こんにちは開運極楽パワースポット巡りのスピリチュアルキュレーターの大村真吾です。

今回はペルーボリビアのツアーに出かけていたことについて書いていきます。

テーマは「古代アンデス文明・インカ帝国の謎を探る旅~ミイラは見つかるのか?!~」です。

1日目(620日) 日本からペルーへ

成田空港を出発してヒューストンへ。

初めてヒューストン空港。

到着が早朝のためか、イミグレーションも空いていて、快適なアメリカに入国。いつもセドナやマウンシャスタに行く時はロスアンゼルスやサンフランシスコで入国に時間がかかり辟易するのと比べると雲泥の差。

しかもヒューストンといえばNASA。やはりNASAのショップがありまだまだ行きのトランジットだというのに買い物をしてしまう。

地図

そしていよいよリマ行きの飛行機に搭乗。北米から赤道を越えて南米へ。現地時間の620日午後11時くらいにペルーの首都リマに到着。

到着後、迎えのバスに乗ってリマの新市街のホテルへ。

2日目(6月21日)リマからクスコ、インカ帝国の遺跡オリャンタイタンボへ

早朝にチェックアウトをして空港へ。クスコ行き搭乗。朝早いフライトにもかかわらず満席。

アンデス

飛行機の機内から見えたアンデスの山

海抜数メートルのリマから標高3700メートルのクスコに到着。

クスコ空港

インカ帝国的な装飾のクスコ空港

やはり空気が薄い。頭が何となく痛いし、一気に話すと息切れがする。

富士山登山で歩きながら3800メートルに登っても高山病になる場合があるのに、飛行機で1時間という短時間で3800メートルも上がるのだから当然だ。

クスコは石組みの街。目を瞑って壁を撫でたら繋ぎ目がわからないほどの成功さ。

壁

インカ帝国は1438年から始まりクスコはその首都でした。

1400年代にこの石組みが作られたとしても驚きだが、実は石組みの歴史はもっと古い。

インカ帝国以前をプレインカと呼び紀元前まで遡るアンデス文明はまだまだ解明されていなく、発掘されていない遺跡がねむる未知の世界だ。

クスコから郊外にあるサクサイワマン遺跡を訪れる。

ここの石組みは巨大でかつ繊細だ。クスコ市内の精巧さを巨大にしたもので且つ太陽の向きも考慮にいれた圧巻の遺跡である。

サクサイワマン

そこからケンコー遺跡に足を延ばす。ケンコーとはケチュア語で迷路を意味する。

岩の中などに作られた細い道がスペイン人には迷路に見えてケンコーと命名された。

しかしケチュア人にとって、そこは迷路ではなく再生の場所であった。

魂の癒しの場所であるケンコーは今も訪れた人に癒しをもたらす。

ケンコー遺跡

ケンコー遺跡

しんごちゃんネル「癒しの場所健康?ケンコー遺跡ペルーの聖地

そして最後にタンボマチャイを訪れた。ここは泉が湧き出る聖地だ。

インカ帝国の当時、王や王妃が沐浴をした場合とされている。

しかしその源泉がどこにあるかは今も定かではない。当時の建築家だけが知っていたと言われている。

タンボマチャイ1

タンボマチャイ2

そしてマチュピチュへの列車の始発の街オリャンタイタンボに宿泊をした。

3日目(6月22日)

インカ鉄道に乗ってマチュピチュへ。アンデス インカ帝国の空中遺跡「マチュピチュ遺跡」

列車でオリャンタイタンボからマチュピチュへ。

列車

しんごちゃんネル「天空の遺跡マチュピチュへ。ペルーレイル鉄道の旅

この鉄道は線路は国有で、インカレイルとペルーレイルの二社で運営されている。

天井までクリアなガラスで出来た車輌はマチュピチュ村に向けて標高を下げていく渓谷の展望を約束してくれる。

時に見える氷河を頂いたアンデスの山々を見ながら約2時間でマチュピチュ村に到着。

ホテルのポーターに荷物を預けてマチュピチュ遺跡へ行くバスに乗る。長い行列を待ちやっと乗車。つづら折れの急坂を登ること20分ほどで遺跡の前に到着。

マチュピチュ1

マチュピチュ遺跡に入るには事前の予約が必要だ。入場制限は厳しくチケットとパスポートが一致しないと入る事ができません。

マチュピチュ遺跡のゲートを通り、左方向に進み石段を登っていきます。

リャマが草を食んでいる脇をとおり、遺跡の上部に上がっていきます。

マチュピチュ2

この先に太陽の門があり、マチュピチュとクスコを繋ぐインカ道があります。

マチュピチュ4

またマチュピチュ峰にのぼる登山道もあります。

上部にいくと遺跡を見渡せる場所にでます。

マチュピチュ3

この辺りまでくると人も減り、ゆったりと遺跡やワイナピチュ峰、ウルバンバ川の谷を眺めることができます。

一番奥までいくと瞑想をすることも可能です。ぜひここまで足を延ばしてひと時を楽しんでみてください。

マチュピチュ遺跡のなかには多くの見るべき場所があります。

たとえば壁に空いている置物台のような穴があります

マチュピチュ5

一般的には物置的な解釈がされていますが、この穴の中に顔を入れて声を出してみます。

高い音を出すのと、そのままに聞こえるのですが、

低い音を出すと、音が増幅して大きく聞こえるのです。

マチュピチュはアンデス山脈の中に在り、この地帯は昔から地震の多い場所でした。

地震の発生、つまり地鳴りのような低い音がした場合、ここが音が増幅して地震を知らせる働き

があったのかもしれません。

あるいは、ある一定の周波を建物から逃がすような免振の役割を果たしたのかもしれません。

また意味がわからない窪みもあります

マチュピチュ6

上の写真は「石臼」と呼ばれている窪みです。

これは水を貼り太陽や月あるいは星を映したのではと考えられます。

天文学的な装置であると思われる一方、それらのエネルギーを水に転写して人間が天体のパワーを授かる場所とも考えられます。

まだまだたくさんマチュピチュの中には解明されていない秘密が沢山あります。

しんごちゃんネルにも動画をアップしたので見てみてください

一般の切り口とはちょっと異なる「マチュピチュ遺跡」

マチュピチュ村に下山して遺跡の感動を語らいながら夕食。

マチュピチュの夜が更けていきます

 

