こんにちは、極楽開運パワースポット巡りのスピリチュアルキュレーターの大村真吾です。

 

今回は「カミーノ サンティアゴ800km巡礼ブログ」です。巡礼の様子を綴っています。

 

目次

1日目「ピレネー山脈越え」サン・ジャン・ピエ・ポーからロンセスバージェス

1日目(令和元年8月21日)

 

 

 

カミーノ巡礼の出発地はフランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポー。

 

ピレネー山脈のふもとにある小さくて可愛い町です。

 

昨日私たちはルルドからバイヨンヌで電車を乗り換えてここまでやってきました。

 

サンジャンの様子は動画にもアップしていますのでご覧ください

 

 

お菓子のマドレーヌの由来とは?@サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからライブ配信

サンティアゴ巡礼の出発地サンジャンピエドポーの町並み

 

見てみてくださいね、なんとなくサンジャンの街の様子がわかると思います。

 

そして、いよいよサンジャンを出発してピレネー山脈へ

 

はっきりいってキツイです。

 

朝早くに出発、6時から6時半には出ることをお勧めします。その理由はロンセスバージェスまでは25キロなのですが、なんといってもピレネー山脈の山越えなのです。サンジャンの海抜は約200メートル、途中の峠レポエデールの標高は1429メートルなので1230メートルあまりを登ることになります。距離数以上に時間がかかるのです。

 

 

 

6時30分 サンジャンのアルベルゲを出発。

 

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サンジャンの町を出て巡礼路は2種類にわかれます。目印は白と赤です。白は比較的ゆるやかな道です。多くの巡礼者は古来からある赤いコースを行きます。

 

 

 

急な舗装路の上り坂を5キロいくとフントという集落につきます。ここのカフェ(開いてるような開いてないようなカフェ)があります。椅子があり水を汲める場所もあります。トイレもあるのでここでひと休み。

 

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フントからは更に上り坂が急になる感じがします。雲海から出る日の出を見ながら1.5キロくらいの坂を登るとオリソンに到着。

 

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ここにはアルベルゲとカフェがあります。眺望のよいテラスのような場所にテーブルと椅子があるので休憩&ブランチに最適です。ここにも給水所があります。もちろんトイレもあるのでカミーノ巡礼の洗礼をうける巡礼者にとっては恵みの休憩所です。

カミーノ巡礼、歩き始めて8キロのオリソンからライブ配信

 

オリソンからまだ急な上り坂は続きます。それを補うにあまりある眺望の良さ。牧草地の羊たちの光景が辛い体と気持ちを和らげてくれます。

 

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すこし勾配がゆるくなり360度に牧草地がひろがると十字路の左にこんもりとした岩山が見えてきます。この岩山の上にマリア像があるのです。これがビルコリアの聖母といわれています。マリア像の先は絶壁。晴天の青にマリア様が映えます。ここでしばし休憩。自転車でカミーノ巡礼をしている韓国人のグループと話をしていたら私たちひとりづつに韓国のりを頂きました。欲しかった塩味!!彼らはサポートの車が並走していて荷物は全部その中に乗せています。どうやらランチタイムで火をおこしラーメンを作っているようす。美味しそうです。彼らにお礼を言って再び歩き出すことに。

 

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草原地帯を登っていきます。

 

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しかし今までの登りよりはすこし勾配はゆるやかになっています。ビルコリアの聖母から1時間くらい歩いたでしょうか。道の先に白いバンが見えてきます。この車を待ち望んでいました!! 2年前もこのバンにどれだけ助けられたか。水や飲み物、くだものやスナック類の販売カーなのです。ここが実質上フランス最後のお店でスタンプも押してもらえます。ここでコーヒーとバナナを買って一休み。まさにオアシスです。

 

 

バンから1キロほどは上りが続きます。

 

あと5キロほどが比較的平坦&登りをいくと標高 1429メートル の レポエデール 峠に到着します。

 

 

ここからは急激なくだりが5キロ続きます。登りもつらいが下りもつらい。膝に負担がかかります。

 

延々とくだっていくと比較的ゆるやかな森の中の下り坂にかわります。やがてあと1キロくらいで平坦になり突如としてロンセスバージェスの教会が姿を現せます。この教会に併設されている大きなアルベルゲに宿泊。

 

 

夕食はアルベルゲで予約をして教会の横にあるレストランで頂きました。

 

夜のミサがあったのですが、睡魔に負けてそうそうに就寝。

 

1日目の難関ピレネー越えを無事終了しました。

 

 

 

行程

 

6時20分 サンジャン出発

 

8時2分 フントに到着、休憩 8時15分出発

 

9時25分 オリソンに到着、休憩 10時18分出発

 

11時40分  ビルコリアの聖母 に到着、休憩 12時出発

 

13時 販売カーに到着、休憩 13時16分出発

 

15時30分  レポエデール 峠

 

17時 ロンセスバージェス到着

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2日目「陽気なラテン民族」ロンセスバージェスからズビリ

 

2日目(令和元年8月22日)

 

今回は「カミーノ サンティアゴ巡礼ブログ2日目ロンセスバージェスからズビリ」です。

 

 

ロンセスバージェスのアルベルゲに併設されているレストランで朝食、そのままズビリへ歩き始めます。昨日の山越えの疲労が若干残っていますが、みんな元気そう。

 

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アルベルゲを出たところにサンティアゴまでの標識がでていたのでそこで記念撮影。はるか700km以上先の標識があるのはカミーノらしいです。

 

フラットの道が続くので足取りも軽く30分ほどで小さいマーケットがあります。そこで昼食がわりの果物などを購入。

 

 

そこからしばらく進むとヘミングウエイが泊まった宿があります。彼はここでマス釣りをよく楽しんだそうです。

 

 

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このまちの教会をすぎて小道を右折。小川がながれる橋をわたって緑の中をすすみます。

 

 

2年前見たときはピレネー越えの疲れがどっときて足が重かったのですが、今回はそうでもありません。一緒の3人もそんなにつらくなさそうです。

 

 

途中で巡礼中にこの地でなくなったYAMASHITA SHINGOさんの慰霊碑の前で黙祷。2002年に64歳でお亡くなりになられました。ズビリ目前での急死。そしてここをお参りしてくれている人たちがいることに感謝です。2年前はここで琵琶奏者の黒田月水さんが般若心経を琵琶演奏で唱えました。

 

 

エロ峠の売店で休憩をしてズビリへ。

 

アルベルゲは El Palo de Avellano 2年前は満室だったところです。ズビリはアルベルゲがそんなに多く、ズビリ以上に歩く人も少ないためか部屋が混んでいることが多いよう。今回はあらかじめ予約をしておいて正解でした。

 

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夕食もアルベルゲで食べることができます。13.5ユーロとちょっと高めのメヌーですがサラダもどっさりでてきてなかなか美味しかったです。

 

次の宿泊先まで荷物を送るサービスがあって、同席のスペイン人おじさんとイタリア人おじさん、フランス人おじさん、ブラジル人おばさんがその話をしていました。かみ合わないような、かみ合っているような微妙な会話が面白かったので思わず参加してしまいました。以下現場の実況です(たぶんに私の想像がはいっています。ご容赦を。ちなみにおじさん達は65歳以上、おばさんは50歳代か?)

 

スペイン人男性「荷物って送れるんだよな」(スペイン語)

 

フランス人男性「ああこの紙にお金入れておくるんだべ」(スペイン語)

 

ブラジル人女性「え~なんのこと?」(これポルトガル語)

 

スペイン人男性「荷物送れるんだよ」(スペイン語)

 

フランス人男性 イタリア人男性「そーいうこと」(スペイン語)

 

ブラジル人女性「えっつ? 何??」

 

スペイン人男性「ポルトガル語かい?」(たぶんスペイン語で)

 

ブラジル人女性「そーよ ところでそれはなに?」(ポルトガル語)

 

フランス人男性「荷物をつぎのアルベルゲまで送ってくれるの、その封筒だべさ」(スペイン語)

 

スペイン人男性「5ユーロだよ。そんでもってオイラ達の名前はシスコ」(スペイン語)といってイタリア人男性を指さします。

 

フランス人男性「シャンピオ~~ン」といってイタリア人男性を指さします(フランス語らしい)

 

スペイン人男性「シスコ~~」 「シスコ~~」 「シスコ~~」 連呼

 

イタリア人男性「2回」(たぶん2回チャンピオンになったのか)(イタリア語)

 

ブラジル人女性「いくらなの?」ブラジル語

 

フランス人男性「5ユーロだべさ」(スペイン語)

 

スペイン人男性「シンコ シンコ シスコ~ シスコ~」(スペイン語)(シンコはスペイン語で「5」のことです)

 

ここで私の出番だと直感しました。

 

私 封筒を指さして「シンコ シンコ」 自分を指さして「シンゴ シンゴ」

 

おじさん達と おばさん私を注目

 

一瞬の沈黙

 

スペイン人「お前の名前はシンゴか おれはシスコ わははは」

 

私 手を開いて5をしめして「シンコ」、自分を指さし「シンゴ」、股間を指さし「チ●コ」というと 大笑い

 

さらに拍子をつけて「シンコ シンゴ チ●コ 、シンコ シンゴ チ●コ 」

 

さらなる爆笑

 

最後にイタリア人男性の股間を指さし「シャンピオン チ●コ」

 

でダメ押しと思いきや

 

イタリア人男性「2」で笑いを全部もっていかれちゃった

 

という楽しい夕食でした。

 

言葉はあまり関係ないみたいですね。ラテンの人々は面白いです。

 

どうやらイタリア人のおじさんは自転車のロードレーサーのようです。若いときにチャピオンになったのでしょうね。

 

行程

 

8時00分 ロンセスバージェス出発

 

9時50分 エスピナル着

 

11時50分 リンツアアオイン着 小休憩 12時15分発

 

13時13分 YAMASHITA SHINGOさん慰霊碑 13時20分発

 

13時50分 プエルトエロ移動販売車 14時05分発

 

15時00 ズビリ着 

 

 

 

3日目「優しい道とヘミングウエイのカフェ」ズビリからパンプローナ

 

3日目(令和元年8月23日)優しい

ズビリからパンプローナは21kmの平坦な道のりです。

カミーノ3日目 ライブ配信

 

 

7時50分 ズビリのアルベルゲを出発。ズビリを出てしばらくは右手に工場をみながら歩くことになります。ススキのような草の中を進み、ときに森の中のような気持ちのよい道が続きます。

 

 

 

ズビリからパンプローナは平坦な道なので初日とくらべれば天国のよう、初日の疲れが体に残っていた2日目とくらべても体が慣れてきたのか足取りも軽く歩むことが出来ます。

 

思い返せば2年前は3日目にも疲労が残っていて歩くのが辛かったおぼえがありました。それにくらべると天と地の差。一緒に歩いている美由紀さん、裕子さん、美香さんも平気そうです。ちなみに美香さんはお遍路も歩いているのでプロ級の安定感です。(関係ないですが、美香さんのお姉さんのお名前は恭子さん。叶姉妹か!!すみません・・・)

 

途中で木の実をとっているおじさんとおばさんに遭遇、何を採ってるのか尋ねると「アニス」とのこと。食べれるの?と聞くと二人そろって首を横にふります。二人の動作が合っていて可愛い。よくよく聞くとお酒を造る実のよう。そういえば「アニス酒」というのがあったことを思い出しました。このあたりの名産だといってました。するとこんな看板

 

 

あっという間にアレの街まで到着

 

2年前はこの町にとまりましたが、今年は休憩もせずにアレを通過。絶好調!!と思いきや町を出たところから急に登り坂。いままで天国♪♪と思っていたメンタル、フィジカルに隙あり。急に体が重くなります。

 

 

 

 

トリニダードアレにつくと、そこはパンプローナのベッドタウン。ここからアスファルトが続くので余計に体に負担がかかります。

 

目前に緑が見えてくると、そこはパンプローナの城壁の外の公園。

 

 

パンプローナかっこいい!!

