゲへ。

姉さんありがとう!!!

6日目も無事終了。

行程

06時35分 プンタ ラ レイナ出発

08時15分 シラウキ 小休憩 08時40分発

10時30分 ロルカ ブランチ 11時30分発

12時30分 ビジャトゥエルタ 教会たちより 13時05発

14時20分 エステージャ到着 

 

7日目「ワインの泉」エステージャからロスアルコス

7日目(令和元年8月27日)

エステージャからロスアルコスまでの22km

カミーノ巡礼7日目 ワインの泉からライブ配信

 

昨夜の大雨も止んでいる様子。雲はかかっていますが、薄く空も見えるので一安心。
エステージャの町のはしには星と人を型どったオブジェが見送ってくれます。


一時間あまりでイラーチェにつきます。
加治屋さんがカミーノに因んだ作品を作っておりテンプル十字のホタテを購入。ここでは二種類のスタンプを押してくれます。


ひとつはこのお店のスタンプ。
もう一つはロンセスバージェスから100キロのスタンプです。

このお店でカミーノの象徴であるホタテにテンプル騎士団の十字架がついたペンダントを見つけて4人そろって購入。


加治屋さんを出てすぐにワインの泉があります。ここは地元のワイン製造会社bodegas iracoがワインとミネラルウォーターを施してくれています。文字通り蛇口をひねればワインが出てくるのです。

二年前はあったコップの販売機はなくなっていたので、みんな水筒の水を捨ててワインを入れています。驚いたのは蛇口に顔を近づけて直のみしている人もいます、大胆!


イラーチェの村を出て尖り山のピコ ラ モンハルディンを目印に進みます。この山は昨日エステージャの手前からでも見えていました。


山の麓に同じ名前のモンハルディンに到着。
ここから先は12キロ村も町もない区間です。二年前は炎天下の暑さにやられて途中で野シエスタをしてしまいました。



今回は曇り空に救われて順調に進み、途中の移動販売車カフェで休憩。

二年前はこの営業も終わってる時間まで歩いてました。
しばらくして晴天になり日差しがきつくなりますがロスアルコスに無事到着。


今日のアルベルゲはおばあちゃんマークのCasa de Abela。

味しそうな臭いがしてるので夕食と朝食もお願いすることに。
順調に巡礼7日目も終了

行程

7時40分 エステージャ

8時15分 鍛冶屋 8時30分発

8時35分 ワインの泉 8時55分発

09時55分 アケスタ

12時38分 移動カフェ 13時05分

14時35分 ロスアルコス

 

8日目「神の計らいが起きた!!」ロスアルコスからヴィアナ

8日目(令和元年8月28日)

ロスアルコスからヴィアナまでの18.5km

カミーノ8日目ロスアルコスを出発 ライブ配信

今日はあまり長い距離ではないので余裕の出発。
普通のスケジュールではロスアルコスからログローニョまでの28kmを歩くことがおおいですが、ヴィアナとログローニョの間に町がないので無理せずヴィアナで泊ることに。

朝日を受けながら軽快に進みます

1時間半くらいでサンソルの村に到着、すぐ隣にもうひとつ村があるのでそこまで休憩なしであるくことに。

ほんの1kmくらいでトレスデルリオの村に到着。

この村には小さな八角形の教会があります。

ここは入場料が1ユーロなのですが、なんか落ち着くところで2年前はここで黒田月水さんが琵琶の演奏をしました。すごくよかったので引き続き今年もやってきました。

しばらく佇んだのちに村を歩くとテンプル騎士団の十字架を掲げているカフェ&アルベルゲを発見

昨日ペンダントを買ったところなので気になって入ってみることに。

すると陽気なスタッフとお客さん達ばかりであっという間に時間が過ぎてしまいます。

お客さんのメキシコ人のカルロスとは今年の11月に私がメキシコに行くのでその時会おうかという話にまでなりました。

昨夜、ヒーリングピアニストに松尾泰伸とメッセンジャーでやりとりをしているうちに来年か再来年松尾さんもカミーノを歩くという話になったのです(まだ未確定です)

八角堂の教会かこのアルベルゲの庭で松尾さんのライブが出来ればいいなあなんて話をしていました。テンプル騎士団のアルベルゲのスタッフに聞いてみると「可能だから、そのとき連絡をくれ」とのこと。

なんだか縁がつながっていきます。

そこにまたイタリア人のおばちゃんが話に加わってきて「あたいはブルゴスの先でアルベルゲをやってるから是非泊ってよ、もちろん料理はイタリアンよ。絶対よ!!!」といってきた。シーシーなんて気軽に答えたらスケジュール上中途半端な場所で行程の組み換えが必須の感じに。だけどこれも縁なので是非よてみようと思います。またその報告はその時に。

ゆっくりしすぎたマルタ騎士団をあとにしてヴィアナを目指します。

ここから先は丘を登ったり下りたりしながらオリーブ畑とぶどう畑の道をすすみます。

途中にエルミタ デ ラ ヴァージン デル ポヨという小さなマリア教会をとおり、そこから4.7キロでヴィアナに到着。

泊まろうかなと思っていたアルベルゲに何度も電話をしていたのですが繋がらず、訪れてみたら閉店のよう。

それならばと違うアルベルゲを目指しヴィアナの街の中を歩いていくうちに2年前の記憶が蘇ってきました。

たしかこの道の先の右側にホテルがあり、そこのレストランが美味しかったこと、その左側にかっこいいアルベルゲがあったこと、遺跡の教会が美しかったことなどが走馬灯のように思い出されました。

あのアルベルゲが閉まっていてよかった!! 神に感謝です。 そのかっこいいアルベルゲANDRES MUNOZに宿泊。

ランチはホテルのレストラン。

遺跡の教会で写真を撮って、ここで松尾さんのコンサートができたらいいなあとビデオメッセージを松尾さんに送ったりして、マーケットに行くことに。

途中でフットバスの看板を見つけて立ち止まっていると、おじさんが「フットバスやりたいかい?」と話してきました。

いくらか尋ねるとドネーションとのこと。ならば入ろうということになり4人でお店の中へ。

なんかオシャレなカフェのよう、飲み物はいろんな国のビールやアイスティー、アイスコ―ヒー、ハーブティーなどと書いています。

フットバスはホットかアイスどちらがいい?と聞かれたので、どっちがおススメかと尋ねると、アイスだねと即答。

ならばアイスでお願いしま~すと4人そろってアイスを希望。

冷たい塩水に足をつけていると熱かった身体がクールダウンしていきます。

話していてスペイン人じゃないなあと思ったので、どこから来たの?と尋ねるとカナダ人とのこと。

そこから話がはずみ、おじさんとおばさんは僕たちと同年代で養子を二人とっていて、そのうちの一人の娘(もう28歳)は日本人とのハーフ。だから愛犬の名前は「スキ」、彼女は去年の10月に結婚したばかりで・・・

そんな話をしているうちにスピリチュアルな話題に展開。

この施設はクリスチャンの教団の施設だそうで、お二人は3か月前から前任者から引き継いでここでやっているららしい。

瞑想のはなしなどをしていると、聖書をよみながら目を閉じて静かな時間を過ごそうということになり、お店をクローズして30分ほど瞑想タイム。

奥さんの読む聖書と私たちにしてくれたチャンティングが暖かくて胸を打ちました。

感謝を伝えて、また雑談をしている際に、あの教会みたいなものは何ですかと尋ねたところ、1800年代に戦争で破壊されてしまった教会で、いまはそのときの破壊されたまま保存されていると、そしてそこではコンサートがあったりするのよというのです。

えっつ!? 今コンサートっていったよね。と思いつつ聞き直すと、そうよコンサートとかイベントをやってるわよというではないですか。

私は松尾泰伸というヒーリングピアニストがいて、その教会跡でコンサートが出来たらいいなあと考えていたところなんですよと伝えると二人も驚いてる様子。

どうしたらあそこでコンサートが出来るかしってますか?と尋ねると、じゃあヴィアナの観光局に行こういうことになったのです。

観光局に行くと、名刺をもらい外国人でも借りることができること、ピアノは教会にはないけどしかるべきところから借りることができること。などが分ったのです。

これは何の計らいでしょう。

早すぎる展開。

シンクロの連続。

神は確かに私たちを導いてくださっています。

行程

7時30分 ロスアルコス

9時00分 サンソル

9時17分  トレスデルリオ 10時45分発

11時30分 マリア教会

13時15分 ヴィアナ 

 

9日目「葡萄とサクランボとアーモンド」ヴィアナからナバレテ

9日目(令和元年8月29日)

ヴィアナからナバレテの21.5km

カミーノ巡礼9日目 昨日起きた奇跡的なことなど。ヴィアナ付近からライブ

ヴィアナのかっこいいアアルベルゲを出て歩き出します。

しばらくすると朝日がノートパソコン昇り、背中から太陽に押されるようにエネルギーを得て進みます。

基本的にカミーノは東から西に進んでいきます。2年前は午後あることが多かったので西日を観ながら歩いていました。やはり朝日を背に受けて歩くほうが歩きやすい。スペインの西日はまた強烈なので正面から受けてあるくのは辛いです。

昨日の奇跡のような出来事をyoutube「しんごちゃんネル」でライブ配信をしながら歩きます。(巡礼中、毎日スペイン時間の朝8時・日本時間の午後3時に生配信をしています)

前半はこれから先にあるアルベルゲの壊滅的なメニューとバーコードのおじさんの話をしていますが、後半は昨日の奇跡の話とその奇跡に関係するヒーリングピアニストの松尾泰伸さんの話をしています。

ちなみに私はファンクラブの会長、一緒に歩いてる美由紀さんは会員番号34番、裕子さんは会員番号36番なのです。美香さんには鋭意会員になってもらうべく勧誘をしています(笑)

そんな話をしながら約9.5キロを歩きログローニョの町に到着。

橋を渡って市街地にはいります。

ログローニョの街で道路にある矢印はこれで統一されています。

昨日教えられたようにカミーノの道ではなく大聖堂の方にいきます。

まずは大聖堂に入りご挨拶。

静寂のなかに聖母マリアさま

素晴らしい静寂感。シスターが手招きをしてくれたので事務所の中に入れてくれてスタンプを押してくれました。

日本人ですか?と尋ねられました。はいと答えると、奥から白い紐を持ってきて「これは日本で作られました。エー エー クミヒモ?」と言われます。はじめはピンと来なかったのですが、そうです【組紐】です。白いシルクをかなり多く使った組紐でした。ここでそのようなものを拝見できるとは・・・。昨日に引き続き何かに組み込まれているような気がします。

大聖堂を出てブランチをとることに。

11時ころにカフェを出て歩き出しますが、町は大きく巡礼の道らしい道がなかなか出てきません。

公園の中を延々と歩き続けます。遊歩道のような道が町はずれのグラヘラ公園、その先のグラヘラ池までつづいています。

もう長いのなんのって

暑いのなんのって

もうキツイの一言。

ここを地元の人はジョギングや散歩をしています。

あらためて地図を見てみると

 

ログローニョからなナバレテまでは約13km。そのうち遊歩道が半分近くもあるのです。考えようによってはコンクリートの道をいくよりはありがたいのですが、あまりにも長すぎて、暑すぎてぐったりしてしまいました。

ちなみに途中池のほとりにカフェがあります。

その暑い中、マリアさまのお御堂が現れます

 

これをすぎると遊歩道から普通の道にかわっていきます。

途中にリオハワインの葡萄畑、アーモンド、サクランボと果実を手にすることができます。

といっても葡萄は人のものですが・・・

ちょっと摘まむ果実が少し暑さを和らげてくれます。

だけど暑い・・・

なんとかナバレテの村に到着

大聖堂があったので逃げ込むように中に。

こんな小さな村なのにこんな立派な大聖堂があるなんて驚きです。

その昔、巡礼者にとって大聖堂は教会は救いの場所だったのでしょう。

大聖堂の中は厳格ではありますが、静かで涼しくて清らかです。

現代の私たちにも、これだけの癒しを与えてくれるのですから、当時は比較にならないほどの安心感をもたらしたのだと思います。

やっとの思いで到着した今日の宿泊所はA la Sombra del Laurel。4人部屋は広くて快適、色合いもいい感じの部屋なのです。

これで今日も無事終了

行程

      ヴィアナ 07時30分出発

09時49分 ログローニョ 大聖堂やカフェ 11時00出発

14時38分 ナバレテの村の入り口に到着

14時49分 大聖堂

15時12分 ホステルの到着

 

10日目【直感と示唆】【ジャコ様が舞い降りた】【セドナのようなパワースポット】ナバレテからアソフラ

10日目(令和元年8月30日)
ナバレテからアソフラへ 23.8km

今朝は朝6時50分に出発。昨日の午後の日差しが強すぎて、なるべく早くに到着したいのでいつもより早くに出発。

カミーノ巡礼10日目意識の変革!?ライブ配信

 

歩きはじめたら、すぐに前からおばさんの巡礼者がやってきました。

おばさんはだいぶ歩いたが矢印がみつからなくて戻ってきたとのこと。

色々聞いてみたら、おばさんが勘違いをしていると思い、一緒に行きましょうと連れていくことに。

おばさんは「この道からすぐに左に曲がる」というアドバイスを受けていたので、あまり私の話は聞いていない様子で、左側に道があると人の家にいく道であろうとずっと気にしている様子。

「すぐ左曲がる」ということにとらわれていたのです。

いちいち止まるので、すこしずつおばさんは私たちから遅れることに。

ふと気づくと、おばさんの姿が道から消えていきました。

しばらく行くと、左に曲がる矢印が出てきて、私たちはその道へ。

あのおばさんは何処に行ってしまったのだろう。心配をしながらも何処で消えたかもわからなかったので、そのまま歩いていくことに。結果的にその後、おばさんは正しい道に戻ってくるのですが、これは私たちに何を示してくれるのだろうと思い至りました。

あのおばさんは私たちに会わないと間違いなく山の中に迷い込んでいたはずです。そして私たちに会って軌道修正が出来たはずなのです。しかし彼女は自分の「直感」に従ったのです。「直感」に従うことは正しいことだと思います。私も概ね賛成なのですが、「直感」が外れる場合もままあるのです。一方で他者からもたらされる「示唆」があります。どうにもならなくなったり、自分のカンがはずれているときは「示唆」を受け入れてみることが重要です。この「直感」は内的情報で「示唆」は外的情報です。その使い分けを注意を払えというように思える出来事でした。

そんなことが起きつつ、私たちは次の町であるベントサに到着。


朝早く出てきたので気温も低めで歩きやすく快調に7.8Kmを歩き終えました。

そこで美由紀さんが「もうちょっと歩けるかも」と。実は今日はナラハという町までの18kmの行程を予定していたのです。ところがあっという間に半分近くを終えてしまったので「もうひとつ先の町まで行けるかも」ということになったのです。次の町はアソフラ。星の巡礼はシャーリーマクレーンの本のなかでも重要な出来事が起きる街なのです。

朝食を食べながら「アソフラまで行こうか・・・」と話していた時に一台のバンが私たちの前に止まりました。

そのバスは JACO TRANS

お~ジャコ様・神様・仏様!!!!

ジャコ様とは私たちが読んでいる敬称で、JACO TRANSとはアルベルゲからアルベルゲまで荷物を運んでくれる宅配サービスなのです。

ということは、バックパックをジャコ様に預けて、次の町のアソフラまで行けということか!!

話は即決、すぐにJACO TRANSおお兄さんを呼び止めてアソフラまでバッグパックを預けることに。

これで身も心も軽々とナラハへ。

1時間半あまりでナラハに到着。ここでサンタマリア修道院に立ち寄ることに。

ここが思いのほかのパワースポット。セドナのようなレッドロックが修道院の後ろに控えています。

建物が違えばセドナと思えるような場所です。

修道院は美しく中庭も美しいのですが、

驚いたのは修道院の奥。ここに入っていくと墓石がありちょっと入りにくい雰囲気。そこを越えると「えっつ何ここ?」という空気の変わりよう。その奥にマリア像が安置されていました。そこはレッドロックの洞窟のような感じ。もともとは洞窟にマリア像を祀っており、そこに建物を作っていき修道院になったのではないかと思えました。ここがいつまでも居れそうな空気感でした。

晴れやかな思いで修道院を出てアソフラへ。

14時過ぎに無事アソフラに到着。

行程

    ? ナバレテ   6時50分出発

8時10分 ベントサ  9時00分出発

10時51分 ナラハ  12時40分出発

14時10分 アソフラ

 

11日目 「セントドミンゴに起きた奇跡」カミーノ巡礼アソフラからサントドミンゴ デラ カルサダ

11日目(令和元年8月31日)

アソフラからサントドミンゴ デラ カルサダ 15.2km

ジャコ様の功罪 カミーノ巡礼11日目ライブ配信

 

アソフラを6時55分に出発。なだらかな丘陵地帯をカミーノは伸びています。昨日起きた出来事を振り返りながら歩みを進めます。

アソフラか9キロあまりは何もありません。2時間くらい歩いたところで移動カフェが出てきました。

飲み物を買って近くのベンチでしばし休憩。進行方向に建物が見えているので、すぐ先にシリニュエラの街がすぐにあるはずです。

まもなく左手にゴルフ場が見えてきました。

そこに面白い落書きがあります。

それは、巡礼のシンボルであるホタテ貝のオブジェなのですが、そこに上手く落書きがされているのです。

ホタテ貝の上に上手く「目」がかかれています。

これからは私の幻想です。このホタテに書かれた「目」はイルミナティをあらわしている。サンティアゴを行く人は基本的に徒歩か自転車です。

贅沢な旅行ではなく、無駄を出来るだけそぎ落とした旅のスタイルです。

一方、目の向こうにあるのはゴルフ場。ゴルフというスポーツを揶揄しているわけではありませんが、一般的な印象として清貧とは離れた存在です。

そこから巡礼者達を見る「目」。ゴルフは金持ち、政治家、事業家のイメージがあります。いわゆる支配層を連想させます。

イルミナティの印であるとされる「目」。これはアメリカ連邦準備局を創ったともいわれています。その際、世界中で流通するドル札、中でも一番多く流通し、多くの人の手に渡る1ドル札。

そこに描かれているピラミッドの上の「目」。これと同様、イルミナティはいつでもお前たち(巡礼者達)を見てるぞという意味に思えてしかたないのです。

様々なところに「目」は潜んでいて我々を見ています。千円札の中にも「目」は潜んでいます。千円札を透かして見てみると野口英世の左目に富士山が浮かんで見えます。まるで1ドル札のピラミッドにある「目」のようです。しかもこの左目が良く見ると異様な暗さを持っています。

さらに裏面の富士山は湖に映っている山とは全く違う山なのです。

そしてカミーノの終着点であるサンティアゴ デ コンポステラ。ここの大聖堂に祀られているヤコブに会うのがカミーノ巡礼のクライマックスなのですが、この大聖堂のボタフメイロ(香炉)は巡礼者を浄化するものとして(古くは伝染病や臭いを消すためともいわれています)大きく振り子のように降られます。

これは毎日行われるものではないので、この光景を観ることが巡礼者の僥倖でもあります。この香炉を吊るしている天井にも「目」が描かれているのです。

まさに上から巡礼者たちを見ているのです。

巡礼をすると、カミーノや四国の巡礼もそうですが何百キロも歩いたり、自転車で完走をすると心の中に何かしらの変化が生じます。それは個人によって違いますが、自分自身への自信の強さや、信仰の強さ、人との絆の強さなどが増すろ思われます。人が強さを持つのです。それが巡礼の力ではないでしょうか。全人類を我が物にしようと考える人たちにとっては「人類が弱く、愚かである」方が容易に支配しやすくなります。

それぞれの国や地域にある伝統や宗教、王家、民族意識、習慣などは彼らにとっては厄介なものなのです。

だから彼らは巡礼者を見ている、精神性や身体能力を高めようとしても、自己の覚醒を追及しても「我々の手の中なのだと」言わんばかりの「目」なのです。

というようなことを連想させる落書きなのでした。

というもののゴルフ場に併設されているカフェで小休憩をして(ちゃんとあやかってる)サントドミンゴに向かいました。

サントドミンゴ デラ カルサーダはサントドミンゴが大きくかかわっている街です。彼は近くのビロリア デ リオハの出身でナラハからレデシージャ デル カミーノまでの道を整備し橋を架け教会を作り巡礼者の救援施設などを作ったのです。大きくカミーノに尽力した彼をたたえて街に彼の名前を戴いているのです。

大聖堂に彼の棺はあり荘厳な廟が作られています。

この大聖堂は生きた白い鶏が有名です。

これは父母と息子の3人連れの巡礼者がこの町を訪れたことによる逸話です。

彼らは一軒の民家に一晩一食の恵みを受けたのですが、この家の少女が巡礼者の青年を好きになってしまいます。

離れがたく思った彼女は彼の荷物に家財を忍ばせたのです。

それにより彼は捕まり死罪が言い渡されました。

時の戒律で、巡礼者は沿道のものから盗みをすることを厳禁され、街道の人達は巡礼者を保護することが課せられていたのです。

これを破るとことは重罪とされていたのです。

少年は絞首刑になり、両親は悲しみに暮れながらサンティアゴを目指しました。

二人は巡礼を終え再びサントドミンゴに戻ってきました。

そこにはまだ絞首刑になったままの息子が刑場に吊り下がっていたのです。

息子に近寄った両親は彼が息をしていることに驚きました。そして役人に息子を刑場から降ろすように頼んだのです。

しかし役人は嘲笑し食卓の料理を指さし「調理された鶏が唄わないように、お前たちの息子が生きている訳がない」と言ったのです。

ところが目の前の調理された鶏が生き返り鳴き声を上げたのです。それに驚き役人と両親は息子を絞首刑台から降ろしたのです。

そして息子はこう言ったのです「ずっとサントドミンゴ様が僕を守ってくれていました」。この奇跡を伝えるべく大聖堂には生きた鶏が飼われているのです。

私たちの宿泊はいつものアルベルゲではなくパラドール。

パラドールとは古城や修道院など歴史的建造物を宿泊施設にしていることをいいます。サントドミンゴには4つ星と3つ星の2つのパラドールがありますが、私たちは4星のパラドール デ サントドミンゴ デ ラ カルサダに宿泊しました。

bty

ここもサントドミンゴが巡礼者の救援施設敏として作った歴史的建造物です。重厚で歴史のある建物は威厳があり、かつ施設は新しくリノベーションされていて快適です。

バスタブもあり久しぶりにゆっくりと湯船に入ることができました。

レストランも美味しく、量も多いのですがちゃんと適量のアドバイスもしてくれて素晴らしい時を過ごすことができました。

行程

       アソフラ       06時55分

09時00分 ゴルフクラブ  10時15分

12時30分 サント・ドミンゴ・デ・カルサダ

 

12日目 「生まれた場所なのに・・・」サントドミンゴ デ ラ カルサダからビジャマヨール デ リオ

12日目(令和元年9月1日)

サントドミンゴ デ ラ カルサダからビジャマヨール デ リオ 18km

折角のパラドールなので早朝に出るのはもったいなく、7時半から朝食を頂いてから8時過ぎに出発。

スペイン遺跡のホテル・パラドールからライブ配信

 

パラドールでの昨夜の夕食と朝食の食べすぎで身体が重く感じます。一昨日まで食べすぎを抑えて2日間ほど夕食を抜くか軽くしていたのに元の木阿弥にかえってしまいました。

荷物はジャコ様に預けたので快調に歩けます。しかも気温は20度を下回っており半袖では肌寒いほど。長袖を着てちょうどいい気温です。曇っているので温度もあがらず、直射日光もないので歩きやすくどんどん距離を稼いでいきます。

この区間は数キロ間隔で村があるので精神的に安心して歩けます。

いくつか村を通り過ぎてビロリアデリオハという村に到着しました。

おそらくこの一帯のどこかがサントドミンゴの生まれた村のはずです。

この町にはいると今までの町とは違い彼の像があったりするので町の人に尋ねてみると、やはり彼の生まれた村とのこと。

家はどこかと尋ねると指さして「それだよ」といって肩をすくめました。

崩壊しています。

もちろん約1000年近く前のことなどで当時の家が残っていなくても不思議ではありません。

だけどこの崩壊な何ということ。するとそのおじさんが「この村はサントドミンゴの村なんだ、なのにメインの道がここを通らずに向こうにいっちゃったよ。だから署名運動をしてるので書いてくれ」みたいなことを言われました。

そういえば他の村の横には国道が通っておりその両側に村があり、カミーノ道も通っているいう町づくりでした。

教会の中に連れていかれ、おばさんが待ち受けていて、そこで署名、ご丁寧にパスポート番号も記載してくれといいます。

教会を見回すとなにやら大きな石の盃のようなものが展示されています。

何か尋ねると約1000年前のバプテスマをする際に使っていたものだとのこと。

サントドミンゴもこれでバプテスマしたの?と聞くと「そのとおり」と自慢げに答えます。「1000年よ1000年」としつこく言われ、なんのことかと垂れ幕を見るとどうやら今年はサントドミンゴの生誕1000年なのだそうです。

だからこの村についたときに祭典のようなにぎやかさで、装束を着た人達がいたわけが解りました。垂れ幕がさがっている公民館みたいなところに行くとサントドミンゴの生涯のパンフレットや展示があるのかと思い中に入ると、なんと酒盛り状態。生誕1000年なんでしょ!! 

国道があっちに行っちゃった、けしからんとか言いながら生家は崩壊、生誕1000年のイベント?は村の飲み会。ドミンゴさんの偉業を鑑みるとなんか残念!! 

