しんごちゃんねる

みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 50日目。

今日は、昨日、一昨日とお話ししています
現在お遍路で巡拝している場所とも関わりの深い
第73世武内宿禰 竹内睦泰さん むっちゃんの
御命日です。
日々むっちゃんを感じながらの旅でもあるのですが
今日もいろいろやってくれましたよ。

風は強いし、歩いているとダスキン竹内はあるし(笑)。

第八十四番札所 屋島寺

ここは讃岐周辺ではめずらしく、台形の山の上。
那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な
源平合戦の古戦場の史蹟で知られています。
鑑真和上によって開創されたと伝えられる!
鑑真さんですよ!知りませんでしたね。
鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ
5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、
天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。
翌年、東大寺に船で向かう途次、
屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、
普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、
経典を納めて創建されたそう。
弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が
堂塔を建立して精舎を構え、
「屋島寺」と称し初代住職になったのだそうです。


大きな狸です。
四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる
土地の氏神。子宝、縁結びや家庭円満にご利益
ありだそうです。

源平盛衰記絵巻物、「源氏の白旗」、
屋島合戦屏風など豊富な寺宝が
保存・展示されている宝物館も
ありましたよ。

ここからまた山道を歩きますが
お腹が減ったので、お昼を。。。
探して偶然入ったのが有名店
山田うどん。

かっこいいですね~。
今日もうどんです。讃岐ですもんね。


僕たちどんだけうどんに魅せられているのか?
嫌いな人がいなくてよかった。
それからまた恒例のコーヒータイム。
てっちゃんがいつもいいお店を
見つけてくださいます。


アンティークでかっこいいお店!
外側はトタンだったので心配しましたが。
素敵なお店が多いですね~。

今日も歩きますが、途中にホテルの廃墟のような
どうにもいただけない崩れかけた建造物が・・・。
こういうものをなんとかしないと
世界遺産登録は難しいかもね。
ここだけではなくて、日本の観光地いずれも
廃墟問題はあるようですね。

第八十五番札所 八栗寺

天長6年、大師がこの山に登り
求聞寺法を修めた時に、
五振りの剣が天振り注ぎ、
山の鎮守蔵王権現が現れました。
そして「この山は仏教相応の霊地なり」と
告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め
鎮護とし大日如来像を刻み五剣山と
名付けられましたと書かれています。

 延暦年中、師は唐に留学する前に、
再度この山に登りました。
そして入唐求法の成否を占うために8個の焼き栗を
植えられました。
無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が
芽吹いていました。
これが八国寺を八栗寺へ改名した由来だそうです。
この寺も長宗我部元親による
八栗攻略の兵火により全焼したと!ここも!

ここには、歓喜天が祀られているお堂が。
僕は歓喜天がなんか好きなんですね。
中までなぜか入れることが多いし(笑)
なんだか守られてる感じがしましたね。


風もかなり強い日でしたのでケーブルカーで
登りました。
3分ほどの短い区間です。
今までも2か所ほどケーブルカーで参拝したの
ですが、いずれもガイド的な方が案内を
されていました。
が、ここのはテープで、しかものびのびの
演歌的な曲が流れて終了(笑)。
昭和40年か!な感じでした。


のんびり旅ももう少しなので
それはそれで楽しんでいます。

今日もありがとうございました。

 

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 49日目です。

今日は、札所も3か寺参拝しましたが
昨日に続いて「崇徳天皇」に関する
フィールドワーク的になっております。
流刑地として流されて生涯を終えたのが
讃岐なのでどうしてもそうなりますね。
前回もお話ししましたが、むっちゃんこと
第七十三世武内宿禰 竹内睦泰さんとのご縁が
いたるところに現れる今回のお遍路旅。
そのむっちゃんに関わりが深い崇徳天皇なので
僕たちも思い入れが強くなりますね。

「八十場の霊泉」
古くから、不思議な力があると伝えられてきた
霊水がわくパワースポット。
崇徳上皇が崩御された際、
このわき水に遺体をつけて、腐敗から守り
都からの指示を待ったと伝えられています。
今はところてんやさん。


鼓岡神社です。
「鼓岡の御所(木丸殿)」で6年間、
都からの便りを待ちつつ過ごされた場所。
建物自体は本当に小さなものです。
こちらは2軒目の住居でこちらで
亡くなるまで過ごされたところ。
清々しい場所でしたよ。


狛犬の足が巻かれているのは
なぜなのだろう。

次に「雲井の御所」へ。
最初に4年ほど過ごされた場所。
ここは地元の綾氏の土地で、綾氏が
崇徳天皇をこちらで住まわせていたと。
そして今も、綾さんのお宅は
あるんです!
まだ一族の方がお住まいです。
すごいですね!!