 

 

ここから街の中にはいります

 

 

パンプローナといえば牛追いの祭で有名です。この街並みの中を牛と大勢の人が駆け抜けていきます。あとパンプローナで有名なものがヘミングウエイの通ったカフェ イルーナ

 

 

 

メヌーの中にガスパチョがあったので迷わずチョイス

 

 

ガスパチョがあれば元気になれる!!!!!!!!!!

 

 

 

 

ヘミングウエイと2ショット。

 

あとはアルベルゲに泊まって3日目も無事終了

 

行程

 

7時50分 ズビリ発

 

9時26分 ララソーニャ着

 

10時19分 スリア―ニ着

 

11時51分 イロッソ着

 

13時50分 パンプローナ着

 

 

 

4日目 ザビエルの生家ハビエル城へ

4日目(令和元年8月24日)

 

フランシスコ.ザビエルの生家ハビエル城からライブ配信

今日は一日お休みの日。といってもアルベルゲは朝8時にはチェックアウトしなければなりません。宿を出て近くのカフェで朝食。大聖堂は9時に開門まのでそのれまでカフェで時間をつぶします。

 

とはいうもののカフェで意外に時間を過ごしてあわててパンプローナの大聖堂へ

 

 

よく見ると右側の時計が普通とは違います

 

 

日時計です

 

こういう塔に日時計とはかっこいいです。

 

 

中に入ってみるとミサが行われていました。

 

その奥にはマリア様が祀らています

 

 

このマリア像は実際にはさらに光り輝いていました

 

 


あっという間に時間が過ぎ去り、今日の目玉であるハビエル城に行くことに。
ハビエル城はパンプローナからは車で1時間の距離、どこかでタクシーを見つけなければなりません。そこでこまったのが何処にタクシーがいるのかがわからない!!パンプローナは城塞都市なので市の中心部は車がほぼ通ていないのです。そこで博物館に行ってみることにしました。しかし周りにタクシーが停まっている様子はありません。試しに博物館の受付のに行ってタクシーを呼びたいというと電話番号を教えてくれました。ついでに電話までしてくれて、実際にタクシーがくるまでの確認までして見送りまでしてくれる念の入れよう。受付の警備のおばさん、ありがとう!!

 

 

 


一路ハビエル城へ

 

 


ハビエル城とは1549年に日本にやってきたフランシスコ ザビエルの生まれ育った家なのです。

 

 


彼はスペインのナバラ王国の生まれなのです。ここパンプローナやハビエル城があるのはナバラ県。昔の王国がそのまま県名になっています。その王国の貴族の家の生まれたのです。ハビエル城はその後戦争で破壊されるのですが、再建されていま博物館になっていて当時の絵画やハビエルの伝記、功績、家系などが展示されています。

 

 


19歳でザビエルはパリに留学、そこでイグナチオ・デ・ロヨラと運命的な出会いをします。イグナチオから強い影響を受けてザビエルは聖職者を志すことになります。その他5人の仲間と合計7人で「神に生涯を捧げる」という誓いをたてますこれが「モンマルトルの誓い」となりイエズス会の創立となります。

 

 


世界中にキリスト教の布教を目指したイエズス会はポルトガル国王のジョアン3世の要請でポルトガル領であったインドに赴くことになります。ザビエルはそこに加わりアフリカ経由でインドのゴアにたどり着きます。そこで仏教の僧達にキリスト教を説き、一人をキリスト教に転じさせることにも成功します。
また浜辺で祈っていたときに波にロザリオがさらわれるのですが、翌日浜辺でロザリオをツメにかけた蟹を発見するという奇跡も起こったりします。 

 

 

 


そしてマレー半島にわたり、そこでヤジロウと出会いザビエルはジャンク船に乗り鹿児島にたどり着きました。

 

 

 


京都に行き天皇陛下、将軍に謁見をもとめますが、外見にこだわっていなかったザビエルは謁見に能わずと判断され拝謁をすることはできませでした。
その後、山口で大内氏に謁見が叶い布教を認めらます。その際に盲目の琵琶法師が洗礼を受けたロレンソ了斎など600人以上を信徒にしたといわれています。

 

 


2年の滞在ののち中国での布教の必要を感じたザビエルは日本を出て広東を目指します。結果的にはそこで最期をとげてしまいますが、一緒に日本を出た4人の日本人のうちの一人ベルナルドはポルトガルにまでわたり留学をしてローマ法王に拝謁までしています。ベルナルドは日本にはもどらずコインブラで亡くなっています。
このようにザビエルと日本は深い関係があるのです。

 

 

パンプローナにくると是非とも行ってほしい場所です。

 

4日目はハビエル城に行って、帰りはタクシーでシースルメノールのアルベルゲで一泊。これで今日は終了です

 

 

 

5日目「ぺルドン赦しの丘とマリア」シースルメノールからプエンタラレイナ

5日目(令和元年8月25日)

 

マルタ騎士団のおじさんにみおくられてシースルメノールを出発。

 

 


今日はぺルドンの丘を越えるので早めに起きて6時40分に出発。足取りは軽い。
もう枯れてしまったひまわり畑を横目に見ながらぺルドンの丘に近づいていきます。

 

 

 


途中、慰霊碑とベンチがあるところで休憩。
しばらくすると登りに入っていきます。
丘の上には風車が丘の端から端まで数十キロも並んでいます。

 

 


しかし無風で羽は回っていません。
出発の時には朝靄で丘の姿は見えなかったですが、
日が昇るとともに視界がよくなり真っ青の晴天になりました。
ぺルドンの丘は「赦しの丘」。昔は今のように道は整備されてなく、サンティアゴに道は困難を極めました。
マルタ騎士団などが守ってくれるといえども野犬や盗賊にも襲われたようです。
元来サンティアゴ巡礼は自分の家から始まります。
するとサンティアゴに着くのは至難の業で、この丘までくることができたら、サンティアゴまで行けたのの同じにしようという言うなれば免罪符のようなものが施されたようです。そこでぺルドン許しの丘と名付けられたといわれます。
丘の上はカミーノの前半部分のハイライトともいうべきオブジェがあります。

 

 


ここで記念撮影をしたり休憩をしたり巡礼者は思い思いの時間を過ごします。
車でここまで登ってくる観光客の姿も見えるほどここは名所となっているのです。

 

 


丘をおりるとウルテガの裏に着きます。
ここには村の始まりにマリア像があります。

 

 


このマリア像はこの場所にマリア様が出現したことを示すものなのです。(バチカンが認めるまでには至ってないのでしょう)
マドリッドからきた巡礼者がこの村の井戸の近くで休息をしていました。するとそこに6歳くらいの少女があらわれて色々と質問をしてきたそうです。
不思議に思ったその巡礼者はよく少女を見てみると光り輝いたそうです。
話すことやその精神性の高さ、光り輝いている姿からこの少女は聖母マリアに違いないと彼は確信しました。
それ以降毎月第一土曜日にここに参拝を重ね、亡くなるまで欠かさなかったそうです。
そういったいわれのあるマリア像なのです。
しばしそこで静かな時間を過ごし再び歩き始めます。
ムルサバルの村ではカミーノが二手に分かれます、エウテナを経由していく少し遠回りな道と、オバリスを通る近い道。近いほうがフランス人の道ですのこちらを通ってプエンタラレイナに到着。

 

5日目の行程

 

6時40分 シースルメノール出発

 

8時30分 サリエリギ手前のベンチ 8時40分発

 

9時20分 ぺルドンの丘 9時40分発

 

10時30分 ウルテガ マリア像 10時50分

 

11時30分 ムルサバル

 

12時40分 プエンタラレイナ

 

 

6日目「パエリアとガスパチョとお姉さんの優しさ」プエンタラレイラからエステージャ

6日目(令和元年8月26日)

今日はプエンテラレイナからエステージャまでの22キロ。

カミーノ巡礼6日目 ライブ配信


プエンテラレイナには王妃の橋といわれる美しい橋があります。

町の川のほとりにあり、その橋を渡ってエステージャに向かうことになります。

しかし、朝6時半に出発したため、まだ真っ暗で橋の写真を撮ることができませんでした。町を出て緩い登りが続きます。


緩い下り登りを繰り返してるうちにブドウ畑がちらほら出てきます。

隣ののリオハはワインで有名ですが、カミーノ上ではナバラやガリシアのワインも有名ようです。


途中にローマ時代の道をところどころ歩いていきます。

全ての道はローマに通じる。2000年前にこの道がローマにまで続いていたなんて考えるとワクワクします。

道であることを堅持するために石畳を作っていったのでしょう。今でもその痕跡が残っています。

カミーノという言葉も「道」です。道があるから文明は栄え、広がり、道の上に人が集まり文化や習慣が形作られる。インカ帝国もその基礎をなしたのは「道」であったとも考えられます。

道の横に手を伸ばせばある実を時々口にしながら歩き続けます。酸味と甘みが身体を癒してくれます。

ゆったりした登り下りを快調に歩いてロルカの町に到着しました。二年前はこの町で力尽きて歩くのをやめてしまった所です。

その際に飲んだガスパチョが美味しくて生き返ったことがカミーノの鮮明な思い出になっています。


今回もそのお店に入りまガスパチョを注文。

パエリアも美味かったことを話すとブランチのような食事をすることに。

やっぱりここは安くて美味しい!ほとんどがシーズンが終わり枯れてしまっていたのです。

一時間くらい休んでエステージャを目指して再び歩きだします。

するとひまわり畑が出現。今までもひまわり畑は沢山あったのですが、若干枯れ始めていて、花は大地の方を向いてしまってますが、やはり綺麗。

正午をまわり日差しが強くなってきます。エステージャまであと2キロくらいからだんだん身体がキツくなってきました。


暑いなあまだかなと思う頃エステージャの緑の芝生と教会が現れました。着いた!
だけど今回のアルベルゲは町の端。そこまでが遠い。。。おまけにアルベルゲのある場所までは上り坂。やっとの思いで到着。


夕食は坂をくだった大通りのバー・レストランで巡礼者のメヌーを。サラダに煮込み風の牛肉。

どちらも美味しい。ふと気づいたら外は大目。傘もカッパも持って来てないのでずぶ濡れになってしまう。しばらく待ってもやむ様子はなく、カミナリまで鳴り出すしまつ。
お店のお姉さまにタクシーを呼んでもらうことを楽しむと、数件のタクシー会社に電話をしてくれるも少なくとも45分は来ないとの。10時頃になっていたのでお店の時間を確認すると、タクシーが来るか、雨が止むまでお店にいていいですよとのこと。優しい! カフェコンレチェを注文してしばらくするとタクシーが来て武士道アルベルゲへ。

姉さんありがとう!!!