4日目(6月23日)マチュピチュ峰登拝、オリャンタイタンボ遺跡。

今日は2組に分かれて行動。私はまさこさんと共にマチュピチュ峰へ。もう一組はマチュピチュ村散策。

マチュピチュ遺跡の両側にはマチュピチュ峰とワイナピチュ峰がある。

共に1日の入山者数が規制されている。なぜかワイナピチュ峰の人気が高く予約が取れない事も多い。

今回はワイナピチュ峰の予約がとれず、マチュピチュ峰に登拝することになった。

マチュピチュ7

マチュピチュ遺跡標高2430メートル

ワイナピチュ峰は標高2720メートル

一方マチュピチュ峰は3061メートル。

昨年はワイナピチュ峰に登ったので今年マチュピチュ峰に登ると2つの頂きから遺跡を見たことになる。

マチュピチュ峰はワイナピチュ峰より緩いと言われている。

確かに急な階段はワイナピチュの方が長く、段差も激しいかもしれないが、マチュピチュ峰もかなりの登りである。

マチュピチュ8

しかし行程中や頂上で眺める光景はその代償に値する。

遺跡とワイナピチュ峰を眼下に見る光景は素晴らしいし、氷河のアンデス山脈も絶景だ。

マチュピチュ9

しかも、何故マチュピチュ遺跡があの場所に出来たかが分かる気がする。

渓谷の下からでは、そこに街があったことすら想像出来ないがマチュピチュ峰から見ると実に理にかなっているのだ。

マチュピチュ10

下山をしてマチュピチュ村から再び列車にのりオリャンタイタンボへ。

列車の中で職員達のファッションショーが始まる。

今まで飲み物や軽食を配っていた職員が賑やかな音楽と共に様々な服に着替えて通路をモデルの様に歩いていく。

この服やストールは車内販売されていて、ショーはいわゆるプロモーションだ。マチュピチュ11

マチュピチュ?オリャンタイタンボは数種類の列車があるが、ファッションショーがあるのは私達が乗った列車だけらしい。

そういえば昨年の列車ではやっていなかった。

オリャンタイタンボ駅に着きガイドのカルロスさんの計らいで今でも遺跡の中で暮らしている民家を訪れた。

マチュピチュ12

道の上に光る宵の明星

このオリャンタイタンボの遺跡の町は宵の明星が見える方向に町の道が出来ていると言う。なんともロマンティックかつ天文的だ。

遺跡には当然人が住んでいた訳で、そのまま今も住み続けているので石組みの家の中は当時のままである。

マチュピチュ13

壁には柔術的なものがずらりと並んでいる。

先祖の骸骨が祭壇に置かれ、リャマやアルパカの胎児の干されたものも飾られてる。

しかし、決して気味悪い印象は不思議となかった。

遺跡の中で、往年と同じように信仰とともに生きているという伝統を感じることができた。

しんごちゃんねる「遺跡の中で暮らす人々。インカ帝国の様子が伺えるオリャンタイタンボ遺跡に住む人々。」

をアップしていますの見てくださいね

オリャンタイタンボを後にしてクスコへ向かう。

 

5日目(6月24日) クスコ 太陽の祭典インティライミとラクチ遺跡

今年の夏至は6月22日だがペルーは南半球にあるので冬至となる。

太陽を崇拝しているインカの人々にとって冬至は1年で最も重要な日といっても過言ではない。

当時からその日のお祭りをインティライミと呼び毎年6月21日から24日の間に開催してきた

しんごちゃんネル【インカ文明の冬至の太陽の祭典「インティライミ」 南米三大祭り】 

インティライミ

スペインに統治された時期はキリスト教化の為に厳しく規制されていたが、水面下で継承されて1900年から再び復活を遂げた。近年は毎年6月24日に固定されて開催されている。