崇徳天皇のお世話をした綾氏の娘との
間にできた姫のお墓。


「高家神社」
崇徳上皇の遺体を八十場から
白峯山へ運ぶ際に、ひつぎを置いた場所から
血がしたたり落ちたという言い伝えがあり
「血の宮」と呼ばれています。

東にそびえる山々が「五色台」。


「青海神社」
崇徳上皇が讃岐で没して3年後に西行法師が
御陵を詣でたそうで、西行の道となっています。

歌碑88基と石灯籠93基があるそうで
歌碑を詠みながら歩くことができます。


第八十一番札所 白峯寺

こちらの横に、第75代崇徳天皇の御陵があります。

霊峰の五色台には青峯、黄峯、赤峯、白峯、
黒峯の五峯の山があり、
その最も西よりの白峯山にあります。
瀬戸内海の雄大な景色が望める静かな古刹です。

弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が
創建されました。
境内には上皇の悲話を伝える玉章木(たまずさのき)も
あります。
白峯山には日本八天狗の一狗である
心優しい相模坊という天狗が住んでいると
伝えられているそうです。


第八十二番札所 根香寺

五色台の主峰、青峰山の寺。
大師は密教修行の地とし青峰に「花蔵院」を
建立されました。後に大師の甥にあたる
智証大師が訪れた際、山の鎮守である
一之瀬明神に出会いお告げをうけたそう。
智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、
「千手院」を建て安置しましたと。
この霊木の切り株から芳香が放たれていて
根香寺と名づけられたそうですよ。
もうひとつ、牛鬼の伝説もあるそうです。


第八十三番札所 一宮寺

開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正。
行基菩薩、良弁僧正らを輩出。
和同年間、諸国に一宮寺が建立の際、
行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に
改名されたとなっています。
また大同年間、弘法大師が訪れ約106cmの”
聖観音” 聖観世音菩薩を彫造し、
伽藍の再興にあたり、
この時に真言宗に改宗されたのだそう。

弘法大師が戒めのために作られた
「地獄の釜」があるそうです。

さて、今日もフル活動で巡拝しました。
お遍路旅もあと少しになりましたが
本当に感慨深いです。
歩かなければわからなかったことも
本当に多くて、みなさんにも
ぜひ、できるだけ歩き遍路をお勧めしたいのが
僕の正直な気持ちです。

では、明日は屋島へ向かいます。

 

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 48日目です。


youtubeでは1日多く49日目と言ってしまって
ますが(数日前から1日ずれてます)
48日目です(笑)。

今日は、白峰寺あたりまで行く予定でしたが
天気が悪く雨です。
白峰寺あたりは山なので雪かもしれませんので
今日は休憩として1寺のみ参拝。

あとはお話会となりました。

第八十番札所 国分寺

ここもまた国分寺ですね。

寺の創建は聖武天皇の時代。
勅命を受けた行基菩薩が開基した讃岐の国の
国分寺です。その後、弘仁年間(810〜823)に
弘法大師が本尊千手観音像を修理し、
霊場に定めますが、「天正の兵火」で
堂塔のほとんどを焼失したそうです。


この寺で有名なのは四国最古の梵鐘。
どこかでも聞いたような伝説があります。
江戸初期の藩主がこの鐘を高松城の鐘にしようと、
田1町(ちょう)と引き換えに手に入れ
城へ運ぼうとするとなかなか重く。
城についた途端音がならず、
おまけに城下では悪病が流行。
そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に
毎夜鐘が現れ「もとの国分へいぬ(帰りたい)」
と泣く。鐘は国分寺へ返すことに。
帰りは楽々だったようです。
以前もどこかで同じ伝説が・・・
話が入違っているかな?


実は、ここのところいろいろな偶然というか
出来事が重なって起きているのです。
それは、昨日からお話ししている
崇徳天皇にまつわる話でもあるのですが。
今回の旅でも強いご縁を感じている
第七十三世武内宿禰 竹内睦泰さん。
2000年に亡くなられましたけど
当社は竹内睦泰さん(通称むっちゃん)と
セミナーやツアーでお世話になっていたのです。
その関係の方が今回のお遍路でも
偶然集まっています。

そして最近数年ぶりにご連絡があった
白峰先生・・・
白峰先生の夢にむっちゃんが登場し
僕らを助けてあげてと。
そして今僕らがいるのが、なんと崇徳天皇に
関係する今の場所・・・。
むっちゃんの戒名には崇徳の文字。
もちろんご縁があるわけですけど。
そして13日はむっちゃんの御命日。
そんなこんなの時空を超えたと思える
不思議な重なりの話から、
崇徳天皇の怨霊となった話を
今日のyoutubeではお話ししています。

