みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 41日目。

今日は再会と別れの1日でした。
お寺は3か所、神社も1箇所巡拝しましたよ。

第六十二番札所 宝寿寺

今日のyoutubeではのっけから寿命の話。
宝寿寺の寿は寿命の寿。
ここ数日なんだか寿命ということを考えていましたよ。
12歳のL君と歩いているからでしょう。

僕は子供はいないので、お子さんと接しないので
なんとなくあまり寿命とか老後とか
考える機会がなかったので。


伊予三島水軍の菩提寺として
大山祇神社の別当寺だったのが宝寿寺。
聖武天皇がこの地に大国主大神ら三神を祀る
伊予の一の宮神社を建立され、
大和の僧・道慈律師が勅命をうけて法楽所としての
別当寺を創建したのがはじめとされる。
このときは寺名も場所も違っていたそう。
弘法大師が寺に久しく留まり
聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった
十一面観世音菩薩像を彫造した。
これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。

この頃国司だった越智氏の夫人が
難産で苦しんでいたので大師に祈念を頼み、
大師が本尊に祈願した霊水・玉ノ井で加持したところ、
夫人は玉のような男子を無事出産したことから
安産の観音様としても信仰されたのだそう。

とてもよい雰囲気のお寺でした。
全員にお守りを頂きましたよ。

ここでお遍路メンバー(おへんらー)に
松尾さん夫妻、明石さんが加わりました。

第六十三番札所 吉祥寺

今回のお遍路で毘沙聞天ご本尊とする札所は
ここだけ。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間、
そ大師は1本の光を放つ檜を見つけ、
一帯に霊気が満ちているのを感得したそう。
この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、
さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って
安置し、貧苦からの救済を祈願したのが最初だそう。

金剛杖を通せば願いが叶えられるという
くぐり石。


あらゆる貧困を取り除き大富貴をもたらす
仏様といわれる毘沙門天の御妃
吉祥天如。この像の下をくぐると
ご利益があると伝えられており
「くぐり天女」と呼ばれているそう。

ここでまた、イギリス人のお坊さん
(コリンズさん)にお会いしました!
参拝するお寺はまあ同じですが、日程や
歩きと車という違いもあるのに
重なるなんで不思議ですね。
松尾さんも一緒だったのでご紹介して
2月4日の熊本の 魂の巡礼パンフと
松尾さんのCDをお渡ししました。

こちらには寺宝に「マリア観音像」(非公開)が
あるとのこと。30cmほど、美しい高麗焼の像で
土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、
長宗我部元親に贈ったもので、
元親はマリア像とは知らず、美しい観音像として
代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも
見つからなかったそうです。

さて、実は今日は直美さん(クラブワールド)の
お母さまの命日。
お母さんのお墓はここではありませんが
同名の吉祥寺というお寺にあるので
これもご縁でしょうね。
直美さんたちは、『ぽっくりさんお守り』
を購入していました。
秘守、長患いをしないお守りだそうです。

霊峰石鎚山総本山 石鎚神社にも
参拝しました。

古くから山岳信仰の霊峰として
修験道の修行の山として知られています。

第六十四番札所 前髪時


天武天皇時代に修験道の祖・役行者小角が
石鎚山で修行を積んだ後、衆生の苦を救済するために
釈迦如来と阿弥陀如来が石鈇山大権現となって
現れたのを感得し、尊像を彫って安置し祀ったことが
開創なのだと。
多くの歴代天皇の信仰が厚かったそう。
後に空海(弘法大師)も2度石鎚山を巡鍚し
虚空蔵求聞持法や護摩修行、断食修行などを
行ったと。

住職の手作りの門松がありましたよ。
蝋梅が使われていたようです。
(直美さんのお母さまが好きだったと)


さて、L君親子が去っていき
その他にも一旦お遍路を離れる人
また戻ってきた人など、メンバーの入れ替わりが
激しくなっています(笑)。
こんな自由なお遍路も珍しいですね!

そしてなんと今日はまた松山に戻っています。
引き返したのは・・・
あの、お世話になった松本さんに松尾さんを
ご紹介するため。


『松本さんはいい人です!』が合言葉の
松本さんは、なんと仙遊寺のお大師像とそっくり
ということをてっちゃんが発見!!(笑)

松山での楽しい再会となりました。

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