6日目も無事終了。

行程

06時35分 プンタ ラ レイナ出発

08時15分 シラウキ 小休憩 08時40分発

10時30分 ロルカ ブランチ 11時30分発

12時30分 ビジャトゥエルタ 教会たちより 13時05発

14時20分 エステージャ到着 

 

7日目「ワインの泉」エステージャからロスアルコス

7日目(令和元年8月27日)

エステージャからロスアルコスまでの22km

カミーノ巡礼7日目 ワインの泉からライブ配信

 

昨夜の大雨も止んでいる様子。雲はかかっていますが、薄く空も見えるので一安心。
エステージャの町のはしには星と人を型どったオブジェが見送ってくれます。


一時間あまりでイラーチェにつきます。
加治屋さんがカミーノに因んだ作品を作っておりテンプル十字のホタテを購入。ここでは二種類のスタンプを押してくれます。


ひとつはこのお店のスタンプ。
もう一つはロンセスバージェスから100キロのスタンプです。

このお店でカミーノの象徴であるホタテにテンプル騎士団の十字架がついたペンダントを見つけて4人そろって購入。


加治屋さんを出てすぐにワインの泉があります。ここは地元のワイン製造会社bodegas iracoがワインとミネラルウォーターを施してくれています。文字通り蛇口をひねればワインが出てくるのです。

二年前はあったコップの販売機はなくなっていたので、みんな水筒の水を捨ててワインを入れています。驚いたのは蛇口に顔を近づけて直のみしている人もいます、大胆!


イラーチェの村を出て尖り山のピコ ラ モンハルディンを目印に進みます。この山は昨日エステージャの手前からでも見えていました。


山の麓に同じ名前のモンハルディンに到着。
ここから先は12キロ村も町もない区間です。二年前は炎天下の暑さにやられて途中で野シエスタをしてしまいました。



今回は曇り空に救われて順調に進み、途中の移動販売車カフェで休憩。

二年前はこの営業も終わってる時間まで歩いてました。
しばらくして晴天になり日差しがきつくなりますがロスアルコスに無事到着。


今日のアルベルゲはおばあちゃんマークのCasa de Abela。

味しそうな臭いがしてるので夕食と朝食もお願いすることに。
順調に巡礼7日目も終了

行程

7時40分 エステージャ

8時15分 鍛冶屋 8時30分発

8時35分 ワインの泉 8時55分発

09時55分 アケスタ

12時38分 移動カフェ 13時05分

14時35分 ロスアルコス

 

8日目「神の計らいが起きた!!」ロスアルコスからヴィアナ

8日目(令和元年8月28日)

ロスアルコスからヴィアナまでの18.5km

カミーノ8日目ロスアルコスを出発 ライブ配信

今日はあまり長い距離ではないので余裕の出発。
普通のスケジュールではロスアルコスからログローニョまでの28kmを歩くことがおおいですが、ヴィアナとログローニョの間に町がないので無理せずヴィアナで泊ることに。

朝日を受けながら軽快に進みます

1時間半くらいでサンソルの村に到着、すぐ隣にもうひとつ村があるのでそこまで休憩なしであるくことに。

ほんの1kmくらいでトレスデルリオの村に到着。

この村には小さな八角形の教会があります。

ここは入場料が1ユーロなのですが、なんか落ち着くところで2年前はここで黒田月水さんが琵琶の演奏をしました。すごくよかったので引き続き今年もやってきました。

しばらく佇んだのちに村を歩くとテンプル騎士団の十字架を掲げているカフェ&アルベルゲを発見

昨日ペンダントを買ったところなので気になって入ってみることに。

すると陽気なスタッフとお客さん達ばかりであっという間に時間が過ぎてしまいます。

お客さんのメキシコ人のカルロスとは今年の11月に私がメキシコに行くのでその時会おうかという話にまでなりました。

昨夜、ヒーリングピアニストに松尾泰伸とメッセンジャーでやりとりをしているうちに来年か再来年松尾さんもカミーノを歩くという話になったのです(まだ未確定です)

八角堂の教会かこのアルベルゲの庭で松尾さんのライブが出来ればいいなあなんて話をしていました。テンプル騎士団のアルベルゲのスタッフに聞いてみると「可能だから、そのとき連絡をくれ」とのこと。

なんだか縁がつながっていきます。

そこにまたイタリア人のおばちゃんが話に加わってきて「あたいはブルゴスの先でアルベルゲをやってるから是非泊ってよ、もちろん料理はイタリアンよ。絶対よ!!!」といってきた。シーシーなんて気軽に答えたらスケジュール上中途半端な場所で行程の組み換えが必須の感じに。だけどこれも縁なので是非よてみようと思います。またその報告はその時に。

ゆっくりしすぎたマルタ騎士団をあとにしてヴィアナを目指します。

ここから先は丘を登ったり下りたりしながらオリーブ畑とぶどう畑の道をすすみます。

途中にエルミタ デ ラ ヴァージン デル ポヨという小さなマリア教会をとおり、そこから4.7キロでヴィアナに到着。

泊まろうかなと思っていたアルベルゲに何度も電話をしていたのですが繋がらず、訪れてみたら閉店のよう。

それならばと違うアルベルゲを目指しヴィアナの街の中を歩いていくうちに2年前の記憶が蘇ってきました。

たしかこの道の先の右側にホテルがあり、そこのレストランが美味しかったこと、その左側にかっこいいアルベルゲがあったこと、遺跡の教会が美しかったことなどが走馬灯のように思い出されました。

あのアルベルゲが閉まっていてよかった!! 神に感謝です。 そのかっこいいアルベルゲANDRES MUNOZに宿泊。

ランチはホテルのレストラン。

遺跡の教会で写真を撮って、ここで松尾さんのコンサートができたらいいなあとビデオメッセージを松尾さんに送ったりして、マーケットに行くことに。

途中でフットバスの看板を見つけて立ち止まっていると、おじさんが「フットバスやりたいかい?」と話してきました。

いくらか尋ねるとドネーションとのこと。ならば入ろうということになり4人でお店の中へ。

なんかオシャレなカフェのよう、飲み物はいろんな国のビールやアイスティー、アイスコ―ヒー、ハーブティーなどと書いています。

フットバスはホットかアイスどちらがいい?と聞かれたので、どっちがおススメかと尋ねると、アイスだねと即答。

ならばアイスでお願いしま~すと4人そろってアイスを希望。

冷たい塩水に足をつけていると熱かった身体がクールダウンしていきます。

話していてスペイン人じゃないなあと思ったので、どこから来たの?と尋ねるとカナダ人とのこと。

そこから話がはずみ、おじさんとおばさんは僕たちと同年代で養子を二人とっていて、そのうちの一人の娘(もう28歳)は日本人とのハーフ。だから愛犬の名前は「スキ」、彼女は去年の10月に結婚したばかりで・・・

そんな話をしているうちにスピリチュアルな話題に展開。

この施設はクリスチャンの教団の施設だそうで、お二人は3か月前から前任者から引き継いでここでやっているららしい。

瞑想のはなしなどをしていると、聖書をよみながら目を閉じて静かな時間を過ごそうということになり、お店をクローズして30分ほど瞑想タイム。

奥さんの読む聖書と私たちにしてくれたチャンティングが暖かくて胸を打ちました。

感謝を伝えて、また雑談をしている際に、あの教会みたいなものは何ですかと尋ねたところ、1800年代に戦争で破壊されてしまった教会で、いまはそのときの破壊されたまま保存されていると、そしてそこではコンサートがあったりするのよというのです。

えっつ!? 今コンサートっていったよね。と思いつつ聞き直すと、そうよコンサートとかイベントをやってるわよというではないですか。

私は松尾泰伸というヒーリングピアニストがいて、その教会跡でコンサートが出来たらいいなあと考えていたところなんですよと伝えると二人も驚いてる様子。

どうしたらあそこでコンサートが出来るかしってますか?と尋ねると、じゃあヴィアナの観光局に行こういうことになったのです。

観光局に行くと、名刺をもらい外国人でも借りることができること、ピアノは教会にはないけどしかるべきところから借りることができること。などが分ったのです。

これは何の計らいでしょう。

早すぎる展開。

シンクロの連続。

神は確かに私たちを導いてくださっています。

行程

7時30分 ロスアルコス

9時00分 サンソル

9時17分  トレスデルリオ 10時45分発

11時30分 マリア教会

13時15分 ヴィアナ 

 

9日目「葡萄とサクランボとアーモンド」ヴィアナからナバレテ

9日目(令和元年8月29日)

ヴィアナからナバレテの21.5km

カミーノ巡礼9日目 昨日起きた奇跡的なことなど。ヴィアナ付近からライブ

ヴィアナのかっこいいアアルベルゲを出て歩き出します。

しばらくすると朝日がノートパソコン昇り、背中から太陽に押されるようにエネルギーを得て進みます。

基本的にカミーノは東から西に進んでいきます。2年前は午後あることが多かったので西日を観ながら歩いていました。やはり朝日を背に受けて歩くほうが歩きやすい。スペインの西日はまた強烈なので正面から受けてあるくのは辛いです。

昨日の奇跡のような出来事をyoutube「しんごちゃんネル」でライブ配信をしながら歩きます。(巡礼中、毎日スペイン時間の朝8時・日本時間の午後3時に生配信をしています)

前半はこれから先にあるアルベルゲの壊滅的なメニューとバーコードのおじさんの話をしていますが、後半は昨日の奇跡の話とその奇跡に関係するヒーリングピアニストの松尾泰伸さんの話をしています。

ちなみに私はファンクラブの会長、一緒に歩いてる美由紀さんは会員番号34番、裕子さんは会員番号36番なのです。美香さんには鋭意会員になってもらうべく勧誘をしています(笑)

そんな話をしながら約9.5キロを歩きログローニョの町に到着。

橋を渡って市街地にはいります。

ログローニョの街で道路にある矢印はこれで統一されています。

昨日教えられたようにカミーノの道ではなく大聖堂の方にいきます。

まずは大聖堂に入りご挨拶。

静寂のなかに聖母マリアさま

素晴らしい静寂感。シスターが手招きをしてくれたので事務所の中に入れてくれてスタンプを押してくれました。

日本人ですか?と尋ねられました。はいと答えると、奥から白い紐を持ってきて「これは日本で作られました。エー エー クミヒモ?」と言われます。はじめはピンと来なかったのですが、そうです【組紐】です。白いシルクをかなり多く使った組紐でした。ここでそのようなものを拝見できるとは・・・。昨日に引き続き何かに組み込まれているような気がします。

大聖堂を出てブランチをとることに。

11時ころにカフェを出て歩き出しますが、町は大きく巡礼の道らしい道がなかなか出てきません。

公園の中を延々と歩き続けます。遊歩道のような道が町はずれのグラヘラ公園、その先のグラヘラ池までつづいています。

もう長いのなんのって

暑いのなんのって

もうキツイの一言。

ここを地元の人はジョギングや散歩をしています。

あらためて地図を見てみると

 