文字に書くより、聞いていただいた方が
わかりやすいので、ぜひyoutubeで
聞いてみてくださいね。
今日の話は こちら

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 47日目。


今日は4ケ寺巡拝予定です。
お遍路旅もあと残りは数日です。
なんだか早いような、もっといたいような。

第七十六番札所 金倉寺

金倉寺は、弘法大師の甥で
(姪の子供となっているのですが)
天台寺門宗の開祖「智証大師」が誕生した地。
天台宗なんですね。

宝亀5年に智証大師の祖父・和気道善(わけどうぜん)
が建立し、唐から帰朝した智証大師が
唐の青龍寺にならって伽藍を造営、
薬師如来を刻んで本尊にしたそう。
醍醐天皇の勅命で「金倉寺」になったのは928年。

「智証大師」は、子供の頃賢いと評判だったそう。
智証大師が2歳の時には、体からなんとも後光が射し
5歳の時には目の前に天女が現れた伝説もあると。
この天女が「訶利帝母(かりていも)」
(別名「鬼子母神(きしもじん)」)だそうですよ。
今は子授・安産にご利益があると。
一族の方もすごいのですね。

音曼荼羅というのがありましたよ。

自分や家族の干支の鐘をたたいて祈る
そうですよ。どんな音だと思いますか?
一度やってみてくださいね。


移動していたら、民家からおじいさんが
「ちょっとまってくださーい。」と
出てこられ、箱に並べられたものを
お接待でくださいました。

こんなにかわいいお地蔵様ですよ!
息子さんが焼き物をされていて
作られたそうです。
中には紙が入っていて
第七十七番札所参拝記念となっています。
ありがとうございます!
素敵な方ですね!

第七十七番札所 道隆寺

和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が
桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、
草堂を建てたのが寺の初めだそう。
なので、名前から道隆寺。
ブロンズの観音様がずらっと並びます。

道隆公は、桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っていて
この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、
乳母が倒れて死んでいた。
嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、
草堂に安置して供養したと。

道隆公の子・朝祐公は
唐から帰朝した弘法大師にお願いし
弘法大師自ら90センチほどの薬師如来像を彫造、
その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊としたそう。
第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が
嗣ついで二十三坊を建立し、
第四世の円珍(智証大師)
第5世聖宝(理源大師)と高僧が相次いだそうです。

幼少より盲目だった丸亀京極藩の
京極左馬造公が、ご本尊の薬師如来に
祈願したところよくなり
以後医学を学んで「眼病の達人」と
呼ばれるほどのご典医になったので
「道隆寺の眼なおし薬師さま」と
呼ばれて目にご利益があるとされています。


僕も目は悪いので、よくお参りして
おきましょう。

77番札所の前のお土産や仏具のお店は
すごいです。今までで一番の規模かも。
お遍路をしていると、仏具が欲しくなります(笑)。
普段は買わないのにね。

第七十八番札所 郷照寺

こちらはこのあたりの厄除けとして
有名なお寺だそうです。
参拝の方がものすごく多かったです。

「厄除うたづ大師」と呼ばれ、
四国霊場で唯一「時宗」の霊場とのこと。
神亀2年、行基菩薩によって開創され
55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、
本尊として安置されたそうです。
大同2年(807)に弘法大師が訪れ、
仏法有縁の地であると感得し、大
師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされたそう。
この大師像が「厄除うたづ大師」です。
いろいろな高僧が滞在されたので
真言・時宗の2教の法門が伝わることになり、
八十八ヶ所の中で特異な霊場となったのだと。

第七十九番札所 天皇寺

天平年間に行基は、
山中腹に薬師如来を御本尊とした
金山摩尼珠院を建立し、こ
の地が神仏習合の地であることを現したと。

後の弘仁年間に空海が訪れ、
朽ち果てた金山摩尼珠院を現在の
79番札所の場に移動させ、
金華山妙成就寺摩尼珠院とした。

 

その後讃岐へ流された崇徳上皇の
冥福を祈願して崇徳天皇社が建立され,
天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」
と呼ばれるようになったとのこと。

元は白峰宮の神宮寺で、
お寺は崇徳上皇をおまつりする
白峰神社に隣接し,
本尊は十一面観世音菩薩。山門は無く,
赤い鳥居があります。
これが三つ鳥居で、三峯神社などにもありますね。
神社を抜けて本堂・太子堂へ向かう感じ。

崇徳天皇のお話はまた明日にでも。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 46日目。

昨日参拝した、出釈迦寺ですが
弘法大師が7歳で身を投げたとされる
奥の院の捨身ヶ嶽まで今日行ってみます。


かなり山の上ですので、登りますよ。


景色もいいですね。


お釈迦様の像と鐘撞堂があり
そちらでお経を唱えさせてもらいました。


身を投げたとされる場所までは
鎖場をよじ登っていきます。
かなりきついですね!
ですが、遠足らしく小学生の団体が
元気に登ってきましたよ。
絶景でもありますし、雲海のような雲も見え
とてもいい雰囲気でした。