しかしよくよく思うとサントドミンゴ デ ラ カルサダはリオハ県、この村はブルゴス県と行政区が違うのです。もしかしたら行政からも支援がないのかもしれません。小さい村なので資金もなく、いいところは大きなサントドミンゴ デ ラ カルサダに持っていかれてるのが実情か・・・

なんともわびしい気持ちで村をあとにして宿泊地のビジャマイヨール デル リオへ。

しかし、ここもアルベルゲとレストランが1件づつの小さな村。WIFIの設備が村にないのかレストランもアルベルゲも使えない・・・これまた寂しい。今日はアナログにもどって早寝をしよう。

行程

     サントドミンゴ デ カルサダ 08時40分

09時50分 グラニョン          10時20分

11時10分 レダシラ デル カミーノ  

11時40分 カスティ デ ラゴス

12時03分 ヴィオリア デ リオハ    12時29分

13時15分 ヴィジャマヨール デ リオ

 

13日目「中世の巡礼者も使ったアルベルゲ」ビジャマヨール デル リオからビジャフランカ モンテス デ オカ

13日目(令和元年9月2日)

ビジャマヨール デル リオからビジャフランカ モンテス デ オカ 17km

カミーノ巡礼13日目ライブ配信

 

今日歩くのは17km。非常に短い距離です。というのも明日はオカから文字通り丘を登り、次の町まで12km何もないところを行くのです。

30km近くを今日歩くのは苦しいので、短いですが17kmのところで打ち止めすることにしました。

というものの朝6時20分にでたのでオカに着いたのは11時。お昼前までに着いちゃいました。

今日のアルベルゲは2年前にカッコいい外見だなあと思っていたところ。ホテルに併設されているアルベルゲです。

中身はもうホテルというか歴史的建造物。というのもここは中世から巡礼者の宿泊施設として使われていた建物なのです。

SAN ANTON ABADというホテル&レストラン&アルベルゲ。

エントリーすると気分は中世です。

アルベルゲの部屋はいたって普通なのですが、カフェはアーチ状の柱や壁に近隣でとれる鹿のはく製が飾られています。

いやおうなく気分は盛り上がります。

ここでは毎日夕方にヨガも実施されています。

このカフェでランチをとり、歩いているときに気になっていた場所に行くことに。

それはトサントスという村を通り過ぎたときに、はるか向こうの山肌に見えた教会です。

たぶん洞窟の教会!! 先日のナヘラの洞窟のマリアの印象がよかったので是非足を延ばしてみたいと歩きながら話していたのです。

ホテルのレセプションでタクシーを呼んでもらい、いざ山肌の教会へ。

名前はエルミタ デ ラ ヴァージン デ ラ ペーニャ。 ここもまたマリアのようです。

タクシーで5分ほどで到着。歩いたらあんなにかかったのに・・・

崖の下までつけてもらい、そこから坂道をのっぼていきます。

2~3分もしないうちに見えてきましたが、門が閉まっている様子。

中には入れない!! 道中でも閉まっている教会も多く、写真だけとり引き返すことに。

だけど高台にあるだけあって景色は素晴らしい・・・

そして、崖をみると白い線がところどころあります。

もしかしてこれはクリスタル?

道にも白い破片が落ちています。

クリスタルかどうかは定かではありませんが、ここの教会は800年前にラエルミタという女性がこの崖の洞窟に住み巡礼者に奉仕をしていたそうです。

そこにチャペルが建てられ、ラエルミタとマリアの感謝する祭典が年に1度おこなわれるそうです。

中を拝見することはできませんでしたが、聖地といっていい場所だと思いました。

荒々しい崖にもかかわらず、そこには優しい雰囲気が漂っていました。

崖をおりて枯れかけていますが、ひまわりの中で1枚。

アルベルゲに戻り、レストランで夕食をして今日も無事に終了。

 

行程

     ヴィジャフランカ デル リオ 06時20分

07時30分 ベロラド

08時30分 トサントス

09時00分 ビジャムビスティア      09時50分

10時15分 エスピノサ デル カミーノ  

11時00分 ヴィジャフランカ モンテス デ オカ 

 

14日目「人類の進化、ヨーロッパ最古の人骨がみつかった世界文化遺産アタプエルカ」ビジャフランカ モンテス デ オカからアヘス

14日目(令和元年9月3日)

ビジャフランカ モンテス デ オカからアヘス 16.5km

カミーノ巡礼14日目 オカから丘を越えて ライブ配信配信

 

今日も歩く距離は短いものの朝早くに出発。だけど気温は7度とかなり寒い。

ビジャフランカ モンテス デ オカからは文字通り丘を登っていきます。

朝早く、気温も低かったので楽に進むことが出来ます。

古代は、この丘は動物がでたり盗賊もいたのでしょう、越えるのが困難であった場所だったそうです。

一度登ってからまた下り、再び登っていきます。

2回目の丘を登ってからは長らく平らな道が続きます。

途中でオアシスという名の移動カフェが出るのですが、まだ早朝だったのでまだ車も来ていませんでした。

ここで小休憩。

丘から降りていくとサンファン デ オルテガに到着します。

この町はオルテガという人が作った修道院があります。

オルテガは前述のサントドミンゴがこの付近の巡礼路の整備や橋、ホスピタルを創るのを手伝った人なのです。

彼は巡礼者がオカから難関の丘を越えてたどりついたこの地に修道院を創り巡礼者の保護に努めたのです。

彼の名前を冠してこの町の名前はサンファンデオルテガとなったのです。

彼の遺骸は修道院に葬られました。

彼の功績を称えて、その後さまざまな人が修道院に手を加えていきましたが、

その過程でオルテガの棺を移そうするたびにアクシデントが起きるので、そのまま安置されています。

オルテガを出発して次の町のアヘスへ。

アヘスには数件のアルベルがありますが、とりわけお勧めのなのがこのパン屋さん。

可愛くて美味しいお店です。

前述のオルテガは修道院がアルベルゲになっているのですが、あえてアヘスまできたのは

アタプエルタの遺跡へ足を延ばそうとおもったからです。

ちなみにアタプエルタはアヘスの次の町で、ここにもアルベルゲがあります。

アタプエルカの遺跡とはヨーロッパ最古の人骨が見つかったところなのです。

鉄道敷設の作業をしている過程で人骨が見つかりました。

驚くべきはそう広くない範囲の中になんと40万年前から120万年前の遺跡が出ているのです。

そして今なお発掘は行われています。

アヘスからは夕方5時に送迎バスが来てアタプエルカの町はずれにあるセンターに行きます。

そこから遺跡ガイドとともにバスに乗り15分ほど走った遺跡に行くことになります。

ツアー約1時間くらいです。アタプエルカの町からも送迎バスが出ていますので(アヘスからともに要予約)

センターからは遺跡ガイドとともに行かないと遺跡に入場できないと思われます。

ここでは人類の進化が狭い範囲で出土した非常に珍しい場所なのです。

食人をしていた痕跡や動物をいかに捕獲していたかなどの説明を聞くことができます。

巡礼をしながら、はるか先史の古代に目を転じるのも一興です。

 

行程                                                  

ビジャフランカ モンテス デ オカ 06時20分

09時10分 サンファン デ オルテガ 10時20分

11時19分 アヘス

 

15日目「大きな街に入る道は長くはつらい」アヘスからブルゴス

15日目(令和元年9月4日)

アヘスからブルゴス 24.1km

カミーノ巡礼15日目いよいよブルゴスへ。

 

今日はいよいよブルゴスへ。やはり早めにアヘスを出発。隣町のアタプエルタはまだ真っ暗。

アタプエルタは丘をのぼるとちょうど夜明け

 

丘の上には十字架が立っています。

この丘から遠くに見えるのがブルゴスです。

丘をくだると20~30分あるくとカルデニューラ リオピコの村が見えてきます。

この町のカフェで朝食

次の村オルバネハ リオピコの教会に入りました。

小さい教会に何気なく入ったのですが、ここのマリア様が美しい。

教会の中でしばし休憩をしていざブルゴスへ。

ブルゴスは大きな街です。経験上大きな街に入る時と、出るときが辛いのです。

山道や森の中の道を歩いていると、無機質なコンクリートの道や車道に近い歩道が苦痛になってくるのです。

なかでもブルゴスの街にはいる道は長く一本道なのです。

空港と工場、倉庫地帯のに左右に連なる大きな道路沿いを歩いていきます。

やっとブルゴスの街のはずれらしきところまで来たところにマックやカフェがあり、そこで一休み。

大きなホタテ貝が描かれたビルがあり、ここをすぎるといよいよブルゴスの市街地に近くなります。

やがてビルの向こうに尖がった塔が見え隠れしはじめたらカセドラルは間もなくです。

今日の宿泊はアルベルゲではなくホステル。明日の朝はゆくりしたいのでアルベルゲではなくホステルにしました。

というのもアルベルゲでは必ず8時までにチェックアウトしなければならないからです。

洗濯やシャワーを浴びて5時くらいに大聖堂にいってみると、すでに閉館。

かわりにチューチュートレインに乗って市内観光をしました。

トレインは大聖堂前から出発して40分ほどで街の主要部分を一周します。

なんとなく街の様子がわかるでお勧めです。

明日はブルゴス大聖堂を見て近郊の街レルマに行きます

 

行程

アヘス 6時20分

06時52分 アタプエルタ

08時44分 カデニューラ リオピコ 9時20分

09時50分 オルバネハ リオピコ 10時00分  

14時05分ブルゴス

 

16日目「ブルゴス大聖堂とグレゴリオ聖歌」パラドール レルマ

16日目(令和元年9月5日)

今日は休養日。

午前中は世界遺産のブルゴス大聖堂へ。

ブルゴス大聖堂前からライブ配信

 

ここの大聖堂は美しく壮大。しかもスペイン レコンキスタの英雄エル・シド夫妻のお墓もあります。

大聖堂の中は壮大でかつ美しくて圧倒されます。

細かい彫刻やしつらえが床から天井までされていてため息が出ます。

先人の偉大さと信仰にかける情熱とパワー。そしてカソリックの持っている異常な力と資産。

300年以上にわたって建築されてできあがった大この聖堂はスペインでも特異の存在です。

尖塔がいくつもそびえる様式はスペインでは珍しく、フランスからの影響のようです。この尖塔はドイツ人親子の職人によっシドて作り上げられたそうです。

これはエル・シド夫妻の墓

大聖堂の中央部分に位置します。この頭上には光を取り入れる部分があり、透かし細工のように見えます。

天からエル・シド夫妻にむけて光が降り注いでいるかのようです。

まるでエル・シドのレコンキスタの活躍をいつも称えているかのようです。

ここでは紹介しきれないくらいの見どころがあるブルゴス大聖堂です。

そのあと私たちはタクシーに乗り一路レルマとシロスへ。

はじめシロスにある修道院に行ったのですが閉まっていたのでレルマへ。

ブルゴスからレルマは車で約30分から40分。

今夜の宿はパラドール レルマ ブルゴスです。

サントドミンゴ デ カルサダのパラドールに続いての2回目のパラドール宿泊です。

ひとまずチェックインして

ロビーのカフェ

フロントで修道院の時間を確認してタクシーを呼んでもらって再びシロスへ。

シロス修道院はグレゴリオ聖歌を有名にした修道院なのです。

時間になると一人づつ修道士が姿を現します。深々とお辞儀をして自分の席についていきます。

礼拝に来ている人にお礼をしているのか、または主に対してのお辞儀なのかわかりませんが、

西欧であんなに深いお辞儀を見るのは初めてでした。

聖歌は低く響くように聞こえてきます。

音のさざ波が伝わってくるかのようなサウンド。

癒されます。

曲の合間に、また深々とお辞儀をすることもあります。

引き込まれるような環境。

ずっと居たかったのですが、夕食の予約をしていたので泣く泣く席を立ちパラドールへ戻りました。

ちなみにレルマとシロスは車で片道25分(往復のタクシー代金は45ユーロ 1時間の待ち時間料金含む)です。

パラドール レルマでの夕食はお勧めのメヌー。

丸いアーチ状の天井のレストラン

レノマに行けばラムを食べろとブルゴスで出会った人も言っていたとおり、メヌーにはラム肉が入っていました。

サラダやスープ、4種類のソーセージが出てきて、どれも美味しくすでに満足感。

そこに

この2皿のラム肉が私たち4人分

大きさを見て仰天。骨がついているものの、一皿を二人で食べきれる量じゃありません。

恐る恐る手を伸ばし、口にしてみると

「美味しい~~~~~!!!!!!」

ラム肉の臭いはせず、柔らかさは口に入れれば溶けてしまうかのよう。

これは美味しいと叫びつつ食べるのですが、さすがにノックアウト。

4人で2人前で十分と思われます。注文する場合は量に気を付けてください。

満腹になり部屋へ。

久ぶりにバスタブにお湯をはってゆっくりバスタイム。

やっぱりパラドールは素晴らしい。

17日目

レルマからライブ配信

 

18日目「再会 夢が現実になった人」

カミーノ巡礼18日目 ブルゴスを出発 たまごちゃん合流

 

19日目「パラレルワールドへ」

カミーノ巡礼19日目パラレルワールドゾーンへ

 

20日目「幸運の運河」カストロへリスからポプラシオンデカンポス

20日目(令和元年9月9日)

カストロへリスからポプラシオンデカンポス 27km

カミーノ巡礼20日目 全然ダイエットになりません!

今日は27KM歩くので早起きして6時20分に出発。

まだ暗いうちにモンステラレスの山に登ります。

ここは山というよりもテーブルマウンテンといった形状で、上はずっと平原が広がっています。

この上で朝日が昇り異常に綺麗な光景を見ることができました。

しかし体感気温は10度を下回っています。

ここ数日間、9月上旬のメセタにしては気温が低く特に朝方は10度を下回ります。

テーブルマウンテンの平原を終えて急こう配の下り坂。それだけに見晴らしがよく遠くにカミーノの一本道が見渡せます。

ひまわりがのこる平原をすぎるとイテロ デ ラ ベガに到着。

二年前にも行ったカフェで朝食。ここは10kmの間なにもないのでみんなが入る流行りのカフェです。

途中、まもなく町というところにサンニコラスという巡礼者のためのチャペルがあります。

そこでスタンプを頂き、ちょっと一息。

ここからさらに8KM歩いて次の街のボアディラ デル カミーノへ。

この町では2年前に入った広い庭のカフェがあり、そこで小休憩。

その際、イタリア人のロベルトにポルラシオンデカンポスに美味しいアホスープの夕食が出るホステルがあるぞと教えてもらい、そこに泊ったのです。

今回もその夕食を食べるべく今日の宿はポルラシオンデカンポスにしたのです。

カフェを出てフロミスタへ。

カスティージャ運河沿いの道を歩き6km弱歩くとフロミスタに着きます。

運河沿いを歩いだすと一隻のボートが停まっていて、船員が乗らないかと声をかけてきます。

よくよく聞いてみるとフロミスタに行く船で観光客らしき人達が乗っています。

船体にカミーノのマークもついていて、巡礼者も乗れるよといわれて乗船することに。

運賃は一般人5ユーロのところ巡礼者は2ユーロと格安。

船の速度はジョギングのペースなので罪悪感も薄れて快適な船旅。

道を歩く巡礼者達に「ブエンカミーノ」と手を振ると、お前たち船に乗ってるの!!」みたいな反応で面白い。

停泊していた時間は僅かだったようで、まさに神様のお恵みのようなものだった。

約6キロ分を節約できてフロミスタに到着。

あと3.6キロ歩けば目的地に到着だ。

フロミスタの教会は独特な丸い形状をしている。残念ながら中には入れなかったが、前のパン屋さんで食べた玉ねぎのピクルスが絶品だった。

1時間足らずでカンポスのホステルに到着。

ホステルのおじさんと、おばさんに「2年前にもきて、夕食が美味しかったからまた来たよ」と告げたら

「あんたたち覚えてるよ」と言ってハグとキスをしてきてくれた。

こんなときにまたカミーノにきて良かったと思う瞬間だ

ウエルカムドリンクでサングリアをもらい、コーヒーを頼んだらパンの上にスモークされたハム(セシーナ)をのせたおやつも頂いた。

このセシーナはレオンの特産でスモークされた牛の生ハムで凄く美味しいのです。

たぶんセシーナは2回目に来たからくれたのだろうか。

夕食はおばさんの手作りのアホスープ(にんにくのスープ)とエビと貝と鶏肉の入った特大パエリア。

私たち5人とイギリス人のアレックスさんと6人で楽しく会話をしながらの夕食でした。

やっぱりスペインは美味しい!!

行程

カストロへリス 6時20分

07時30分 丘の上 小休憩    07時40分

09時26分 イテロ デ ラ ベガ  カフェにて朝食 10時10分

11時00分 サンニコラス チャペル 11時19分

12時00分 ボアディラ デル カミーノ  ガーデンカフェで休憩12時55分  

13時20分 JUAN DE HOMAR乗船 13時55分下船

14時00分 フロミスタ  小休憩 14時40分

15時30分 ポルラシオンデカンポス

 

 

21日目「牛肉が美味しい」ポプラシオン デ カンポスからカリオン デ ロス コンデス

21日目(令和元年9月10日)

ポプラシオン デ カンポスからカリオン デ ロス コンデス 16km

カミーノ巡礼21日目 美味しかったアホスープ

ホステルで朝食を食べ、おじさんとおばさんに又来るねと挨拶をして出発。

今日は16kmと短いのでジャコ様は使わず自分でバッグを背負って歩きます(当たり前か!)

そこに昨日のアレックスもいて再び挨拶。このカフェは庭が広くて鶏やあひる、ガチョウが走り回っている。

奥にはネイティブアメリカンのティピもあって道沿いからも目立つのでわかりやすい。

しばらくして歩き出し1時間くらいで次の街ヴィジャカザール デ シルガへ。

ここには聖マリア教会があり、巡礼者価格1ユーロで入場できる。

バラの組み合わせのような施しの窓から差し込む太陽の光が差し込み対壁を黄金に照らすのが美しい。

小さい街なのに結構大きい教会で、歴史は古くサンティアゴの騎士(テンプル騎士団など)に遡る。

教会でゆっくりしてあと6km弱、まもなく今日の目的地カリオン デ ロス コンデスだ。

私たちの泊るアルベルゲはEspiritu Santo 二年前も泊ったアルベルゲだ。

すべて1段のベッドなのが嬉しい、教会が運営しているのでアルベルゲの部屋と部屋の間に小さいチャペルもある

庭にあるマリア像もいい感じで私たちを見守ってくれている。

洗濯を終えてランチへ。

お店は2年前に行ったお店。その時、私たちはメヌーを食べていたのだが、隣のご夫婦が食べていたステーキが美味しいそうなので今日もやってきた。

Tボーンステーキとサラダとアホスープを注文。

まず出てきたアホスープが美味しい、いままでで最高のアホスープ。

サラダも美味しくてドレッシングがいい感じ。

そしてTボーンステーキがどーーーーん。

衝撃の大きさ

そして美味しい!!

食後のコーヒーはイタリア人ロベルトのお勧めエスパーニャでエスプレッソ。

今日も美味しく終わってきました。

 

行程

ポルラシオン デ カンポス 8時00分

08時55分 レベンガ デ カンポス   

09時30分 ビジャメンテロ デ カンポス  カフェにて朝食 10時15分

11時30分 ビジャカザール デ シルガ 11時50分

13時10分 カリオン デ ロス コンデス

 

 

22日目「メセタは遠く1本道」カリオンからレディゴス

22日目(令和元年9月11日)

カリオン デ ロス コンデスからレディゴス 23.4km

カリオンのアルベルゲを6時半に出発したものの、すぐ近くの昨夜のレストランに引き込まれるように入って朝食。

なんだかんだで1時間くらいくつろいでしまう。

この町から次の街までは17.2キロ何もない平原の道が続くので朝食を食べて出るのが得策だと皆で言い聞かせて

1時間もいることになった。

(結局昨夜に買った果物や軽食は道中で食べることはなかった(笑))

やはりメセタと呼ばれるスペイン北部中央の平原は広い。

ここはスペインのフライパンと言われるくらいに暑くなるところだが、今回私たちが歩いている間は気温が低く肌寒い。

ブルゴス以遠、最低気温7度から9度、最高気温も22~24度といったぐあい。

2年前は暑くて倒れそうだったので、大きな違いだ。

思い返せば、2年前はこの道で倒れそうなおじいさん巡礼者を助けたほどだった。

 

行程

カリオン デ ロス コンデス 6時30分

6時30分この町のカフェ ラコルテで朝食 07時30分

09時12分 ベンチで小休憩 09時25分

11時15分 カルザルディラ テ ラ クエーサ  tendaでランチ 12時55分

14時10分 レディゴス

 

23日目「半分到達記念牛ステーキ」レディゴスからサアグン

23日目(令和元年9月12日)

レディゴスからサアグン17.2km

カミーノ巡礼23日目レデイゴス出発ライブ配信

レディゴス出発がカフェで朝食を食べて、なおかつ「しんごちゃんねる」のライブ配信もその時にしたので大幅に遅れて8時半。

すっかり明るくなってからの歩き出しとなりました。

モラティノスは8日目の寄ったトリスデルリオのカフェで出会ったおばさんが働いているアルベルゲに寄ること、そして2年前に衝撃の事件が起きた町でもあります(2年前のブログ「壊滅的な出来事は最高のスパイスだ!!」) 

 

いよいよモラティノスに到着。

まずは2年前の事件のカフェ(アルベルゲ)の様子をみます。

ところが当の縦バーコードのおじさんは居ないよう。代わりにツルッパゲの若めの男性がいます。

あれ? 髪の毛が全部なくなったのか? だけど若くなっている・・・息子か? 遺伝か?

疑惑を残しつつ、カフェにははいらず約束のアルベルゲへ。

外出をしているらしく誰も居ない。庭にははいれたので座って休んでいるとオーナー夫婦が帰ってきた。

私たちがトリスデルリオであったおばさんはオーナーではなく働いている方だったようだ。それからしばらくして彼女は帰って来て、感動の再開となった。

彼女とオーナーを交えて少しり話してなんだか凄く仲が良くなり

私が着ていた白衣(八海山の修業着)を着物と勘違いしたのか興味深げに見てくる。

もっと手を広げて見せてなど興味津々なので、オーナー夫人にプレゼントするよと思わず言っちゃいました。

「いいの? どうしてくれるの?」というので

「なんかそう思ったから」というと大喜び

「私マッサージ、指圧をやってるのよ」と

やっぱり最適な人にプレゼントできたと思ったのです。これは八海山尊神社で火渡りをした時の白衣。

なのでかなりパワフルな経験を経ているはず。

「この服はパワフルだから、指圧するときに着たら、エネルギーがアップするよ」と言って彼女に着せました。

またカミーノを歩くときは、このアルベルゲに泊まるねと言ってサアグンに向けて出発。

途中でロンセスバージェースからサンティアゴまでの半分の地点の到達。

ここにはバージン デル プエンテという場所で小さな教会もあります。

その教会に行くと2年前にいたおばんさんがいるではありませんか。

たまごちゃんが2年前のクレデンシャルを見せると

「あっつ これ 私の字だ!!」とおばさん。

「また来てくれたのね!!!」とハグ。

おばさんは5年間ここの教会にいて、今週の日曜日が最後になると言ってたのを聞いてまた感動。

数日前のカフェのエマといい、このおばさんといい奇跡的なタイミングで再会が叶っている。

カミーノを再度歩いていて、再会ほど嬉しいものはない。

また次回歩くと、その感動が3倍になるとしたら、今からワクワクする。

この教会の前にいた自転車で巡礼しているおじさんが私とそっくりなので2ショット

ほどなくサアグンに到着。

2年前の記憶をもとに街に出てレストランに行く。

美味しいステーキを食べたレストラン ルイスだ。

再びの入店、メニューが変わっているような気がしたが、店員にたずねてアラカルトのメニューを注文。

6人で3人前を注文すると

ワ~

これはすごい!!!

ワ~またくる

え~またきた!!!

しかも美味い!!!!!!!!!!!

昨年も書いたが

サアグン最高!!

ちなみにレストランのあと薬局で体重をはかったところ66.1kg

歩き始めて3日目のパンプローナの薬局で測った時は67.5㎏

食べてばっかりで全然ダイエットできていないと思ったけど1.4㎏痩せていた!!!

もうちょっとシェイプしたい感じ。あと400kmでどれくらいになるか楽しみです。

 

行程

     レディゴス 08時30分

09時20分 テラディジョス デ ロス テンプラリロス

10時00分 モラティノス 

      アルベルゲ サン ブルノでカフェ小休憩 11時10分出発

12時50        バージン デル プエンテ教会  13時20分

13時50分 サアグン

 

24日目サアグンからレリエゴス

24日目(令和元年9月13日)

サアグンからレリエゴス30.8km

カミーノ巡礼24日目 今日は長めの30.2キロ ライブ配信

今日はサアグンからエルブルゴラネーロまでの17.2kmの予定だったのですが明後日の天気予報があまりよくなかったので、サアグンからレオンまで3日かけていく予定を2日でいくことにしました。

よって今日はサアグンからレリエゴスまでの30.8km歩くことにしました。

エルブルゴラネロまでは数キロおきに村があり比較的楽に歩くことができます。

途中のベラシアネス デル リアル カミーノのカフェで小休憩

ここでパンコントマテを見つけました。

トマトペーストが塗られたトースト。シンプルだけどこれが美味しい!!!