ガイドのカルロスさんの機転で太陽の神殿から出てくる儀式の行列を見ることが出来た。

インティライミ2

神殿から演説をする王と側近のシャーマンとのやりとりも目にすることが出来たのは非常にラッキーだった。

インティライミは夕方までアルマス広場、サクサイワマン遺跡と場所を変えて行われるが私達はチチカカ湖畔の町プーノへ。

途中でバカでかいパンを買って食べる。

パン

インカでは町々に仕事が決まっていて、パンを作る町、煉瓦を作る町、陶器を作る町などなど役割が決まっていたそうだ。

今もその役割が伝統となっている。ちなみにクスコの市場で見られるこの大きなパンは、この町の人たちが売りに来るらしい。

このパンは有名なのでプーノやその他の手に入れる事が出来ない町にお土産で持っていくと喜ばれるという。

次に訪れたのがラクチ遺跡。

ラクチ

城壁のように見えますが、これは建物の中心で、この左右に柱があり(円柱の列が柱の跡です)その上に屋根がつていたそうです。

このラクチがクスコ周辺に住むケチュア族とチチカカ湖周辺に住むアイマラ族の境であったそうです。

このラクチ遺跡はインカ帝国(ケチュア族)のもので、アイマラ族に対しての威容を見せるためのものでもあったそうです。

しんごちゃんネルを見てみてください「インカのラクチ遺跡が凄い!&ラクチ教会の最後の晩餐とは?」

このラクチ遺跡には教会があります。

ラクチ5

いうまでもなくスペインがキリスト教化するためにラクチに作ったもので、ラクチがキリスト教であった訳ではありません。

この教会も壁画がいかにもペルー的なのでご紹介したいと思います。

ラクチ2

最後の晩餐の絵ですが、この晩餐がアンデスの重要なたんぱく質である「クイ」なのです。

ラクチ3

実際のクイはこんな感じです

ラクチ4

 インカ帝国を作ったのはクスコを中心としたケチュア族でした。

彼らはクスコから北部へ勢力を伸ばし今のコロンビアあたりまでを支配下に置きます。

その後南へ勢力を伸ばしますが、チチカカ湖から南にいたのがアイマラ族でした。

アイマラ族の方がケチュア族よりも起源が古いともされ、大きな勢力を持っていました。

アイマラ族はケチュアに対抗するよりは経済的な関係を結んだようで、心理的には独立心が旺盛だったようです。

だからこそ、このラクチ遺跡が創造されたといわれています。この遺跡では多くの神官や巫女たちが居住し、その周りには食料貯蔵庫や一般の住民が多く住んでいたそうです。

今もクスコ周辺の人達はケチュアの流れをくみ、チチカカ湖周辺はアイマラの流れをくむ人たちが住んでいます。

ちなみに私たちのガイドのカルロスさんはケチュア族だと言ってました。

彼曰く性格・気質も違うとのことです。

クスコからチチカカ湖畔の町プーノに行くには標高4335mのララヤ峠を越えていきます。ラクチ6

この峠にはリャマやアルパカで作った小物や敷物がお土産で売られています

ラクチ7

ラクチ8

4300mを越えるのでちょっと 息が苦しいなあ・・・と思いながらもいつも買い物をしてしまいます。

そして夕刻チチカカ湖畔のプーノに到着します。

 6日目(6月25日)チチカカ湖の隠された意味とは? タキーレ島とウロス島

 朝、朝食を終えてホテルの前にある桟橋へ

チチカカ1

 ここからボートに乗りウロス島へ。

チチカカ2

ウロス島とはチチカカ湖に浮かぶ人口島のことをいいます。

チチカカ湖に自生する葦で作られています。

葦を刈り取りブロックにして束ねたものを3mくらいに積み上げて、さらにその上に乾燥した葦を敷き詰めて島を作っていきます。

チチカカ湖にはこのような島が300ほどあり、一つの島に4家族ほどが生活しています。

島に行くと民族衣装を着たり、島の作り方などを教えてくれます

チチカカ3

学校や集会所がある島もあり、彼らはボートで行き来をしています。


僕たちも観光用になっているボートで他の島へ移動しました

チチカカ4

このボートの動力源は「人」です。

チチカカ5

上には僕たち5人が乗り、船全体の重量もあるのでかなりの重労働をご夫婦の漕ぎ手が島まで運んでくれました。

次に向かった島がタキーレ島です。

チチカカ6

チチカカ湖はペルーとボリビアにまたがる大きな湖です。

60%がペルー領、40%がボリビア領で周囲が1125KMという大きな湖です。

高度も3812mで汽船が運航されている世界で最も標高の高い湖といわれています。

チチカカ湖と琵琶湖を比べてみました。チチカカ7

チチカカ湖 大きい! 高い! 深い!

このチチカカ湖のペルー側の中央に近い場所に位置するのがタキーレ島です。

この島は波が高いと行けません。事実私は昨年途中まで行ったのですが、湖が荒れて高波となり

途中で断念して引き返したほどでした。タキーレ

タキーレー島は「タキーレ島とその織物技術」としてユネスコの世界無形文化遺産として登録されています。

住んでいる人たちはケチュア族、チチカカ湖周辺から南のボリビア以南にわたる広大な地域はアイマラ族の

住むエリアなのですが、ここタキーレ島はケチュア族の人達がずっと住んできた島なのです。

タキーレ2

ボートがつく港から島へはいるゲート。

ゲートの上に載る顔はリーダーを示しています。つまり3人のリーダーという訳です。

タキーレ島には一つの村に3人のリーダーがいて、合計6つの村があるので、合計18人のリーダーにより運営されていることになります。もちろんスペインの法律の下にあるわけですが、日常の生活のまつわることは、このリーダによる合議によって運営されているのです。