お経もみんなで唱えますが、日に日に上達し
らしく?なってきているようです。
僕らも徐々にお遍路さんに慣れてきていますね。

第七十四番札所 甲山寺


甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、
幼少時代によく遊んだのだそう。
大きくなった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に
伽藍を建立する霊地を探していました。
ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から
おじいさんが現れ
「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、
仏の教えを広めてきた聖者だ。
ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」
と言われたので、大師は毘沙門天像を刻んで
岩窟に安置し、供養したそうです。

嵯峨天皇の勅命で「満濃池」の修築工事を
命じられた弘法大師。難しい工事だが
弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、
薬師如来像を刻んで修法しました。
すると大師を慕って数万人の人々が集まり、
力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたとのこと。
それから先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を
本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の
甲冑の形に似ていることから「甲山寺」と
名づけられたとのことです。

第七十五番札所 善通寺

ご存じ(笑)、市や町の名前になるくらい
有名なお寺ですね。
さすがに大きなお寺で、連休と言うこともあり
人出がすごい!!初詣の方も多いのかな。
地元ではさすがに知られたお寺ですね。


唐より帰朝されたお大師さまが、
御父の寄進した四町四方の地に、
師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して
建立したお寺だそう。
父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と
号したと記されていました。
お父さんのためお寺ですね。


「誕生院」の院号は、大師の御誕生の地であり
産湯の井戸がありました。
ここでお生まれになったのですね~。
京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ
弘法大師三大霊跡のひとつと言われます。
御影堂地下には、約100メートルの
「戒壇めぐり」があり、暗闇の中、
御宝号を唱えながら大師と結縁する
道場となっています。
善光寺などにもある戒壇です。

こんぴらさんにも行きましたよ。

金刀比羅宮 

御本宮の御祭神は、大物主神と崇徳天皇です。
古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として
信仰されています。とのこと。

さて、以前来たことがあるのですが
かれーうどんやさんが美味しいのですよ。
高松のたかみーさんに教えていただいた
琴平むさし 。
汁なし?カレーうどんみたいな感じで
美味しい!!


みんながっついていますね。


四国を歩いていると、必ずおでんもあります。

明日も寒そうですがしっかり進みます。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 45日目です。
今日も本当にありがたい出会いがありました。

まず、出がけにホテルの前のファミレスで
朝食をしていると、昨夜もお世話になった、
仏師さんをご紹介してくださった
高橋さんから電話。
ずっと一緒にお遍路をしているてっちゃんと
話がしたいと。
てっちゃんは今、仕事をやめて
お遍路にこれているので
就職の話かな?面接かな?という雰囲気。
ずっと歩き遍路をしているのは4人。
4人それぞれ、この遍路中に転機のようなことが
起きているんですよね・・・・。
さて、どうなりますか。


第七十番札所 本山寺

大同2年(807)平城天皇の勅願により
弘法大師が七十番札所として開基。
当時は「長福寺」という名で、
本堂は大師が一夜ほどの短期間にて
建立したという伝説があるのだそう。


五重塔がシンボルです。

天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入
住職を刃で切って進んだところ
脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち
これに驚いて軍勢が退去したたと言われています。
この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれているそう。
ここでも出ました長曾我部さん

こぶし程度の大きさの石に
般若信教の一文字を書いて
裏に願い事、名前などを書いてお供えする
という「経石」というのがあるのですが
僕たちは今日、8人だったのですが
ちょうど経石をしようとしたら
車遍路の仲間2人が到着したので
10人になり、うまく般若信教1文字ずつを
書くことができました。

ここではすごい方にお会いしました。
納経所で前に並んでいた方が高齢の方で
なにげなく話しかけたところ・・・
99歳でお一人で参拝にこられていて
もうお遍路は100回以上という
すごい方でした。

もってらっしゃる納経帖は朱印を重ねて
真っ赤です。
こんなの見たことありません!
少しお話をさせていただきましたが
耳は遠いけど、お元気でしっかりされていて
自然と涙が出てきましたよ。
お会いできて本当によかった。
裏に自分の住所や名前が入った(印鑑)
金色の納め札を人数分くださいました!
金色!すごいことですよ。


説明しますと・・・
納め札というのは、各お寺の本堂と太子堂に
参拝した際に1枚ずつ納める札なのですが
こういう冊子状になっています。
祈願すること、住所、名前などを記入します。
100枚とか200枚束なんです。

お接待の返礼にお渡ししたり、
お遍路さん同士の
名刺のような使われ方もするんですよ。

白:1~4回、
青:5~7回、
赤:8~24回、
銀:25~49回
金:50~99回
錦:100回以上

となっています。
通販でも購入できますが、白は1束100円程度
銀・金は少し高いです(笑)。500円程。
錦は楽天では100枚で11,000円でした!
どんなに少なくても88か所x2枚必要です。
錦はだいぶレアですので、普段は金をお使い
なのでしょうね。。。