いままではあまり見かけなかったのですが、レオンに近くなると現れてきました。

カミーノ巡礼をしていて地域が変わることで食べ物や名産が変化していくのが楽しみのひとつです。

次の町エル ブルゴ ラ ネロでお勧めの店がここ。

スペイン人がいぇっているお店なのですが、日本語、ハングル語でもメニューが書かれています。

なかでも食べてくなるのが辛ラーメン

スープが少ないので辛めですが、久々のオリエンタルフードでほっこりします。


ここから次の町までは12.6キロの長丁場。

まさにメセタという風景が続きます

この日は久しぶりの気温があがり30度近くまでなり、ちょっとはメセタっぽくなってきました。

2年前はずっと30度を超えていたので、暑いのはいやだけど”これぞメセタ”を一緒に行ってくれた方々に感じてもらえたのは良かったかもしれません。というのも出発前にメセタが暑いと言い続けていたので、このままではメセタは涼しいと思われる懸念があったからです(笑)

やっとレリエゴスに到着。

無事30キロオーバーを歩ききりました。

行程

サアグン 07時30分

09時37分 ベラシアナス デル リアル カミーノ カフェで休憩 10時35分

11時55分 エル ブルゴ ラネロ   ランチ 13時10分

15時45分 レリエゴス

 

25日目 レリエゴスからレオン

25日目(令和元年9月14日)

レリエゴスからレオン 26km

カミーノ巡礼25日目いよいよレオンへ

今日もメセタの大地を歩きます。

といいてもメセタも今日で終わり、今年のメセタは涼しくてよかった。。。これが実感です。

今年のメセタは1日目の最低気温が8度~10度、最高が25度くらい(昨日と今日は28度くらいでした)と非常に歩きやかったです。

しかもなるべく朝早く出て歩き出したのも良かったと思います。

昼食はマンシージャ デ ラス ムラスのアルベルゲ件レストランのEl Jaroin del Camino

ここで美味しい朝食のメニューを発見

前出のトマトペーストを塗ったパンの上に生ハムを乗せたものでした

美味しいのなんのってものじゃありません

それもそのはず、よくよくお店の奥を見てみたら・・・お肉屋さんじゃないの!?

ここにはアルベルゲもあるので、次回来たときはここに泊ろうと決意しました。

カフェを出て1時間半くらい。

ウッドデッキのような歩道を歩き橋を渡ります。短いですがちょっとイイ感じのところです。

ここからは残り13キロほどでレオンに入ります

レオンには2泊するのでアルベルゲではなくホテルに連泊。

大聖堂に近いCAMAROTE HOTEL

ここは新しいホテルで大聖堂に歩いて2分、レストランも美味しくてかなりお勧めです。

今日 明日とホテルでゆっくり休みます。

 

行程

     レリエゴス 07時10分

08時28分 マンシージャ デ ラス ムラス 09時16分

10時25分 ビジャモラス デ マンシージャ

10時55分 プエンテ ヴィラレンテ

11時50分 アルカへジャ 12時00分

14時00分 レオン

26日目 レオン滞在

26日目(令和元年9月15日)

レオンのホテルcamaroteからライブ配信

レオンはカミーノ上では有数の大きな都市です。

ちなみにカミーノにある大きな都市の人口を調べてみました

東から

パンプローナ  人口19万7千

ログローニョ  人口15万

ブルゴス  人口17万7千

レオン  人口13万5千

ポンフェダーラ 人口6万7千

サンティゴ デ コンポステラ 人口9万4千

ちなみに比較的大きな街だと思っていた

サントドミンゴ デラ カルサダ 人口6千

アストルガー 人口1万2千

サリア 人口1万3千

でした。ちなみにマドリッドは320万、バルセロナは160万で断トツ。

3番目の都市がバレンシアで80万です(Wikipediaより)

こうしてみるとこじんまりした街々を通り、本当に田舎道の村々の間を歩いてきているわけです。

レオンといえばやはりステンドグラスが美しいレオン大聖堂です。

13世紀の創られたこの大聖堂は石の船と称されたという。たしかにメセタの大平原をくるとレオンの街並みが見えてきたときに石の船のように見えても不思議ではないと思います。

当時は高い建物もないでしょうし、何もないメセタの平原で大聖堂が見えてきた時の安堵感は相当なものだったと思います。

この大聖堂の見ものはステンドグラスと言っていいでしょう、大聖堂に入ってすぐに側面の石段に腰を下ろすと壮大なステンドグラスを見渡すことが出来ます。

 

 

 

光が差し込んだ時に美しさは格別です

中に入れば、うっとりとして佇みつづけるといった大聖堂です。

ブルゴスの大聖堂にならび一見に値する大聖堂です。

 

27日目「迷い道くねくね」レオンからビジャダンゴス デル パラモ

27日目(令和元年9月16日)

レオンからダンゴス デル  パラモ 22km

カミーノ巡礼27日目 レオンを出発

レオンを出発して巡礼も中盤の後半戦にはいります。

ここからはアストルガ―を経て山を越えてポンフェダーラ。そこからもう一つ山を越えてサリア。

サリアからはラスト118kmとなります。

レオン町からは車道沿いのアスファルトの道を延々と歩きます。

1時間20分くらい歩いてラ バージン デル カミーノに到着。

カフェで朝食を食べてから

この町に2年前に「おばさんのセレクトショップ」と勝手に名付けた食品と雑貨のお店があり、そこに寄ります。

おばさんの代わりに綺麗なおねさんがお店にいらっしゃいました。

2年前にも来たんだよというと嬉しそうに話しかけてきて

彼女はfecebookに出したいから一緒に写真を撮っていいかしら。と言ってきたのでもちろんOKと言ってパチリ

ここはクッキーやお菓子、肉類からハーブティー、アロマオイル、オーガニックぽいシャンプーやクリーム各種あるちょっとかわったお店なんです。

お店を出て数軒先の教会へ

モダンなテイストの教会は美しい祭壇が印象的でした

教会は街の端にあり、ここを出ると泉があります。

泉の巡礼者のオブジェに見送られて3キロばかりで次の街へ

その間に電線にぶら下がっている靴があります。2年前よりも増えている気がするのですが定かではありません。

こうした光景はいくつかあるのですが、一体なぜ靴を電線になげるかは不明です。

靴擦れがひどくなりすぎて履けなくなったのでしょうか。実際に靴はバックパックに括り付けてサンダルで歩いている人もいます。そういう人たちはほとんどが踵や足首にテーピングされていて痛々しく歩いています。そんな人がやけになって靴を放り投げたのは十分に考えられることです。

あとは靴を2足持ってきていて重たくなって棄てちゃったというところでしょうか。

僕は2年前もそうだったのですが地下足袋を履いています。靴擦れやタコなどは一切なしで快調に歩けています。

次の町サン ミゲル デル カミーノで左向きの矢印があり、それに従っていくものの様子がおかしい。

ところどころ矢印があるものの、その先ぱったりと無くなってしまいました。

2年までも歩いた記憶がない道。

どうやら道を間違ってしまったようです。

しかしグーグルマップで位置を確認、そう遠回りでない道を探して無事ビジャダンゴス デル カミーノに到着。

ずっと車道沿いに行けばいいのに、かたわらの町に誘導しようとした矢印にまんまとやられた感じです。

15分ばかり遠回りをしましたが、のんびりとした畑の中の未舗装の道をいけて、これはこれでよかったのかもしれません。

しかし、こういうときスマホが役に立ちます。10年前なら地図を片手に彷徨っていたに違いありません。

公営アルベルゲに到着。

今日も無事に終了

行程

                 レオン 7時18分出発

8時50分 ラ バージン デル カミーノ  カフェ・お店・教会に立ち寄り 10時07分

11時00分バルバデルデ デラ バージン

11時15分 サンミゲル デル カミーノ

13時15分 ビジャダンゴス デル パルモ

 

28日目「もっと滞在したい町」ビジャダンゴス デル パラモからホスピタル デ オリビゴ

28日目(令和元年9月17日)

ビジャダンゴ デル パラモからホスピタル デ オリビゴ11km

カミーノ巡礼28日目

今日は短い距離11キロなのでゆっくり8時すぎに出発。

途中の町サンマルティンデルカミーノで朝食兼1時間以上なんだかしゃべったりして休憩。

11キロしか歩かないので余裕の展開です。

途中でブルゴスを出るときにあった中華系フランス人のおばさんと再会。

たまごちゃんの着ている四国お遍路の白衣に興味を持って、売ってくれないか・・・とリクエスト。

2年前のカミーノ巡礼の際に、琵琶演奏家の黒田月水さんからのプレゼントされた白衣だっただけに譲るのをためらっていたのですが、月水さんもわかってくれるよということで彼女に白衣をプレゼント。

直に着るのかと思ったら丁寧にたたんでバックパックにしまっていました。

途中はロンドン在住でカミーノ巡礼が終われば香港に帰るという比較的若い女性と歩き、いまの香港情勢などについて話しました。こういったことを話せるのもカミーノの良さです、以前はイタリア人が天皇陛下のことについて質問をしてきたこともありました。

目的の町ホスピタルデオリビゴには12時過ぎの到着。

この町にはオリビゴ川が流れていて、そこにかかる橋が印象的な街なのです。

2年前あまりにもい美しく、橋のたもとにホステルがいい感じで立っていたので、そこに泊ることにしたのです。

ホステルはHostal Don Suero de Quiñones。

ホステルから橋をながめると

ここでランチも頂いたのですが、注文はホステルのおじさんのお勧めとホステルの前に出ていた看板の写真を頼みました。

サラダとアスパラ

あさりのスペイン風酒蒸し

エビの塩焼き

 

看板の写真のもの(海鮮の具沢山スープ)

ラム肉

全てが美味しすぎる!!!

2年前は「この町、このホステルいいなあ」と思って通り過ぎただけなのですが、今日は11キロという中途半端な距離だけ歩いて滞在した価値がありました。

昼食後町を散歩、いい感じのアルベルゲがあったので中を覗くと人のよさそうなスタッフが出てきて片言の日本語を話します。日本人の友達が著作のカミーノ写真集を見せてくれたりしてお客さんでもない私たち相手に話がもりあがりました。

来年はピアニストと一緒にカミーノにくるつもりなんだけど、この町でコンサートできますか?と尋ねると、川のそばの芝生のとこなんかでやるのはどうかな、僕がオーガナイズしようか・・・とまで言ってくれます。連絡先を交換して今後はメールでやりとりすることに。

もう一軒のアルベルゲにも顔を出すと、そこもいい感じのところで「中に入って写真を撮っていいってよ、中庭に十字架もあるのよ」といって案内してくれます。

薬局にいけば親切にいろいろと症状をきいて親身になってくれるし、ともかく町の人すべてがいい感じなのです。

この町はヨセフ騎士団が作った町、だから「ホスピタル」とついているのです。

だから町の人


は巡礼者や外からの人、困っている人などに優しいのでしょう。

ホスピタル デ オルビス

ここはまた滞在したくなる町なのです。

 

行程

ビジャダンゴ デル カミーノ 08時10分

09時15分 サンマルティン デル カミーノ  カフェにて休憩 10時43分

12時19分ホスピタルデオリビゴ

 

29日目「もっと滞在したい町」ホスピタル デ オリビゴからアストルガ―

29日目(令和元年9月18日)

ホスピタル デ オリビゴからアストルガ―17km

カミーノ29日目もっといたくなる町オリビゴよりライブ配信

今日の行程は17キロ。そんなに長くないほど良い距離です。

8時にオリビゴの町でライブ配信始めながら歩き始めました。

次の町のビジャス デ オリビゴでニンニクをキャラクターにしているカフェがありました。

ここでは果物のトイレを借りてすぐに出発。

次の町にもとまらずに小高い丘を登っていきます。

途中に十字架とオブジェがある場所をとおり

ここをとおりしばらく行くと植物の様子が変わってくるのにきがつきます。

白樺がでてくるのです。

ちょっと寒々と見えてくるのが不思議です。しかし気温はメセタを歩いていたより遥かに高く、半袖でも歩けるくらいです。

丘の上を歩いていくと、オアシスが出てきます。

ここはデイビット(黄色いTシャツの人)が始めて全てドネイションで運営されています

2年前に地下足袋を見て思い出したのか、私たち訪れたことを覚えていてくれたようで、再会をよろこんでくれました。

多くの人が憩っていて、まさにここはオアシスです。

ここをでてしばらく行くとアストルガーが見えてくる丘に出ます

2年前にここで黒田月水さんが琵琶を演奏した思い出の場所です。

ここからはもう1時間ほどでアストルガ―です。

今回はアストルガ―で2泊の予定。スパ、プールのある4星ホテルCIUDAD DE ASTORGAに宿泊しました

ホテルにチェックインしてアストルガーの町を散策してランチ。

そして2年前には行けなかったチョコレート博物館を訪れました。

ここではチョコレートの歴史、製作工程や生産と製造の世界分布などが実際の工具や写真で説明されています。

チョコレートのラッピングが色々と紹介されていて、昔は王様や貴族の絵を描いて包装していたようです。

その後、俳優や女優なども印刷されていてチャップリンの写真もありました。

野球選手のカードみたいな感覚だと思います。

面白かったのは、子供のアルファベットの勉強をかねている包装。

JのところにはJAPONESAとあり日本人女性の絵が描かれています

KのところではKAKEMONOと書かれて着物が絵が描かれています。

KIMONOがKAKEMONOと間違って伝わったのでしょうか

あとアジアではCで辮髪の中国人、Iでターバンを巻いたインド人が描かれていました。

当時のヨーロッパの人達の様子が伝わってきそうで面白かったです。

明日はガウディ建築の司長館の様子をライブ配信します。

 

行程

       ホスピタル デ オリビゴ 8時20分

09時00分 ビジャス デ オリビゴ

09時28分 サンティバネス デ バルデリグレシア

10時50分 サンオスト デ ラ ベガ

11時53分 アストルガ―

 

30日目 ガウディ建築 アストルガ―の司教館

30日目(令和元年9月19日)

アストルガ―滞在

ガウディの美しさ。アストルガー司教館からライブ配信

今日はアストルガ―でお休みの日。

ガウディの建築である司教館を訪れました。

この司教館は19世紀に火事で焼け落ちてしまいその後、司祭が友人で会ったアントニオ ガウディに建築の依頼がされたもです。

当時ガウディは設計図を描いたのですが、こういった建築はアカデミーの承認が必要で、そこから許可がおりず建築開始に時間がかかりました。

1889年から1913年にかけて建築が完成しました。

ガウディは当時はやったモダニズムを取り入れた建築を試みましたが、司祭が亡くなったため建築にストップがかかってしまいました。結果、ガウディはその後、建築から手を引き、別の建築家が後を引き継ぐことになりました。

当初は屋根に数多くにガラス窓が施される予定だったのですが、それには至らなかったようです。

柱がアーチ状に組み合わさり、万華鏡をみているような錯覚になります。

壁にはステンドグラスが配されていて美しく壁が光で浮かび上がります。

中二階から見た柱

そして、ステンドグラスのなかにこんなものを見つけました

やはり教会は石造り、まさに石工の作品です。だからこんな作為がされていても不思議ではありません。

科学者、建築家といった知識や技術を持った人たちがフリーメイソンを構成していたといわれていますので、

ガウディがフリーメイソンだったとしても不思議ではありません。

その証拠が見れたような気がしました。

いすれにしても、このカミーノの巡礼中にカセドラルや教会、修道院などを見てきていますが、そんなかでも一番印象になった建物でした。

 

31日目「小さな小さなセレクトショップ」アストルガ―からラバナル デル カミーノ

31日目(令和元年9月20日)

アストルガ―からラバナル デル カミーノ 20.7km

カミーノ巡礼31日目アストルガーを出発します

2日間滞在したアストルガーを出発。

振り返ると朝焼けのなかにカセドラルの尖塔が見えます

2年前はここから独りぼっちになったので、なんとなく寂しい印象があった道です。

4人でにぎやかに歩いていて急に一人になったので無言で歩いたことだけ覚えていて

周囲の風景は全く覚えていませんでした。

しかし、ガンソの村にはいり小さなお店の前に来た時に急に記憶が鮮明によみがえりました。

スロープと階段のある店

2年前は何も買わずに立ち去っただけでしたが、今回はお店に入り奥まで覗くことに。

すると可愛いものやいい感じのものが沢山あるではないですか。

小物入れやシャツやパンツ、アクセサリーなどセレクト感があるものばかり。

おまけに食べ物のメニューをみると美味しそうな取りぞろえ。

迷った挙句、初めて見た”トーストにトマトとアボ̚カド”を注文。

大好きなパンコントマテにアボカドが乗っかているという豪華版。

パクっといくと、いい塩加減のトマトペーストにアボカド、パンはサクッとしたバケット。

パン生地はオリーブオイルとトマトテーストの程よい水分でお気に入りのしっとり感。

もう感激!!

なんとこのお店に1時間半も滞在してしまいまいました。

お店を出るとすでに1時半。

太陽は高く上り強烈な日差しの中を1時間あまり歩いて目的地のラバナルデルカミーノに到着。

アルベルゲはNuestra Senora del Pilar。

選んだ理由はズバリ名前。聖母の光の柱という意味のアルベルゲ。泊まるしかないでしょうって感じ。

着いてみると、なんと2年前泊ったアルベルゲでした。

夕食はここのアルベルゲでラーメン&キムチ&ライス。結構おいしい!!!

夜の7時からは教会でグレゴリオ聖歌を拝聴して、今夜も平安に更けていきます。

行程

アストルガ― 07時13分

08時17分 ムリアス デ ラチバルド 09時13分

10時00分 サンタカタリナ デ ソマザ

10時57分 ガンソ 13時25分

14時48分 ラバナル デル カミーノ

32日目「雨の気配 エルアセボへ急げ!着いたらスパの郷褒美」ラバナル デル カミーノからエル アセボ

32日目(令和元年9月21日)

ラバナル デル カミーノからエル アセボ 16.8km

カミーノ巡礼32日目 雨の予感。エルアセボへ急げ

今日は雨の予感。天気予報は11時くらいから夜まで降水確率70%以上。

行程は17キロ弱なので4時間前後でいけるはず。

逆算すると朝7時に出て休憩なしに歩けば11時に着けるということになります。

ともかく7時5分に出発。まだ真っ暗で空の様子はわかりません。

1時間くらいで次の町フォンセバドンに到着。当初の予定ではこの町で朝食を食べる予定でしたが、

空が雲で覆われているので休憩なしで歩くことに。

ここはレンガ造りの家がならぶスキーリゾートのようないでたちの町。

カフェに入りたい衝動を抑えて歩きます。

だんだんと雲が濃くなっていき、標高もあがるので雲の中を歩くようになってきました。

ともかく急がねば。

カミーノの行程のなかでもちょっとした名所になっている鉄の十字架があるイラゴ峠に到着。

ここは昔、巡礼の成就を祈る祭壇があった場所で、その名残で地元の石を持ってきてここに願いを込めて置くという風習が伝わっているところです。

記念写真もそうそうに出発。

しかし、すぐに雨がぽつりぽつりと降り出しました。

ポンチョを着て再び歩き出します

マハリンという巡礼者向けのお店が1軒しかない村を通り、あと目的地まで7キロ。

下り坂を滑らないように気を付けながら、足早に歩きます。

とうとう眼下にエルアセボの町が見えてきました。

なんとか小雨の間に到着できたようです。

私たちが泊まるアルベルゲは町の端にあるアルベルゲ ラ カサ ペリグリーノ。

各国の旗が立っているホテルのような大きな施設です。

そういえば2年前もここに泊りました。

11時に着いたので受付の12時までカフェで待つことに、雨脚が強まっているので少しでも早く着けてよかったと話しているところにジャコ様がご降臨。

赤いジャコ様です。

いつもお世話になっているジャコ様に2礼2拍手1礼。

今日も雨の気配だったのでジャコ様にバックパックを運んでもらって大助かりでした。

ジャコ様神様仏様です。

部屋はコンパクトな8人部屋。

トイレ、シャワーもご覧んのとうりかなり立派です

このアルベルゲにはスパ&マッサージがあるのでチェックインして予約をすることに。

5人分が1時間づつできる余裕があったのですぐさま予約。

スパとマッサージを楽しみました。

雨のために急いできたご褒美を頂けたことになりました。

スチームサウナ、温水のミニプール(お風呂くらいの水温でした)水風呂、

そして写真の左側の木の椅子が実に気持ちがいいのです。

温熱の仕掛けがされていて、温熱の椅子に寝転ぶ感じなのです。

すっかり癒されてそのあとはカフェでゆっくり。

明日はポンフェダーラへ向かいます

行程

ラバナル 07時05分

08時15分 フォンセバドン

08時46分 イラゴ峠

09時18分 マンハリン

11時00 エル アセボ アルベルゲ ラ カサ デル ペルグリーノ到着

 

33日目「気持ちのよい道」エル アセボからポンフェラーダ

33日目(令和元年9月22日)

エル アセボからポンフェラーダ 15.8km

カミーノ巡礼33日目、ホテルのようなアルベルゲからライブ配信

エルアセボからポンフェダーラへ出発。

雨雲が立ち込める中を出発。雲の中を歩く感じですが、雨には降られずに進みます。

道は歩きやすく、涼しいので歩きやすいのです。

綺麗な山並み、少し紅葉しているように見える木々を見ながら快適な山道を下っていくと

リエゴデアンブロスという小さな村に到着。

途中で大きな木をみつけました。

木々の間を縫う道は歩きやすく、あっというまにモリナセカの町に到着。

美しい橋がかかるお洒落なテイストの町です

川沿いのレストランでランチ休憩をして出発。

2年前この町を通ったとき、道沿いでレコードのターンテーブルにバナナなどを載せてディスプレイしているお店がありました。今年はどうかと思て探してみたらやはり健在でした。

斬新なスペインの店先のディスプレイ

 

この町には四国のお遍路と縁があります。

アルベルゲ サンタマリナ(Molinaseca albergue santa Marina)

ここのおじさんはお遍路の普及と交流に貢献した人として遍路名誉大使に任命されています。

お遍路との交流を記念する碑があり

そして、この町には日西交流400周年を記念して香川県の仏師凡海(ぼんかい)さんが生きた木に観音像を掘られました

この生き木(いきき)観音はまるで動き出しそうなリアル感があります。

この緑の芝生に生えるくるみの木は公営アルベルゲ(albergue San Roque)の庭にあります。

実はこの生き木観音のアルベルゲを探している時に不思議なことが起きました。

どこかでここの名前を「Las Medulas」と書かれていた記事を見つけたのです。

そしてLas Medulasを調べてみると、全然違う場所が出てくるではありませんか。

しかしよくよく見てみると、そこに出てくる光景はまるでアメリカ アリゾナのセドナのような風景。

気になって調べてみると今日泊まるポンフェラーダからは車で30分くらいにある世界遺産。

ポンフェラーダでは1日の休養日をとっていたので、その日にLas Medulasに行くことにしたのです。

まさに観音様のお導きといっても過言ではありませんでした。

そうこうしているうちにポンフェラーダに到着。

ここポンフェラーダは我が町といった感覚の場所。

写真はテンプル騎士団の古城。

そうなんです、十字軍テンプル騎士団の創ったお城のある街なのです。

私はマルタ騎士団といい、テンプル騎士団といい、なぜか妙に「騎士団」が気になってしまうのです。

詳しく「しんごちゃんネル」でご紹介していますので見てみてください

 

行程

     エル アセボ  8時43分

9時23分 リエゴ デ アンブロス

10時45分 モリナセカ 13時15分

14時50分 ポンフェラーダ

 

34日目 セドナのような場所ローマ時代の金鉱ラス・メドゥラス

34日目(令和元年9月23日)

今日は1日ポンフェラーダに滞在するので、昨日偶然に見つけたラス・メドゥラスに行くことにしました。

ポンフェラーダからはタクシーで30分ほど。現地での滞在時間の待ち時間(2時間くらい)を含めて100ユーロで走ってもらいました。

ラス・メドゥラスとはローマ時代(1世紀)にローマ人がやってきて砂金の採掘をした場所です。

ここの砂金の採掘の方法が、山に水路を掘り、そこに山頂に作った貯水池から一気に水を流して山を崩落させ、そこの土からふるいにかけて砂金をとるというものでした。

そのため露出した赤い岩が奇妙な形で露出してて圧巻な景色を作り上げています。

ここは世界遺産に指定されてもいます。

詳しくはしんごちゃんネルをご覧になってください

ローマ時代の金鉱ラス・メドゥラス。スペインの世界遺産

35日目「眺めの良い道と天の恵み」ポンフェラーダからビジャフランカ デル ビエルゾ

35日目(令和元年9月34日)

ポンフェラーダからビジャフランカ デル ビエルゾ 22.9km

 

ポンフェラーダのホステルをまだ日の出前に出発。

大きい街ではお約束のように道を見失います。

お散歩おじさんが「カミーノはあっちだよと」スペイン語で教えてくれますが、どうも要領を得ないでいると

分かりやす所まで一緒に来てくれました。

カンポナラヤの手前で教会が開いていたのでちょっと覗くことに。

天井に最後の晩餐。丸みのある天井のアーチの間に書かれていました。

カンポナラヤでは2年前に泊ったアルベルゲのカフェで朝食をかねた小休憩。

この町を過ぎたくらいから、道の感じが良くなってきます。

ワイン畑の間を通るカミーノ。

途中で収穫をしている農家の方々がいらっしゃいます。

ここでみゆきさんがオーラ―と気軽に声をかけると、農夫の方が手招きをしてきます。

期待をしながらも近寄ると、ブドウを一房くださいました。

そこにすかさず、たまごちゃんが近寄るとおじさんが笑顔をうかべてさらにブドウのプレゼント。なんと赤いブドウを4房くらい頂きました。

食べながら歩くと、水分が豊富で喉を潤してくれます。

しばらく行くと緑色のブドウを収穫している農家さんと出会いました。

またオラーと声をかけると、こんどは美香さんに手から溢れんばかりのブドウをくれたのです。

私たちのほかに数組の巡礼者が歩いていたにもかかわらず、私たちだけにプレゼント。

やはり私たち光り輝いてる? あるいは物欲しげに見えるのか・・・

「嬉しいね」「ついてるね」などと話しながら歩いているとまた農家の前。

おじさんとお兄さんと1匹の犬が家の前にいます。

すると犬が近寄ってきて私の地下足袋の上に載って寝込んでしまいました。

じゃがんで犬をみんなで撫でていると、おじさんに呼ばれて近づくと手にいちじくが入った篭をもっていて「持っていきな」というそぶり。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! いちじく~