タキーレ4

港からはずっと急な登り路が続き島の頂上にあがっていきます。

おもに人々の家や村の施設は島の上部にあります。

これらの村々をはじめ観光客の受け入れ、宿泊施設、食事の施設、おみやげ物などすべてリーダーの合議のもとコミュニティで運営され、持続可能なモデルを実践しています。

島の頂上に近い広場に唯一ともいえるおみやげ物の施設があります。

タキーレの産業は織物なので、それらを販売する施設です。

タキーレ5

タキーレ3

 競合がないように一か所しか販売施設はありません。

看板もなく、cafeやレストランがあるわけでもありません。

商売っ気が無さすぎるくらい静かな島です。

日本の世界遺産に選ばれた地域とは正反対です。

織物の島だけあって、老若男女が糸巻きや織物しています

タキーレ6

タキーレ7

しばらくの滞在中に何組もの外国人観光客も島にやっていました。

島の観光に対する考え方が静的なので、来る人達も粛々としているように見えます。

観光で金銭獲得に不毛な競争をして、外観や文化を損ねているとは対極の姿を見せつけられました。

再びボートに乗りプーノへ。

今晩は明日の次元の扉を訪れるための事前の儀式をすることになりました。

シャーマンのシルビアさんのコカ博物館に行き、セレモニーを行います。

プーノ1

自分の悪い思い出やネガティブな思い、トラブル案件、もつれた人間関係などを一つづつ解消や解放をイメージして黒いトウモロコシのひと粒づつに息を3回吹きかけて、上の写真の広げられたところに置いていきます。

生まれてからのこととなると次から次に思い出し、おかわりのトウモロコシをもらったくらいです(笑)

プーノ2

そのあと、お菓子で作った人形(これが様々な人生のシーンをあらわしています)持ちに自分のビジョンを描いて、また息を3回吹きかけていきます。

これをすべての人生のシーンで行い儀式は終了しました。

明日の次元の扉ではネガティブが解消され、浄化されたものとして次元の扉に向かうことになります。

昨年に引き続き2回目の次元の扉、楽しみです。

7日目(6月26日)次元の扉での儀式と、国境を越えてボリビア、コパカバーナからラパスへ

夜明け前にホテルを出発。

ちょうどチチカカ湖畔を車で走っているとチチカカ湖から日が昇ってきました

次元の扉2

しばしチチカカ湖の日の出を堪能して次元の扉へ向かいます。

しんごちゃんネル「最強スポット。ペルー「次元の扉」アラムムル~浄化と再生と異次元のゲートウエイ~」 

次元の扉 現地の言葉では アラムムルといいます。

ここはアイマラ族、ケチュア族にとってとても特別な場所なのです。

次元の扉

ここでも昨晩に続き儀式をして、一人ずつ次元の扉に直面していきます。

次元の扉3

中央の扉に行く前に左右の縦長にスリットで最後の感情のリリースを行います。

そしていよいよ次元の扉へ。

ここである意識状態に自分を置くと、岩の中に同化していくような感覚になっていきます。

肌がざわつような感じがして、ちょっと宙に浮くような感覚。

細胞レベルに意識を深化させていき、次に岩を透過するように意識を拡大させていきます。

次元を超えていくかのような感覚にとらわれますが、すっと意識が現実にもどり岩から離れました。

そのあと、岩から離れて瞑想をしていたら岩の扉が開いてクマのぬいぐるみのような物体が出てきました(あくまでも瞑想上の事です。だけどあの存在は何だったのだろう??)

次元の扉からボリビアへ。

国境

30年ぶりのペルーからボリビアの国境越え。

いつも陸路で国境を超えるときはワクワクします。

チチカカ湖のボリビア側の町コパカバーナへ。

コパカバーナ

美しい湖畔の街です。30年前とはかなり様子が変わっていました。

ここはケチュア族のインカ神話で最初の王にあたるマンコ カパックに関係する場所です。

諸説ありますが、チチカカ湖から生まれて地下の洞窟を通りクスコに向かったといわれています。

コパカバーナ2

マンコ カパックと王妃

コパカバーナをあとにしてボリビアの事実上の首都ラパスへ向かいます。

8日目(6月27日)マジカルなウユニ塩湖へ アンデス文明のミイラ発見か

早朝ホテルを出て空港へ。

空路ラパス空港からウユニへ。

ウユニ1

早朝のフライトだったのでウユニの街のカフェでしばらく休憩。

その後ウユニ塩湖へ向かいます。

途中で鉄道の墓場に立ち寄りました。

ウユニ2

 

ボリビアは鉱物資源が豊富で、それらを運んでいた鉄道だそうです。

今も鉄道は使われていますが、この墓場はこの地帯を操車場にする計画が頓挫したと言っていました。

この時初めて知ったのですが、ボリビアは隣のチリと国交がないそうです。

1879年から1884年にかけでボリビアとペルーの同盟とチリの間で戦争がありました。

地下資源を巡る争いだったのですが、チリが勝利しペルーの南部とボリビアの海岸部分がチリ領になったのです。

ウユニ5

戦争前の領土(黄色いボリビアの部分は太平洋に面しています)

ウユニ6

現在の領土

戦争後ペルーとチリは国交を回復しましたが、ボリビアとチリはまだ回復していないのです。

ちなみにボリビアとアメリカも国交がありません。

ところで

面白い形の帽子があったので思わず買っちゃいました。

ウユニ4

宇宙と交信するアンテナみたいです。

この形はこの辺りでしか売ってないようです。

いよいよウユニ塩湖へ

塩湖に行く前に長靴を調達して、水が湧き出ているところへ。

ウユニ7

 

水をなめてみましたが、当然ながらしょっぱかったです。

そこからしばらく行くと一面の白い世界

ウユニ8

ウユニ塩湖(ウユニ塩原)は標高約3,700メートル (m)にある南北約100キロメートル (km)、東西約250 km、面積約10,582平方キロメートル。チチカカ湖よりも広い面積を持ちます。

ウユニ9

塩湖の塩は数十mの層になっています。その塩の層を取り出してブロックにしています

ウユニ10

この塩のブロックを重ねて塀にしたり、建物を作ったりもしています。

塩でできたホテルもあります

ウユニ12

PALACIO DE SAL

これ見てなんだかわかりますか?