ログローニョからなナバレテまでは約13km。そのうち遊歩道が半分近くもあるのです。考えようによってはコンクリートの道をいくよりはありがたいのですが、あまりにも長すぎて、暑すぎてぐったりしてしまいました。

ちなみに途中池のほとりにカフェがあります。

その暑い中、マリアさまのお御堂が現れます

 

これをすぎると遊歩道から普通の道にかわっていきます。

途中にリオハワインの葡萄畑、アーモンド、サクランボと果実を手にすることができます。

といっても葡萄は人のものですが・・・

ちょっと摘まむ果実が少し暑さを和らげてくれます。

だけど暑い・・・

なんとかナバレテの村に到着

大聖堂があったので逃げ込むように中に。

こんな小さな村なのにこんな立派な大聖堂があるなんて驚きです。

その昔、巡礼者にとって大聖堂は教会は救いの場所だったのでしょう。

大聖堂の中は厳格ではありますが、静かで涼しくて清らかです。

現代の私たちにも、これだけの癒しを与えてくれるのですから、当時は比較にならないほどの安心感をもたらしたのだと思います。

やっとの思いで到着した今日の宿泊所はA la Sombra del Laurel。4人部屋は広くて快適、色合いもいい感じの部屋なのです。

これで今日も無事終了

行程

      ヴィアナ 07時30分出発

09時49分 ログローニョ 大聖堂やカフェ 11時00出発

14時38分 ナバレテの村の入り口に到着

14時49分 大聖堂

15時12分 ホステルの到着

 

10日目【直感と示唆】【ジャコ様が舞い降りた】【セドナのようなパワースポット】ナバレテからアソフラ

10日目(令和元年8月30日)
ナバレテからアソフラへ 23.8km

今朝は朝6時50分に出発。昨日の午後の日差しが強すぎて、なるべく早くに到着したいのでいつもより早くに出発。

カミーノ巡礼10日目意識の変革!?ライブ配信

 

歩きはじめたら、すぐに前からおばさんの巡礼者がやってきました。

おばさんはだいぶ歩いたが矢印がみつからなくて戻ってきたとのこと。

色々聞いてみたら、おばさんが勘違いをしていると思い、一緒に行きましょうと連れていくことに。

おばさんは「この道からすぐに左に曲がる」というアドバイスを受けていたので、あまり私の話は聞いていない様子で、左側に道があると人の家にいく道であろうとずっと気にしている様子。

「すぐ左曲がる」ということにとらわれていたのです。

いちいち止まるので、すこしずつおばさんは私たちから遅れることに。

ふと気づくと、おばさんの姿が道から消えていきました。

しばらく行くと、左に曲がる矢印が出てきて、私たちはその道へ。

あのおばさんは何処に行ってしまったのだろう。心配をしながらも何処で消えたかもわからなかったので、そのまま歩いていくことに。結果的にその後、おばさんは正しい道に戻ってくるのですが、これは私たちに何を示してくれるのだろうと思い至りました。

あのおばさんは私たちに会わないと間違いなく山の中に迷い込んでいたはずです。そして私たちに会って軌道修正が出来たはずなのです。しかし彼女は自分の「直感」に従ったのです。「直感」に従うことは正しいことだと思います。私も概ね賛成なのですが、「直感」が外れる場合もままあるのです。一方で他者からもたらされる「示唆」があります。どうにもならなくなったり、自分のカンがはずれているときは「示唆」を受け入れてみることが重要です。この「直感」は内的情報で「示唆」は外的情報です。その使い分けを注意を払えというように思える出来事でした。

そんなことが起きつつ、私たちは次の町であるベントサに到着。


朝早く出てきたので気温も低めで歩きやすく快調に7.8Kmを歩き終えました。

そこで美由紀さんが「もうちょっと歩けるかも」と。実は今日はナラハという町までの18kmの行程を予定していたのです。ところがあっという間に半分近くを終えてしまったので「もうひとつ先の町まで行けるかも」ということになったのです。次の町はアソフラ。星の巡礼はシャーリーマクレーンの本のなかでも重要な出来事が起きる街なのです。

朝食を食べながら「アソフラまで行こうか・・・」と話していた時に一台のバンが私たちの前に止まりました。

そのバスは JACO TRANS

お~ジャコ様・神様・仏様!!!!

ジャコ様とは私たちが読んでいる敬称で、JACO TRANSとはアルベルゲからアルベルゲまで荷物を運んでくれる宅配サービスなのです。

ということは、バックパックをジャコ様に預けて、次の町のアソフラまで行けということか!!

話は即決、すぐにJACO TRANSおお兄さんを呼び止めてアソフラまでバッグパックを預けることに。

これで身も心も軽々とナラハへ。

1時間半あまりでナラハに到着。ここでサンタマリア修道院に立ち寄ることに。

ここが思いのほかのパワースポット。セドナのようなレッドロックが修道院の後ろに控えています。

建物が違えばセドナと思えるような場所です。

修道院は美しく中庭も美しいのですが、

驚いたのは修道院の奥。ここに入っていくと墓石がありちょっと入りにくい雰囲気。そこを越えると「えっつ何ここ?」という空気の変わりよう。その奥にマリア像が安置されていました。そこはレッドロックの洞窟のような感じ。もともとは洞窟にマリア像を祀っており、そこに建物を作っていき修道院になったのではないかと思えました。ここがいつまでも居れそうな空気感でした。

晴れやかな思いで修道院を出てアソフラへ。

14時過ぎに無事アソフラに到着。

行程

    ? ナバレテ   6時50分出発

8時10分 ベントサ  9時00分出発

10時51分 ナラハ  12時40分出発

14時10分 アソフラ

 

11日目 「セントドミンゴに起きた奇跡」カミーノ巡礼アソフラからサントドミンゴ デラ カルサダ

11日目(令和元年8月31日)

アソフラからサントドミンゴ デラ カルサダ 15.2km

ジャコ様の功罪 カミーノ巡礼11日目ライブ配信

 

アソフラを6時55分に出発。なだらかな丘陵地帯をカミーノは伸びています。昨日起きた出来事を振り返りながら歩みを進めます。

アソフラか9キロあまりは何もありません。2時間くらい歩いたところで移動カフェが出てきました。

飲み物を買って近くのベンチでしばし休憩。進行方向に建物が見えているので、すぐ先にシリニュエラの街がすぐにあるはずです。

まもなく左手にゴルフ場が見えてきました。

そこに面白い落書きがあります。

それは、巡礼のシンボルであるホタテ貝のオブジェなのですが、そこに上手く落書きがされているのです。

ホタテ貝の上に上手く「目」がかかれています。

これからは私の幻想です。このホタテに書かれた「目」はイルミナティをあらわしている。サンティアゴを行く人は基本的に徒歩か自転車です。

贅沢な旅行ではなく、無駄を出来るだけそぎ落とした旅のスタイルです。

一方、目の向こうにあるのはゴルフ場。ゴルフというスポーツを揶揄しているわけではありませんが、一般的な印象として清貧とは離れた存在です。

そこから巡礼者達を見る「目」。ゴルフは金持ち、政治家、事業家のイメージがあります。いわゆる支配層を連想させます。

イルミナティの印であるとされる「目」。これはアメリカ連邦準備局を創ったともいわれています。その際、世界中で流通するドル札、中でも一番多く流通し、多くの人の手に渡る1ドル札。

そこに描かれているピラミッドの上の「目」。これと同様、イルミナティはいつでもお前たち(巡礼者達)を見てるぞという意味に思えてしかたないのです。

様々なところに「目」は潜んでいて我々を見ています。千円札の中にも「目」は潜んでいます。千円札を透かして見てみると野口英世の左目に富士山が浮かんで見えます。まるで1ドル札のピラミッドにある「目」のようです。しかもこの左目が良く見ると異様な暗さを持っています。

さらに裏面の富士山は湖に映っている山とは全く違う山なのです。

そしてカミーノの終着点であるサンティアゴ デ コンポステラ。ここの大聖堂に祀られているヤコブに会うのがカミーノ巡礼のクライマックスなのですが、この大聖堂のボタフメイロ(香炉)は巡礼者を浄化するものとして(古くは伝染病や臭いを消すためともいわれています)大きく振り子のように降られます。

これは毎日行われるものではないので、この光景を観ることが巡礼者の僥倖でもあります。この香炉を吊るしている天井にも「目」が描かれているのです。

まさに上から巡礼者たちを見ているのです。

巡礼をすると、カミーノや四国の巡礼もそうですが何百キロも歩いたり、自転車で完走をすると心の中に何かしらの変化が生じます。それは個人によって違いますが、自分自身への自信の強さや、信仰の強さ、人との絆の強さなどが増すろ思われます。人が強さを持つのです。それが巡礼の力ではないでしょうか。全人類を我が物にしようと考える人たちにとっては「人類が弱く、愚かである」方が容易に支配しやすくなります。

それぞれの国や地域にある伝統や宗教、王家、民族意識、習慣などは彼らにとっては厄介なものなのです。

だから彼らは巡礼者を見ている、精神性や身体能力を高めようとしても、自己の覚醒を追及しても「我々の手の中なのだと」言わんばかりの「目」なのです。

というようなことを連想させる落書きなのでした。

というもののゴルフ場に併設されているカフェで小休憩をして(ちゃんとあやかってる)サントドミンゴに向かいました。

サントドミンゴ デラ カルサーダはサントドミンゴが大きくかかわっている街です。彼は近くのビロリア デ リオハの出身でナラハからレデシージャ デル カミーノまでの道を整備し橋を架け教会を作り巡礼者の救援施設などを作ったのです。大きくカミーノに尽力した彼をたたえて街に彼の名前を戴いているのです。

大聖堂に彼の棺はあり荘厳な廟が作られています。

この大聖堂は生きた白い鶏が有名です。

これは父母と息子の3人連れの巡礼者がこの町を訪れたことによる逸話です。

彼らは一軒の民家に一晩一食の恵みを受けたのですが、この家の少女が巡礼者の青年を好きになってしまいます。

離れがたく思った彼女は彼の荷物に家財を忍ばせたのです。

それにより彼は捕まり死罪が言い渡されました。

時の戒律で、巡礼者は沿道のものから盗みをすることを厳禁され、街道の人達は巡礼者を保護することが課せられていたのです。

これを破るとことは重罪とされていたのです。

少年は絞首刑になり、両親は悲しみに暮れながらサンティアゴを目指しました。

二人は巡礼を終え再びサントドミンゴに戻ってきました。

そこにはまだ絞首刑になったままの息子が刑場に吊り下がっていたのです。

息子に近寄った両親は彼が息をしていることに驚きました。そして役人に息子を刑場から降ろすように頼んだのです。

しかし役人は嘲笑し食卓の料理を指さし「調理された鶏が唄わないように、お前たちの息子が生きている訳がない」と言ったのです。

ところが目の前の調理された鶏が生き返り鳴き声を上げたのです。それに驚き役人と両親は息子を絞首刑台から降ろしたのです。

そして息子はこう言ったのです「ずっとサントドミンゴ様が僕を守ってくれていました」。この奇跡を伝えるべく大聖堂には生きた鶏が飼われているのです。

私たちの宿泊はいつものアルベルゲではなくパラドール。

パラドールとは古城や修道院など歴史的建造物を宿泊施設にしていることをいいます。サントドミンゴには4つ星と3つ星の2つのパラドールがありますが、私たちは4星のパラドール デ サントドミンゴ デ ラ カルサダに宿泊しました。