 

ぶどうと、いちじくを食べながら歩くとカカベロスの町に到着。

ここがまたいい街なのです

こんなかっこいい肉屋さんがあります。

さらにブドウ畑をあるくと、絵本のような風景

いよいよサンティアゴまであと200,2キロ

なんでちょうど200キロの表示を作らないのか疑問でしかたないのですが、ここはスペイン。

固いことは言わない言わない。

そして目的のビジャフランカ デル ビエルゾに到着したのです。

行程

      ポンフェダーラ 07時15分

09時15分 フエンタス ヌエバス

10時10分 カンポナラヤ 10時30分

11時48分 カカベロス

15時00分 ビジャンフランカ デル ビエルソ

 

36日目「カンタブリア山脈へ」ビジャフランカ デル ビエルゾからベガ デ バルカルセへ

36日目(令和元年9月25日)

ビジャフランカ デル ビエルゾからベガ デ バルカルセ 16.4km

カミーノ巡礼36日目「カンタブリア山脈へ」

今日は16.4キロの短い行程。

カンタブリア山脈への導入部分です。

ゆるやかな道で車道の横の歩道をずっと進んでいきます。

そういう意味では、面白みのない道なのですが、緑が多く日本の山のかなを歩いていると思ってしまいます。

村が小刻みにあるのであまり飽きずに歩くことができるのもいいです。

途中の町でサンティアゴまで178.8キロの表示が出てきました。

「あれ もうそんなにサンティアゴに近づいたのかな」と思うと、すぐ隣にこの碑

そこには190キロとかかれています。

「どっちやねん!!」

これもスペイン的

お昼前に目的地に到着。

12時前についたので、アルベルゲにチェックインできずにランチをすることに。

村に3件あるレストランを訪れますが、まだ早くてランチにありつけずカフェで時間をつぶします。

1時くらいになっても一方アルベルゲは開いているのですが人がいなく、勝手に荷物を置いて隣のカフェでランチを食べてると、アルベルゲにおばさんが出入りしているを見つけて、チェックイン。

なんだかとてもおおらかな村なのです。

チェックインしてから、また隣のカフェに戻ってこのブログを書いたりして

カフェには13時半くらいから20時くらいまで滞在しています。

なんとおおらなか。。。

スペインの田舎は優しいのです。

 

行程

ビジャフランカ デル ビエルソ 7時05分

8時15分 ペレへ 朝食休憩 9時10分

9時36分 トラバデーロ

11時00分 ラ ポルテラ デ バルカルセ

11時21分 アンバスメスタス

11時43分 ベガ デ バルカルセ

 

37日目「オセブレイロを越えてサリアへ」ベガ デ バルカルセからサリア

37日目(令和元年9月26日)

ベガ デ バルカルセからオセブレイロ(徒歩) 12km

オセブレイロからサリア(自転車) 42.5km

カミーノ巡礼37日目難関の峠へ

今日はベガの町から小さなま村々をとおり峠を登っていきます。

ここは急な坂が続きます。ピレネーに続く難関といわれている上り坂です。

ラグナデカスティージャを過ぎたところにカスティージャ・イ・レオン州とガリシア州の州境があります。

ここを過ぎるといよいよサンティアゴコンポステラのあるガリシア州にはいります。

そして、まもなく峠のオセブセイロに到着します。

この峠には数件のレストランとお土産物屋さん、アルベルゲがあります。

ガリシアに入ってきたと感じるのがケルトの文様があしらわれてたペンダントやバッジです。

このあたりには古代にケルト人が沢山居住していた場所です。

伝説の峠の教会からライブ配信

オセブレイロで宿泊する予定でした。

サリアから電車で1時間半くらいのところにオウセンセという温泉街があるのです。

2年前も昨年も行けなかったオウレンセ。

同行の方々に、もしここから自転車でサリアに行ったら2日間日程を短縮することができるので

オウレンセに1泊2日で行くことができるがどうでしょうかと提案してみました。

みんな行ってみようということになり、オウレンセでレンタル自転車をすることに。

これで40キロ先のサリアまで今日中で行けることになります。

峠からの下りなので、基本的に下り坂を自転車で降りていくので楽なのですが、

そこは山の中、ちゃんと登りもあるのです。これが辛い。

自転車で巡礼をしている人たちを多く見かけましたが、自分でやってみるととんでもなく辛いのです。

バックパックは車で送ってもらったので自転車に載せているわけではないので身一つなのですが、

きつい昇り坂は自転車を押して歩くほど辛いのです。

ギリギリまで自転車を漕ごうとするので息も上がり、巡礼中で一番心肺機能を使った1日でした。

なんだかんだでサリアに到着。

明日はオウレンセに行きます

 

38日目 スペインにある「日本的温泉」オウレンセの温泉と食事でご満悦

38日目(令和元年9月27日)

スペインに日本の温泉があった!!温泉街オウレンセからライブ配信

今日と明日は休養日。昨日オセブレイロから自転車で40数キロを一気に降りてきたので2日間の休養日となりまhした。

そこで今日から1泊2日でオウレンセへ。

オウレンセはローマ時代からの温泉があった町です。

ミーニョ川沿いにいくつもの温泉場が点在しています。

サリアからは鉄道で1時間半でオウレンセに着きます。

駅からタクシーでオウタリスという温泉場へ。

タクシーを降りて川沿いをあるいてから橋を渡り対岸へ。

橋を渡り切ったところに公的な温泉があります。

小雨が降っていたので、ここにはいるのやめて、5分から10分川沿いを町に戻る方に歩いて日本的な温泉の施設へ行くことに。

ついてみると「温泉」の文字が。

竹で囲いがされた道を通って施設の中にはいると、日本的なオブジェがいろいろ飾っています。

入場料は5.7ユーロで2時間の入浴時間です。

温泉の入り方もちゃんと説明されています

露天風呂や様々な温度の温泉があり、プールサイドにある寝るタイプの椅子もありゆっくりと寛げます。

マッサージもあり日本の日帰り温泉に似た施設です。

入り口にあるレストランもあり、メニューもヘンテコな日本語で書かれていて結構笑えます。

SOPA RAMEN TALLARIN ORIENTALを注文しました

どうにも「タラリン」が気になります。

タラリーンとしたのびたラーメンが出てくるのか・・・

と思いきやスペイン語のTALLARINは麺の意味。

出てきたのが↓

ラーメンです。具はあまりはいっておらず、スープは薄い味、麺は生煮え的な硬さでしたが、美味しくいただきました。

施設には打たせ湯やジャグジーもあり

巡礼の疲れをとるにはピッタリの施設ですのでお勧めです。

サンティアゴからも行けますので、巡礼終了後にいくともっとゆっくりできるかもしれません。

帰りは1時間に1本でている観光列車(鉄道ではないですチュチュ―トレインです)に乗って旧市街地のマヨール広場へ戻りホテルへ。

夕食はホテルから近いportovelloへ。

ここが大当たりでした。

いわゆる典型的スペイン風ではなく、かなりモダンな店づくり。経営者のいとこがアーティストで、彼が壁にペインティングをしたそうです。

店の造りもいい感じ。

料理もひと手間も二手間もかかっている

手の込みよう。どの料理も美味しかったです。

タコの料理はガリシアの名物なのです。一般的な凧料理はゆでだこにパプリカと塩とオリーブオイルがかかっているシンプルのものなですが、このお店はチーズとオイルが絶妙なバランスでタコを包んでいるのです。

サラダにもソテーしたキノコが入っていて、美味しいドレッシングがかかっていたり、

マッシュルームのクリームチーズソースはお皿まで舐めたいほど。実際パンを注文してお皿をピカピカにしました。

ツナのタタキは(TATAKI)とメニューに書かれていました

デザートのチョコレートケーキは大人の味、チーズケーキはガリシアのアールスアの名産チーズを使った今まで味わったことのない触感とテイスト。

サンティアゴケーキは小さなあしらえでしっとりしたココナッツとシナモンも風味が何ともいえない美味しさ。

もう満腹になりオウレンセ絶賛をしてホテルへ。

今日も幸せ!!

 

39日目 オウレンセのMeeting Pianoでたまごちゃんデビュー

39日目(令和元年9月28日)

カミーノ巡礼 オウレンセからライブ配信

今日はオウレンセからサリアに戻る列車が午後18時前だったので、町を散策することに。

カセドラルに入ると、ちょうどいいタイミングでパイプオルガンとバイオリンの演奏が始まりました。

ついているなあと思っていると教会の方がダメだよっていう身振り手振り。

ちょうどyoutubeのライブ配信をしていたので、配信をやめて教会の外にでることに。

どうやら午後の結婚式か何かの式典のリハーサルをやっているようだったのです。

カセドラルを出てマヨール広場のほうへ歩いていくとなんにイベントをやっている気配。

看板を見てみると

今日はオウレンセの街の4ヶ所にピアノが置かれていて、オープンビアノ的なイベントになっているのです。

マヨール広場は旧市街の中心で、ここにはステージとピアノが設置されていて、どうやらここがメイン会場のようです。

式典が行われているのを横目に市内の温泉が湧き出ている場所へ向かいます。

マヨール広場から暫く行くと公共の温泉(プールみたいです)が見えてきました。

プールの向こう側に行くと温泉が溢れだしている蛇口があります。
触ってみると、かなりの熱さ。
コップを持ってきて飲んでる人もいます。

そして、ここにもピアノが置かれているのを見つけたのです。

大学生らしき人や子供たちが代わる代わるにピアノを弾いています

なんとなくオープンな気配を感じたので、たまごちゃん(宮島暁子さん)に弾いてみたらと誘ってみたら本人はなんとなくその気になっている様子。

たまごちゃんがスタッフに聞いてみると、3時からの18分の枠が空いてるとのこと。

それなら弾いた方がいいよとすすめると、

たまごちゃんは意を決したらしくスタッフに走りよりブッキングをしたのです。

暫く時間があったのでランチをすることに。

3時に会場に戻るとピアノにバイオリン二人のトリオが演奏をしていました。

彼らが終わっていよいよたまごちゃん。

曲は久石譲さんの「天使の泉」

温泉が溢れ出す場所にふさわしい曲です。

動画をご覧ください

オウレンセの街ピアノ たまごちゃんデビューライブ配信

演奏が終わると一人のスペイン人女性が駆け寄って来てたまごちゃんを讃えます。
みゆきさんも美香さんも涙を浮かべています。

その後スタッフの女性も来て美しい曲だ、とたまごちゃんに感激の言葉をかけています。

シエスタの時間帯でもあり、聞いている人数は少なかったですが、魂を揺さぶったような演奏でした。

やはり、表現するというのは大切で偉大なことです。

しかも人に感動を与えるのは並大抵ではありません。

魂からの表現が聞く人の魂を震わせる、それを目の当たりにしたひとときでした。

たまごちゃんありがとう。

 

40日目 サリアで「虫騒動」と「第二巡礼隊と合流」

40日目(令和元年9月29日)

カミーノ巡礼40日目虫騒動ライブ配信

 

あ~~~~今日のブログは呪われている

最期まで書き終えて「公開」にしたところ画面が全然変わらない。

念のため下書き保存をして、再度下書きから公開にしようとしみたら・・・

下書保存したはずのブログがありません。

何処をどう探しても無いのです。

もう日が暮れかかって夕食の時間

アルベルゲで起きた「虫騒動」は動画を見てください。

 

そして、第二巡礼隊を迎えにサリアの駅へ

HNKテレビクルーがいたのですが、彼の冷たい反応はいかに?

カミーノ巡礼40日目第二巡礼隊とサリアで合流

 

を見てみてください。

ともかく第二巡礼隊と無事合流の乾杯と夕食

明日から巡礼再会です

 

41日目 サリアを出発 合計9名での巡礼

41日目(令和元年9月30日)

サリアからメルカドリオ 17km

カミーノ巡礼41日目サリア出発

今日はサリアからの17キロ

9人での巡礼開始となります。といっても当社の直美さん(妻です)はメルカドリオまで歩いて

からサンティアゴまでタクシーで行き、明後日には帰国するのですが。ともかく出発。

9人集まればともかくワイワイと賑やかな巡礼隊となります

いよいよサンティアゴまで残り100キロの標識(モホン)

今日はプレゼントかのように様々なキャストが登場

まずは牛の行列

t次に現れたのは馬に乗った巡礼者

この親子はバルセロナからの巡礼者で馬はレンタルではなく自分の馬だと言ってました。

貴族感が半端ない感じ。

写真はないですが、羊の馬も現れてオールスターラインナップ。

おまけに高校生の遠足の団体とも一緒になり混とんとした状態に。

わいわいしながら今日のアルベルゲに到着。

木の中に夕日が落ちていき、三日月もあらわれる美しい夕暮れ。

今日も無事終了

 

42日目 メルカドリオからレステド

42日目(令和元年10月1日)

メルカドリオからレステド 24.9km

カミーノ巡礼42日目沈んだ街ポルトマリンからライブ配信

 

43日目 レステドからメリデ

43日目(令和元年10月2日)

レステドからメリデ 19.2km

カミーノ巡礼43日目 タコの街へ

 

44日目 メリデからアルス―ア

44日目(令和元年10月3日)

メリデからアルス―ア 13.6km

カミーノ巡礼44日目

 

45日目 アルス―アからペドロウソ

45日目(令和元年10月4日)

アルス―アからペドロウソ 19km

カミーノ巡礼45日目。残すところあと2日ライブ配信

 

46日目 最終日ペドロウソからサンティアゴ・デ・コンポステラ

46日目(令和元年10月5日)

ペドロウソからサンティゴ・デ・コンポステラ 20km

カミーノ巡礼最終日ライブ配信

 

カミーノ巡礼最終日モンテドゴゾ【歓喜の丘】からライブ配信

 

カミーノ巡礼、サンティアゴデコンポステラ大聖堂に到着しました!ライブ配信

 

46日目 カミーノ巡礼番外編

 

聖地パドロン教会からライブ配信

 

聖ヤコブが布教を行った聖地サンティアゴ二ーニョの丘

 

スペイン最西端「再生の場所」フィステーラ

こんにちは、極楽開運パワースポット巡りのスピリチュアルキュレーターの大村真吾です。

 

今回は「カミーノ サンティアゴ800km巡礼ブログ」です。巡礼の様子を綴っています。

 

1日目「ピレネー山脈越え」サン・ジャン・ピエ・ポーからロンセスバージェス

1日目(令和元年8月21日)

 

カミーノ巡礼の出発地はフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポー。

 

ピレネー山脈のふもとにある小さくて可愛い町です。

 

昨日私たちはルルドからバイヨンヌで電車を乗り換えてここまでやってきました。

 

サンジャンの様子は動画にもアップしていますのでご覧ください

 

 

お菓子のマドレーヌの由来とは?@サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからライブ配信

サンティアゴ巡礼の出発地サンジャンピエドポーの町並み

 

見てみてくださいね、なんとなくサンジャンの街の様子がわかると思います。

 

そして、いよいよサンジャンを出発してピレネー山脈へ

 

はっきりいってキツイです。

 

朝早くに出発、6時から6時半には出ることをお勧めします。その理由はロンセスバージェスまでは25キロなのですが、なんといってもピレネー山脈の山越えなのです。サンジャンの海抜は約200メートル、途中の峠レポエデールの標高は1429メートルなので1230メートルあまりを登ることになります。距離数以上に時間がかかるのです。

 

 

 

6時30分 サンジャンのアルベルゲを出発。

 

bty

 

サンジャンの町を出て巡礼路は2種類にわかれます。目印は白と赤です。白は比較的ゆるやかな道です。多くの巡礼者は古来からある赤いコースを行きます。

 

 

 

急な舗装路の上り坂を5キロいくとフントという集落につきます。ここのカフェ(開いてるような開いてないようなカフェ)があります。椅子があり水を汲める場所もあります。トイレもあるのでここでひと休み。

 

bty

 

フントからは更に上り坂が急になる感じがします。雲海から出る日の出を見ながら1.5キロくらいの坂を登るとオリソンに到着。

 

bty

 

 

ここにはアルベルゲとカフェがあります。眺望のよいテラスのような場所にテーブルと椅子があるので休憩&ブランチに最適です。ここにも給水所があります。もちろんトイレもあるのでカミーノ巡礼の洗礼をうける巡礼者にとっては恵みの休憩所です。

カミーノ巡礼、歩き始めて8キロのオリソンからライブ配信

 

オリソンからまだ急な上り坂は続きます。それを補うにあまりある眺望の良さ。牧草地の羊たちの光景が辛い体と気持ちを和らげてくれます。

 

bty

 

すこし勾配がゆるくなり360度に牧草地がひろがると十字路の左にこんもりとした岩山が見えてきます。この岩山の上にマリア像があるのです。これがビルコリアの聖母といわれています。マリア像の先は絶壁。晴天の青にマリア様が映えます。ここでしばし休憩。自転車でカミーノ巡礼をしている韓国人のグループと話をしていたら私たちひとりづつに韓国のりを頂きました。欲しかった塩味!!彼らはサポートの車が並走していて荷物は全部その中に乗せています。どうやらランチタイムで火をおこしラーメンを作っているようす。美味しそうです。彼らにお礼を言って再び歩き出すことに。

 

bty

 

草原地帯を登っていきます。

 

bty

 

しかし今までの登りよりはすこし勾配はゆるやかになっています。ビルコリアの聖母から1時間くらい歩いたでしょうか。道の先に白いバンが見えてきます。この車を待ち望んでいました!! 2年前もこのバンにどれだけ助けられたか。水や飲み物、くだものやスナック類の販売カーなのです。ここが実質上フランス最後のお店でスタンプも押してもらえます。ここでコーヒーとバナナを買って一休み。まさにオアシスです。

 

 

バンから1キロほどは上りが続きます。

 

あと5キロほどが比較的平坦&登りをいくと標高 1429メートル の レポエデール 峠に到着します。

 

 

ここからは急激なくだりが5キロ続きます。登りもつらいが下りもつらい。膝に負担がかかります。

 

延々とくだっていくと比較的ゆるやかな森の中の下り坂にかわります。やがてあと1キロくらいで平坦になり突如としてロンセスバージェスの教会が姿を現せます。この教会に併設されている大きなアルベルゲに宿泊。

 

 

夕食はアルベルゲで予約をして教会の横にあるレストランで頂きました。

 

夜のミサがあったのですが、睡魔に負けてそうそうに就寝。

 

1日目の難関ピレネー越えを無事終了しました。

 

 

 

行程

 

6時20分 サンジャン出発

 

8時2分 フントに到着、休憩 8時15分出発

 

9時25分 オリソンに到着、休憩 10時18分出発

 

11時40分  ビルコリアの聖母 に到着、休憩 12時出発

 

13時 販売カーに到着、休憩 13時16分出発

 

15時30分  レポエデール 峠

 

17時 ロンセスバージェス到着

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2日目「陽気なラテン民族」ロンセスバージェスからズビリ

 

2日目(令和元年8月22日)

 

今回は「カミーノ サンティアゴ巡礼ブログ2日目ロンセスバージェスからズビリ」です。

 

 

ロンセスバージェスのアルベルゲに併設されているレストランで朝食、そのままズビリへ歩き始めます。昨日の山越えの疲労が若干残っていますが、みんな元気そう。

 

bty

 

アルベルゲを出たところにサンティアゴまでの標識がでていたのでそこで記念撮影。はるか700km以上先の標識があるのはカミーノらしいです。

 

フラットの道が続くので足取りも軽く30分ほどで小さいマーケットがあります。そこで昼食がわりの果物などを購入。

 

 

そこからしばらく進むとヘミングウエイが泊まった宿があります。彼はここでマス釣りをよく楽しんだそうです。

 

 

bty

 

このまちの教会をすぎて小道を右折。小川がながれる橋をわたって緑の中をすすみます。

 

 

2年前見たときはピレネー越えの疲れがどっときて足が重かったのですが、今回はそうでもありません。一緒の3人もそんなにつらくなさそうです。

 

 

途中で巡礼中にこの地でなくなったYAMASHITA SHINGOさんの慰霊碑の前で黙祷。2002年に64歳でお亡くなりになられました。ズビリ目前での急死。そしてここをお参りしてくれている人たちがいることに感謝です。2年前はここで琵琶奏者の黒田月水さんが般若心経を琵琶演奏で唱えました。

 

 

エロ峠の売店で休憩をしてズビリへ。

 

アルベルゲは El Palo de Avellano 2年前は満室だったところです。ズビリはアルベルゲがそんなに多く、ズビリ以上に歩く人も少ないためか部屋が混んでいることが多いよう。今回はあらかじめ予約をしておいて正解でした。

 

bty

 

夕食もアルベルゲで食べることができます。13.5ユーロとちょっと高めのメヌーですがサラダもどっさりでてきてなかなか美味しかったです。

 

次の宿泊先まで荷物を送るサービスがあって、同席のスペイン人おじさんとイタリア人おじさん、フランス人おじさん、ブラジル人おばさんがその話をしていました。かみ合わないような、かみ合っているような微妙な会話が面白かったので思わず参加してしまいました。以下現場の実況です(たぶんに私の想像がはいっています。ご容赦を。ちなみにおじさん達は65歳以上、おばさんは50歳代か?)

 

スペイン人男性「荷物って送れるんだよな」(スペイン語)

 

フランス人男性「ああこの紙にお金入れておくるんだべ」(スペイン語)

 

ブラジル人女性「え~なんのこと?」(これポルトガル語)

 

スペイン人男性「荷物送れるんだよ」(スペイン語)

 

フランス人男性 イタリア人男性「そーいうこと」(スペイン語)

 

ブラジル人女性「えっつ? 何??」

 

スペイン人男性「ポルトガル語かい?」(たぶんスペイン語で)

 

ブラジル人女性「そーよ ところでそれはなに?」(ポルトガル語)

 

フランス人男性「荷物をつぎのアルベルゲまで送ってくれるの、その封筒だべさ」(スペイン語)

 

スペイン人男性「5ユーロだよ。そんでもってオイラ達の名前はシスコ」(スペイン語)といってイタリア人男性を指さします。

 

フランス人男性「シャンピオ~~ン」といってイタリア人男性を指さします(フランス語らしい)

 

スペイン人男性「シスコ~~」 「シスコ~~」 「シスコ~~」 連呼

 

イタリア人男性「2回」(たぶん2回チャンピオンになったのか)(イタリア語)

 

ブラジル人女性「いくらなの?」ブラジル語

 

フランス人男性「5ユーロだべさ」(スペイン語)

 

スペイン人男性「シンコ シンコ シスコ~ シスコ~」(スペイン語)(シンコはスペイン語で「5」のことです)

 

ここで私の出番だと直感しました。

 

私 封筒を指さして「シンコ シンコ」 自分を指さして「シンゴ シンゴ」

 

おじさん達と おばさん私を注目

 

一瞬の沈黙

 

スペイン人「お前の名前はシンゴか おれはシスコ わははは」

 

私 手を開いて5をしめして「シンコ」、自分を指さし「シンゴ」、股間を指さし「チ●コ」というと 大笑い

 

さらに拍子をつけて「シンコ シンゴ チ●コ 、シンコ シンゴ チ●コ 」

 

さらなる爆笑

 

最後にイタリア人男性の股間を指さし「シャンピオン チ●コ」

 

でダメ押しと思いきや

 

イタリア人男性「2」で笑いを全部もっていかれちゃった

 

という楽しい夕食でした。

 

言葉はあまり関係ないみたいですね。ラテンの人々は面白いです。

 

どうやらイタリア人のおじさんは自転車のロードレーサーのようです。若いときにチャピオンになったのでしょうね。

 

行程

 

8時00分 ロンセスバージェス出発

 

9時50分 エスピナル着

 

11時50分 リンツアアオイン着 小休憩 12時15分発

 

13時13分 YAMASHITA SHINGOさん慰霊碑 13時20分発

 

13時50分 プエルトエロ移動販売車 14時05分発

 

15時00 ズビリ着 

 

 

 

3日目「優しい道とヘミングウエイのカフェ」ズビリからパンプローナ

 

3日目(令和元年8月23日)優しい

ズビリからパンプローナは21kmの平坦な道のりです。

カミーノ3日目 ライブ配信

 

 

7時50分 ズビリのアルベルゲを出発。ズビリを出てしばらくは右手に工場をみながら歩くことになります。ススキのような草の中を進み、ときに森の中のような気持ちのよい道が続きます。

 

 

 

ズビリからパンプローナは平坦な道なので初日とくらべれば天国のよう、初日の疲れが体に残っていた2日目とくらべても体が慣れてきたのか足取りも軽く歩むことが出来ます。

 

思い返せば2年前は3日目にも疲労が残っていて歩くのが辛かったおぼえがありました。それにくらべると天と地の差。一緒に歩いている美由紀さん、裕子さん、美香さんも平気そうです。ちなみに美香さんはお遍路も歩いているのでプロ級の安定感です。(関係ないですが、美香さんのお姉さんのお名前は恭子さん。叶姉妹か!!すみません・・・)

 

途中で木の実をとっているおじさんとおばさんに遭遇、何を採ってるのか尋ねると「アニス」とのこと。食べれるの?と聞くと二人そろって首を横にふります。二人の動作が合っていて可愛い。よくよく聞くとお酒を造る実のよう。そういえば「アニス酒」というのがあったことを思い出しました。このあたりの名産だといってました。するとこんな看板

 

 

あっという間にアレの街まで到着

 

2年前はこの町にとまりましたが、今年は休憩もせずにアレを通過。絶好調!!と思いきや町を出たところから急に登り坂。いままで天国♪♪と思っていたメンタル、フィジカルに隙あり。急に体が重くなります。

 

 

 

 

トリニダードアレにつくと、そこはパンプローナのベッドタウン。ここからアスファルトが続くので余計に体に負担がかかります。

 

目前に緑が見えてくると、そこはパンプローナの城壁の外の公園。

 

 

パンプローナかっこいい!!