ウユニ13

部屋の天井なのです。

なんだかヴォルテックス感満載。

しかも塩で出来てるので浄化効果もあってスッとした感覚になれる部屋です。

ウユニ14

もちろんスパ施設もあります

ウユニ15

ウユニ16

次回はスパも楽しみたいです。

今回は塩湖の中を250KMあまりを四輪駆動で走破。塩湖の中は見渡す限り白い世界、しかも道がないのでガイドと運転手がいなければ、まったくどこに行けばよいのかわかりません。

レンタカーで走る人達が稀にいるそうですが、塩の薄いところを走って湖の中に落ちてしまうそうです。

塩湖の上でのランチ

ウユニ11

もう最高です!!!

塩湖の中に在るインカワシ島へ。

塩の湖なのに、ここにはサボテンが生えています

ウユニ17

トレッキングの道があり15分くらいサボテンの間を登って島の頂上まで行くことができます。

ウユニ18

そして対岸の村へ。

そこでは、周辺の人達の営みを知ることができます、何種類ものキヌアをすりつぶしていく道具などが見れます。

小さなその集落の原っぱみたいなところに連れていかれると洞窟があります。

ウユニ19

のぞき込むと

えっつ!!!!

そこにあるのは・・・・

ミイラ!?

ウユニ20

そうです。ここはこの集落の首長クラスの人のお墓だそうです。

数百年前のお墓がいまも残ってるのです。

アンデスといえばエジプトのようにミイラが話題出たりもしますが、博物館ではなく、こんな身近にミイラを観れるとは思いもしませんでした。

そしてウユニ塩湖ではやっぱり写真

ウユニ21

ウユニ22

ウユニ23

そしてマジカルな動画もとりました。コチラからご覧ください↓ ↓ ↓ ↓

マジカル★ウユニ塩湖

夜は真っ暗なウユニ塩湖でスターゲージング。空一杯の天の川の中から探す南十字星。

どこの星と星をつなぎ合わせればよいか分からないくらい一面の星屑。

美しすぎる・・・

ウユニの一夜がふけていきます。

9日目(6月28日)空中都市ラパスのロープウエイとアンデス文明「ボリビアの次元の扉ティワナク遺跡」

早朝にウユニ塩湖からラパスへ。

ラパスの空港から予定になかったスポットへ行くことに。

というのもペルーの次元の扉に行ったとき、アイマラのシャーマンが

「もうひとつの次元の扉がある、それはティワナク遺跡だ」と言っていたのです。

ティワナク遺跡は当初の予定には入っていなかったので、昨日ボリビアのガイドにアレンジをお願いしていたのです。

それが叶って予定を変更してティワナク遺跡に行くことになりました。

ティワナク文化は紀元前2世紀くらいから紀元1100年くらいにあったとされています。

スペイン入植の際に徹底的に破壊されたので全容は残っていません。

しかし、その面影を感じることはできます。

 ティワナク

ティワナク遺跡はかなり広く遺跡の中心部は4.2キロ平方メートル、周辺を入れると6キロ平方メートル

もあります。

上の写真は中心のカラササヤと言われる長方形の敷地の門。向こうにモノリート。

ティワナク4

これが門の向こうに見えた立像です。

カラササヤの隣には半地下状になった広場があります。

ここの四面の壁には人の顔の彫刻が施されています

ティワナク2

この顔はティワナク周辺の部族(村)を表しているといわれています。

色んな顔があるのですが、一つだけ異質なものがあるのです。

それは

ティワナク3

いわゆるグレイのように見えませんか?