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ここもサントドミンゴが巡礼者の救援施設敏として作った歴史的建造物です。重厚で歴史のある建物は威厳があり、かつ施設は新しくリノベーションされていて快適です。

バスタブもあり久しぶりにゆっくりと湯船に入ることができました。

レストランも美味しく、量も多いのですがちゃんと適量のアドバイスもしてくれて素晴らしい時を過ごすことができました。

行程

       アソフラ       06時55分

09時00分 ゴルフクラブ  10時15分

12時30分 サント・ドミンゴ・デ・カルサダ

 

12日目 「生まれた場所なのに・・・」サントドミンゴ デ ラ カルサダからビジャマヨール デ リオ

12日目(令和元年9月1日)

サントドミンゴ デ ラ カルサダからビジャマヨール デ リオ 18km

折角のパラドールなので早朝に出るのはもったいなく、7時半から朝食を頂いてから8時過ぎに出発。

スペイン遺跡のホテル・パラドールからライブ配信

 

パラドールでの昨夜の夕食と朝食の食べすぎで身体が重く感じます。一昨日まで食べすぎを抑えて2日間ほど夕食を抜くか軽くしていたのに元の木阿弥にかえってしまいました。

荷物はジャコ様に預けたので快調に歩けます。しかも気温は20度を下回っており半袖では肌寒いほど。長袖を着てちょうどいい気温です。曇っているので温度もあがらず、直射日光もないので歩きやすくどんどん距離を稼いでいきます。

この区間は数キロ間隔で村があるので精神的に安心して歩けます。

いくつか村を通り過ぎてビロリアデリオハという村に到着しました。

おそらくこの一帯のどこかがサントドミンゴの生まれた村のはずです。

この町にはいると今までの町とは違い彼の像があったりするので町の人に尋ねてみると、やはり彼の生まれた村とのこと。

家はどこかと尋ねると指さして「それだよ」といって肩をすくめました。

崩壊しています。

もちろん約1000年近く前のことなどで当時の家が残っていなくても不思議ではありません。

だけどこの崩壊な何ということ。するとそのおじさんが「この村はサントドミンゴの村なんだ、なのにメインの道がここを通らずに向こうにいっちゃったよ。だから署名運動をしてるので書いてくれ」みたいなことを言われました。

そういえば他の村の横には国道が通っておりその両側に村があり、カミーノ道も通っているいう町づくりでした。

教会の中に連れていかれ、おばさんが待ち受けていて、そこで署名、ご丁寧にパスポート番号も記載してくれといいます。

教会を見回すとなにやら大きな石の盃のようなものが展示されています。

何か尋ねると約1000年前のバプテスマをする際に使っていたものだとのこと。

サントドミンゴもこれでバプテスマしたの?と聞くと「そのとおり」と自慢げに答えます。「1000年よ1000年」としつこく言われ、なんのことかと垂れ幕を見るとどうやら今年はサントドミンゴの生誕1000年なのだそうです。

だからこの村についたときに祭典のようなにぎやかさで、装束を着た人達がいたわけが解りました。垂れ幕がさがっている公民館みたいなところに行くとサントドミンゴの生涯のパンフレットや展示があるのかと思い中に入ると、なんと酒盛り状態。生誕1000年なんでしょ!! 

国道があっちに行っちゃった、けしからんとか言いながら生家は崩壊、生誕1000年のイベント?は村の飲み会。ドミンゴさんの偉業を鑑みるとなんか残念!! 

しかしよくよく思うとサントドミンゴ デ ラ カルサダはリオハ県、この村はブルゴス県と行政区が違うのです。もしかしたら行政からも支援がないのかもしれません。小さい村なので資金もなく、いいところは大きなサントドミンゴ デ ラ カルサダに持っていかれてるのが実情か・・・

なんともわびしい気持ちで村をあとにして宿泊地のビジャマイヨール デル リオへ。

しかし、ここもアルベルゲとレストランが1件づつの小さな村。WIFIの設備が村にないのかレストランもアルベルゲも使えない・・・これまた寂しい。今日はアナログにもどって早寝をしよう。

行程

     サントドミンゴ デ カルサダ 08時40分

09時50分 グラニョン          10時20分

11時10分 レダシラ デル カミーノ  

11時40分 カスティ デ ラゴス

12時03分 ヴィオリア デ リオハ    12時29分

13時15分 ヴィジャマヨール デ リオ

 

13日目「中世の巡礼者も使ったアルベルゲ」ビジャマヨール デル リオからビジャフランカ モンテス デ オカ

13日目(令和元年9月2日)

ビジャマヨール デル リオからビジャフランカ モンテス デ オカ 17km

カミーノ巡礼13日目ライブ配信

 

今日歩くのは17km。非常に短い距離です。というのも明日はオカから文字通り丘を登り、次の町まで12km何もないところを行くのです。

30km近くを今日歩くのは苦しいので、短いですが17kmのところで打ち止めすることにしました。

というものの朝6時20分にでたのでオカに着いたのは11時。お昼前までに着いちゃいました。

今日のアルベルゲは2年前にカッコいい外見だなあと思っていたところ。ホテルに併設されているアルベルゲです。

中身はもうホテルというか歴史的建造物。というのもここは中世から巡礼者の宿泊施設として使われていた建物なのです。

SAN ANTON ABADというホテル&レストラン&アルベルゲ。

エントリーすると気分は中世です。

アルベルゲの部屋はいたって普通なのですが、カフェはアーチ状の柱や壁に近隣でとれる鹿のはく製が飾られています。

いやおうなく気分は盛り上がります。

ここでは毎日夕方にヨガも実施されています。

このカフェでランチをとり、歩いているときに気になっていた場所に行くことに。

それはトサントスという村を通り過ぎたときに、はるか向こうの山肌に見えた教会です。

たぶん洞窟の教会!! 先日のナヘラの洞窟のマリアの印象がよかったので是非足を延ばしてみたいと歩きながら話していたのです。

ホテルのレセプションでタクシーを呼んでもらい、いざ山肌の教会へ。

名前はエルミタ デ ラ ヴァージン デ ラ ペーニャ。 ここもまたマリアのようです。

タクシーで5分ほどで到着。歩いたらあんなにかかったのに・・・

崖の下までつけてもらい、そこから坂道をのっぼていきます。

2~3分もしないうちに見えてきましたが、門が閉まっている様子。

中には入れない!! 道中でも閉まっている教会も多く、写真だけとり引き返すことに。

だけど高台にあるだけあって景色は素晴らしい・・・

そして、崖をみると白い線がところどころあります。

もしかしてこれはクリスタル?

道にも白い破片が落ちています。

クリスタルかどうかは定かではありませんが、ここの教会は800年前にラエルミタという女性がこの崖の洞窟に住み巡礼者に奉仕をしていたそうです。

そこにチャペルが建てられ、ラエルミタとマリアの感謝する祭典が年に1度おこなわれるそうです。

中を拝見することはできませんでしたが、聖地といっていい場所だと思いました。

荒々しい崖にもかかわらず、そこには優しい雰囲気が漂っていました。

崖をおりて枯れかけていますが、ひまわりの中で1枚。

アルベルゲに戻り、レストランで夕食をして今日も無事に終了。

 

行程

     ヴィジャフランカ デル リオ 06時20分

07時30分 ベロラド

08時30分 トサントス

09時00分 ビジャムビスティア      09時50分

10時15分 エスピノサ デル カミーノ  

11時00分 ヴィジャフランカ モンテス デ オカ 

 

14日目「人類の進化、ヨーロッパ最古の人骨がみつかった世界文化遺産アタプエルカ」ビジャフランカ モンテス デ オカからアヘス

14日目(令和元年9月3日)

ビジャフランカ モンテス デ オカからアヘス 16.5km

カミーノ巡礼14日目 オカから丘を越えて ライブ配信配信

 

今日も歩く距離は短いものの朝早くに出発。だけど気温は7度とかなり寒い。

ビジャフランカ モンテス デ オカからは文字通り丘を登っていきます。

朝早く、気温も低かったので楽に進むことが出来ます。

古代は、この丘は動物がでたり盗賊もいたのでしょう、越えるのが困難であった場所だったそうです。

一度登ってからまた下り、再び登っていきます。

2回目の丘を登ってからは長らく平らな道が続きます。

途中でオアシスという名の移動カフェが出るのですが、まだ早朝だったのでまだ車も来ていませんでした。

ここで小休憩。

丘から降りていくとサンファン デ オルテガに到着します。

この町はオルテガという人が作った修道院があります。

オルテガは前述のサントドミンゴがこの付近の巡礼路の整備や橋、ホスピタルを創るのを手伝った人なのです。

彼は巡礼者がオカから難関の丘を越えてたどりついたこの地に修道院を創り巡礼者の保護に努めたのです。

彼の名前を冠してこの町の名前はサンファンデオルテガとなったのです。

彼の遺骸は修道院に葬られました。

彼の功績を称えて、その後さまざまな人が修道院に手を加えていきましたが、

その過程でオルテガの棺を移そうするたびにアクシデントが起きるので、そのまま安置されています。

オルテガを出発して次の町のアヘスへ。

アヘスには数件のアルベルがありますが、とりわけお勧めのなのがこのパン屋さん。

可愛くて美味しいお店です。

前述のオルテガは修道院がアルベルゲになっているのですが、あえてアヘスまできたのは

アタプエルタの遺跡へ足を延ばそうとおもったからです。

ちなみにアタプエルタはアヘスの次の町で、ここにもアルベルゲがあります。

アタプエルカの遺跡とはヨーロッパ最古の人骨が見つかったところなのです。

鉄道敷設の作業をしている過程で人骨が見つかりました。

驚くべきはそう広くない範囲の中になんと40万年前から120万年前の遺跡が出ているのです。

そして今なお発掘は行われています。

アヘスからは夕方5時に送迎バスが来てアタプエルカの町はずれにあるセンターに行きます。

そこから遺跡ガイドとともにバスに乗り15分ほど走った遺跡に行くことになります。

ツアー約1時間くらいです。アタプエルカの町からも送迎バスが出ていますので(アヘスからともに要予約)

センターからは遺跡ガイドとともに行かないと遺跡に入場できないと思われます。

ここでは人類の進化が狭い範囲で出土した非常に珍しい場所なのです。

食人をしていた痕跡や動物をいかに捕獲していたかなどの説明を聞くことができます。

巡礼をしながら、はるか先史の古代に目を転じるのも一興です。

 

行程                                                  

ビジャフランカ モンテス デ オカ 06時20分

09時10分 サンファン デ オルテガ 10時20分

11時19分 アヘス

 

15日目「大きな街に入る道は長くはつらい」アヘスからブルゴス

15日目(令和元年9月4日)

アヘスからブルゴス 24.1km

カミーノ巡礼15日目いよいよブルゴスへ。

 

今日はいよいよブルゴスへ。やはり早めにアヘスを出発。隣町のアタプエルタはまだ真っ暗。

アタプエルタは丘をのぼるとちょうど夜明け

 