 

 

ここから街の中にはいります

 

 

パンプローナといえば牛追いの祭で有名です。この街並みの中を牛と大勢の人が駆け抜けていきます。あとパンプローナで有名なものがヘミングウエイの通ったカフェ イルーナ

 

 

 

メヌーの中にガスパチョがあったので迷わずチョイス

 

 

ガスパチョがあれば元気になれる!!!!!!!!!!

 

 

 

 

ヘミングウエイと2ショット。

 

あとはアルベルゲに泊まって3日目も無事終了

 

行程

 

7時50分 ズビリ発

 

9時26分 ララソーニャ着

 

10時19分 スリア―ニ着

 

11時51分 イロッソ着

 

13時50分 パンプローナ着

 

 

 

4日目 ザビエルの生家ハビエル城へ

4日目(令和元年8月24日)

 

フランシスコ.ザビエルの生家ハビエル城からライブ配信

今日は一日お休みの日。といってもアルベルゲは朝8時にはチェックアウトしなければなりません。宿を出て近くのカフェで朝食。大聖堂は9時に開門まのでそのれまでカフェで時間をつぶします。

 

とはいうもののカフェで意外に時間を過ごしてあわててパンプローナの大聖堂へ

 

 

よく見ると右側の時計が普通とは違います

 

 

日時計です

 

こういう塔に日時計とはかっこいいです。

 

 

中に入ってみるとミサが行われていました。

 

その奥にはマリア様が祀らています

 

 

このマリア像は実際にはさらに光り輝いていました

 

 


あっという間に時間が過ぎ去り、今日の目玉であるハビエル城に行くことに。
ハビエル城はパンプローナからは車で1時間の距離、どこかでタクシーを見つけなければなりません。そこでこまったのが何処にタクシーがいるのかがわからない!!パンプローナは城塞都市なので市の中心部は車がほぼ通ていないのです。そこで博物館に行ってみることにしました。しかし周りにタクシーが停まっている様子はありません。試しに博物館の受付のに行ってタクシーを呼びたいというと電話番号を教えてくれました。ついでに電話までしてくれて、実際にタクシーがくるまでの確認までして見送りまでしてくれる念の入れよう。受付の警備のおばさん、ありがとう!!

 

 

 


一路ハビエル城へ

 

 


ハビエル城とは1549年に日本にやってきたフランシスコ ザビエルの生まれ育った家なのです。

 

 


彼はスペインのナバラ王国の生まれなのです。ここパンプローナやハビエル城があるのはナバラ県。昔の王国がそのまま県名になっています。その王国の貴族の家の生まれたのです。ハビエル城はその後戦争で破壊されるのですが、再建されていま博物館になっていて当時の絵画やハビエルの伝記、功績、家系などが展示されています。

 

 


19歳でザビエルはパリに留学、そこでイグナチオ・デ・ロヨラと運命的な出会いをします。イグナチオから強い影響を受けてザビエルは聖職者を志すことになります。その他5人の仲間と合計7人で「神に生涯を捧げる」という誓いをたてますこれが「モンマルトルの誓い」となりイエズス会の創立となります。

 

 


世界中にキリスト教の布教を目指したイエズス会はポルトガル国王のジョアン3世の要請でポルトガル領であったインドに赴くことになります。ザビエルはそこに加わりアフリカ経由でインドのゴアにたどり着きます。そこで仏教の僧達にキリスト教を説き、一人をキリスト教に転じさせることにも成功します。
また浜辺で祈っていたときに波にロザリオがさらわれるのですが、翌日浜辺でロザリオをツメにかけた蟹を発見するという奇跡も起こったりします。 

 

 

 


そしてマレー半島にわたり、そこでヤジロウと出会いザビエルはジャンク船に乗り鹿児島にたどり着きました。

 

 

 


京都に行き天皇陛下、将軍に謁見をもとめますが、外見にこだわっていなかったザビエルは謁見に能わずと判断され拝謁をすることはできませでした。
その後、山口で大内氏に謁見が叶い布教を認めらます。その際に盲目の琵琶法師が洗礼を受けたロレンソ了斎など600人以上を信徒にしたといわれています。

 

 


2年の滞在ののち中国での布教の必要を感じたザビエルは日本を出て広東を目指します。結果的にはそこで最期をとげてしまいますが、一緒に日本を出た4人の日本人のうちの一人ベルナルドはポルトガルにまでわたり留学をしてローマ法王に拝謁までしています。ベルナルドは日本にはもどらずコインブラで亡くなっています。
このようにザビエルと日本は深い関係があるのです。

 

 

パンプローナにくると是非とも行ってほしい場所です。

 

4日目はハビエル城に行って、帰りはタクシーでシースルメノールのアルベルゲで一泊。これで今日は終了です

 

 

 

5日目「ぺルドン赦しの丘とマリア」シースルメノールからプエンタラレイナ

5日目(令和元年8月25日)

 

マルタ騎士団のおじさんにみおくられてシースルメノールを出発。

 

 


今日はぺルドンの丘を越えるので早めに起きて6時40分に出発。足取りは軽い。
もう枯れてしまったひまわり畑を横目に見ながらぺルドンの丘に近づいていきます。

 

 

 


途中、慰霊碑とベンチがあるところで休憩。
しばらくすると登りに入っていきます。
丘の上には風車が丘の端から端まで数十キロも並んでいます。

 

 


しかし無風で羽は回っていません。
出発の時には朝靄で丘の姿は見えなかったですが、
日が昇るとともに視界がよくなり真っ青の晴天になりました。
ぺルドンの丘は「赦しの丘」。昔は今のように道は整備されてなく、サンティアゴに道は困難を極めました。
マルタ騎士団などが守ってくれるといえども野犬や盗賊にも襲われたようです。
元来サンティアゴ巡礼は自分の家から始まります。
するとサンティアゴに着くのは至難の業で、この丘までくることができたら、サンティアゴまで行けたのの同じにしようという言うなれば免罪符のようなものが施されたようです。そこでぺルドン許しの丘と名付けられたといわれます。
丘の上はカミーノの前半部分のハイライトともいうべきオブジェがあります。

 

 


ここで記念撮影をしたり休憩をしたり巡礼者は思い思いの時間を過ごします。
車でここまで登ってくる観光客の姿も見えるほどここは名所となっているのです。

 

 


丘をおりるとウルテガの裏に着きます。
ここには村の始まりにマリア像があります。

 

 


このマリア像はこの場所にマリア様が出現したことを示すものなのです。(バチカンが認めるまでには至ってないのでしょう)
マドリッドからきた巡礼者がこの村の井戸の近くで休息をしていました。するとそこに6歳くらいの少女があらわれて色々と質問をしてきたそうです。
不思議に思ったその巡礼者はよく少女を見てみると光り輝いたそうです。
話すことやその精神性の高さ、光り輝いている姿からこの少女は聖母マリアに違いないと彼は確信しました。
それ以降毎月第一土曜日にここに参拝を重ね、亡くなるまで欠かさなかったそうです。
そういったいわれのあるマリア像なのです。
しばしそこで静かな時間を過ごし再び歩き始めます。
ムルサバルの村ではカミーノが二手に分かれます、エウテナを経由していく少し遠回りな道と、オバリスを通る近い道。近いほうがフランス人の道ですのこちらを通ってプエンタラレイナに到着。

 

5日目の行程

 

6時40分 シースルメノール出発

 

8時30分 サリエリギ手前のベンチ 8時40分発

 

9時20分 ぺルドンの丘 9時40分発

 

10時30分 ウルテガ マリア像 10時50分

 

11時30分 ムルサバル

 

12時40分 プエンタラレイナ

 

 

6日目「パエリアとガスパチョとお姉さんの優しさ」プエンタラレイラからエステージャ

6日目(令和元年8月26日)

今日はプエンテラレイナからエステージャまでの22キロ。

カミーノ巡礼6日目 ライブ配信


プエンテラレイナには王妃の橋といわれる美しい橋があります。

町の川のほとりにあり、その橋を渡ってエステージャに向かうことになります。

しかし、朝6時半に出発したため、まだ真っ暗で橋の写真を撮ることができませんでした。町を出て緩い登りが続きます。


緩い下り登りを繰り返してるうちにブドウ畑がちらほら出てきます。

隣ののリオハはワインで有名ですが、カミーノ上ではナバラやガリシアのワインも有名ようです。


途中にローマ時代の道をところどころ歩いていきます。

全ての道はローマに通じる。2000年前にこの道がローマにまで続いていたなんて考えるとワクワクします。

道であることを堅持するために石畳を作っていったのでしょう。今でもその痕跡が残っています。

カミーノという言葉も「道」です。道があるから文明は栄え、広がり、道の上に人が集まり文化や習慣が形作られる。インカ帝国もその基礎をなしたのは「道」であったとも考えられます。

道の横に手を伸ばせばある実を時々口にしながら歩き続けます。酸味と甘みが身体を癒してくれます。

ゆったりした登り下りを快調に歩いてロルカの町に到着しました。二年前はこの町で力尽きて歩くのをやめてしまった所です。

その際に飲んだガスパチョが美味しくて生き返ったことがカミーノの鮮明な思い出になっています。


今回もそのお店に入りまガスパチョを注文。

パエリアも美味かったことを話すとブランチのような食事をすることに。

やっぱりここは安くて美味しい!ほとんどがシーズンが終わり枯れてしまっていたのです。

一時間くらい休んでエステージャを目指して再び歩きだします。

するとひまわり畑が出現。今までもひまわり畑は沢山あったのですが、若干枯れ始めていて、花は大地の方を向いてしまってますが、やはり綺麗。

正午をまわり日差しが強くなってきます。エステージャまであと2キロくらいからだんだん身体がキツくなってきました。


暑いなあまだかなと思う頃エステージャの緑の芝生と教会が現れました。着いた!
だけど今回のアルベルゲは町の端。そこまでが遠い。。。おまけにアルベルゲのある場所までは上り坂。やっとの思いで到着。


夕食は坂をくだった大通りのバー・レストランで巡礼者のメヌーを。サラダに煮込み風の牛肉。

どちらも美味しい。ふと気づいたら外は大目。傘もカッパも持って来てないのでずぶ濡れになってしまう。しばらく待ってもやむ様子はなく、カミナリまで鳴り出すしまつ。
お店のお姉さまにタクシーを呼んでもらうことを楽しむと、数件のタクシー会社に電話をしてくれるも少なくとも45分は来ないとの。10時頃になっていたのでお店の時間を確認すると、タクシーが来るか、雨が止むまでお店にいていいですよとのこと。優しい! カフェコンレチェを注文してしばらくするとタクシーが来て武士道アルベルゲへ。

姉さんありがとう!!!

6日目も無事終了。

行程

06時35分 プンタ ラ レイナ出発

08時15分 シラウキ 小休憩 08時40分発

10時30分 ロルカ ブランチ 11時30分発

12時30分 ビジャトゥエルタ 教会たちより 13時05発

14時20分 エステージャ到着 

 

7日目「ワインの泉」エステージャからロスアルコス

7日目(令和元年8月27日)

エステージャからロスアルコスまでの22km

カミーノ巡礼7日目 ワインの泉からライブ配信

 

昨夜の大雨も止んでいる様子。雲はかかっていますが、薄く空も見えるので一安心。
エステージャの町のはしには星と人を型どったオブジェが見送ってくれます。


一時間あまりでイラーチェにつきます。
加治屋さんがカミーノに因んだ作品を作っておりテンプル十字のホタテを購入。ここでは二種類のスタンプを押してくれます。


ひとつはこのお店のスタンプ。
もう一つはロンセスバージェスから100キロのスタンプです。

このお店でカミーノの象徴であるホタテにテンプル騎士団の十字架がついたペンダントを見つけて4人そろって購入。


加治屋さんを出てすぐにワインの泉があります。ここは地元のワイン製造会社bodegas iracoがワインとミネラルウォーターを施してくれています。文字通り蛇口をひねればワインが出てくるのです。

二年前はあったコップの販売機はなくなっていたので、みんな水筒の水を捨ててワインを入れています。驚いたのは蛇口に顔を近づけて直のみしている人もいます、大胆!


イラーチェの村を出て尖り山のピコ ラ モンハルディンを目印に進みます。この山は昨日エステージャの手前からでも見えていました。


山の麓に同じ名前のモンハルディンに到着。
ここから先は12キロ村も町もない区間です。二年前は炎天下の暑さにやられて途中で野シエスタをしてしまいました。



今回は曇り空に救われて順調に進み、途中の移動販売車カフェで休憩。

二年前はこの営業も終わってる時間まで歩いてました。
しばらくして晴天になり日差しがきつくなりますがロスアルコスに無事到着。


今日のアルベルゲはおばあちゃんマークのCasa de Abela。

味しそうな臭いがしてるので夕食と朝食もお願いすることに。
順調に巡礼7日目も終了

行程

7時40分 エステージャ

8時15分 鍛冶屋 8時30分発

8時35分 ワインの泉 8時55分発

09時55分 アケスタ

12時38分 移動カフェ 13時05分

14時35分 ロスアルコス

 

8日目「神の計らいが起きた!!」ロスアルコスからヴィアナ

8日目(令和元年8月28日)

ロスアルコスからヴィアナまでの18.5km

カミーノ8日目ロスアルコスを出発 ライブ配信

今日はあまり長い距離ではないので余裕の出発。
普通のスケジュールではロスアルコスからログローニョまでの28kmを歩くことがおおいですが、ヴィアナとログローニョの間に町がないので無理せずヴィアナで泊ることに。

朝日を受けながら軽快に進みます

1時間半くらいでサンソルの村に到着、すぐ隣にもうひとつ村があるのでそこまで休憩なしであるくことに。

ほんの1kmくらいでトレスデルリオの村に到着。

この村には小さな八角形の教会があります。

ここは入場料が1ユーロなのですが、なんか落ち着くところで2年前はここで黒田月水さんが琵琶の演奏をしました。すごくよかったので引き続き今年もやってきました。

しばらく佇んだのちに村を歩くとテンプル騎士団の十字架を掲げているカフェ&アルベルゲを発見

昨日ペンダントを買ったところなので気になって入ってみることに。

すると陽気なスタッフとお客さん達ばかりであっという間に時間が過ぎてしまいます。

お客さんのメキシコ人のカルロスとは今年の11月に私がメキシコに行くのでその時会おうかという話にまでなりました。

昨夜、ヒーリングピアニストに松尾泰伸とメッセンジャーでやりとりをしているうちに来年か再来年松尾さんもカミーノを歩くという話になったのです(まだ未確定です)

八角堂の教会かこのアルベルゲの庭で松尾さんのライブが出来ればいいなあなんて話をしていました。テンプル騎士団のアルベルゲのスタッフに聞いてみると「可能だから、そのとき連絡をくれ」とのこと。

なんだか縁がつながっていきます。

そこにまたイタリア人のおばちゃんが話に加わってきて「あたいはブルゴスの先でアルベルゲをやってるから是非泊ってよ、もちろん料理はイタリアンよ。絶対よ!!!」といってきた。シーシーなんて気軽に答えたらスケジュール上中途半端な場所で行程の組み換えが必須の感じに。だけどこれも縁なので是非よてみようと思います。またその報告はその時に。

ゆっくりしすぎたマルタ騎士団をあとにしてヴィアナを目指します。

ここから先は丘を登ったり下りたりしながらオリーブ畑とぶどう畑の道をすすみます。

途中にエルミタ デ ラ ヴァージン デル ポヨという小さなマリア教会をとおり、そこから4.7キロでヴィアナに到着。

泊まろうかなと思っていたアルベルゲに何度も電話をしていたのですが繋がらず、訪れてみたら閉店のよう。

それならばと違うアルベルゲを目指しヴィアナの街の中を歩いていくうちに2年前の記憶が蘇ってきました。

たしかこの道の先の右側にホテルがあり、そこのレストランが美味しかったこと、その左側にかっこいいアルベルゲがあったこと、遺跡の教会が美しかったことなどが走馬灯のように思い出されました。

あのアルベルゲが閉まっていてよかった!! 神に感謝です。 そのかっこいいアルベルゲANDRES MUNOZに宿泊。

ランチはホテルのレストラン。

遺跡の教会で写真を撮って、ここで松尾さんのコンサートができたらいいなあとビデオメッセージを松尾さんに送ったりして、マーケットに行くことに。

途中でフットバスの看板を見つけて立ち止まっていると、おじさんが「フットバスやりたいかい?」と話してきました。

いくらか尋ねるとドネーションとのこと。ならば入ろうということになり4人でお店の中へ。

なんかオシャレなカフェのよう、飲み物はいろんな国のビールやアイスティー、アイスコ―ヒー、ハーブティーなどと書いています。

フットバスはホットかアイスどちらがいい?と聞かれたので、どっちがおススメかと尋ねると、アイスだねと即答。

ならばアイスでお願いしま~すと4人そろってアイスを希望。

冷たい塩水に足をつけていると熱かった身体がクールダウンしていきます。

話していてスペイン人じゃないなあと思ったので、どこから来たの?と尋ねるとカナダ人とのこと。

そこから話がはずみ、おじさんとおばさんは僕たちと同年代で養子を二人とっていて、そのうちの一人の娘(もう28歳)は日本人とのハーフ。だから愛犬の名前は「スキ」、彼女は去年の10月に結婚したばかりで・・・

そんな話をしているうちにスピリチュアルな話題に展開。

この施設はクリスチャンの教団の施設だそうで、お二人は3か月前から前任者から引き継いでここでやっているららしい。

瞑想のはなしなどをしていると、聖書をよみながら目を閉じて静かな時間を過ごそうということになり、お店をクローズして30分ほど瞑想タイム。

奥さんの読む聖書と私たちにしてくれたチャンティングが暖かくて胸を打ちました。

感謝を伝えて、また雑談をしている際に、あの教会みたいなものは何ですかと尋ねたところ、1800年代に戦争で破壊されてしまった教会で、いまはそのときの破壊されたまま保存されていると、そしてそこではコンサートがあったりするのよというのです。

えっつ!? 今コンサートっていったよね。と思いつつ聞き直すと、そうよコンサートとかイベントをやってるわよというではないですか。

私は松尾泰伸というヒーリングピアニストがいて、その教会跡でコンサートが出来たらいいなあと考えていたところなんですよと伝えると二人も驚いてる様子。

どうしたらあそこでコンサートが出来るかしってますか?と尋ねると、じゃあヴィアナの観光局に行こういうことになったのです。

観光局に行くと、名刺をもらい外国人でも借りることができること、ピアノは教会にはないけどしかるべきところから借りることができること。などが分ったのです。

これは何の計らいでしょう。

早すぎる展開。

シンクロの連続。

神は確かに私たちを導いてくださっています。

行程

7時30分 ロスアルコス

9時00分 サンソル

9時17分  トレスデルリオ 10時45分発

11時30分 マリア教会

13時15分 ヴィアナ 

 

9日目「葡萄とサクランボとアーモンド」ヴィアナからナバレテ

9日目(令和元年8月29日)

ヴィアナからナバレテの21.5km

カミーノ巡礼9日目 昨日起きた奇跡的なことなど。ヴィアナ付近からライブ

ヴィアナのかっこいいアアルベルゲを出て歩き出します。

しばらくすると朝日がノートパソコン昇り、背中から太陽に押されるようにエネルギーを得て進みます。

基本的にカミーノは東から西に進んでいきます。2年前は午後あることが多かったので西日を観ながら歩いていました。やはり朝日を背に受けて歩くほうが歩きやすい。スペインの西日はまた強烈なので正面から受けてあるくのは辛いです。

昨日の奇跡のような出来事をyoutube「しんごちゃんネル」でライブ配信をしながら歩きます。(巡礼中、毎日スペイン時間の朝8時・日本時間の午後3時に生配信をしています)

前半はこれから先にあるアルベルゲの壊滅的なメニューとバーコードのおじさんの話をしていますが、後半は昨日の奇跡の話とその奇跡に関係するヒーリングピアニストの松尾泰伸さんの話をしています。

ちなみに私はファンクラブの会長、一緒に歩いてる美由紀さんは会員番号34番、裕子さんは会員番号36番なのです。美香さんには鋭意会員になってもらうべく勧誘をしています(笑)

そんな話をしながら約9.5キロを歩きログローニョの町に到着。

橋を渡って市街地にはいります。

ログローニョの街で道路にある矢印はこれで統一されています。

昨日教えられたようにカミーノの道ではなく大聖堂の方にいきます。

まずは大聖堂に入りご挨拶。

静寂のなかに聖母マリアさま

素晴らしい静寂感。シスターが手招きをしてくれたので事務所の中に入れてくれてスタンプを押してくれました。

日本人ですか?と尋ねられました。はいと答えると、奥から白い紐を持ってきて「これは日本で作られました。エー エー クミヒモ?」と言われます。はじめはピンと来なかったのですが、そうです【組紐】です。白いシルクをかなり多く使った組紐でした。ここでそのようなものを拝見できるとは・・・。昨日に引き続き何かに組み込まれているような気がします。

大聖堂を出てブランチをとることに。

11時ころにカフェを出て歩き出しますが、町は大きく巡礼の道らしい道がなかなか出てきません。

公園の中を延々と歩き続けます。遊歩道のような道が町はずれのグラヘラ公園、その先のグラヘラ池までつづいています。

もう長いのなんのって

暑いのなんのって

もうキツイの一言。

ここを地元の人はジョギングや散歩をしています。

あらためて地図を見てみると

 

ログローニョからなナバレテまでは約13km。そのうち遊歩道が半分近くもあるのです。考えようによってはコンクリートの道をいくよりはありがたいのですが、あまりにも長すぎて、暑すぎてぐったりしてしまいました。

ちなみに途中池のほとりにカフェがあります。

その暑い中、マリアさまのお御堂が現れます

 

これをすぎると遊歩道から普通の道にかわっていきます。

途中にリオハワインの葡萄畑、アーモンド、サクランボと果実を手にすることができます。

といっても葡萄は人のものですが・・・

ちょっと摘まむ果実が少し暑さを和らげてくれます。

だけど暑い・・・

なんとかナバレテの村に到着

大聖堂があったので逃げ込むように中に。

こんな小さな村なのにこんな立派な大聖堂があるなんて驚きです。

その昔、巡礼者にとって大聖堂は教会は救いの場所だったのでしょう。

大聖堂の中は厳格ではありますが、静かで涼しくて清らかです。

現代の私たちにも、これだけの癒しを与えてくれるのですから、当時は比較にならないほどの安心感をもたらしたのだと思います。

やっとの思いで到着した今日の宿泊所はA la Sombra del Laurel。4人部屋は広くて快適、色合いもいい感じの部屋なのです。

これで今日も無事終了

行程

      ヴィアナ 07時30分出発

09時49分 ログローニョ 大聖堂やカフェ 11時00出発

14時38分 ナバレテの村の入り口に到着

14時49分 大聖堂

15時12分 ホステルの到着

 

10日目【直感と示唆】【ジャコ様が舞い降りた】【セドナのようなパワースポット】ナバレテからアソフラ

10日目(令和元年8月30日)
ナバレテからアソフラへ 23.8km

今朝は朝6時50分に出発。昨日の午後の日差しが強すぎて、なるべく早くに到着したいのでいつもより早くに出発。

カミーノ巡礼10日目意識の変革!?ライブ配信

 

歩きはじめたら、すぐに前からおばさんの巡礼者がやってきました。

おばさんはだいぶ歩いたが矢印がみつからなくて戻ってきたとのこと。

色々聞いてみたら、おばさんが勘違いをしていると思い、一緒に行きましょうと連れていくことに。

おばさんは「この道からすぐに左に曲がる」というアドバイスを受けていたので、あまり私の話は聞いていない様子で、左側に道があると人の家にいく道であろうとずっと気にしている様子。

「すぐ左曲がる」ということにとらわれていたのです。

いちいち止まるので、すこしずつおばさんは私たちから遅れることに。

ふと気づくと、おばさんの姿が道から消えていきました。

しばらく行くと、左に曲がる矢印が出てきて、私たちはその道へ。

あのおばさんは何処に行ってしまったのだろう。心配をしながらも何処で消えたかもわからなかったので、そのまま歩いていくことに。結果的にその後、おばさんは正しい道に戻ってくるのですが、これは私たちに何を示してくれるのだろうと思い至りました。

あのおばさんは私たちに会わないと間違いなく山の中に迷い込んでいたはずです。そして私たちに会って軌道修正が出来たはずなのです。しかし彼女は自分の「直感」に従ったのです。「直感」に従うことは正しいことだと思います。私も概ね賛成なのですが、「直感」が外れる場合もままあるのです。一方で他者からもたらされる「示唆」があります。どうにもならなくなったり、自分のカンがはずれているときは「示唆」を受け入れてみることが重要です。この「直感」は内的情報で「示唆」は外的情報です。その使い分けを注意を払えというように思える出来事でした。

そんなことが起きつつ、私たちは次の町であるベントサに到着。


朝早く出てきたので気温も低めで歩きやすく快調に7.8Kmを歩き終えました。

そこで美由紀さんが「もうちょっと歩けるかも」と。実は今日はナラハという町までの18kmの行程を予定していたのです。ところがあっという間に半分近くを終えてしまったので「もうひとつ先の町まで行けるかも」ということになったのです。次の町はアソフラ。星の巡礼はシャーリーマクレーンの本のなかでも重要な出来事が起きる街なのです。

朝食を食べながら「アソフラまで行こうか・・・」と話していた時に一台のバンが私たちの前に止まりました。

そのバスは JACO TRANS

お~ジャコ様・神様・仏様!!!!