現地のガイドが宇宙人のように見えると言っていました。

見れば見るほど宇宙人に見えてきます。

他の彫刻の顔とは素材も違うようですし・・・謎は深まります。

カラササヤの中に入ると、太陽の門があります。

ティワナク5

これが復元された太陽の門。場所も本来あるところとは違っています。

前述の門と一直線上にこの太陽の門もあったといわれていますが、スペイン人により破壊され

今ある場所に残骸があったので、その場所に復元されたとのことです。

この太陽の門がシャーマン曰く「次元の扉」です。

ティワナク6

これが中央の神を現しているといわれる部分の拡大図。

この神は宇宙神とも考えられます。

その周りにいるの存在はよく見ると顔が人間で姿が鳥。 鳥人間です。

これらは眷属的存在なのでしょう。

宇宙神と大地をつなぐ眷属たちが鳥人間。

この鳥人間は宇宙と地球を行き来したのでしょうか。

そうなると、先ほどの宇宙人てきな彫刻の顔の部族がいたことがリアルに見えてきます。

分かりやすく絵にしたものです

ティワナク7

ティワナクから出土した素晴らしいものもあります

ティワナク8

ティワナク9

このように儀式で使われていたのでしょうか

ティワナク10

なんだか凄く魅せられます。

ティワナク遺跡のすぐ近くにもうひとつ凄い遺跡があるから行こうとガイドさんに誘われます。

訪れた場所はピューマの門です

プーマの門

インカでは世の中を「天上世界」「地上世界」「地下世界」3つの次元で分けています。

天上世界の象徴はコンドルで天界を現します。

地上世界の象徴はプーマで現世を現し

地下世界の象徴は蛇で冥界を現すとされています。

天空の遺跡ともいわれるマチュピチュにはコンドルの神殿があり、マチュピチュ自体もコンドルの形をしています。

またクスコの街はプーマの形をしているといわれています。

またティワナクでは

天界には光のプーマと光の蛇がおり

地上界には普通のプーマと普通の蛇が

冥界には特殊なプーマと蛇がいるとされています。

プーマというのはコンドル同様、アンデスで生きる人たちにとって特殊な存在のようです。

このプーマの門には石をくり抜いた文様がみられます

プーマの門2

驚いたのがこの石です

プーマの門4

一直線に削られています

プーマの門5

上からみるとこんな感じ、細くてまっすぐです。

一体どのようにして作ったのでしょうか。

ティワナク遺跡、プーマの門からラパスへ戻ります。

ラパスはボリビアの首都機能を持ったボリビアのボリビア最大の年です。

空港のある辺りはアルトラパスと呼ばれ、標高は約4060メートル。

一方のラパスの市街地は標高約3640メートル。

なんと400メートルも標高差があるのです。

 ラパス4

その400mの高低差にロープウエイがかかっていてアルトラパスとラパス市街地を結んでいます。

ラパスには地下鉄はなくロープウエイが公共の足になっています。地下鉄ならぬ空鉄です。

ロープウエイはラパス市内に10本も張めぐされていています。

ラパス3

路線ごとに色分けがされていて、乗り換えができるターミナル駅もあります。

ラパス5

東京のラッシュを考えるとこのロープウエイで通勤通学するのは快適ではないでしょうか。

まず景色がいい!! そしてゴンドラには定員があるので寿司詰めにはならない!

これだけでもかなりストレスが軽減されます。

ロープウエイ乗車の様子をしんごちゃんネルにアップしたので見てみてください。

ボリビアの地下鉄がわりのロープウェイからライブ配信

ラパス市内を散策。

ガイドのカルロスさんが占い師のところに行きましょうというので

一同大賛成で行ってみることに。

するとそこは占い師の館ではなくて、占いグッズのお店でした。

占いと言っても、いわゆるシャーマニックなことに使うものを売っているお店です。

儀式に使う人形や神様をあらわすモノが並んでいます。

ラパス8

ラパス7

生薬のようなものもカラフルな箱に入っていて

ラパス10

媚薬的なモノや異性を引き寄せるモノ、アルコール依存を辞めさせる薬、

メンタル改善、悪口予防などさまざまです。

リャマの胎児やひな鳥の干したものもあります

ラパス6

こんなグッズがウナギの寝床のような店内に所狭しと床から天井まで並んでいるのです。

もう怪しさ満点です。

その様子を動画にしたのでご覧ください

そして、ラパスを案内してくれたギドさんというボリビア人のガイドさん。

初日にあった時から、かわった帽子をかぶっていたり、髭を結んで染めていたり、龍のTシャツをきていたりと

普通のガイドとは違うなあ・・・と彼の事を思っていたのです。

ラパス11

ペルーからのカルロスさんがいるのであまり話すこともせず、どちらかというとぶっきらぼうな感じ。

だけど、時々大事なことを話すみたいなアーティスト的なガイドさんでした。

ボリビアは色んな鉱石がとれてボリビアニータというシトリンとが混ざった天然石などが有名なのです。

だからよい天然石のお店に連れて行って欲しいとギドさんにリクエストをしていました。

彼が案内してくれたお店はラパスの市街地からかなり離れたルナバレーというエリアを越えた一軒家でした。

お店ではなくアーティストの工房でそこのオーナーが陶器を作り、娘さんがアクセサリーを作っているところでした。

さすがギドさん変わったところに連れてくるなあと思っていたところ、

最後にペルーからのガイドのカルロスさんとギドさんがなにやら話し込んでいます。

何話してるの?と聞いたところ

カルロスさんが「ギドさんの本当の職業はシャーマンだそうです」というのです。

ギド

やっぱりそうなんの、なんか変わってると思ってたんだよ。

それならもっと早くに行ってくれたら色んなリクエストしたのに・・・と。

夕食にギドさんにも来てもらって、いろいろ聞くと彼の父親も祖父もシャーマンだったとのこと。

そういえば昨年もチチカカ湖のガイドさんが今回もお世話になった女性シャーマンのシルビアさんで、

今回はボリビアのガイドがシャーマンだったのです。

話してみるといろいろと面白いので次回もギドさんにシャーマニックな場所に連れて行ってもらう約束をしました。

こんなにシャーマン引き寄せ率高し。

 

 

10日目(6月29日)ラパスからリマ、そして再びのクスコ

ラパスからリマにもどりリマの市内観光。

なんとランチタイムに天野博物館の阪根先生が来てくださいました。

阪根さんとは東京でお会いしたことがあり、ペルーの考古学だけでなく、世界中の古代文明に詳しく、

しかもスピリチュアルなことにも理解をしめしてくれるとっても面白い方なのです。

昨年もお世話になり、今年は予定があわなかったのですが、なんとランチに来てくださったのです。

阪根さん

しかも阪根さんならではの情報を教えてくださいました。

それは

ミイラ

またまたミイラ出現!!!!