1回でも大変なお遍路を100回以上とは!!
すごい方にお会いできました。ありがたいことです。

第七十一番札所 弥谷寺


本堂は弥谷寺山頂に位置し、
岩壁に囲まれるように建っているお寺。 
ご本尊は千手観世音菩薩で、
今からおよそ1300年前
聖武天皇の勅願により、行基菩薩が堂宇を建立し、
疾病平癒の為、光明皇后により、
『大方広仏華厳経』がお祀りされ、
寺院を創建したといわれているそう。
華厳経以外にも、寺宝の経典の中には724年頃に
つくられた経典があるのだそうです。

古来より霊山(仏山)として信仰され、
日本三大霊場の一つに数えられたのだと。
『本堂下にある、水場横の洞窟が
神仏のせかいへの入口だ』といわれ、
修験者により刻まれた摩崖仏が
今も無数に点在しているそうです。


太子堂まで長い階段を進みます。
ここの太子堂がすごかったです。

大師堂の堂内奥には、岩屋が獅子の咆吼に見える
から獅子之岩屋と呼ばれる奥の院があります。
弘法大師が9~12歳の頃、この岩屋にて
修学(学問)に励まれたのだそうで
この岩屋の右手奥にある洞窟は経蔵として
使われていたとされ、大師はこの経蔵から
経典をとりだし、岩屋の窓(明星之窓)からの明かりで
勉強に昼夜問わず励まれたのだと。

なんというか、すごく弘法大師を感じられる
空間のように感じました。
包まれているような親近感もあり
今までにあまりない感覚です。
ここは僕の中でとても重要なお寺に
なったと思います。
大師が岩壁に彫られたとされる
「磨崖仏(まがいぶつ)」も見られますよ。

それ以外にも、弘法大師と守敏大師との
法力比べの昔話なども残っているお寺です。

第七十二番札所 曼荼羅寺


実は七十三番を先に参拝してしまって
時間がおしてしまい、閉まっていた納経所を
開けてくださったのが曼荼羅寺。

夕暮れになっていますね。

縁起によると、創建は四国霊場で
最も古い推古四年(596)。
讃岐の領主・佐伯家の氏寺で
「世坂寺(よさかでら)」という名前だったのだと。
弘法大師が唐から帰朝した翌年に訪問された。
母玉依御前の仏果菩提を祈るためだったとも
いわれています。
唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。
本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と
胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に。

四国霊場の古い案内書には、樹齢1200年を超す
弘法大師お手植えの「不老松」の存在もでているそう。
すでに今は枯れてなくなっています。
曼荼羅寺の近くの「水茎の丘」に庵をむすび
7年ほど西行法師がおられたそうですよ。
この寺に通い、本堂前の平らな石の上で
よく昼寝をしていたようで、
この石は「西行の昼寝石」と呼ばれで今もあります。
気持ちの良い昼寝場所だったのでしょうね。

第七十三番札所 出釈迦寺

弘法大師が7歳の時。
我拝師山に登り
「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて
多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら
釈迦如来よ、姿を現したまえ。
もし叶わぬのなら
一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、
断崖絶壁から身を投じました。
すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と
羽衣をまとった天女が舞い降り、
雲の中で弘法大師を抱きとめました。
命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、
青年になって我拝師山の山頂で釈迦如来を
刻んで安置し、堂宇を建てたと書かれていました。

7歳で!すでに!

境内からかなり坂を上っていくのですが
「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、
今は寺の奥の院となっているのですね。
弘法大師が身を投じた場所は、
さらに50mほど登った場所で
下を見れば足のすくむような深い谷底だそう。
今日は時間的に行けないので
明日再度訪れたいと思います。

今日の濃厚な1日を元気に過ごせました。
明日もしっかり参拝します。

お遍路の様子を毎日配信しています。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 44日目。

かなり寒いですがいい天気です。

第六十六番札所 雲辺寺

かなり雪が残っていそうですので
ロープウエイで登ります。
車道もロープウエイもないころは
本当にお遍路道だけで大変だったでしょうね。
僕たちはできるだけ歩きますが
危険だったり、天候や時間の制限によって
無理はしない方針です。

それでも山頂付近の気温はマイナス。

凍えますね!