ジャコ様とは私たちが読んでいる敬称で、JACO TRANSとはアルベルゲからアルベルゲまで荷物を運んでくれる宅配サービスなのです。

ということは、バックパックをジャコ様に預けて、次の町のアソフラまで行けということか!!

話は即決、すぐにJACO TRANSおお兄さんを呼び止めてアソフラまでバッグパックを預けることに。

これで身も心も軽々とナラハへ。

1時間半あまりでナラハに到着。ここでサンタマリア修道院に立ち寄ることに。

ここが思いのほかのパワースポット。セドナのようなレッドロックが修道院の後ろに控えています。

建物が違えばセドナと思えるような場所です。

修道院は美しく中庭も美しいのですが、

驚いたのは修道院の奥。ここに入っていくと墓石がありちょっと入りにくい雰囲気。そこを越えると「えっつ何ここ?」という空気の変わりよう。その奥にマリア像が安置されていました。そこはレッドロックの洞窟のような感じ。もともとは洞窟にマリア像を祀っており、そこに建物を作っていき修道院になったのではないかと思えました。ここがいつまでも居れそうな空気感でした。

晴れやかな思いで修道院を出てアソフラへ。

14時過ぎに無事アソフラに到着。

行程

    ? ナバレテ   6時50分出発

8時10分 ベントサ  9時00分出発

10時51分 ナラハ  12時40分出発

14時10分 アソフラ

 

11日目 「セントドミンゴに起きた奇跡」カミーノ巡礼アソフラからサントドミンゴ デラ カルサダ

11日目(令和元年8月31日)

アソフラからサントドミンゴ デラ カルサダ 15.2km

ジャコ様の功罪 カミーノ巡礼11日目ライブ配信

 

アソフラを6時55分に出発。なだらかな丘陵地帯をカミーノは伸びています。昨日起きた出来事を振り返りながら歩みを進めます。

アソフラか9キロあまりは何もありません。2時間くらい歩いたところで移動カフェが出てきました。

飲み物を買って近くのベンチでしばし休憩。進行方向に建物が見えているので、すぐ先にシリニュエラの街がすぐにあるはずです。

まもなく左手にゴルフ場が見えてきました。

そこに面白い落書きがあります。

それは、巡礼のシンボルであるホタテ貝のオブジェなのですが、そこに上手く落書きがされているのです。

ホタテ貝の上に上手く「目」がかかれています。

これからは私の幻想です。このホタテに書かれた「目」はイルミナティをあらわしている。サンティアゴを行く人は基本的に徒歩か自転車です。

贅沢な旅行ではなく、無駄を出来るだけそぎ落とした旅のスタイルです。

一方、目の向こうにあるのはゴルフ場。ゴルフというスポーツを揶揄しているわけではありませんが、一般的な印象として清貧とは離れた存在です。

そこから巡礼者達を見る「目」。ゴルフは金持ち、政治家、事業家のイメージがあります。いわゆる支配層を連想させます。

イルミナティの印であるとされる「目」。これはアメリカ連邦準備局を創ったともいわれています。その際、世界中で流通するドル札、中でも一番多く流通し、多くの人の手に渡る1ドル札。

そこに描かれているピラミッドの上の「目」。これと同様、イルミナティはいつでもお前たち(巡礼者達)を見てるぞという意味に思えてしかたないのです。

様々なところに「目」は潜んでいて我々を見ています。千円札の中にも「目」は潜んでいます。千円札を透かして見てみると野口英世の左目に富士山が浮かんで見えます。まるで1ドル札のピラミッドにある「目」のようです。しかもこの左目が良く見ると異様な暗さを持っています。

さらに裏面の富士山は湖に映っている山とは全く違う山なのです。

そしてカミーノの終着点であるサンティアゴ デ コンポステラ。ここの大聖堂に祀られているヤコブに会うのがカミーノ巡礼のクライマックスなのですが、この大聖堂のボタフメイロ(香炉)は巡礼者を浄化するものとして(古くは伝染病や臭いを消すためともいわれています)大きく振り子のように降られます。

これは毎日行われるものではないので、この光景を観ることが巡礼者の僥倖でもあります。この香炉を吊るしている天井にも「目」が描かれているのです。

まさに上から巡礼者たちを見ているのです。

巡礼をすると、カミーノや四国の巡礼もそうですが何百キロも歩いたり、自転車で完走をすると心の中に何かしらの変化が生じます。それは個人によって違いますが、自分自身への自信の強さや、信仰の強さ、人との絆の強さなどが増すろ思われます。人が強さを持つのです。それが巡礼の力ではないでしょうか。全人類を我が物にしようと考える人たちにとっては「人類が弱く、愚かである」方が容易に支配しやすくなります。

それぞれの国や地域にある伝統や宗教、王家、民族意識、習慣などは彼らにとっては厄介なものなのです。

だから彼らは巡礼者を見ている、精神性や身体能力を高めようとしても、自己の覚醒を追及しても「我々の手の中なのだと」言わんばかりの「目」なのです。

というようなことを連想させる落書きなのでした。

というもののゴルフ場に併設されているカフェで小休憩をして(ちゃんとあやかってる)サントドミンゴに向かいました。

サントドミンゴ デラ カルサーダはサントドミンゴが大きくかかわっている街です。彼は近くのビロリア デ リオハの出身でナラハからレデシージャ デル カミーノまでの道を整備し橋を架け教会を作り巡礼者の救援施設などを作ったのです。大きくカミーノに尽力した彼をたたえて街に彼の名前を戴いているのです。

大聖堂に彼の棺はあり荘厳な廟が作られています。

この大聖堂は生きた白い鶏が有名です。

これは父母と息子の3人連れの巡礼者がこの町を訪れたことによる逸話です。

彼らは一軒の民家に一晩一食の恵みを受けたのですが、この家の少女が巡礼者の青年を好きになってしまいます。

離れがたく思った彼女は彼の荷物に家財を忍ばせたのです。

それにより彼は捕まり死罪が言い渡されました。

時の戒律で、巡礼者は沿道のものから盗みをすることを厳禁され、街道の人達は巡礼者を保護することが課せられていたのです。

これを破るとことは重罪とされていたのです。

少年は絞首刑になり、両親は悲しみに暮れながらサンティアゴを目指しました。

二人は巡礼を終え再びサントドミンゴに戻ってきました。

そこにはまだ絞首刑になったままの息子が刑場に吊り下がっていたのです。

息子に近寄った両親は彼が息をしていることに驚きました。そして役人に息子を刑場から降ろすように頼んだのです。

しかし役人は嘲笑し食卓の料理を指さし「調理された鶏が唄わないように、お前たちの息子が生きている訳がない」と言ったのです。

ところが目の前の調理された鶏が生き返り鳴き声を上げたのです。それに驚き役人と両親は息子を絞首刑台から降ろしたのです。

そして息子はこう言ったのです「ずっとサントドミンゴ様が僕を守ってくれていました」。この奇跡を伝えるべく大聖堂には生きた鶏が飼われているのです。

私たちの宿泊はいつものアルベルゲではなくパラドール。

パラドールとは古城や修道院など歴史的建造物を宿泊施設にしていることをいいます。サントドミンゴには4つ星と3つ星の2つのパラドールがありますが、私たちは4星のパラドール デ サントドミンゴ デ ラ カルサダに宿泊しました。

bty

ここもサントドミンゴが巡礼者の救援施設敏として作った歴史的建造物です。重厚で歴史のある建物は威厳があり、かつ施設は新しくリノベーションされていて快適です。

バスタブもあり久しぶりにゆっくりと湯船に入ることができました。

レストランも美味しく、量も多いのですがちゃんと適量のアドバイスもしてくれて素晴らしい時を過ごすことができました。

行程

       アソフラ       06時55分

09時00分 ゴルフクラブ  10時15分

12時30分 サント・ドミンゴ・デ・カルサダ

 

12日目 「生まれた場所なのに・・・」サントドミンゴ デ ラ カルサダからビジャマヨール デ リオ

12日目(令和元年9月1日)

サントドミンゴ デ ラ カルサダからビジャマヨール デ リオ 18km

折角のパラドールなので早朝に出るのはもったいなく、7時半から朝食を頂いてから8時過ぎに出発。

スペイン遺跡のホテル・パラドールからライブ配信

 

パラドールでの昨夜の夕食と朝食の食べすぎで身体が重く感じます。一昨日まで食べすぎを抑えて2日間ほど夕食を抜くか軽くしていたのに元の木阿弥にかえってしまいました。

荷物はジャコ様に預けたので快調に歩けます。しかも気温は20度を下回っており半袖では肌寒いほど。長袖を着てちょうどいい気温です。曇っているので温度もあがらず、直射日光もないので歩きやすくどんどん距離を稼いでいきます。

この区間は数キロ間隔で村があるので精神的に安心して歩けます。

いくつか村を通り過ぎてビロリアデリオハという村に到着しました。

おそらくこの一帯のどこかがサントドミンゴの生まれた村のはずです。

この町にはいると今までの町とは違い彼の像があったりするので町の人に尋ねてみると、やはり彼の生まれた村とのこと。

家はどこかと尋ねると指さして「それだよ」といって肩をすくめました。

崩壊しています。

もちろん約1000年近く前のことなどで当時の家が残っていなくても不思議ではありません。

だけどこの崩壊な何ということ。するとそのおじさんが「この村はサントドミンゴの村なんだ、なのにメインの道がここを通らずに向こうにいっちゃったよ。だから署名運動をしてるので書いてくれ」みたいなことを言われました。

そういえば他の村の横には国道が通っておりその両側に村があり、カミーノ道も通っているいう町づくりでした。

教会の中に連れていかれ、おばさんが待ち受けていて、そこで署名、ご丁寧にパスポート番号も記載してくれといいます。

教会を見回すとなにやら大きな石の盃のようなものが展示されています。

何か尋ねると約1000年前のバプテスマをする際に使っていたものだとのこと。

サントドミンゴもこれでバプテスマしたの?と聞くと「そのとおり」と自慢げに答えます。「1000年よ1000年」としつこく言われ、なんのことかと垂れ幕を見るとどうやら今年はサントドミンゴの生誕1000年なのだそうです。

だからこの村についたときに祭典のようなにぎやかさで、装束を着た人達がいたわけが解りました。垂れ幕がさがっている公民館みたいなところに行くとサントドミンゴの生涯のパンフレットや展示があるのかと思い中に入ると、なんと酒盛り状態。生誕1000年なんでしょ!! 

国道があっちに行っちゃった、けしからんとか言いながら生家は崩壊、生誕1000年のイベント?は村の飲み会。ドミンゴさんの偉業を鑑みるとなんか残念!! 

しかしよくよく思うとサントドミンゴ デ ラ カルサダはリオハ県、この村はブルゴス県と行政区が違うのです。もしかしたら行政からも支援がないのかもしれません。小さい村なので資金もなく、いいところは大きなサントドミンゴ デ ラ カルサダに持っていかれてるのが実情か・・・

なんともわびしい気持ちで村をあとにして宿泊地のビジャマイヨール デル リオへ。

しかし、ここもアルベルゲとレストランが1件づつの小さな村。WIFIの設備が村にないのかレストランもアルベルゲも使えない・・・これまた寂しい。今日はアナログにもどって早寝をしよう。

行程

     サントドミンゴ デ カルサダ 08時40分

09時50分 グラニョン          10時20分

11時10分 レダシラ デル カミーノ  

11時40分 カスティ デ ラゴス

12時03分 ヴィオリア デ リオハ    12時29分

13時15分 ヴィジャマヨール デ リオ

 

13日目「中世の巡礼者も使ったアルベルゲ」ビジャマヨール デル リオからビジャフランカ モンテス デ オカ

13日目(令和元年9月2日)

ビジャマヨール デル リオからビジャフランカ モンテス デ オカ 17km

カミーノ巡礼13日目ライブ配信

 

今日歩くのは17km。非常に短い距離です。というのも明日はオカから文字通り丘を登り、次の町まで12km何もないところを行くのです。

30km近くを今日歩くのは苦しいので、短いですが17kmのところで打ち止めすることにしました。

というものの朝6時20分にでたのでオカに着いたのは11時。お昼前までに着いちゃいました。

今日のアルベルゲは2年前にカッコいい外見だなあと思っていたところ。ホテルに併設されているアルベルゲです。

中身はもうホテルというか歴史的建造物。というのもここは中世から巡礼者の宿泊施設として使われていた建物なのです。

SAN ANTON ABADというホテル&レストラン&アルベルゲ。

エントリーすると気分は中世です。

アルベルゲの部屋はいたって普通なのですが、カフェはアーチ状の柱や壁に近隣でとれる鹿のはく製が飾られています。

いやおうなく気分は盛り上がります。

ここでは毎日夕方にヨガも実施されています。

このカフェでランチをとり、歩いているときに気になっていた場所に行くことに。

それはトサントスという村を通り過ぎたときに、はるか向こうの山肌に見えた教会です。

たぶん洞窟の教会!! 先日のナヘラの洞窟のマリアの印象がよかったので是非足を延ばしてみたいと歩きながら話していたのです。

ホテルのレセプションでタクシーを呼んでもらい、いざ山肌の教会へ。

名前はエルミタ デ ラ ヴァージン デ ラ ペーニャ。 ここもまたマリアのようです。

タクシーで5分ほどで到着。歩いたらあんなにかかったのに・・・

崖の下までつけてもらい、そこから坂道をのっぼていきます。

2~3分もしないうちに見えてきましたが、門が閉まっている様子。

中には入れない!! 道中でも閉まっている教会も多く、写真だけとり引き返すことに。

だけど高台にあるだけあって景色は素晴らしい・・・

そして、崖をみると白い線がところどころあります。

もしかしてこれはクリスタル?

道にも白い破片が落ちています。

クリスタルかどうかは定かではありませんが、ここの教会は800年前にラエルミタという女性がこの崖の洞窟に住み巡礼者に奉仕をしていたそうです。

そこにチャペルが建てられ、ラエルミタとマリアの感謝する祭典が年に1度おこなわれるそうです。

中を拝見することはできませんでしたが、聖地といっていい場所だと思いました。

荒々しい崖にもかかわらず、そこには優しい雰囲気が漂っていました。

崖をおりて枯れかけていますが、ひまわりの中で1枚。

アルベルゲに戻り、レストランで夕食をして今日も無事に終了。

 

行程

     ヴィジャフランカ デル リオ 06時20分

07時30分 ベロラド

08時30分 トサントス

09時00分 ビジャムビスティア      09時50分

10時15分 エスピノサ デル カミーノ  

11時00分 ヴィジャフランカ モンテス デ オカ 

 

14日目「人類の進化、ヨーロッパ最古の人骨がみつかった世界文化遺産アタプエルカ」ビジャフランカ モンテス デ オカからアヘス

14日目(令和元年9月3日)

ビジャフランカ モンテス デ オカからアヘス 16.5km

カミーノ巡礼14日目 オカから丘を越えて ライブ配信配信

 

今日も歩く距離は短いものの朝早くに出発。だけど気温は7度とかなり寒い。

ビジャフランカ モンテス デ オカからは文字通り丘を登っていきます。

朝早く、気温も低かったので楽に進むことが出来ます。

古代は、この丘は動物がでたり盗賊もいたのでしょう、越えるのが困難であった場所だったそうです。

一度登ってからまた下り、再び登っていきます。

2回目の丘を登ってからは長らく平らな道が続きます。

途中でオアシスという名の移動カフェが出るのですが、まだ早朝だったのでまだ車も来ていませんでした。

ここで小休憩。

丘から降りていくとサンファン デ オルテガに到着します。

この町はオルテガという人が作った修道院があります。

オルテガは前述のサントドミンゴがこの付近の巡礼路の整備や橋、ホスピタルを創るのを手伝った人なのです。

彼は巡礼者がオカから難関の丘を越えてたどりついたこの地に修道院を創り巡礼者の保護に努めたのです。

彼の名前を冠してこの町の名前はサンファンデオルテガとなったのです。

彼の遺骸は修道院に葬られました。

彼の功績を称えて、その後さまざまな人が修道院に手を加えていきましたが、

その過程でオルテガの棺を移そうするたびにアクシデントが起きるので、そのまま安置されています。

オルテガを出発して次の町のアヘスへ。

アヘスには数件のアルベルがありますが、とりわけお勧めのなのがこのパン屋さん。

可愛くて美味しいお店です。

前述のオルテガは修道院がアルベルゲになっているのですが、あえてアヘスまできたのは

アタプエルタの遺跡へ足を延ばそうとおもったからです。

ちなみにアタプエルタはアヘスの次の町で、ここにもアルベルゲがあります。

アタプエルカの遺跡とはヨーロッパ最古の人骨が見つかったところなのです。

鉄道敷設の作業をしている過程で人骨が見つかりました。

驚くべきはそう広くない範囲の中になんと40万年前から120万年前の遺跡が出ているのです。

そして今なお発掘は行われています。

アヘスからは夕方5時に送迎バスが来てアタプエルカの町はずれにあるセンターに行きます。

そこから遺跡ガイドとともにバスに乗り15分ほど走った遺跡に行くことになります。

ツアー約1時間くらいです。アタプエルカの町からも送迎バスが出ていますので(アヘスからともに要予約)

センターからは遺跡ガイドとともに行かないと遺跡に入場できないと思われます。

ここでは人類の進化が狭い範囲で出土した非常に珍しい場所なのです。

食人をしていた痕跡や動物をいかに捕獲していたかなどの説明を聞くことができます。

巡礼をしながら、はるか先史の古代に目を転じるのも一興です。

 

行程                                                  

ビジャフランカ モンテス デ オカ 06時20分

09時10分 サンファン デ オルテガ 10時20分

11時19分 アヘス

 

15日目「大きな街に入る道は長くはつらい」アヘスからブルゴス

15日目(令和元年9月4日)

アヘスからブルゴス 24.1km

カミーノ巡礼15日目いよいよブルゴスへ。

 

今日はいよいよブルゴスへ。やはり早めにアヘスを出発。隣町のアタプエルタはまだ真っ暗。

アタプエルタは丘をのぼるとちょうど夜明け

 

丘の上には十字架が立っています。

この丘から遠くに見えるのがブルゴスです。

丘をくだると20~30分あるくとカルデニューラ リオピコの村が見えてきます。

この町のカフェで朝食

次の村オルバネハ リオピコの教会に入りました。

小さい教会に何気なく入ったのですが、ここのマリア様が美しい。

教会の中でしばし休憩をしていざブルゴスへ。

ブルゴスは大きな街です。経験上大きな街に入る時と、出るときが辛いのです。

山道や森の中の道を歩いていると、無機質なコンクリートの道や車道に近い歩道が苦痛になってくるのです。

なかでもブルゴスの街にはいる道は長く一本道なのです。

空港と工場、倉庫地帯のに左右に連なる大きな道路沿いを歩いていきます。

やっとブルゴスの街のはずれらしきところまで来たところにマックやカフェがあり、そこで一休み。

大きなホタテ貝が描かれたビルがあり、ここをすぎるといよいよブルゴスの市街地に近くなります。

やがてビルの向こうに尖がった塔が見え隠れしはじめたらカセドラルは間もなくです。

今日の宿泊はアルベルゲではなくホステル。明日の朝はゆくりしたいのでアルベルゲではなくホステルにしました。

というのもアルベルゲでは必ず8時までにチェックアウトしなければならないからです。

洗濯やシャワーを浴びて5時くらいに大聖堂にいってみると、すでに閉館。

かわりにチューチュートレインに乗って市内観光をしました。

トレインは大聖堂前から出発して40分ほどで街の主要部分を一周します。

なんとなく街の様子がわかるでお勧めです。

明日はブルゴス大聖堂を見て近郊の街レルマに行きます

 

行程

アヘス 6時20分

06時52分 アタプエルタ

08時44分 カデニューラ リオピコ 9時20分

09時50分 オルバネハ リオピコ 10時00分  

14時05分ブルゴス

 

16日目「ブルゴス大聖堂とグレゴリオ聖歌」パラドール レルマ

16日目(令和元年9月5日)

今日は休養日。

午前中は世界遺産のブルゴス大聖堂へ。

ブルゴス大聖堂前からライブ配信

 

ここの大聖堂は美しく壮大。しかもスペイン レコンキスタの英雄エル・シド夫妻のお墓もあります。

大聖堂の中は壮大でかつ美しくて圧倒されます。

細かい彫刻やしつらえが床から天井までされていてため息が出ます。

先人の偉大さと信仰にかける情熱とパワー。そしてカソリックの持っている異常な力と資産。

300年以上にわたって建築されてできあがった大この聖堂はスペインでも特異の存在です。

尖塔がいくつもそびえる様式はスペインでは珍しく、フランスからの影響のようです。この尖塔はドイツ人親子の職人によっシドて作り上げられたそうです。

これはエル・シド夫妻の墓

大聖堂の中央部分に位置します。この頭上には光を取り入れる部分があり、透かし細工のように見えます。

天からエル・シド夫妻にむけて光が降り注いでいるかのようです。

まるでエル・シドのレコンキスタの活躍をいつも称えているかのようです。

ここでは紹介しきれないくらいの見どころがあるブルゴス大聖堂です。

そのあと私たちはタクシーに乗り一路レルマとシロスへ。

はじめシロスにある修道院に行ったのですが閉まっていたのでレルマへ。

ブルゴスからレルマは車で約30分から40分。

今夜の宿はパラドール レルマ ブルゴスです。

サントドミンゴ デ カルサダのパラドールに続いての2回目のパラドール宿泊です。

ひとまずチェックインして

ロビーのカフェ

フロントで修道院の時間を確認してタクシーを呼んでもらって再びシロスへ。

シロス修道院はグレゴリオ聖歌を有名にした修道院なのです。

時間になると一人づつ修道士が姿を現します。深々とお辞儀をして自分の席についていきます。

礼拝に来ている人にお礼をしているのか、または主に対してのお辞儀なのかわかりませんが、

西欧であんなに深いお辞儀を見るのは初めてでした。

聖歌は低く響くように聞こえてきます。

音のさざ波が伝わってくるかのようなサウンド。

癒されます。

曲の合間に、また深々とお辞儀をすることもあります。

引き込まれるような環境。

ずっと居たかったのですが、夕食の予約をしていたので泣く泣く席を立ちパラドールへ戻りました。

ちなみにレルマとシロスは車で片道25分(往復のタクシー代金は45ユーロ 1時間の待ち時間料金含む)です。

パラドール レルマでの夕食はお勧めのメヌー。

丸いアーチ状の天井のレストラン

レノマに行けばラムを食べろとブルゴスで出会った人も言っていたとおり、メヌーにはラム肉が入っていました。

サラダやスープ、4種類のソーセージが出てきて、どれも美味しくすでに満足感。

そこに

この2皿のラム肉が私たち4人分

大きさを見て仰天。骨がついているものの、一皿を二人で食べきれる量じゃありません。

恐る恐る手を伸ばし、口にしてみると

「美味しい~~~~~!!!!!!」

ラム肉の臭いはせず、柔らかさは口に入れれば溶けてしまうかのよう。

これは美味しいと叫びつつ食べるのですが、さすがにノックアウト。

4人で2人前で十分と思われます。注文する場合は量に気を付けてください。

満腹になり部屋へ。

久ぶりにバスタブにお湯をはってゆっくりバスタイム。

やっぱりパラドールは素晴らしい。

17日目

レルマからライブ配信

 

18日目「再会 夢が現実になった人」

カミーノ巡礼18日目 ブルゴスを出発 たまごちゃん合流

 

19日目「パラレルワールドへ」

カミーノ巡礼19日目パラレルワールドゾーンへ

 

20日目「幸運の運河」カストロへリスからポプラシオンデカンポス

20日目(令和元年9月9日)

カストロへリスからポプラシオンデカンポス 27km

カミーノ巡礼20日目 全然ダイエットになりません!