しかも

ただのミイラじゃありません

それは

宇宙人のミイラ

驚愕

阪根さんは考古学の専門家です。

その坂根さんが「これは宇宙人の可能性がある」とおっしゃるのです。

もうテンションMAX

いやいや最後の最後にまたしても大見世物に遭遇でした。

最後とは書いたものの、ツアーはこの日のリマで終了だったのですが

私は再度クスコに戻ることになっていました。

というのも「アヤワスカ」という南米の儀式につかう植物でシャーマニックな体験をしたかったからなのです。

リマから飛行機でクスコに飛び再び3000mを越える世界に戻りました。

アヤワスカは飲むと激しい吐き気を伴いながら様々なビジョンが見えるというものです。

?ネイティブアメリカンにもサボテンの一種を飲んで同じような現象になるものがありますが、

アヤワスカの方が幻想的な世界を見るといわれています。

私は以前からアヤワスカで超常的な世界を見てみたいと思っていました。

そして今回、滞在を長くしてアヤワスカをすることにしたのです。

しかし、それにあたり医者の健康診断や付加をかけた心電図が必要であることなど準備が色々と必要でした。

日本ではスケジュールが合わないのでクスコで診断を受けるということにしていたのですが、

日本出発の数日前に、そのお医者さんが出張にいくので診断をすることが出来なくなったので

日本で診断と心電図をとってくるようにと連絡があったのです。

付加心電図をとってくれる病院を急遽さがして、出発の前日に診断を受けて

当日に診断書ができあがるというギリギリのスケジュールでした。

ところが、心電図を送ってみると負荷が足りないとのこと。

だからアヤワスカは出来ないと断られてしまったのです。

これが分ったのが最初にクスコに着いたとき。

その後、違うアヤワスカリトリートを探すということになったのですが・・・

日にちは遡ってチチカカ湖での出来事です。

ここでシャーマンのシルビアさんにコカ占いをしてもらいました。

コカ占いとは何十枚かのコカの葉を風呂敷みたいな布に置きます。

その布の四方を折りたたんで自分の胸にかざします。

そして布をシャーマンに返すと、おもむろにシャーマンは布を広げ

そこにあらわれたコカの葉の様子を見て占うというものです。

私は昨年もやってもらったので最初はやらないつもりだったのですが、

シルビアさんが貴方もやりなさいと言わんばかりに手招きをします。

そして風呂敷を胸に当て、シルビアさんに返し彼女が布をひろげます。

そして開口一番

「儀式はする必要はありません、あなたに儀式は必要ありません」

と言うのです。なんの儀式の事を言ってるのだろう?と私は思いました。

もしかして次元の扉の儀式だとしたら、私は次元の扉に行く意味がなくなってしまう・・・

そこで質問をしました

「何の儀式のことですか?」

するとシルビアさんは「飲む儀式は必要ありません、もしどうしてもやる必要があるのであれば

1回だけにしなさい。だけどそれもやらないほうがいいです」

と言ったのです。

もちろん私はシルビアさんにアヤワスカの件は一切話していません。

驚きでした。

そしてこう質問しました「どうしてやる必要がないのですか?」

すると「あなたの居る場所はここではありません」と。

「えっ?」

「あなたの居る場所はここではありません」

なるほど僕は日本人なので、クスコやチチカカ湖といったアンデスには向いていないということなのか・・・

「そうでありません、あなたのスピリットはこの次元にはいないのです」

「じゃあ どこにいるの?」

「貴方のスピリットこおkとは違う次元にいます」

「それと儀式が関係してるのですか」

「貴方のスピリットは違う次元を見ているので、アヤワスカを使ってビジョンを見る必要はありません」

そこで私は1週間後にアヤワスカの儀式を受ける予定だと初めて話しました。

すると、そうなのかという表情をうかべて

「貴方はアヤワスカをやる必要はありませんよ。やったら体調も崩れます」

私は納得したのです。

ここまで調整がつかなく、用意した心電図もダメであったのは

「お前はアヤワスカを儀式をやるな」と宇宙がメッセージを送ってきていたのです。

しかし、なんとか受けれるようにと策を講じていたのです。

だからシャーマンに言わせたのだ納得したのです。

いっしょに儀式を受けるために残ったみちよさんはどうすればよいかシルビアさんに尋ねました。

するとシルビアさんは「それは彼女が自分自身に問いかけて結論を出すだろう」と答えたのです。

その後、みちよさんは自分自身に問いかけて、アヤワスカをやらない結論を導き出しました。

そこで私たちはクスコで空白の3日間ができたことになったのです。

再びカルロスと再会した私たちは明日からのことを相談しました。

そして、コンドルが棲む谷とアマゾンに行くことにしたのです。

 

 

11日目(6月30日)アンデスの山にある月の神殿とコンドルの谷

月の谷

コンドルの谷に行く前に是非立りましょうといわれていった場所が最高でした。

その名も月の神殿

月の谷1

クスコから1時間ばかり車で走ったところにある古い祭壇です。

静かで聖なる空気が漂う場所。

サクサイワマンやマチュピチュと違い誰も居ません。

コカの葉を使い払いと生まれ変わりの儀式を行いました。

月の谷2
そして、さらに1時間以上をかけて山を下り、谷底からまた山をあがっていきコンドルの谷の村へ。

コンドル1

村からさらに1時間くらい歩いてコンドルの谷に着きました。

ここは山の頂上から谷底まで4000メートルくらの高低差があるそうです。

私たちが立っている場所から谷底でも2000mの高低差。

コンドル2

その高低差が上昇気流を生み出し、その上昇気流に乗ってコンドルが舞あっがてくるのです。

待つこと数時間。

午後三時を過ぎると急に風が吹き出します。

もうすぐコンドルが現れる時間帯だそうです。

遠くに鳥が見えました。

地元におじいさんが「あれは鷹じゃ」

コンドル3

よくみると翼をパタつかせています。

コンドルは翼を動かさないそうです。

すると遠くに雄大に飛ぶ鳥の姿が見えました

「コンドルじゃ」

全く翼をうごかさずに舞い上がっています。

あまり近くに来てくれませんでしたが、もう1羽見ることが出来ました。

日が落ちかけてきたので私たちは車に戻ることに。

地元の人達はまだ残っています。

あとから聞くと、しばらく後にもっと近くまでやってきたそうです。

帰りは馬に乗って村へ。

コンドル4

ホーストレッキングも出来てなかなか面白いところでした。

こうしてクスコでの空白の1日が終わりました。

 

12日目(7月1日)アンデス文明の知らぜらる地域アマゾン流域ジャングルへ

空白の2日目はアマゾンへ

クスコから飛行機でプエルトマルデナリへ。

ジャングル

機上からアマゾンの支流が見えます。ジャングルの中で蛇行する茶色い川。まさにアマゾン!!