山門から、お釈迦様のお弟子である
五百羅漢像が実物大で並んでいて
ものすごく壮観です。

表情も豊か、やっていることや
持ち物もいろいろ様々です。
すごい数です。
本当に五百以上あったのだと思います。
番号がついていましたから。

四国霊場のうち最も高い標高911メートル。
「遍路ころがし」と呼ばれる難所のひとつ。
住所は徳島県だが、霊場としては香川の
「涅槃」の打ち始めですね。
弘法大師は雲辺寺に3度登られたと。
大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の
建材を求めてこられ、
深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立したそう。
3度目に嵯峨天皇の勅を奉じて登り、
本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を
山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。

四国の各国からの僧侶たちの学問・修行の
道場だったのだと。四国の高野山と呼ばれたようです。
土佐の豪族・長宗我部元親が雲辺寺に参拝し、
住職に四国制覇をしたいと聞いてみたが
「器ではないから」と諫められたが
諦めず、戦火になってしまったとか。
「雲辺寺裏山問答」というのだそうですよ。

多くのお寺が戦火に巻き込まれていますね。
だいたいは権力争いですね・・・。
長曾我部時代の戦火に巻き込まれ・・・
という話がとても多いです。
長曾我部さん、恨まれてないかな。

こちらには「目」に良い秘仏があるそうで
目のお守りがありました。
また、「成す」=「茄子」から茄子のお守りも。


そして参拝のあとは・・・

山頂の公園には、今大人気の
インスタスポット、天空のブランコが!
これはとっても気持ちがいいです。

 

第六十七番札所 大興寺

真言宗の寺院ですが、同じ境内で
真言天台二宗が兼学したという珍しいお寺。
天台宗の影響があるので、
本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、
右側に天台宗第三祖智顗を祀る
天台大師堂がありました。
本尊脇侍は不動明王と毘沙門天であるが、
不動明王は天台様式となっていました。



本堂で赤い蝋燭を7日間灯し祈祷して
いただく七日燈明。
病気平癒、安産、良縁などのご利益があるそう。
ご本尊は薬師如来(伝弘法大師作)です。

第六十八番札所 神恵院
第六十九番札所 観音寺


なんとこの2ケ寺は同じ場所なんです。


神恵院は近代的な建物です。

琴弾公園内の琴弾山の中腹に2つの札所が
存在する、とても珍しい霊場ですね。
開基は法相宗の高僧・日証上人と。
大宝3年(703)この地で修行中、
宇佐八幡宮のお告げを受け、
海上で神船と琴を発見。
「琴弾八幡宮」を建立して祀り
このとき、神宮寺として建てられた寺が
起源だそうです。
大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の
本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、
後に院号を「神恵院」とし、六十八番霊場とされたと。

明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と
神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。
同時に八幡宮に安置されていた
阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移され本堂と
され今に至っているそう。


大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って
中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、
その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を
彫造して安置した。それが観音寺とのこと。
元は「琴弾八幡宮」で、3つに分かれた形のようです。

さて、今日は、昨夜の高橋さんからご連絡があり
夕食にお蕎麦をうってくださるとのこと。
仏師の凡海さんもご一緒してくださいました。
いろいろお話もし、僕は1滴も飲めませんが
珍しいお酒も持参してくださいました。
そこで凡海さんに、僕たちはどんどん
質問をさせてもらったりしたのですが
こころに残っているのは
正確には書ききれませんが、僕がカミーノで
凡海さんの地蔵尊を見た時に
「仏師という方が、現在の日本にいらっしゃる
とは思いませんでした。」ということを
失礼ながら正直に話したのです。
すると、凡海さんは
「元々はアーティストだったこともあり
仏師と名乗ってよいものかずっと迷っていた。
が、今は仏師としての責任を負う覚悟があり
仏師と名乗るようになった。
美しい仏像というだけでなく
みなさんが祈りたいと思ってくれる
仏像を彫ろうと願っている。
木との共同作業なので、木の霊力も大きい。」
とおっしゃられて、感じ入りました。
カミーノへは何度も行くことはできないので
彫った生木へ
「あとは頼んだよ。」と託してきたそうです。
何とも素晴らしいお話だなあと
心に響きました。

本当に今回は素晴らしい方々に出会えた
貴重な旅となっています。
感謝しかありませんね。

仲間と大笑いできることも
心にずしりと感じることも
いろいろなことを経験できている日々です。
香川のお遍路もしっかり進みます。

 

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路43日目。

今日は、標高1000メートルクラスの山の上の
お寺に参拝予定でしたが、雨で始まりました。
お寺と民宿に電話をしてみると
やはり、山は雪なのでやめたほうがいいと。
急遽予定を変更して、観音寺市まで電車移動。

実は、愛媛でお世話になった松本さんの車に
僕らが乗せていただいていた時のこと。

松本さんの知人の高橋さんと言う方から
偶然電話がかかり、
「お遍路中の知人達と一緒なんや。」と
松本さんがおっしゃってくださり
(高橋さんもお遍路関係のサポートをされる方)
その高橋さんの知人に仏師さん
(生木仏像を彫られる方)がおられ
どうやらその方は、僕がスペインのカミーノ
で巡礼していた際に見た、生木の仏像を
彫られた方らしいと。

NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク
という団体があって、同じ巡礼地ということで
スペインのカミーノ モリナセカとの交流が
続いているのだそうです。
あまりの偶然に驚いていたところ
高橋さんと仏師さんにお会いできることになり
今日、急遽伺うことにしました。