今日は27KM歩くので早起きして6時20分に出発。

まだ暗いうちにモンステラレスの山に登ります。

ここは山というよりもテーブルマウンテンといった形状で、上はずっと平原が広がっています。

この上で朝日が昇り異常に綺麗な光景を見ることができました。

しかし体感気温は10度を下回っています。

ここ数日間、9月上旬のメセタにしては気温が低く特に朝方は10度を下回ります。

テーブルマウンテンの平原を終えて急こう配の下り坂。それだけに見晴らしがよく遠くにカミーノの一本道が見渡せます。

ひまわりがのこる平原をすぎるとイテロ デ ラ ベガに到着。

二年前にも行ったカフェで朝食。ここは10kmの間なにもないのでみんなが入る流行りのカフェです。

途中、まもなく町というところにサンニコラスという巡礼者のためのチャペルがあります。

そこでスタンプを頂き、ちょっと一息。

ここからさらに8KM歩いて次の街のボアディラ デル カミーノへ。

この町では2年前に入った広い庭のカフェがあり、そこで小休憩。

その際、イタリア人のロベルトにポルラシオンデカンポスに美味しいアホスープの夕食が出るホステルがあるぞと教えてもらい、そこに泊ったのです。

今回もその夕食を食べるべく今日の宿はポルラシオンデカンポスにしたのです。

カフェを出てフロミスタへ。

カスティージャ運河沿いの道を歩き6km弱歩くとフロミスタに着きます。

運河沿いを歩いだすと一隻のボートが停まっていて、船員が乗らないかと声をかけてきます。

よくよく聞いてみるとフロミスタに行く船で観光客らしき人達が乗っています。

船体にカミーノのマークもついていて、巡礼者も乗れるよといわれて乗船することに。

運賃は一般人5ユーロのところ巡礼者は2ユーロと格安。

船の速度はジョギングのペースなので罪悪感も薄れて快適な船旅。

道を歩く巡礼者達に「ブエンカミーノ」と手を振ると、お前たち船に乗ってるの!!」みたいな反応で面白い。

停泊していた時間は僅かだったようで、まさに神様のお恵みのようなものだった。

約6キロ分を節約できてフロミスタに到着。

あと3.6キロ歩けば目的地に到着だ。

フロミスタの教会は独特な丸い形状をしている。残念ながら中には入れなかったが、前のパン屋さんで食べた玉ねぎのピクルスが絶品だった。

1時間足らずでカンポスのホステルに到着。

ホステルのおじさんと、おばさんに「2年前にもきて、夕食が美味しかったからまた来たよ」と告げたら

「あんたたち覚えてるよ」と言ってハグとキスをしてきてくれた。

こんなときにまたカミーノにきて良かったと思う瞬間だ

ウエルカムドリンクでサングリアをもらい、コーヒーを頼んだらパンの上にスモークされたハム(セシーナ)をのせたおやつも頂いた。

このセシーナはレオンの特産でスモークされた牛の生ハムで凄く美味しいのです。

たぶんセシーナは2回目に来たからくれたのだろうか。

夕食はおばさんの手作りのアホスープ(にんにくのスープ)とエビと貝と鶏肉の入った特大パエリア。

私たち5人とイギリス人のアレックスさんと6人で楽しく会話をしながらの夕食でした。

やっぱりスペインは美味しい!!

行程

カストロへリス 6時20分

07時30分 丘の上 小休憩    07時40分

09時26分 イテロ デ ラ ベガ  カフェにて朝食 10時10分

11時00分 サンニコラス チャペル 11時19分

12時00分 ボアディラ デル カミーノ  ガーデンカフェで休憩12時55分  

13時20分 JUAN DE HOMAR乗船 13時55分下船

14時00分 フロミスタ  小休憩 14時40分

15時30分 ポルラシオンデカンポス

 

 

21日目「牛肉が美味しい」ポプラシオン デ カンポスからカリオン デ ロス コンデス

21日目(令和元年9月10日)

ポプラシオン デ カンポスからカリオン デ ロス コンデス 16km

カミーノ巡礼21日目 美味しかったアホスープ

ホステルで朝食を食べ、おじさんとおばさんに又来るねと挨拶をして出発。

今日は16kmと短いのでジャコ様は使わず自分でバッグを背負って歩きます(当たり前か!)

そこに昨日のアレックスもいて再び挨拶。このカフェは庭が広くて鶏やあひる、ガチョウが走り回っている。

奥にはネイティブアメリカンのティピもあって道沿いからも目立つのでわかりやすい。

しばらくして歩き出し1時間くらいで次の街ヴィジャカザール デ シルガへ。

ここには聖マリア教会があり、巡礼者価格1ユーロで入場できる。

バラの組み合わせのような施しの窓から差し込む太陽の光が差し込み対壁を黄金に照らすのが美しい。

小さい街なのに結構大きい教会で、歴史は古くサンティアゴの騎士(テンプル騎士団など)に遡る。

教会でゆっくりしてあと6km弱、まもなく今日の目的地カリオン デ ロス コンデスだ。

私たちの泊るアルベルゲはEspiritu Santo 二年前も泊ったアルベルゲだ。

すべて1段のベッドなのが嬉しい、教会が運営しているのでアルベルゲの部屋と部屋の間に小さいチャペルもある

庭にあるマリア像もいい感じで私たちを見守ってくれている。

洗濯を終えてランチへ。

お店は2年前に行ったお店。その時、私たちはメヌーを食べていたのだが、隣のご夫婦が食べていたステーキが美味しいそうなので今日もやってきた。

Tボーンステーキとサラダとアホスープを注文。

まず出てきたアホスープが美味しい、いままでで最高のアホスープ。

サラダも美味しくてドレッシングがいい感じ。

そしてTボーンステーキがどーーーーん。

衝撃の大きさ

そして美味しい!!

食後のコーヒーはイタリア人ロベルトのお勧めエスパーニャでエスプレッソ。

今日も美味しく終わってきました。

 

行程

ポルラシオン デ カンポス 8時00分

08時55分 レベンガ デ カンポス   

09時30分 ビジャメンテロ デ カンポス  カフェにて朝食 10時15分

11時30分 ビジャカザール デ シルガ 11時50分

13時10分 カリオン デ ロス コンデス

 

 

22日目「メセタは遠く1本道」カリオンからレディゴス

22日目(令和元年9月11日)

カリオン デ ロス コンデスからレディゴス 23.4km

カリオンのアルベルゲを6時半に出発したものの、すぐ近くの昨夜のレストランに引き込まれるように入って朝食。

なんだかんだで1時間くらいくつろいでしまう。

この町から次の街までは17.2キロ何もない平原の道が続くので朝食を食べて出るのが得策だと皆で言い聞かせて

1時間もいることになった。

(結局昨夜に買った果物や軽食は道中で食べることはなかった(笑))

やはりメセタと呼ばれるスペイン北部中央の平原は広い。

ここはスペインのフライパンと言われるくらいに暑くなるところだが、今回私たちが歩いている間は気温が低く肌寒い。

ブルゴス以遠、最低気温7度から9度、最高気温も22~24度といったぐあい。

2年前は暑くて倒れそうだったので、大きな違いだ。

思い返せば、2年前はこの道で倒れそうなおじいさん巡礼者を助けたほどだった。

 

行程

カリオン デ ロス コンデス 6時30分

6時30分この町のカフェ ラコルテで朝食 07時30分

09時12分 ベンチで小休憩 09時25分

11時15分 カルザルディラ テ ラ クエーサ  tendaでランチ 12時55分

14時10分 レディゴス

 

23日目「半分到達記念牛ステーキ」レディゴスからサアグン

23日目(令和元年9月12日)

レディゴスからサアグン17.2km

カミーノ巡礼23日目レデイゴス出発ライブ配信

レディゴス出発がカフェで朝食を食べて、なおかつ「しんごちゃんねる」のライブ配信もその時にしたので大幅に遅れて8時半。

すっかり明るくなってからの歩き出しとなりました。

モラティノスは8日目の寄ったトリスデルリオのカフェで出会ったおばさんが働いているアルベルゲに寄ること、そして2年前に衝撃の事件が起きた町でもあります(2年前のブログ「壊滅的な出来事は最高のスパイスだ!!」) 

 

いよいよモラティノスに到着。

まずは2年前の事件のカフェ(アルベルゲ)の様子をみます。

ところが当の縦バーコードのおじさんは居ないよう。代わりにツルッパゲの若めの男性がいます。

あれ? 髪の毛が全部なくなったのか? だけど若くなっている・・・息子か? 遺伝か?

疑惑を残しつつ、カフェにははいらず約束のアルベルゲへ。

外出をしているらしく誰も居ない。庭にははいれたので座って休んでいるとオーナー夫婦が帰ってきた。

私たちがトリスデルリオであったおばさんはオーナーではなく働いている方だったようだ。それからしばらくして彼女は帰って来て、感動の再開となった。

彼女とオーナーを交えて少しり話してなんだか凄く仲が良くなり

私が着ていた白衣(八海山の修業着)を着物と勘違いしたのか興味深げに見てくる。

もっと手を広げて見せてなど興味津々なので、オーナー夫人にプレゼントするよと思わず言っちゃいました。

「いいの? どうしてくれるの?」というので

「なんかそう思ったから」というと大喜び

「私マッサージ、指圧をやってるのよ」と

やっぱり最適な人にプレゼントできたと思ったのです。これは八海山尊神社で火渡りをした時の白衣。

なのでかなりパワフルな経験を経ているはず。

「この服はパワフルだから、指圧するときに着たら、エネルギーがアップするよ」と言って彼女に着せました。

またカミーノを歩くときは、このアルベルゲに泊まるねと言ってサアグンに向けて出発。

途中でロンセスバージェースからサンティアゴまでの半分の地点の到達。

ここにはバージン デル プエンテという場所で小さな教会もあります。

その教会に行くと2年前にいたおばんさんがいるではありませんか。

たまごちゃんが2年前のクレデンシャルを見せると

「あっつ これ 私の字だ!!」とおばさん。

「また来てくれたのね!!!」とハグ。

おばさんは5年間ここの教会にいて、今週の日曜日が最後になると言ってたのを聞いてまた感動。

数日前のカフェのエマといい、このおばさんといい奇跡的なタイミングで再会が叶っている。

カミーノを再度歩いていて、再会ほど嬉しいものはない。

また次回歩くと、その感動が3倍になるとしたら、今からワクワクする。

この教会の前にいた自転車で巡礼しているおじさんが私とそっくりなので2ショット

ほどなくサアグンに到着。

2年前の記憶をもとに街に出てレストランに行く。

美味しいステーキを食べたレストラン ルイスだ。

再びの入店、メニューが変わっているような気がしたが、店員にたずねてアラカルトのメニューを注文。

6人で3人前を注文すると

ワ~

これはすごい!!!

ワ~またくる

え~またきた!!!

しかも美味い!!!!!!!!!!!

昨年も書いたが

サアグン最高!!

ちなみにレストランのあと薬局で体重をはかったところ66.1kg

歩き始めて3日目のパンプローナの薬局で測った時は67.5㎏

食べてばっかりで全然ダイエットできていないと思ったけど1.4㎏痩せていた!!!

もうちょっとシェイプしたい感じ。あと400kmでどれくらいになるか楽しみです。

 

行程

     レディゴス 08時30分

09時20分 テラディジョス デ ロス テンプラリロス

10時00分 モラティノス 

      アルベルゲ サン ブルノでカフェ小休憩 11時10分出発

12時50        バージン デル プエンテ教会  13時20分

13時50分 サアグン

 

24日目サアグンからレリエゴス

24日目(令和元年9月13日)

サアグンからレリエゴス30.8km

カミーノ巡礼24日目 今日は長めの30.2キロ ライブ配信

今日はサアグンからエルブルゴラネーロまでの17.2kmの予定だったのですが明後日の天気予報があまりよくなかったので、サアグンからレオンまで3日かけていく予定を2日でいくことにしました。

よって今日はサアグンからレリエゴスまでの30.8km歩くことにしました。

エルブルゴラネロまでは数キロおきに村があり比較的楽に歩くことができます。

途中のベラシアネス デル リアル カミーノのカフェで小休憩

ここでパンコントマテを見つけました。

トマトペーストが塗られたトースト。シンプルだけどこれが美味しい!!!

いままではあまり見かけなかったのですが、レオンに近くなると現れてきました。

カミーノ巡礼をしていて地域が変わることで食べ物や名産が変化していくのが楽しみのひとつです。

次の町エル ブルゴ ラ ネロでお勧めの店がここ。

スペイン人がいぇっているお店なのですが、日本語、ハングル語でもメニューが書かれています。

なかでも食べてくなるのが辛ラーメン

スープが少ないので辛めですが、久々のオリエンタルフードでほっこりします。


ここから次の町までは12.6キロの長丁場。

まさにメセタという風景が続きます

この日は久しぶりの気温があがり30度近くまでなり、ちょっとはメセタっぽくなってきました。

2年前はずっと30度を超えていたので、暑いのはいやだけど”これぞメセタ”を一緒に行ってくれた方々に感じてもらえたのは良かったかもしれません。というのも出発前にメセタが暑いと言い続けていたので、このままではメセタは涼しいと思われる懸念があったからです(笑)

やっとレリエゴスに到着。

無事30キロオーバーを歩ききりました。

行程

サアグン 07時30分

09時37分 ベラシアナス デル リアル カミーノ カフェで休憩 10時35分

11時55分 エル ブルゴ ラネロ   ランチ 13時10分

15時45分 レリエゴス

 

25日目 レリエゴスからレオン

25日目(令和元年9月14日)

レリエゴスからレオン 26km

カミーノ巡礼25日目いよいよレオンへ

今日もメセタの大地を歩きます。

といいてもメセタも今日で終わり、今年のメセタは涼しくてよかった。。。これが実感です。

今年のメセタは1日目の最低気温が8度~10度、最高が25度くらい(昨日と今日は28度くらいでした)と非常に歩きやかったです。

しかもなるべく朝早く出て歩き出したのも良かったと思います。

昼食はマンシージャ デ ラス ムラスのアルベルゲ件レストランのEl Jaroin del Camino

ここで美味しい朝食のメニューを発見

前出のトマトペーストを塗ったパンの上に生ハムを乗せたものでした

美味しいのなんのってものじゃありません

それもそのはず、よくよくお店の奥を見てみたら・・・お肉屋さんじゃないの!?

ここにはアルベルゲもあるので、次回来たときはここに泊ろうと決意しました。

カフェを出て1時間半くらい。

ウッドデッキのような歩道を歩き橋を渡ります。短いですがちょっとイイ感じのところです。

ここからは残り13キロほどでレオンに入ります

レオンには2泊するのでアルベルゲではなくホテルに連泊。

大聖堂に近いCAMAROTE HOTEL

ここは新しいホテルで大聖堂に歩いて2分、レストランも美味しくてかなりお勧めです。

今日 明日とホテルでゆっくり休みます。

 

行程

     レリエゴス 07時10分

08時28分 マンシージャ デ ラス ムラス 09時16分

10時25分 ビジャモラス デ マンシージャ

10時55分 プエンテ ヴィラレンテ

11時50分 アルカへジャ 12時00分

14時00分 レオン

26日目 レオン滞在

26日目(令和元年9月15日)

レオンのホテルcamaroteからライブ配信

レオンはカミーノ上では有数の大きな都市です。

ちなみにカミーノにある大きな都市の人口を調べてみました

東から

パンプローナ  人口19万7千

ログローニョ  人口15万

ブルゴス  人口17万7千

レオン  人口13万5千

ポンフェダーラ 人口6万7千

サンティゴ デ コンポステラ 人口9万4千

ちなみに比較的大きな街だと思っていた

サントドミンゴ デラ カルサダ 人口6千

アストルガー 人口1万2千

サリア 人口1万3千

でした。ちなみにマドリッドは320万、バルセロナは160万で断トツ。

3番目の都市がバレンシアで80万です(Wikipediaより)

こうしてみるとこじんまりした街々を通り、本当に田舎道の村々の間を歩いてきているわけです。

レオンといえばやはりステンドグラスが美しいレオン大聖堂です。

13世紀の創られたこの大聖堂は石の船と称されたという。たしかにメセタの大平原をくるとレオンの街並みが見えてきたときに石の船のように見えても不思議ではないと思います。

当時は高い建物もないでしょうし、何もないメセタの平原で大聖堂が見えてきた時の安堵感は相当なものだったと思います。

この大聖堂の見ものはステンドグラスと言っていいでしょう、大聖堂に入ってすぐに側面の石段に腰を下ろすと壮大なステンドグラスを見渡すことが出来ます。

 

 

 

光が差し込んだ時に美しさは格別です

中に入れば、うっとりとして佇みつづけるといった大聖堂です。

ブルゴスの大聖堂にならび一見に値する大聖堂です。

 

27日目「迷い道くねくね」レオンからビジャダンゴス デル パラモ

27日目(令和元年9月16日)

レオンからダンゴス デル  パラモ 22km

カミーノ巡礼27日目 レオンを出発

レオンを出発して巡礼も中盤の後半戦にはいります。

ここからはアストルガ―を経て山を越えてポンフェダーラ。そこからもう一つ山を越えてサリア。

サリアからはラスト118kmとなります。

レオン町からは車道沿いのアスファルトの道を延々と歩きます。

1時間20分くらい歩いてラ バージン デル カミーノに到着。

カフェで朝食を食べてから

この町に2年前に「おばさんのセレクトショップ」と勝手に名付けた食品と雑貨のお店があり、そこに寄ります。

おばさんの代わりに綺麗なおねさんがお店にいらっしゃいました。

2年前にも来たんだよというと嬉しそうに話しかけてきて

彼女はfecebookに出したいから一緒に写真を撮っていいかしら。と言ってきたのでもちろんOKと言ってパチリ

ここはクッキーやお菓子、肉類からハーブティー、アロマオイル、オーガニックぽいシャンプーやクリーム各種あるちょっとかわったお店なんです。

お店を出て数軒先の教会へ

モダンなテイストの教会は美しい祭壇が印象的でした

教会は街の端にあり、ここを出ると泉があります。

泉の巡礼者のオブジェに見送られて3キロばかりで次の街へ

その間に電線にぶら下がっている靴があります。2年前よりも増えている気がするのですが定かではありません。

こうした光景はいくつかあるのですが、一体なぜ靴を電線になげるかは不明です。

靴擦れがひどくなりすぎて履けなくなったのでしょうか。実際に靴はバックパックに括り付けてサンダルで歩いている人もいます。そういう人たちはほとんどが踵や足首にテーピングされていて痛々しく歩いています。そんな人がやけになって靴を放り投げたのは十分に考えられることです。

あとは靴を2足持ってきていて重たくなって棄てちゃったというところでしょうか。

僕は2年前もそうだったのですが地下足袋を履いています。靴擦れやタコなどは一切なしで快調に歩けています。

次の町サン ミゲル デル カミーノで左向きの矢印があり、それに従っていくものの様子がおかしい。

ところどころ矢印があるものの、その先ぱったりと無くなってしまいました。

2年までも歩いた記憶がない道。

どうやら道を間違ってしまったようです。

しかしグーグルマップで位置を確認、そう遠回りでない道を探して無事ビジャダンゴス デル カミーノに到着。

ずっと車道沿いに行けばいいのに、かたわらの町に誘導しようとした矢印にまんまとやられた感じです。

15分ばかり遠回りをしましたが、のんびりとした畑の中の未舗装の道をいけて、これはこれでよかったのかもしれません。

しかし、こういうときスマホが役に立ちます。10年前なら地図を片手に彷徨っていたに違いありません。

公営アルベルゲに到着。

今日も無事に終了

行程

                 レオン 7時18分出発

8時50分 ラ バージン デル カミーノ  カフェ・お店・教会に立ち寄り 10時07分

11時00分バルバデルデ デラ バージン

11時15分 サンミゲル デル カミーノ

13時15分 ビジャダンゴス デル パルモ

 

28日目「もっと滞在したい町」ビジャダンゴス デル パラモからホスピタル デ オリビゴ

28日目(令和元年9月17日)

ビジャダンゴ デル パラモからホスピタル デ オリビゴ11km

カミーノ巡礼28日目

今日は短い距離11キロなのでゆっくり8時すぎに出発。

途中の町サンマルティンデルカミーノで朝食兼1時間以上なんだかしゃべったりして休憩。

11キロしか歩かないので余裕の展開です。

途中でブルゴスを出るときにあった中華系フランス人のおばさんと再会。

たまごちゃんの着ている四国お遍路の白衣に興味を持って、売ってくれないか・・・とリクエスト。

2年前のカミーノ巡礼の際に、琵琶演奏家の黒田月水さんからのプレゼントされた白衣だっただけに譲るのをためらっていたのですが、月水さんもわかってくれるよということで彼女に白衣をプレゼント。

直に着るのかと思ったら丁寧にたたんでバックパックにしまっていました。

途中はロンドン在住でカミーノ巡礼が終われば香港に帰るという比較的若い女性と歩き、いまの香港情勢などについて話しました。こういったことを話せるのもカミーノの良さです、以前はイタリア人が天皇陛下のことについて質問をしてきたこともありました。

目的の町ホスピタルデオリビゴには12時過ぎの到着。

この町にはオリビゴ川が流れていて、そこにかかる橋が印象的な街なのです。

2年前あまりにもい美しく、橋のたもとにホステルがいい感じで立っていたので、そこに泊ることにしたのです。

ホステルはHostal Don Suero de Quiñones。

ホステルから橋をながめると

ここでランチも頂いたのですが、注文はホステルのおじさんのお勧めとホステルの前に出ていた看板の写真を頼みました。

サラダとアスパラ

あさりのスペイン風酒蒸し

エビの塩焼き

 

看板の写真のもの(海鮮の具沢山スープ)

ラム肉

全てが美味しすぎる!!!

2年前は「この町、このホステルいいなあ」と思って通り過ぎただけなのですが、今日は11キロという中途半端な距離だけ歩いて滞在した価値がありました。

昼食後町を散歩、いい感じのアルベルゲがあったので中を覗くと人のよさそうなスタッフが出てきて片言の日本語を話します。日本人の友達が著作のカミーノ写真集を見せてくれたりしてお客さんでもない私たち相手に話がもりあがりました。

来年はピアニストと一緒にカミーノにくるつもりなんだけど、この町でコンサートできますか?と尋ねると、川のそばの芝生のとこなんかでやるのはどうかな、僕がオーガナイズしようか・・・とまで言ってくれます。連絡先を交換して今後はメールでやりとりすることに。

もう一軒のアルベルゲにも顔を出すと、そこもいい感じのところで「中に入って写真を撮っていいってよ、中庭に十字架もあるのよ」といって案内してくれます。

薬局にいけば親切にいろいろと症状をきいて親身になってくれるし、ともかく町の人すべてがいい感じなのです。

この町はヨセフ騎士団が作った町、だから「ホスピタル」とついているのです。

だから町の人


は巡礼者や外からの人、困っている人などに優しいのでしょう。

ホスピタル デ オルビス

ここはまた滞在したくなる町なのです。

 

行程

ビジャダンゴ デル カミーノ 08時10分

09時15分 サンマルティン デル カミーノ  カフェにて休憩 10時43分

12時19分ホスピタルデオリビゴ

 

29日目「もっと滞在したい町」ホスピタル デ オリビゴからアストルガ―

29日目(令和元年9月18日)

ホスピタル デ オリビゴからアストルガ―17km

カミーノ29日目もっといたくなる町オリビゴよりライブ配信

今日の行程は17キロ。そんなに長くないほど良い距離です。

8時にオリビゴの町でライブ配信始めながら歩き始めました。

次の町のビジャス デ オリビゴでニンニクをキャラクターにしているカフェがありました。

ここでは果物のトイレを借りてすぐに出発。

次の町にもとまらずに小高い丘を登っていきます。

途中に十字架とオブジェがある場所をとおり

ここをとおりしばらく行くと植物の様子が変わってくるのにきがつきます。

白樺がでてくるのです。

ちょっと寒々と見えてくるのが不思議です。しかし気温はメセタを歩いていたより遥かに高く、半袖でも歩けるくらいです。

丘の上を歩いていくと、オアシスが出てきます。

ここはデイビット(黄色いTシャツの人)が始めて全てドネイションで運営されています

2年前に地下足袋を見て思い出したのか、私たち訪れたことを覚えていてくれたようで、再会をよろこんでくれました。

多くの人が憩っていて、まさにここはオアシスです。

ここをでてしばらく行くとアストルガーが見えてくる丘に出ます

2年前にここで黒田月水さんが琵琶を演奏した思い出の場所です。

ここからはもう1時間ほどでアストルガ―です。

今回はアストルガ―で2泊の予定。スパ、プールのある4星ホテルCIUDAD DE ASTORGAに宿泊しました

ホテルにチェックインしてアストルガーの町を散策してランチ。

そして2年前には行けなかったチョコレート博物館を訪れました。

ここではチョコレートの歴史、製作工程や生産と製造の世界分布などが実際の工具や写真で説明されています。

チョコレートのラッピングが色々と紹介されていて、昔は王様や貴族の絵を描いて包装していたようです。

その後、俳優や女優なども印刷されていてチャップリンの写真もありました。

野球選手のカードみたいな感覚だと思います。

面白かったのは、子供のアルファベットの勉強をかねている包装。

JのところにはJAPONESAとあり日本人女性の絵が描かれています

KのところではKAKEMONOと書かれて着物が絵が描かれています。

KIMONOがKAKEMONOと間違って伝わったのでしょうか

あとアジアではCで辮髪の中国人、Iでターバンを巻いたインド人が描かれていました。

当時のヨーロッパの人達の様子が伝わってきそうで面白かったです。

明日はガウディ建築の司長館の様子をライブ配信します。

 

行程

       ホスピタル デ オリビゴ 8時20分

09時00分 ビジャス デ オリビゴ

09時28分 サンティバネス デ バルデリグレシア

10時50分 サンオスト デ ラ ベガ

11時53分 アストルガ―

 

30日目 ガウディ建築 アストルガ―の司教館

30日目(令和元年9月19日)

アストルガ―滞在

ガウディの美しさ。アストルガー司教館からライブ配信

今日はアストルガ―でお休みの日。

ガウディの建築である司教館を訪れました。

この司教館は19世紀に火事で焼け落ちてしまいその後、司祭が友人で会ったアントニオ ガウディに建築の依頼がされたもです。

当時ガウディは設計図を描いたのですが、こういった建築はアカデミーの承認が必要で、そこから許可がおりず建築開始に時間がかかりました。

1889年から1913年にかけて建築が完成しました。

ガウディは当時はやったモダニズムを取り入れた建築を試みましたが、司祭が亡くなったため建築にストップがかかってしまいました。結果、ガウディはその後、建築から手を引き、別の建築家が後を引き継ぐことになりました。

当初は屋根に数多くにガラス窓が施される予定だったのですが、それには至らなかったようです。

柱がアーチ状に組み合わさり、万華鏡をみているような錯覚になります。

壁にはステンドグラスが配されていて美しく壁が光で浮かび上がります。

中二階から見た柱

そして、ステンドグラスのなかにこんなものを見つけました

やはり教会は石造り、まさに石工の作品です。だからこんな作為がされていても不思議ではありません。

科学者、建築家といった知識や技術を持った人たちがフリーメイソンを構成していたといわれていますので、

ガウディがフリーメイソンだったとしても不思議ではありません。

その証拠が見れたような気がしました。

いすれにしても、このカミーノの巡礼中にカセドラルや教会、修道院などを見てきていますが、そんなかでも一番印象になった建物でした。

 

31日目「小さな小さなセレクトショップ」アストルガ―からラバナル デル カミーノ

31日目(令和元年9月20日)

アストルガ―からラバナル デル カミーノ 20.7km

カミーノ巡礼31日目アストルガーを出発します

2日間滞在したアストルガーを出発。

振り返ると朝焼けのなかにカセドラルの尖塔が見えます

2年前はここから独りぼっちになったので、なんとなく寂しい印象があった道です。

4人でにぎやかに歩いていて急に一人になったので無言で歩いたことだけ覚えていて

周囲の風景は全く覚えていませんでした。

しかし、ガンソの村にはいり小さなお店の前に来た時に急に記憶が鮮明によみがえりました。

スロープと階段のある店

2年前は何も買わずに立ち去っただけでしたが、今回はお店に入り奥まで覗くことに。

すると可愛いものやいい感じのものが沢山あるではないですか。

小物入れやシャツやパンツ、アクセサリーなどセレクト感があるものばかり。

おまけに食べ物のメニューをみると美味しそうな取りぞろえ。

迷った挙句、初めて見た”トーストにトマトとアボ̚カド”を注文。

大好きなパンコントマテにアボカドが乗っかているという豪華版。

パクっといくと、いい塩加減のトマトペーストにアボカド、パンはサクッとしたバケット。

パン生地はオリーブオイルとトマトテーストの程よい水分でお気に入りのしっとり感。

もう感激!!