丘の上には十字架が立っています。

この丘から遠くに見えるのがブルゴスです。

丘をくだると20~30分あるくとカルデニューラ リオピコの村が見えてきます。

この町のカフェで朝食

次の村オルバネハ リオピコの教会に入りました。

小さい教会に何気なく入ったのですが、ここのマリア様が美しい。

教会の中でしばし休憩をしていざブルゴスへ。

ブルゴスは大きな街です。経験上大きな街に入る時と、出るときが辛いのです。

山道や森の中の道を歩いていると、無機質なコンクリートの道や車道に近い歩道が苦痛になってくるのです。

なかでもブルゴスの街にはいる道は長く一本道なのです。

空港と工場、倉庫地帯のに左右に連なる大きな道路沿いを歩いていきます。

やっとブルゴスの街のはずれらしきところまで来たところにマックやカフェがあり、そこで一休み。

大きなホタテ貝が描かれたビルがあり、ここをすぎるといよいよブルゴスの市街地に近くなります。

やがてビルの向こうに尖がった塔が見え隠れしはじめたらカセドラルは間もなくです。

今日の宿泊はアルベルゲではなくホステル。明日の朝はゆくりしたいのでアルベルゲではなくホステルにしました。

というのもアルベルゲでは必ず8時までにチェックアウトしなければならないからです。

洗濯やシャワーを浴びて5時くらいに大聖堂にいってみると、すでに閉館。

かわりにチューチュートレインに乗って市内観光をしました。

トレインは大聖堂前から出発して40分ほどで街の主要部分を一周します。

なんとなく街の様子がわかるでお勧めです。

明日はブルゴス大聖堂を見て近郊の街レルマに行きます

 

行程

アヘス 6時20分

06時52分 アタプエルタ

08時44分 カデニューラ リオピコ 9時20分

09時50分 オルバネハ リオピコ 10時00分  

14時05分ブルゴス

 

16日目「ブルゴス大聖堂とグレゴリオ聖歌」パラドール レルマ

16日目(令和元年9月5日)

今日は休養日。

午前中は世界遺産のブルゴス大聖堂へ。

ブルゴス大聖堂前からライブ配信

 

ここの大聖堂は美しく壮大。しかもスペイン レコンキスタの英雄エル・シド夫妻のお墓もあります。

大聖堂の中は壮大でかつ美しくて圧倒されます。

細かい彫刻やしつらえが床から天井までされていてため息が出ます。

先人の偉大さと信仰にかける情熱とパワー。そしてカソリックの持っている異常な力と資産。

300年以上にわたって建築されてできあがった大この聖堂はスペインでも特異の存在です。

尖塔がいくつもそびえる様式はスペインでは珍しく、フランスからの影響のようです。この尖塔はドイツ人親子の職人によっシドて作り上げられたそうです。

これはエル・シド夫妻の墓

大聖堂の中央部分に位置します。この頭上には光を取り入れる部分があり、透かし細工のように見えます。

天からエル・シド夫妻にむけて光が降り注いでいるかのようです。

まるでエル・シドのレコンキスタの活躍をいつも称えているかのようです。

ここでは紹介しきれないくらいの見どころがあるブルゴス大聖堂です。

そのあと私たちはタクシーに乗り一路レルマとシロスへ。

はじめシロスにある修道院に行ったのですが閉まっていたのでレルマへ。

ブルゴスからレルマは車で約30分から40分。

今夜の宿はパラドール レルマ ブルゴスです。

サントドミンゴ デ カルサダのパラドールに続いての2回目のパラドール宿泊です。

ひとまずチェックインして

ロビーのカフェ

フロントで修道院の時間を確認してタクシーを呼んでもらって再びシロスへ。

シロス修道院はグレゴリオ聖歌を有名にした修道院なのです。

時間になると一人づつ修道士が姿を現します。深々とお辞儀をして自分の席についていきます。

礼拝に来ている人にお礼をしているのか、または主に対してのお辞儀なのかわかりませんが、

西欧であんなに深いお辞儀を見るのは初めてでした。

聖歌は低く響くように聞こえてきます。

音のさざ波が伝わってくるかのようなサウンド。

癒されます。

曲の合間に、また深々とお辞儀をすることもあります。

引き込まれるような環境。

ずっと居たかったのですが、夕食の予約をしていたので泣く泣く席を立ちパラドールへ戻りました。

ちなみにレルマとシロスは車で片道25分(往復のタクシー代金は45ユーロ 1時間の待ち時間料金含む)です。

パラドール レルマでの夕食はお勧めのメヌー。

丸いアーチ状の天井のレストラン

レノマに行けばラムを食べろとブルゴスで出会った人も言っていたとおり、メヌーにはラム肉が入っていました。

サラダやスープ、4種類のソーセージが出てきて、どれも美味しくすでに満足感。

そこに

この2皿のラム肉が私たち4人分

大きさを見て仰天。骨がついているものの、一皿を二人で食べきれる量じゃありません。

恐る恐る手を伸ばし、口にしてみると

「美味しい~~~~~!!!!!!」

ラム肉の臭いはせず、柔らかさは口に入れれば溶けてしまうかのよう。

これは美味しいと叫びつつ食べるのですが、さすがにノックアウト。

4人で2人前で十分と思われます。注文する場合は量に気を付けてください。

満腹になり部屋へ。

久ぶりにバスタブにお湯をはってゆっくりバスタイム。

やっぱりパラドールは素晴らしい。

17日目

レルマからライブ配信

 

18日目「再会 夢が現実になった人」

カミーノ巡礼18日目 ブルゴスを出発 たまごちゃん合流

 

19日目「パラレルワールドへ」

カミーノ巡礼19日目パラレルワールドゾーンへ

 

20日目「幸運の運河」カストロへリスからポプラシオンデカンポス

20日目(令和元年9月9日)

カストロへリスからポプラシオンデカンポス 27km

カミーノ巡礼20日目 全然ダイエットになりません!

今日は27KM歩くので早起きして6時20分に出発。

まだ暗いうちにモンステラレスの山に登ります。

ここは山というよりもテーブルマウンテンといった形状で、上はずっと平原が広がっています。

この上で朝日が昇り異常に綺麗な光景を見ることができました。

しかし体感気温は10度を下回っています。

ここ数日間、9月上旬のメセタにしては気温が低く特に朝方は10度を下回ります。

テーブルマウンテンの平原を終えて急こう配の下り坂。それだけに見晴らしがよく遠くにカミーノの一本道が見渡せます。

ひまわりがのこる平原をすぎるとイテロ デ ラ ベガに到着。

二年前にも行ったカフェで朝食。ここは10kmの間なにもないのでみんなが入る流行りのカフェです。

途中、まもなく町というところにサンニコラスという巡礼者のためのチャペルがあります。

そこでスタンプを頂き、ちょっと一息。

ここからさらに8KM歩いて次の街のボアディラ デル カミーノへ。

この町では2年前に入った広い庭のカフェがあり、そこで小休憩。

その際、イタリア人のロベルトにポルラシオンデカンポスに美味しいアホスープの夕食が出るホステルがあるぞと教えてもらい、そこに泊ったのです。

今回もその夕食を食べるべく今日の宿はポルラシオンデカンポスにしたのです。

カフェを出てフロミスタへ。

カスティージャ運河沿いの道を歩き6km弱歩くとフロミスタに着きます。

運河沿いを歩いだすと一隻のボートが停まっていて、船員が乗らないかと声をかけてきます。

よくよく聞いてみるとフロミスタに行く船で観光客らしき人達が乗っています。

船体にカミーノのマークもついていて、巡礼者も乗れるよといわれて乗船することに。

運賃は一般人5ユーロのところ巡礼者は2ユーロと格安。

船の速度はジョギングのペースなので罪悪感も薄れて快適な船旅。

道を歩く巡礼者達に「ブエンカミーノ」と手を振ると、お前たち船に乗ってるの!!」みたいな反応で面白い。

停泊していた時間は僅かだったようで、まさに神様のお恵みのようなものだった。

約6キロ分を節約できてフロミスタに到着。

あと3.6キロ歩けば目的地に到着だ。

フロミスタの教会は独特な丸い形状をしている。残念ながら中には入れなかったが、前のパン屋さんで食べた玉ねぎのピクルスが絶品だった。

1時間足らずでカンポスのホステルに到着。

ホステルのおじさんと、おばさんに「2年前にもきて、夕食が美味しかったからまた来たよ」と告げたら

「あんたたち覚えてるよ」と言ってハグとキスをしてきてくれた。

こんなときにまたカミーノにきて良かったと思う瞬間だ

ウエルカムドリンクでサングリアをもらい、コーヒーを頼んだらパンの上にスモークされたハム(セシーナ)をのせたおやつも頂いた。

このセシーナはレオンの特産でスモークされた牛の生ハムで凄く美味しいのです。

たぶんセシーナは2回目に来たからくれたのだろうか。

夕食はおばさんの手作りのアホスープ(にんにくのスープ)とエビと貝と鶏肉の入った特大パエリア。

私たち5人とイギリス人のアレックスさんと6人で楽しく会話をしながらの夕食でした。

やっぱりスペインは美味しい!!

行程

カストロへリス 6時20分

07時30分 丘の上 小休憩    07時40分

09時26分 イテロ デ ラ ベガ  カフェにて朝食 10時10分

11時00分 サンニコラス チャペル 11時19分

12時00分 ボアディラ デル カミーノ  ガーデンカフェで休憩12時55分  

13時20分 JUAN DE HOMAR乗船 13時55分下船

14時00分 フロミスタ  小休憩 14時40分

15時30分 ポルラシオンデカンポス

 

 

21日目「牛肉が美味しい」ポプラシオン デ カンポスからカリオン デ ロス コンデス

21日目(令和元年9月10日)

ポプラシオン デ カンポスからカリオン デ ロス コンデス 16km

カミーノ巡礼21日目 美味しかったアホスープ

ホステルで朝食を食べ、おじさんとおばさんに又来るねと挨拶をして出発。

今日は16kmと短いのでジャコ様は使わず自分でバッグを背負って歩きます(当たり前か!)

そこに昨日のアレックスもいて再び挨拶。このカフェは庭が広くて鶏やあひる、ガチョウが走り回っている。

奥にはネイティブアメリカンのティピもあって道沿いからも目立つのでわかりやすい。

しばらくして歩き出し1時間くらいで次の街ヴィジャカザール デ シルガへ。

ここには聖マリア教会があり、巡礼者価格1ユーロで入場できる。

バラの組み合わせのような施しの窓から差し込む太陽の光が差し込み対壁を黄金に照らすのが美しい。

小さい街なのに結構大きい教会で、歴史は古くサンティアゴの騎士(テンプル騎士団など)に遡る。

教会でゆっくりしてあと6km弱、まもなく今日の目的地カリオン デ ロス コンデスだ。

私たちの泊るアルベルゲはEspiritu Santo 二年前も泊ったアルベルゲだ。

すべて1段のベッドなのが嬉しい、教会が運営しているのでアルベルゲの部屋と部屋の間に小さいチャペルもある

庭にあるマリア像もいい感じで私たちを見守ってくれている。

洗濯を終えてランチへ。

お店は2年前に行ったお店。その時、私たちはメヌーを食べていたのだが、隣のご夫婦が食べていたステーキが美味しいそうなので今日もやってきた。

Tボーンステーキとサラダとアホスープを注文。

まず出てきたアホスープが美味しい、いままでで最高のアホスープ。

サラダも美味しくてドレッシングがいい感じ。

そしてTボーンステーキがどーーーーん。

衝撃の大きさ

そして美味しい!!