高橋さん、仏師の凡海さんへのお土産を買いに
偶然入った酒屋さんがまた不思議酒屋(笑)。
普通の街の酒屋なのに、グランドピアノや
アップライトピアノがあり、ワインセラーも。


お店のご主人が弾いてくださいました。
♪ナタリ~♪って曲です。
飲み屋さんじゃないですよ。
お酒を販売する酒屋さん!
そして、ご主人はやぎも飼っておられ
やぎグッズも飾られていましたよ。
面白いですね。
こちらでスペインのワインをお土産に。


約束の時間まで腹ごしらえ。
香川に入りましたからには
またまたうどん。うどん県ですので。

おいなりさんもそこそこでかい。

みそおでん、温まるし最高ですね!


仏師 凡海さんのアトリエへおじゃま。
大人数で伺って驚かせてしまったかと
思いますが、いろいろお話をして
くださいました。
偶然の出会いって本当にすごいですね。
この方が、あのカミーノ・モリナセカという
小さな町にある 観音様を彫った方かと思うと
感慨深い出会いでした。
マリア像だと思われる方も多いとのことですよ。


高橋さん、凡海さんと。


それから、樹齢1200年ほどの
楠の大木に掘られた
生木のお地蔵様を見に行きました。
ものすごい大木に彫られています。
今は、お堂も作られていますが
地蔵尊はお参りすることができますよ。

この地蔵尊は「生木の地蔵さん」と呼ばれ、
崇拝されています。五尺(150cm)ある
地蔵尊の身長は、木の成長とともに現在までに
10cmほど高くなったそうです。
生きている木ですもんね。

天保7年(1837年)に、近隣の住民「森安利左衛門」が
病弱な一人娘ナヲを案じ、3か月かけて彫り上げた地蔵尊。
その後、病弱だったナヲさんは、なんと百歳まで生き、
長寿を全うしました。この親子2人のお墓は
地蔵堂横の墓地に現在も残っているのですよ。

そして、平家の落人の集落にある鹿子の木に
凡海さんが38歳の時に彫られた
生木地蔵があるとのことで行きましたよ。

かなりな山道でした。


こちらは、江戸末期に鈴木庄兵衛さんという
仏師が彫られた延命地蔵尊があったが
老木が天命を完了したので
昭和54年に凡海さんが新しく彫られたのだそう。
素晴らしいですね。
木の生命と一体の地蔵尊です。


素晴らしい経験ができた1日でした。
これもお遍路体験の貴重な出来事です。
感謝したいと思います。

そして今夜は、ホテルでも民宿でも宿坊でもない
遍路小屋というところに泊まります。
無料なんですよ。
なので、広くはありませんがみんな仲良く
雑魚寝です。これもお遍路旅ですね!

では、また明日もお遍路は続きます。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 42日目。

昨夜はまた松山まで戻っていましたので
路面電車とJRを乗り継いで、四国中央市まで
戻ってお遍路の続きを歩きます。


腹ごしらえを、途中のレストランで。
山なのに「アマルフィ」という名前。
イタリアの岸壁のある街の名前ですね。
ここもはるか昔は海がせまって
岸壁だったのかもしれませんしね。
人気店でかなり混んでいまして
僕らは歩いてきたので、暑くて外のテラスで
大丈夫と言ったところ、速攻寒くなりました(笑)。
ですが、室内は空いていなかったので。
凍えながら食べましたが、パスタは
美味しかったです!

今日は1ケ寺だけ参拝ですが、
なかなか山道に入ってきました。

あまり管理はされていないようでしたが
朝日山古墳という古墳もありましたよ。

第六十五番札所 三角寺

愛媛のお寺はここで最後です。
「三角寺」って何が三角なのかなと
ずっと考えながら歩いていました。


門までの階段はこれまたかなりしんどい。
もうゆっくりではなく、一気に上がったほうが
上がりやすいとみんな知っています。
お遍らーたちも強くなりました(笑)。


聖武天皇の勅願によって、行基菩薩が
弥勒の浄土を模して具現するために開創した。
その後、弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を
彫造して安置、さらに不動明王像も彫られ、
三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と
万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を
修法されたのだと。

ここで三角が出ましたね。護摩壇が三角!
でも文献だけにしか残っていないそう。
この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある
「三角の池」の中の島だそうです。


とても静かでよい感じのお寺。
江戸時代の俳人・小林一茶が訪れたとき、
「これでこそ 登りかひあり 山桜」と
詠まれたのだそう。
樹齢3、400年の桜の名所だそうです。

句 と言えば、霊場には御詠歌があるところが
多いですよ。
御詠歌は寺院や霊場を巡礼する際に、
僧侶ではない一般の人々が唱える歌のことです。
鈴(れい)や鉦(かね)を鳴らしながら詠われます。
仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、
旋律=曲に乗せて唱えるものと書かれています。

ちなみにここの御詠歌は
『おそろしや三つの角にもいるならば
心をまろく慈悲を念ぜよ』
ここでも三角ですね!