一気に高度が数百メートル台までくだります。

ちょっと肌寒かったクスコから蒸し暑いジャングルへ。

アマゾンの源流のひとつにあたる川をボートで下ります。

ここはブラジルの国境までは車で約1時間の距離です。

ジャングル2

ジャングル3

ボートに乗り込みます

ジャングル4

1時間ほど川下に下りタンボパタ国立公園へ。

ジャングル5

 

 

ジャングル6

そこからジャングルを1時間あまり歩いてサント湖へ。

途中土砂降りな雨が降り出して全身ずぶぬれに。

大きな木の下で雨宿りをしますが、一向に止む気配もなく

すこし小降りになったので歩き出します。

これは何の修業なのか?

滝行のようなトレッキングでした。

やっと湖に着くと、そこから手漕ぎボートに乗り換えるとのこと。

ジャングル7

ボートに溜まっている土砂降りの雨水を桶で描きだしています。

どれだけ降ったの? という量の水。

しばらくすると雨もやみ薄日が差し込むほどに天気は回復。

水の描きだしも終わりボートで湖へ漕ぎ出します。

ちなみに漕いでいるのは現地の人達で私たちは乗っているだけ。

手漕ぎなので静かに滑るように湖面を進みます。

途中水鳥が飛んできたり、ワニが水面に顔を
出していたりとなかなのアマゾン感。

ジャングル10

虹も出て晴れやかな気分になりました。

ジャングル9

再びジャングルの中を歩き、ボートにもどって川沿いのホテルへチェックイン。

ジャングルでの一夜を過ごします。

 

13日(7月2日)モンキーアイランド、クスコからリマそして帰国の途へ

早朝に起きて、ボートに乗り込み夜明け前の川をさかのぼります。

夜明け前に出発し、周りが見え始めると朝靄に覆われました

ジャングル12

目指す場所はコルパ。

コルパとはアマゾン川流域の河岸が粘土質の崖のことをいいます。

その土壌がミネラルを多く含んでいるため鳥たちの絶好のミネラル補給源となっているのです。

コルパに到着したころ太陽が昇り始めました

ジャングル13

まだ薄暗い夜明けとともに周囲から鳥たちが集団でやってきて、崖のまわり数十メートルの木々にとまります。

ジャングル14

崖の周りの木々にはおそらく千羽を超える鳥たちがとまっているようです。

日が昇り始めるころ、木から1羽が飛び崖に近づき、また木に戻ります。

それを各集団でおこなっているようです。

どうやらはじめは1羽、その次は2羽とだんだんと数を増やし、安全であればみんなが崖に行くようです。

しかし、一向に集団で行く様子がありません。

今日は鷲が来ているようです。

ジャングル17

鷲は崖にくる鳥を狙っているのです。

結局、そこから少し離れた崖のほうが安全だったらしく、数千羽の鳥が一斉に崖に行く様子は見れなかったですが

美しい緑色の鳥たちを多く見ることができました。

ジャングル15

携帯のカメラしかもっていないので、よくわからないですが、崖のまだらに見える緑色が鳥たちです

おそらくAra severusという鳥と思われます

ジャングル18

ほかにも多種の鳥たちがやってきますが、今日は緑色の鳥が多かったようです。

そして次はモンキーアイランドへ。

この島には野生の猿が自生しています。

島の中をあるくと木の上で何者かの気配がします。

よく見ると猿が枝を飛び移っています。

ジャングル19

ガイドが声をかけると何匹もの猿が集まってきました。

持っていたバナナを差し出すと手で取って上に上がり、皮をむいて食べています。

この島にはいくつかのグループがあるそうです。

そして最後は週数民族の村へ。

ここはマチゲンガ族の村だそうです。

ジャングル22

アマゾンにはいくつもの少数民族がすんでおり、その中でも交流があるのはこのマチゲンガ族くらいだそうです。

顔に染料で線を描いてもらったり、儀礼のたばこをふるまわれました

ジャングル20

 

ジャングル21

まったく交流をもっていない部族もあり、言葉もケチャア語やアイマラ語とも違うそうです。

彼らを保護する意味でもあり、免疫を持っていない可能性があるためあえて交流を禁止してそのエリアへの入境をしないそうです。

ジャングル23

彼らの棲む場所には遺跡が眠り、金脈がある場所もあるそうです。

いま、金を狙う人たちが入境禁止のジャングルには入り込んできているのが問題となているそうです。

まさに数百年前のスペイン人が探したエルドラドの世界です。

ペルー、ボリビアはまだまだ奥深く興味深いところが数多くあります。

まさに古代史と自然の宝庫といえるでしょう。

また来年もペルーとボリビアの古代とシャーマニックに触れる旅を企画する予定です。

2020年6月中旬に企画する予定ですので、ご興味ある方はお問い合わせください。

 

というわけで、今回は「古代アンデス文明・インカ帝国の謎を探る旅~ミイラは見つかるのか?!~」でした。