なんとこのお店に1時間半も滞在してしまいまいました。

お店を出るとすでに1時半。

太陽は高く上り強烈な日差しの中を1時間あまり歩いて目的地のラバナルデルカミーノに到着。

アルベルゲはNuestra Senora del Pilar。

選んだ理由はズバリ名前。聖母の光の柱という意味のアルベルゲ。泊まるしかないでしょうって感じ。

着いてみると、なんと2年前泊ったアルベルゲでした。

夕食はここのアルベルゲでラーメン&キムチ&ライス。結構おいしい!!!

夜の7時からは教会でグレゴリオ聖歌を拝聴して、今夜も平安に更けていきます。

行程

アストルガ― 07時13分

08時17分 ムリアス デ ラチバルド 09時13分

10時00分 サンタカタリナ デ ソマザ

10時57分 ガンソ 13時25分

14時48分 ラバナル デル カミーノ

32日目「雨の気配 エルアセボへ急げ!着いたらスパの郷褒美」ラバナル デル カミーノからエル アセボ

32日目(令和元年9月21日)

ラバナル デル カミーノからエル アセボ 16.8km

カミーノ巡礼32日目 雨の予感。エルアセボへ急げ

今日は雨の予感。天気予報は11時くらいから夜まで降水確率70%以上。

行程は17キロ弱なので4時間前後でいけるはず。

逆算すると朝7時に出て休憩なしに歩けば11時に着けるということになります。

ともかく7時5分に出発。まだ真っ暗で空の様子はわかりません。

1時間くらいで次の町フォンセバドンに到着。当初の予定ではこの町で朝食を食べる予定でしたが、

空が雲で覆われているので休憩なしで歩くことに。

ここはレンガ造りの家がならぶスキーリゾートのようないでたちの町。

カフェに入りたい衝動を抑えて歩きます。

だんだんと雲が濃くなっていき、標高もあがるので雲の中を歩くようになってきました。

ともかく急がねば。

カミーノの行程のなかでもちょっとした名所になっている鉄の十字架があるイラゴ峠に到着。

ここは昔、巡礼の成就を祈る祭壇があった場所で、その名残で地元の石を持ってきてここに願いを込めて置くという風習が伝わっているところです。

記念写真もそうそうに出発。

しかし、すぐに雨がぽつりぽつりと降り出しました。

ポンチョを着て再び歩き出します

マハリンという巡礼者向けのお店が1軒しかない村を通り、あと目的地まで7キロ。

下り坂を滑らないように気を付けながら、足早に歩きます。

とうとう眼下にエルアセボの町が見えてきました。

なんとか小雨の間に到着できたようです。

私たちが泊まるアルベルゲは町の端にあるアルベルゲ ラ カサ ペリグリーノ。

各国の旗が立っているホテルのような大きな施設です。

そういえば2年前もここに泊りました。

11時に着いたので受付の12時までカフェで待つことに、雨脚が強まっているので少しでも早く着けてよかったと話しているところにジャコ様がご降臨。

赤いジャコ様です。

いつもお世話になっているジャコ様に2礼2拍手1礼。

今日も雨の気配だったのでジャコ様にバックパックを運んでもらって大助かりでした。

ジャコ様神様仏様です。

部屋はコンパクトな8人部屋。

トイレ、シャワーもご覧んのとうりかなり立派です

このアルベルゲにはスパ&マッサージがあるのでチェックインして予約をすることに。

5人分が1時間づつできる余裕があったのですぐさま予約。

スパとマッサージを楽しみました。

雨のために急いできたご褒美を頂けたことになりました。

スチームサウナ、温水のミニプール(お風呂くらいの水温でした)水風呂、

そして写真の左側の木の椅子が実に気持ちがいいのです。

温熱の仕掛けがされていて、温熱の椅子に寝転ぶ感じなのです。

すっかり癒されてそのあとはカフェでゆっくり。

明日はポンフェダーラへ向かいます

行程

ラバナル 07時05分

08時15分 フォンセバドン

08時46分 イラゴ峠

09時18分 マンハリン

11時00 エル アセボ アルベルゲ ラ カサ デル ペルグリーノ到着

 

33日目「気持ちのよい道」エル アセボからポンフェラーダ

33日目(令和元年9月22日)

エル アセボからポンフェラーダ 15.8km

カミーノ巡礼33日目、ホテルのようなアルベルゲからライブ配信

エルアセボからポンフェダーラへ出発。

雨雲が立ち込める中を出発。雲の中を歩く感じですが、雨には降られずに進みます。

道は歩きやすく、涼しいので歩きやすいのです。

綺麗な山並み、少し紅葉しているように見える木々を見ながら快適な山道を下っていくと

リエゴデアンブロスという小さな村に到着。

途中で大きな木をみつけました。

木々の間を縫う道は歩きやすく、あっというまにモリナセカの町に到着。

美しい橋がかかるお洒落なテイストの町です

川沿いのレストランでランチ休憩をして出発。

2年前この町を通ったとき、道沿いでレコードのターンテーブルにバナナなどを載せてディスプレイしているお店がありました。今年はどうかと思て探してみたらやはり健在でした。

斬新なスペインの店先のディスプレイ

 

この町には四国のお遍路と縁があります。

アルベルゲ サンタマリナ(Molinaseca albergue santa Marina)

ここのおじさんはお遍路の普及と交流に貢献した人として遍路名誉大使に任命されています。

お遍路との交流を記念する碑があり

そして、この町には日西交流400周年を記念して香川県の仏師凡海(ぼんかい)さんが生きた木に観音像を掘られました

この生き木(いきき)観音はまるで動き出しそうなリアル感があります。

この緑の芝生に生えるくるみの木は公営アルベルゲ(albergue San Roque)の庭にあります。

実はこの生き木観音のアルベルゲを探している時に不思議なことが起きました。

どこかでここの名前を「Las Medulas」と書かれていた記事を見つけたのです。

そしてLas Medulasを調べてみると、全然違う場所が出てくるではありませんか。

しかしよくよく見てみると、そこに出てくる光景はまるでアメリカ アリゾナのセドナのような風景。

気になって調べてみると今日泊まるポンフェラーダからは車で30分くらいにある世界遺産。

ポンフェラーダでは1日の休養日をとっていたので、その日にLas Medulasに行くことにしたのです。

まさに観音様のお導きといっても過言ではありませんでした。

そうこうしているうちにポンフェラーダに到着。

ここポンフェラーダは我が町といった感覚の場所。

写真はテンプル騎士団の古城。

そうなんです、十字軍テンプル騎士団の創ったお城のある街なのです。

私はマルタ騎士団といい、テンプル騎士団といい、なぜか妙に「騎士団」が気になってしまうのです。

詳しく「しんごちゃんネル」でご紹介していますので見てみてください

 

行程

     エル アセボ  8時43分

9時23分 リエゴ デ アンブロス

10時45分 モリナセカ 13時15分

14時50分 ポンフェラーダ

 

34日目 セドナのような場所ローマ時代の金鉱ラス・メドゥラス

34日目(令和元年9月23日)

今日は1日ポンフェラーダに滞在するので、昨日偶然に見つけたラス・メドゥラスに行くことにしました。

ポンフェラーダからはタクシーで30分ほど。現地での滞在時間の待ち時間(2時間くらい)を含めて100ユーロで走ってもらいました。

ラス・メドゥラスとはローマ時代(1世紀)にローマ人がやってきて砂金の採掘をした場所です。

ここの砂金の採掘の方法が、山に水路を掘り、そこに山頂に作った貯水池から一気に水を流して山を崩落させ、そこの土からふるいにかけて砂金をとるというものでした。

そのため露出した赤い岩が奇妙な形で露出してて圧巻な景色を作り上げています。

ここは世界遺産に指定されてもいます。

詳しくはしんごちゃんネルをご覧になってください

ローマ時代の金鉱ラス・メドゥラス。スペインの世界遺産

35日目「眺めの良い道と天の恵み」ポンフェラーダからビジャフランカ デル ビエルゾ

35日目(令和元年9月34日)

ポンフェラーダからビジャフランカ デル ビエルゾ 22.9km

 

ポンフェラーダのホステルをまだ日の出前に出発。

大きい街ではお約束のように道を見失います。

お散歩おじさんが「カミーノはあっちだよと」スペイン語で教えてくれますが、どうも要領を得ないでいると

分かりやす所まで一緒に来てくれました。

カンポナラヤの手前で教会が開いていたのでちょっと覗くことに。

天井に最後の晩餐。丸みのある天井のアーチの間に書かれていました。

カンポナラヤでは2年前に泊ったアルベルゲのカフェで朝食をかねた小休憩。

この町を過ぎたくらいから、道の感じが良くなってきます。

ワイン畑の間を通るカミーノ。

途中で収穫をしている農家の方々がいらっしゃいます。

ここでみゆきさんがオーラ―と気軽に声をかけると、農夫の方が手招きをしてきます。

期待をしながらも近寄ると、ブドウを一房くださいました。

そこにすかさず、たまごちゃんが近寄るとおじさんが笑顔をうかべてさらにブドウのプレゼント。なんと赤いブドウを4房くらい頂きました。

食べながら歩くと、水分が豊富で喉を潤してくれます。

しばらく行くと緑色のブドウを収穫している農家さんと出会いました。

またオラーと声をかけると、こんどは美香さんに手から溢れんばかりのブドウをくれたのです。

私たちのほかに数組の巡礼者が歩いていたにもかかわらず、私たちだけにプレゼント。

やはり私たち光り輝いてる? あるいは物欲しげに見えるのか・・・

「嬉しいね」「ついてるね」などと話しながら歩いているとまた農家の前。

おじさんとお兄さんと1匹の犬が家の前にいます。

すると犬が近寄ってきて私の地下足袋の上に載って寝込んでしまいました。

じゃがんで犬をみんなで撫でていると、おじさんに呼ばれて近づくと手にいちじくが入った篭をもっていて「持っていきな」というそぶり。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! いちじく~

 

ぶどうと、いちじくを食べながら歩くとカカベロスの町に到着。

ここがまたいい街なのです

こんなかっこいい肉屋さんがあります。

さらにブドウ畑をあるくと、絵本のような風景

いよいよサンティアゴまであと200,2キロ

なんでちょうど200キロの表示を作らないのか疑問でしかたないのですが、ここはスペイン。

固いことは言わない言わない。

そして目的のビジャフランカ デル ビエルゾに到着したのです。

行程

      ポンフェダーラ 07時15分

09時15分 フエンタス ヌエバス

10時10分 カンポナラヤ 10時30分

11時48分 カカベロス

15時00分 ビジャンフランカ デル ビエルソ

 

36日目「カンタブリア山脈へ」ビジャフランカ デル ビエルゾからベガ デ バルカルセへ

36日目(令和元年9月25日)

ビジャフランカ デル ビエルゾからベガ デ バルカルセ 16.4km

カミーノ巡礼36日目「カンタブリア山脈へ」

今日は16.4キロの短い行程。

カンタブリア山脈への導入部分です。

ゆるやかな道で車道の横の歩道をずっと進んでいきます。

そういう意味では、面白みのない道なのですが、緑が多く日本の山のかなを歩いていると思ってしまいます。

村が小刻みにあるのであまり飽きずに歩くことができるのもいいです。

途中の町でサンティアゴまで178.8キロの表示が出てきました。

「あれ もうそんなにサンティアゴに近づいたのかな」と思うと、すぐ隣にこの碑

そこには190キロとかかれています。

「どっちやねん!!」

これもスペイン的

お昼前に目的地に到着。

12時前についたので、アルベルゲにチェックインできずにランチをすることに。

村に3件あるレストランを訪れますが、まだ早くてランチにありつけずカフェで時間をつぶします。

1時くらいになっても一方アルベルゲは開いているのですが人がいなく、勝手に荷物を置いて隣のカフェでランチを食べてると、アルベルゲにおばさんが出入りしているを見つけて、チェックイン。

なんだかとてもおおらかな村なのです。

チェックインしてから、また隣のカフェに戻ってこのブログを書いたりして

カフェには13時半くらいから20時くらいまで滞在しています。

なんとおおらなか。。。

スペインの田舎は優しいのです。

 

行程

ビジャフランカ デル ビエルソ 7時05分

8時15分 ペレへ 朝食休憩 9時10分

9時36分 トラバデーロ

11時00分 ラ ポルテラ デ バルカルセ

11時21分 アンバスメスタス

11時43分 ベガ デ バルカルセ

 

37日目「オセブレイロを越えてサリアへ」ベガ デ バルカルセからサリア

37日目(令和元年9月26日)

ベガ デ バルカルセからオセブレイロ(徒歩) 12km

オセブレイロからサリア(自転車) 42.5km

カミーノ巡礼37日目難関の峠へ

今日はベガの町から小さなま村々をとおり峠を登っていきます。

ここは急な坂が続きます。ピレネーに続く難関といわれている上り坂です。

ラグナデカスティージャを過ぎたところにカスティージャ・イ・レオン州とガリシア州の州境があります。

ここを過ぎるといよいよサンティアゴコンポステラのあるガリシア州にはいります。

そして、まもなく峠のオセブセイロに到着します。

この峠には数件のレストランとお土産物屋さん、アルベルゲがあります。

ガリシアに入ってきたと感じるのがケルトの文様があしらわれてたペンダントやバッジです。

このあたりには古代にケルト人が沢山居住していた場所です。

伝説の峠の教会からライブ配信

オセブレイロで宿泊する予定でした。

サリアから電車で1時間半くらいのところにオウセンセという温泉街があるのです。

2年前も昨年も行けなかったオウレンセ。

同行の方々に、もしここから自転車でサリアに行ったら2日間日程を短縮することができるので

オウレンセに1泊2日で行くことができるがどうでしょうかと提案してみました。

みんな行ってみようということになり、オウレンセでレンタル自転車をすることに。

これで40キロ先のサリアまで今日中で行けることになります。

峠からの下りなので、基本的に下り坂を自転車で降りていくので楽なのですが、

そこは山の中、ちゃんと登りもあるのです。これが辛い。

自転車で巡礼をしている人たちを多く見かけましたが、自分でやってみるととんでもなく辛いのです。

バックパックは車で送ってもらったので自転車に載せているわけではないので身一つなのですが、

きつい昇り坂は自転車を押して歩くほど辛いのです。

ギリギリまで自転車を漕ごうとするので息も上がり、巡礼中で一番心肺機能を使った1日でした。

なんだかんだでサリアに到着。

明日はオウレンセに行きます

 

38日目 スペインにある「日本的温泉」オウレンセの温泉と食事でご満悦

38日目(令和元年9月27日)

スペインに日本の温泉があった!!温泉街オウレンセからライブ配信

今日と明日は休養日。昨日オセブレイロから自転車で40数キロを一気に降りてきたので2日間の休養日となりまhした。

そこで今日から1泊2日でオウレンセへ。

オウレンセはローマ時代からの温泉があった町です。

ミーニョ川沿いにいくつもの温泉場が点在しています。

サリアからは鉄道で1時間半でオウレンセに着きます。

駅からタクシーでオウタリスという温泉場へ。

タクシーを降りて川沿いをあるいてから橋を渡り対岸へ。

橋を渡り切ったところに公的な温泉があります。

小雨が降っていたので、ここにはいるのやめて、5分から10分川沿いを町に戻る方に歩いて日本的な温泉の施設へ行くことに。

ついてみると「温泉」の文字が。

竹で囲いがされた道を通って施設の中にはいると、日本的なオブジェがいろいろ飾っています。

入場料は5.7ユーロで2時間の入浴時間です。

温泉の入り方もちゃんと説明されています

露天風呂や様々な温度の温泉があり、プールサイドにある寝るタイプの椅子もありゆっくりと寛げます。

マッサージもあり日本の日帰り温泉に似た施設です。

入り口にあるレストランもあり、メニューもヘンテコな日本語で書かれていて結構笑えます。

SOPA RAMEN TALLARIN ORIENTALを注文しました

どうにも「タラリン」が気になります。

タラリーンとしたのびたラーメンが出てくるのか・・・

と思いきやスペイン語のTALLARINは麺の意味。

出てきたのが↓

ラーメンです。具はあまりはいっておらず、スープは薄い味、麺は生煮え的な硬さでしたが、美味しくいただきました。

施設には打たせ湯やジャグジーもあり

巡礼の疲れをとるにはピッタリの施設ですのでお勧めです。

サンティアゴからも行けますので、巡礼終了後にいくともっとゆっくりできるかもしれません。

帰りは1時間に1本でている観光列車(鉄道ではないですチュチュ―トレインです)に乗って旧市街地のマヨール広場へ戻りホテルへ。

夕食はホテルから近いportovelloへ。

ここが大当たりでした。

いわゆる典型的スペイン風ではなく、かなりモダンな店づくり。経営者のいとこがアーティストで、彼が壁にペインティングをしたそうです。

店の造りもいい感じ。

料理もひと手間も二手間もかかっている

手の込みよう。どの料理も美味しかったです。

タコの料理はガリシアの名物なのです。一般的な凧料理はゆでだこにパプリカと塩とオリーブオイルがかかっているシンプルのものなですが、このお店はチーズとオイルが絶妙なバランスでタコを包んでいるのです。

サラダにもソテーしたキノコが入っていて、美味しいドレッシングがかかっていたり、

マッシュルームのクリームチーズソースはお皿まで舐めたいほど。実際パンを注文してお皿をピカピカにしました。

ツナのタタキは(TATAKI)とメニューに書かれていました

デザートのチョコレートケーキは大人の味、チーズケーキはガリシアのアールスアの名産チーズを使った今まで味わったことのない触感とテイスト。

サンティアゴケーキは小さなあしらえでしっとりしたココナッツとシナモンも風味が何ともいえない美味しさ。

もう満腹になりオウレンセ絶賛をしてホテルへ。

今日も幸せ!!

 

39日目 オウレンセのMeeting Pianoでたまごちゃんデビュー

39日目(令和元年9月28日)

カミーノ巡礼 オウレンセからライブ配信

今日はオウレンセからサリアに戻る列車が午後18時前だったので、町を散策することに。

カセドラルに入ると、ちょうどいいタイミングでパイプオルガンとバイオリンの演奏が始まりました。

ついているなあと思っていると教会の方がダメだよっていう身振り手振り。

ちょうどyoutubeのライブ配信をしていたので、配信をやめて教会の外にでることに。

どうやら午後の結婚式か何かの式典のリハーサルをやっているようだったのです。

カセドラルを出てマヨール広場のほうへ歩いていくとなんにイベントをやっている気配。

看板を見てみると

今日はオウレンセの街の4ヶ所にピアノが置かれていて、オープンビアノ的なイベントになっているのです。

マヨール広場は旧市街の中心で、ここにはステージとピアノが設置されていて、どうやらここがメイン会場のようです。

式典が行われているのを横目に市内の温泉が湧き出ている場所へ向かいます。

マヨール広場から暫く行くと公共の温泉(プールみたいです)が見えてきました。

プールの向こう側に行くと温泉が溢れだしている蛇口があります。
触ってみると、かなりの熱さ。
コップを持ってきて飲んでる人もいます。

そして、ここにもピアノが置かれているのを見つけたのです。

大学生らしき人や子供たちが代わる代わるにピアノを弾いています

なんとなくオープンな気配を感じたので、たまごちゃん(宮島暁子さん)に弾いてみたらと誘ってみたら本人はなんとなくその気になっている様子。

たまごちゃんがスタッフに聞いてみると、3時からの18分の枠が空いてるとのこと。

それなら弾いた方がいいよとすすめると、

たまごちゃんは意を決したらしくスタッフに走りよりブッキングをしたのです。

暫く時間があったのでランチをすることに。

3時に会場に戻るとピアノにバイオリン二人のトリオが演奏をしていました。

彼らが終わっていよいよたまごちゃん。

曲は久石譲さんの「天使の泉」

温泉が溢れ出す場所にふさわしい曲です。

動画をご覧ください

オウレンセの街ピアノ たまごちゃんデビューライブ配信

演奏が終わると一人のスペイン人女性が駆け寄って来てたまごちゃんを讃えます。
みゆきさんも美香さんも涙を浮かべています。

その後スタッフの女性も来て美しい曲だ、とたまごちゃんに感激の言葉をかけています。

シエスタの時間帯でもあり、聞いている人数は少なかったですが、魂を揺さぶったような演奏でした。

やはり、表現するというのは大切で偉大なことです。

しかも人に感動を与えるのは並大抵ではありません。

魂からの表現が聞く人の魂を震わせる、それを目の当たりにしたひとときでした。

たまごちゃんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

新規369会を東京、大阪で開始します

10月27日(日)11時より大阪で開催します。

大阪でのご希望の方はコチラ

★また大阪では11月26日にトーク会も行います

10/26(土)14:00~大村真吾 トークライブ♪@オレンジカウンティ・カフェ
(株)クラブワールドの代表取締役であり、スピリチュアルキュレーター大村真吾さん。訪問した聖地・パワースポットは国内外1,000ケ所以上。「人生が楽しくなる、元気になる」をテーマとした瞑想、散歩、海外旅行、セミナーを数多く主催されています。ちょうど、スペインの「カミーノサンティアゴ800㎞ 徒歩の巡礼」を終えて帰国されたばかりのタイミングで大村真吾さんをお迎えします。巡礼のホットなお話はもちろん、国内外のパワースポットや、スピリチュアルな世界を、芸人も真っ青な面白さで語り尽くして頂きます!
 
 【日時】 10月26日(土)
13時30分 受付開始
 14時00分 スタート  
(カフェは11:00オープンしておりますので、早目に来て頂いてのお食事可能です。)
【場 所】 オレンジカウンティ・カフェ 
大阪府富田林市宮町2-7-39 2F 
TEL 0721-70-7142
近鉄「喜志」駅徒歩7分
https://www.occafe.net
【参加費】  3,000円
(別途、お食事・デザート・お飲物等、おひとりワンオーダー以上お願いいたします。)

トーク会のお申込みはコチラ

 

11月14日(木)19時より東京で開催。新規募集いたします。

 

369会とは

「自分自身と繋がるレッスン」で、人生を豊かに

人生のなかで迷ったとき、多くの答えは自分の中にあります。369会(みろく会)では、潜在能力や直感力を開花させ「自分自身と繋がる」方法をグループで楽しみながら学びます。
自分自身(自分の本質)に繋がることができれば、心から望んだ願いを叶えることができるようになります。

ご自身の潜在する能力や直感力を開花していくワークショップです。

スピリチュアルキューレター、大村真吾が、アメリカネイティブアメリカンの儀式やバリ島での修行・儀式、インドでのアシュラムなど国内外で経験したことをもとに、リーディングや瞑想のやり方を楽しみながら学ぶワークショップです。369会は1年をとおして1ヶ月に1回、全12回のプログラムで行います。

リーディングはすべての人が持っている潜在的な能力です。

その使い方がわかれば、感性の幅が広がり受信感度がよくなります。

普段忙しい生活で見落としてします「内なる声」や「天啓」に気づきやすくなります。

同じ目的も持ったグループでリーディングのやりあったりすることで、

疑念を抱いていた自分の感性が確信に変わっていきます。

それらを面白おかしく笑いを交えてワークしていきます。 

グループレッスン内容

1回目:体に天と地のエネルギーを入れて循環させる瞑想
2回目:ハイヤーセルフとの繋がり方
3回目~9回目:第1チャクラから第7チャクラのリーディングと説明
10回目:自分の過去生リーディング
11回目:相手の過去生リーディング
12回目:イニシエーション

 

参加費は1回6660円(2020年1月より1回9630円に変更いたします)ですが、10000円をご持参ください。3340円のおつりをお渡しします。

その理由は初回でお話します。

 

 

★1000円で再受講できます。

 日時:2019年11月14日(木)より2時間

場所:クラブワールド セミナールーム

住所:東京都渋谷区恵比寿西1-32-26 ヒルクレスト代官山202

 TEL:03-6416-3705 FAX:03-6416-3709

お申込みは以下のリンクからお願いします

https://www.kokuchpro.com/event/34d1db61f02563ec7f19fc55a5420bb8/