さて、今日はスーパーホテルに宿泊です。
一人用の部屋でも、2段ベッドがあります(笑)。

明日からはまたかなり厳しい山道です。
標高1000メートルクラスでお寺までは
23KMほどなのですが、近辺に宿泊できる
ところがないので、2日位かけて
巡拝することになりますが、またまた天候次第。
雪だと登れなくなりますからね。
焦らず、続けたいと思います。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 41日目。

今日は再会と別れの1日でした。
お寺は3か所、神社も1箇所巡拝しましたよ。

第六十二番札所 宝寿寺

今日のyoutubeではのっけから寿命の話。
宝寿寺の寿は寿命の寿。
ここ数日なんだか寿命ということを考えていましたよ。
12歳のL君と歩いているからでしょう。

僕は子供はいないので、お子さんと接しないので
なんとなくあまり寿命とか老後とか
考える機会がなかったので。


伊予三島水軍の菩提寺として
大山祇神社の別当寺だったのが宝寿寺。
聖武天皇がこの地に大国主大神ら三神を祀る
伊予の一の宮神社を建立され、
大和の僧・道慈律師が勅命をうけて法楽所としての
別当寺を創建したのがはじめとされる。
このときは寺名も場所も違っていたそう。
弘法大師が寺に久しく留まり
聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった
十一面観世音菩薩像を彫造した。
これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。

この頃国司だった越智氏の夫人が
難産で苦しんでいたので大師に祈念を頼み、
大師が本尊に祈願した霊水・玉ノ井で加持したところ、
夫人は玉のような男子を無事出産したことから
安産の観音様としても信仰されたのだそう。

とてもよい雰囲気のお寺でした。
全員にお守りを頂きましたよ。

ここでお遍路メンバー(おへんらー)に
松尾さん夫妻、明石さんが加わりました。

第六十三番札所 吉祥寺

今回のお遍路で毘沙聞天ご本尊とする札所は
ここだけ。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間、
そ大師は1本の光を放つ檜を見つけ、
一帯に霊気が満ちているのを感得したそう。
この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、
さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って
安置し、貧苦からの救済を祈願したのが最初だそう。

金剛杖を通せば願いが叶えられるという
くぐり石。


あらゆる貧困を取り除き大富貴をもたらす
仏様といわれる毘沙門天の御妃
吉祥天如。この像の下をくぐると
ご利益があると伝えられており
「くぐり天女」と呼ばれているそう。

ここでまた、イギリス人のお坊さん
(コリンズさん)にお会いしました!
参拝するお寺はまあ同じですが、日程や
歩きと車という違いもあるのに
重なるなんで不思議ですね。
松尾さんも一緒だったのでご紹介して
2月4日の熊本の 魂の巡礼パンフと
松尾さんのCDをお渡ししました。

こちらには寺宝に「マリア観音像」(非公開)が
あるとのこと。30cmほど、美しい高麗焼の像で
土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、
長宗我部元親に贈ったもので、
元親はマリア像とは知らず、美しい観音像として
代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも
見つからなかったそうです。

さて、実は今日は直美さん(クラブワールド)の
お母さまの命日。
お母さんのお墓はここではありませんが
同名の吉祥寺というお寺にあるので
これもご縁でしょうね。
直美さんたちは、『ぽっくりさんお守り』
を購入していました。
秘守、長患いをしないお守りだそうです。

霊峰石鎚山総本山 石鎚神社にも
参拝しました。

古くから山岳信仰の霊峰として
修験道の修行の山として知られています。

第六十四番札所 前髪時


天武天皇時代に修験道の祖・役行者小角が
石鎚山で修行を積んだ後、衆生の苦を救済するために
釈迦如来と阿弥陀如来が石鈇山大権現となって
現れたのを感得し、尊像を彫って安置し祀ったことが
開創なのだと。
多くの歴代天皇の信仰が厚かったそう。
後に空海(弘法大師)も2度石鎚山を巡鍚し
虚空蔵求聞持法や護摩修行、断食修行などを
行ったと。

住職の手作りの門松がありましたよ。
蝋梅が使われていたようです。
(直美さんのお母さまが好きだったと)


さて、L君親子が去っていき
その他にも一旦お遍路を離れる人
また戻ってきた人など、メンバーの入れ替わりが
激しくなっています(笑)。
こんな自由なお遍路も珍しいですね!

そしてなんと今日はまた松山に戻っています。
引き返したのは・・・
あの、お世話になった松本さんに松尾さんを
ご紹介するため。


『松本さんはいい人です!』が合言葉の
松本さんは、なんと仙遊寺のお大師像とそっくり
ということをてっちゃんが発見!!(笑)

松山での楽しい再会となりました。

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