食後のコーヒーはイタリア人ロベルトのお勧めエスパーニャでエスプレッソ。

今日も美味しく終わってきました。

 

行程

ポルラシオン デ カンポス 8時00分

08時55分 レベンガ デ カンポス   

09時30分 ビジャメンテロ デ カンポス  カフェにて朝食 10時15分

11時30分 ビジャカザール デ シルガ 11時50分

13時10分 カリオン デ ロス コンデス

 

 

22日目(令和元年9月11日)「メセタは遠く1本道」カリオンからレディゴス

カリオン デ ロス コンデスからレディゴス 23.4km

カリオンのアルベルゲを6時半に出発したものの、すぐ近くの昨夜のレストランに引き込まれるように入って朝食。

なんだかんだで1時間くらいくつろいでしまう。

この町から次の街までは17.2キロ何もない平原の道が続くので朝食を食べて出るのが得策だと皆で言い聞かせて

1時間もいることになった。

(結局昨夜に買った果物や軽食は道中で食べることはなかった(笑))

やはりメセタと呼ばれるスペイン北部中央の平原は広い。

ここはスペインのフライパンと言われるくらいに暑くなるところだが、今回私たちが歩いている間は気温が低く肌寒い。

ブルゴス以遠、最低気温7度から9度、最高気温も22~24度といったぐあい。

2年前は暑くて倒れそうだったので、大きな違いだ。

思い返せば、2年前はこの道で倒れそうなおじいさん巡礼者を助けたほどだった。

 

行程

カリオン デ ロス コンデス 6時30分

6時30分この町のカフェ ラコルテで朝食 07時30分

09時12分 ベンチで小休憩 09時25分

11時15分 カルザルディラ テ ラ クエーサ  tendaでランチ 12時55分

14時10分 レディゴス

 

23日目(令和元年9月12日)「半分到達記念牛ステーキ」レディゴスからサアグン

レディゴスからサアグン17.2km

カミーノ巡礼23日目レデイゴス出発ライブ配信

レディゴス出発がカフェで朝食を食べて、なおかつ「しんごちゃんねる」のライブ配信もその時にしたので大幅に遅れて8時半。

すっかり明るくなってからの歩き出しとなりました。

モラティノスは8日目の寄ったトリスデルリオのカフェで出会ったおばさんが働いているアルベルゲに寄ること、そして2年前に衝撃の事件が起きた町でもあります(2年前のブログ「壊滅的な出来事は最高のスパイスだ!!」) 

 

いよいよモラティノスに到着。

まずは2年前の事件のカフェ(アルベルゲ)の様子をみます。

ところが当の縦バーコードのおじさんは居ないよう。代わりにツルッパゲの若めの男性がいます。

あれ? 髪の毛が全部なくなったのか? だけど若くなっている・・・息子か? 遺伝か?

疑惑を残しつつ、カフェにははいらず約束のアルベルゲへ。

外出をしているらしく誰も居ない。庭にははいれたので座って休んでいるとオーナー夫婦が帰ってきた。

私たちがトリスデルリオであったおばさんはオーナーではなく働いている方だったようだ。それからしばらくして彼女は帰って来て、感動の再開となった。

彼女とオーナーを交えて少しり話してなんだか凄く仲が良くなり

私が着ていた白衣(八海山の修業着)を着物と勘違いしたのか興味深げに見てくる。

もっと手を広げて見せてなど興味津々なので、オーナー夫人にプレゼントするよと思わず言っちゃいました。

「いいの? どうしてくれるの?」というので

「なんかそう思ったから」というと大喜び

「私マッサージ、指圧をやってるのよ」と

やっぱり最適な人にプレゼントできたと思ったのです。これは八海山尊神社で火渡りをした時の白衣。

なのでかなりパワフルな経験を経ているはず。

「この服はパワフルだから、指圧するときに着たら、エネルギーがアップするよ」と言って彼女に着せました。

またカミーノを歩くときは、このアルベルゲに泊まるねと言ってサアグンに向けて出発。

途中でロンセスバージェースからサンティアゴまでの半分の地点の到達。

ここにはバージン デル プエンテという場所で小さな教会もあります。

その教会に行くと2年前にいたおばんさんがいるではありませんか。

たまごちゃんが2年前のクレデンシャルを見せると

「あっつ これ 私の字だ!!」とおばさん。

「また来てくれたのね!!!」とハグ。

おばさんは5年間ここの教会にいて、今週の日曜日が最後になると言ってたのを聞いてまた感動。

数日前のカフェのエマといい、このおばさんといい奇跡的なタイミングで再会が叶っている。

カミーノを再度歩いていて、再会ほど嬉しいものはない。

また次回歩くと、その感動が3倍になるとしたら、今からワクワクする。

この教会の前にいた自転車で巡礼しているおじさんが私とそっくりなので2ショット

ほどなくサアグンに到着。

2年前の記憶をもとに街に出てレストランに行く。

美味しいステーキを食べたレストラン ルイスだ。

再びの入店、メニューが変わっているような気がしたが、店員にたずねてアラカルトのメニューを注文。

6人で3人前を注文すると

ワ~

これはすごい!!!

ワ~またくる

え~またきた!!!

しかも美味い!!!!!!!!!!!

昨年も書いたが

サアグン最高!!

ちなみにレストランのあと薬局で体重をはかったところ66.1kg

歩き始めて3日目のパンプローナの薬局で測った時は67.5㎏

食べてばっかりで全然ダイエットできていないと思ったけど1.4㎏痩せていた!!!

もうちょっとシェイプしたい感じ。あと400kmでどれくらいになるか楽しみです。

 

行程

     レディゴス 08時30分

09時20分 テラディジョス デ ロス テンプラリロス

10時00分 モラティノス 

      アルベルゲ サン ブルノでカフェ小休憩 11時10分出発

12時50        バージン デル プエンテ教会  13時20分

13時50分 サアグン

 

24日目(令和元年9月13日)サアグンからレリエゴス

サアグンからレリエゴス30.8km

カミーノ巡礼24日目 今日は長めの30.2キロ ライブ配信

今日はサアグンからエルブルゴラネーロまでの17.2kmの予定だったのですが明後日の天気予報があまりよくなかったので、サアグンからレオンまで3日かけていく予定を2日でいくことにしました。

よって今日はサアグンからレリエゴスまでの30.8km歩くことにしました。

エルブルゴラネロまでは数キロおきに村があり比較的楽に歩くことができます。

途中のベラシアネス デル リアル カミーノのカフェで小休憩

ここでパンコントマテを見つけました。

トマトペーストが塗られたトースト。シンプルだけどこれが美味しい!!!

いままではあまり見かけなかったのですが、レオンに近くなると現れてきました。

カミーノ巡礼をしていて地域が変わることで食べ物や名産が変化していくのが楽しみのひとつです。

次の町エル ブルゴ ラ ネロでお勧めの店がここ。

スペイン人がいぇっているお店なのですが、日本語、ハングル語でもメニューが書かれています。

なかでも食べてくなるのが辛ラーメン

スープが少ないので辛めですが、久々のオリエンタルフードでほっこりします。


ここから次の町までは12.6キロの長丁場。

まさにメセタという風景が続きます

この日は久しぶりの気温があがり30度近くまでなり、ちょっとはメセタっぽくなってきました。

2年前はずっと30度を超えていたので、暑いのはいやだけど”これぞメセタ”を一緒に行ってくれた方々に感じてもらえたのは良かったかもしれません。というのも出発前にメセタが暑いと言い続けていたので、このままではメセタは涼しいと思われる懸念があったからです(笑)

やっとレリエゴスに到着。

無事30キロオーバーを歩ききりました。

行程

サアグン 07時30分

09時37分 ベラシアナス デル リアル カミーノ カフェで休憩 10時35分

11時55分 エル ブルゴ ラネロ   ランチ 13時10分

15時45分 レリエゴス

 

25日目(令和元年9月14日)レリエゴスからレオン

レリエゴスからレオン 26km

カミーノ巡礼25日目いよいよレオンへ

今日もメセタの大地を歩きます。

といいてもメセタも今日で終わり、今年のメセタは涼しくてよかった。。。これが実感です。

今年のメセタは1日目の最低気温が8度~10度、最高が25度くらい(昨日と今日は28度くらいでした)と非常に歩きやかったです。

しかもなるべく朝早く出て歩き出したのも良かったと思います。

昼食はマンシージャ デ ラス ムラスのアルベルゲ件レストランのEl Jaroin del Camino

ここで美味しい朝食のメニューを発見

前出のトマトペーストを塗ったパンの上に生ハムを乗せたものでした

美味しいのなんのってものじゃありません

それもそのはず、よくよくお店の奥を見てみたら・・・お肉屋さんじゃないの!?

ここにはアルベルゲもあるので、次回来たときはここに泊ろうと決意しました。

カフェを出て1時間半くらい。

ウッドデッキのような歩道を歩き橋を渡ります。短いですがちょっとイイ感じのところです。

ここからは残り13キロほどでレオンに入ります

レオンには2泊するのでアルベルゲではなくホテルに連泊。

大聖堂に近いCAMAROTE HOTEL

ここは新しいホテルで大聖堂に歩いて2分、レストランも美味しくてかなりお勧めです。

今日 明日とホテルでゆっくり休みます。

 

行程

     レリエゴス 07時10分

08時28分 マンシージャ デ ラス ムラス 09時16分

10時25分 ビジャモラス デ マンシージャ

10時55分 プエンテ ヴィラレンテ

11時50分 アルカへジャ 12時00分

14時00分 レオン

26日目(令和元年9月15日)レオン滞在

レオンのホテルcamaroteからライブ配信

レオンはカミーノ上では有数の大きな都市です。

ちなみにカミーノにある大きな都市の人口を調べてみました

東から

パンプローナ  人口19万7千

ログローニョ  人口15万

ブルゴス  人口17万7千

レオン  人口13万5千

ポンフェダーラ 人口6万7千

サンティゴ デ コンポステラ 人口9万4千

ちなみに比較的大きな街だと思っていた

サントドミンゴ デラ カルサダ 人口6千

アストルガー 人口1万2千

サリア 人口1万3千

でした。ちなみにマドリッドは320万、バルセロナは160万で断トツ。

3番目の都市がバレンシアで80万です(Wikipediaより)

こうしてみるとこじんまりした街々を通り、本当に田舎道の村々の間を歩いてきているわけです。

レオンといえばやはりステンドグラスが美しいレオン大聖堂です。

13世紀の創られたこの大聖堂は石の船と称されたという。たしかにメセタの大平原をくるとレオンの街並みが見えてきたときに石の船のように見えても不思議ではないと思います。

当時は高い建物もないでしょうし、何もないメセタの平原で大聖堂が見えてきた時の安堵感は相当なものだったと思います。

この大聖堂の見ものはステンドグラスと言っていいでしょう、大聖堂に入ってすぐに側面の石段に腰を下ろすと壮大なステンドグラスを見渡すことが出来ます。

 

