みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 47日目。


今日は4ケ寺巡拝予定です。
お遍路旅もあと残りは数日です。
なんだか早いような、もっといたいような。

第七十六番札所 金倉寺

金倉寺は、弘法大師の甥で
(姪の子供となっているのですが)
天台寺門宗の開祖「智証大師」が誕生した地。
天台宗なんですね。

宝亀5年に智証大師の祖父・和気道善(わけどうぜん)
が建立し、唐から帰朝した智証大師が
唐の青龍寺にならって伽藍を造営、
薬師如来を刻んで本尊にしたそう。
醍醐天皇の勅命で「金倉寺」になったのは928年。

「智証大師」は、子供の頃賢いと評判だったそう。
智証大師が2歳の時には、体からなんとも後光が射し
5歳の時には目の前に天女が現れた伝説もあると。
この天女が「訶利帝母(かりていも)」
(別名「鬼子母神(きしもじん)」)だそうですよ。
今は子授・安産にご利益があると。
一族の方もすごいのですね。

音曼荼羅というのがありましたよ。

自分や家族の干支の鐘をたたいて祈る
そうですよ。どんな音だと思いますか?
一度やってみてくださいね。


移動していたら、民家からおじいさんが
「ちょっとまってくださーい。」と
出てこられ、箱に並べられたものを
お接待でくださいました。

こんなにかわいいお地蔵様ですよ!
息子さんが焼き物をされていて
作られたそうです。
中には紙が入っていて
第七十七番札所参拝記念となっています。
ありがとうございます!
素敵な方ですね!

第七十七番札所 道隆寺

和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が
桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、
草堂を建てたのが寺の初めだそう。
なので、名前から道隆寺。
ブロンズの観音様がずらっと並びます。

道隆公は、桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っていて
この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、
乳母が倒れて死んでいた。
嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、
草堂に安置して供養したと。

道隆公の子・朝祐公は
唐から帰朝した弘法大師にお願いし
弘法大師自ら90センチほどの薬師如来像を彫造、
その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊としたそう。
第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が
嗣ついで二十三坊を建立し、
第四世の円珍(智証大師)
第5世聖宝(理源大師)と高僧が相次いだそうです。

幼少より盲目だった丸亀京極藩の
京極左馬造公が、ご本尊の薬師如来に
祈願したところよくなり
以後医学を学んで「眼病の達人」と
呼ばれるほどのご典医になったので
「道隆寺の眼なおし薬師さま」と
呼ばれて目にご利益があるとされています。


僕も目は悪いので、よくお参りして
おきましょう。

77番札所の前のお土産や仏具のお店は
すごいです。今までで一番の規模かも。
お遍路をしていると、仏具が欲しくなります(笑)。
普段は買わないのにね。

第七十八番札所 郷照寺

こちらはこのあたりの厄除けとして
有名なお寺だそうです。
参拝の方がものすごく多かったです。

「厄除うたづ大師」と呼ばれ、
四国霊場で唯一「時宗」の霊場とのこと。
神亀2年、行基菩薩によって開創され
55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、
本尊として安置されたそうです。
大同2年(807)に弘法大師が訪れ、
仏法有縁の地であると感得し、大
師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされたそう。
この大師像が「厄除うたづ大師」です。
いろいろな高僧が滞在されたので
真言・時宗の2教の法門が伝わることになり、
八十八ヶ所の中で特異な霊場となったのだと。

第七十九番札所 天皇寺

天平年間に行基は、
山中腹に薬師如来を御本尊とした
金山摩尼珠院を建立し、こ
の地が神仏習合の地であることを現したと。

後の弘仁年間に空海が訪れ、
朽ち果てた金山摩尼珠院を現在の
79番札所の場に移動させ、
金華山妙成就寺摩尼珠院とした。

 

その後讃岐へ流された崇徳上皇の
冥福を祈願して崇徳天皇社が建立され,
天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」
と呼ばれるようになったとのこと。

元は白峰宮の神宮寺で、
お寺は崇徳上皇をおまつりする
白峰神社に隣接し,
本尊は十一面観世音菩薩。山門は無く,
赤い鳥居があります。
これが三つ鳥居で、三峯神社などにもありますね。
神社を抜けて本堂・太子堂へ向かう感じ。

崇徳天皇のお話はまた明日にでも。

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