 

 

光が差し込んだ時に美しさは格別です

中に入れば、うっとりとして佇みつづけるといった大聖堂です。

ブルゴスの大聖堂にならび一見に値する大聖堂です。

 

27日目(令和元年9月16)「迷い道くねくね」レオンからビジャダンゴス デル パラモ

レオンからダンゴス デル  パラモ 22km

カミーノ巡礼27日目 レオンを出発

レオンを出発して巡礼も中盤の後半戦にはいります。

ここからはアストルガ―を経て山を越えてポンフェダーラ。そこからもう一つ山を越えてサリア。

サリアからはラスト118kmとなります。

レオン町からは車道沿いのアスファルトの道を延々と歩きます。

1時間20分くらい歩いてラ バージン デル カミーノに到着。

カフェで朝食を食べてから

この町に2年前に「おばさんのセレクトショップ」と勝手に名付けた食品と雑貨のお店があり、そこに寄ります。

おばさんの代わりに綺麗なおねさんがお店にいらっしゃいました。

2年前にも来たんだよというと嬉しそうに話しかけてきて

彼女はfecebookに出したいから一緒に写真を撮っていいかしら。と言ってきたのでもちろんOKと言ってパチリ

ここはクッキーやお菓子、肉類からハーブティー、アロマオイル、オーガニックぽいシャンプーやクリーム各種あるちょっとかわったお店なんです。

お店を出て数軒先の教会へ

モダンなテイストの教会は美しい祭壇が印象的でした

教会は街の端にあり、ここを出ると泉があります。

泉の巡礼者のオブジェに見送られて3キロばかりで次の街へ

その間に電線にぶら下がっている靴があります。2年前よりも増えている気がするのですが定かではありません。

こうした光景はいくつかあるのですが、一体なぜ靴を電線になげるかは不明です。

靴擦れがひどくなりすぎて履けなくなったのでしょうか。実際に靴はバックパックに括り付けてサンダルで歩いている人もいます。そういう人たちはほとんどが踵や足首にテーピングされていて痛々しく歩いています。そんな人がやけになって靴を放り投げたのは十分に考えられることです。

あとは靴を2足持ってきていて重たくなって棄てちゃったというところでしょうか。

僕は2年前もそうだったのですが地下足袋を履いています。靴擦れやタコなどは一切なしで快調に歩けています。

次の町サン ミゲル デル カミーノで左向きの矢印があり、それに従っていくものの様子がおかしい。

ところどころ矢印があるものの、その先ぱったりと無くなってしまいました。

2年までも歩いた記憶がない道。

どうやら道を間違ってしまったようです。

しかしグーグルマップで位置を確認、そう遠回りでない道を探して無事ビジャダンゴス デル カミーノに到着。

ずっと車道沿いに行けばいいのに、かたわらの町に誘導しようとした矢印にまんまとやられた感じです。

15分ばかり遠回りをしましたが、のんびりとした畑の中の未舗装の道をいけて、これはこれでよかったのかもしれません。

しかし、こういうときスマホが役に立ちます。10年前なら地図を片手に彷徨っていたに違いありません。

公営アルベルゲに到着。

今日も無事に終了

行程

                 レオン 7時18分出発

8時50分 ラ バージン デル カミーノ  カフェ・お店・教会に立ち寄り 10時07分

11時00分バルバデルデ デラ バージン

11時15分 サンミゲル デル カミーノ

13時15分 ビジャダンゴス デル パルモ

 

28日目(令和元年9月17日)「もっと滞在したい町」ビジャダンゴス デル パラモからホスピタル デ オリビゴ

ビジャダンゴ デル パラモからホスピタル デ オリビゴ11km

カミーノ巡礼28日目

今日は短い距離11キロなのでゆっくり8時すぎに出発。

途中の町サンマルティンデルカミーノで朝食兼1時間以上なんだかしゃべったりして休憩。

11キロしか歩かないので余裕の展開です。

途中でブルゴスを出るときにあった中華系フランス人のおばさんと再会。

たまごちゃんの着ている四国お遍路の白衣に興味を持って、売ってくれないか・・・とリクエスト。

2年前のカミーノ巡礼の際に、琵琶演奏家の黒田月水さんからのプレゼントされた白衣だっただけに譲るのをためらっていたのですが、月水さんもわかってくれるよということで彼女に白衣をプレゼント。

直に着るのかと思ったら丁寧にたたんでバックパックにしまっていました。

途中はロンドン在住でカミーノ巡礼が終われば香港に帰るという比較的若い女性と歩き、いまの香港情勢などについて話しました。こういったことを話せるのもカミーノの良さです、以前はイタリア人が天皇陛下のことについて質問をしてきたこともありました。

目的の町ホスピタルデオリビゴには12時過ぎの到着。

この町にはオリビゴ川が流れていて、そこにかかる橋が印象的な街なのです。

2年前あまりにもい美しく、橋のたもとにホステルがいい感じで立っていたので、そこに泊ることにしたのです。

ホステルはHostal Don Suero de Quiñones。

ホステルから橋をながめると

ここでランチも頂いたのですが、注文はホステルのおじさんのお勧めとホステルの前に出ていた看板の写真を頼みました。

サラダとアスパラ

あさりのスペイン風酒蒸し

エビの塩焼き

 

看板の写真のもの(海鮮の具沢山スープ)

ラム肉

全てが美味しすぎる!!!

2年前は「この町、このホステルいいなあ」と思って通り過ぎただけなのですが、今日は11キロという中途半端な距離だけ歩いて滞在した価値がありました。

昼食後町を散歩、いい感じのアルベルゲがあったので中を覗くと人のよさそうなスタッフが出てきて片言の日本語を話します。日本人の友達が著作のカミーノ写真集を見せてくれたりしてお客さんでもない私たち相手に話がもりあがりました。

来年はピアニストと一緒にカミーノにくるつもりなんだけど、この町でコンサートできますか?と尋ねると、川のそばの芝生のとこなんかでやるのはどうかな、僕がオーガナイズしようか・・・とまで言ってくれます。連絡先を交換して今後はメールでやりとりすることに。

もう一軒のアルベルゲにも顔を出すと、そこもいい感じのところで「中に入って写真を撮っていいってよ、中庭に十字架もあるのよ」といって案内してくれます。

薬局にいけば親切にいろいろと症状をきいて親身になってくれるし、ともかく町の人すべてがいい感じなのです。

この町はヨセフ騎士団が作った町、だから「ホスピタル」とついているのです。

だから町の人


は巡礼者や外からの人、困っている人などに優しいのでしょう。

ホスピタル デ オルビス

ここはまた滞在したくなる町なのです。

 

行程

ビジャダンゴ デル カミーノ 08時10分

09時15分 サンマルティン デル カミーノ  カフェにて休憩 10時43分

12時19分ホスピタルデオリビゴ

 

29日目(令和元年9月18日)「もっと滞在したい町」ホスピタル デ オリビゴからアストルガ―

ホスピタル デ オリビゴからアストルガ―17km

カミーノ29日目もっといたくなる町オリビゴよりライブ配信

今日の行程は17キロ。そんなに長くないほど良い距離です。

8時にオリビゴの町でライブ配信始めながら歩き始めました。

次の町のビジャス デ オリビゴでニンニクをキャラクターにしているカフェがありました。

ここでは果物のトイレを借りてすぐに出発。

次の町にもとまらずに小高い丘を登っていきます。

途中に十字架とオブジェがある場所をとおり

ここをとおりしばらく行くと植物の様子が変わってくるのにきがつきます。

白樺がでてくるのです。

ちょっと寒々と見えてくるのが不思議です。しかし気温はメセタを歩いていたより遥かに高く、半袖でも歩けるくらいです。

丘の上を歩いていくと、オアシスが出てきます。

ここはデイビット(黄色いTシャツの人)が始めて全てドネイションで運営されています

2年前に地下足袋を見て思い出したのか、私たち訪れたことを覚えていてくれたようで、再会をよろこんでくれました。

多くの人が憩っていて、まさにここはオアシスです。

ここをでてしばらく行くとアストルガーが見えてくる丘に出ます

2年前にここで黒田月水さんが琵琶を演奏した思い出の場所です。

ここからはもう1時間ほどでアストルガ―です。

今回はアストルガ―で2泊の予定。スパ、プールのある4星ホテルCIUDAD DE ASTORGAに宿泊しました

ホテルにチェックインしてアストルガーの町を散策してランチ。

そして2年前には行けなかったチョコレート博物館を訪れました。

ここではチョコレートの歴史、製作工程や生産と製造の世界分布などが実際の工具や写真で説明されています。

チョコレートのラッピングが色々と紹介されていて、昔は王様や貴族の絵を描いて包装していたようです。

その後、俳優や女優なども印刷されていてチャップリンの写真もありました。

野球選手のカードみたいな感覚だと思います。

面白かったのは、子供のアルファベットの勉強をかねている包装。

JのところにはJAPONESAとあり日本人女性の絵が描かれています

KのところではKAKEMONOと書かれて着物が絵が描かれています。

KIMONOがKAKEMONOと間違って伝わったのでしょうか

あとアジアではCで辮髪の中国人、Iでターバンを巻いたインド人が描かれていました。

当時のヨーロッパの人達の様子が伝わってきそうで面白かったです。

明日はガウディ建築の司長館の様子をライブ配信します。

 

行程

       ホスピタル デ オリビゴ 8時20分

09時00分 ビジャス デ オリビゴ

09時28分 サンティバネス デ バルデリグレシア

10時50分 サンオスト デ ラ ベガ

11時53分 アストルガ―

 

30日目(令和元年9月19日) ガウディ建築 アストルガ―の司教館

ガウディの美しさ。アストルガー司教館からライブ配信

今日はアストルガ―でお休みの日。

ガウディの建築である司教館を訪れました。

この司教館は19世紀に火事で焼け落ちてしまいその後、司祭が友人で会ったアントニオ ガウディに建築の依頼がされたもです。

当時ガウディは設計図を描いたのですが、こういった建築はアカデミーの承認が必要で、そこから許可がおりず建築開始に時間がかかりました。

1889年から1913年にかけて建築が完成しました。

ガウディは当時はやったモダニズムを取り入れた建築を試みましたが、司祭が亡くなったため建築にストップがかかってしまいました。結果、ガウディはその後、建築から手を引き、別の建築家が後を引き継ぐことになりました。

当初は屋根に数多くにガラス窓が施される予定だったのですが、それには至らなかったようです。

柱がアーチ状に組み合わさり、万華鏡をみているような錯覚になります。

壁にはステンドグラスが配されていて美しく壁が光で浮かび上がります。

中二階から見た柱

そして、ステンドグラスのなかにこんなものを見つけました

やはり教会は石造り、まさに石工の作品です。だからこんな作為がされていても不思議ではありません。

科学者、建築家といった知識や技術を持った人たちがフリーメイソンを構成していたといわれていますので、

ガウディがフリーメイソンだったとしても不思議ではありません。

その証拠が見れたような気がしました。

いすれにしても、このカミーノの巡礼中にカセドラルや教会、修道院などを見てきていますが、そんなかでも一番印象になった建物でした。