2019年カミーノ サンティアゴ巡礼

みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。

四国八十八か所歩きお遍路 結願しまして
本日四国を離れて、高野山へお礼参りへ
行きましたよ。

和歌山港までフェリーで行きます。
なんか、電車やバスで大都会大阪に着くのは
ちょっと違うなと感じまして、フェリーで
のんびりとても良かったです。
なんと、和歌山港ではサプライズ!
中村さんご夫妻が待っていて下さいました。


高野山は雪です。かなり冷えますが良い雰囲気です。

高野山はみなさんご存知かもしれませんが
平安時代のはじめに弘法大師によって、
開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが
『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経
(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』
というお経より名付けられたと伝えられています。
高野山と言う山はないんですよ。
総本山金剛峯寺という場合、
金剛峯寺だけではなく高野山全体を指すそうです。
普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、
その敷地内を境内といいますが、
高野山は「一山境内地」と称し、
高野山の至る所がお寺の境内地であり、
高野山全体がお寺という考えです。

弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、
唐の明州の浜より帰国の途に
つかれようとしていた時、
伽藍建立の地を示し給えと念じ、
持っていた三鈷(さんこ)を投げられた。
その三鈷は空中を飛行して
現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたということです。

寒い日も毎日お勤めは続きますね。

弘法大師は今でも奥の院の御廟の中で
禅定を続けているとされています。
弘法大師は即身成仏されたのですから、
死んでいても生きている、つまり永遠の生命を
身に付けて皆を救済するために禅定を続けておられると。
なので毎日欠かさず御廟にお食事を届けます。
弘法大師がご飯を食べているというものではなくて、
いつも私達を救って下さって有難う御座います、
という感謝のお膳なのだそうです。

私達も、無事お遍路結願できたことを
感謝のご報告をさせていただきました。

実は、橋本であかしっくさんが待っていて
くれました。
小林さんも、あいちゃんも会いに来てくれました。
お遍路仲間、ありがとうございます。


youtubeでコメントを頂いたりしている
ご縁のある方のご提案もあり
慈尊院へも参拝しました。

弘法大師御母公のお寺として知られる慈尊院。
「乳房型絵馬」をご奉納して祈願するという
日本でもたいへん珍しいお寺で、
そのご利益を願って多くの女性に
女人高野と称され信仰されているんですよ。

有吉佐和子さんの小説「紀ノ川」の映画で
慈尊院に安産祈願に「乳房型絵馬」を
ご奉納されるシーンがあり有名にもなったそう。

こちらは弘法大師が出会った猟師と犬。

弘法大師はこの三鈷を求め、
今の大和の宇智郡に入られた時
異様な猟師と2匹の犬に会い
犬に導かれて山に分け入ると女性に会い
その方が「わたしはこの山の主です。
あなたに協力致しましょう」と。
そこから進んでいき、
明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを
見つけ、この地こそ真言密教にふさわしい地
であるとされたわけです。

そして慈尊院にも犬が。

高野山案内犬 ごん です。
説明によると
昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた
紀州犬と柴犬の雑種である
白い雄の野良犬がおりました。
誰が教えたわけでもないのですが、
不思議なことにその犬は高野山への
参詣者の道案内をするようになったのです。

最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を
案内するだけでしたが、
いつしか慈尊院をねぐらとして、
約20kmの道のりを朝、慈尊院を発って、
夕方に高野山上の大門まで道案内し、
夜には慈尊院に戻るという毎日を
送るようになったのです。

ゴンは2002年6月5日息を引き取りましたが、
あまりに参詣者から愛されていたゴンを惜しみ、
同年7月23日に当院境内の弘法大師像の横に、
ゴンの石像が載せられた「高野山案内犬ゴンの碑」を
建てました。

とのことですよ。お大師様の会った犬の
生まれ変わりかもしれませんね。


そして現代も生まれ変わり犬が来ていますよ。

動物はいつも人間の仲間ですね。(笑)

それから、真田庵にも行きましたよ。

善名称院と言います。
真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺。
真田昌幸は、この九度山町にて亡くなり、
息子である幸村は、父の供養のために、
森の中に宝篋印塔を建てたのだそうです。


本日はいつもお世話になっている
宿坊 三宝院 に宿泊しています。
お食事も美味しいのです。
今夜はみんな揃っての最後の夜ですね。
なんだか明日東京へ戻るのが
信じられないですね。

お遍路と言っても、人それぞれのやり方があり
どれが正しいとも言えません。
もちろん寒かったり、暑かったり、痛かったり
くたびれたりつらいこともあるでしょうけど
こうやって50日も過ごしていると
楽しいこと、おもしろいこと、心に響くこと
素敵な人達にもたくさん出会えました。
お遍路を人生に例える方もありますが
本当にそうかもしれません。
お遍路、素晴らしい日々でした!

みなさんも、ぜひみなさんなりの
お遍路を!!

 

ご支援、応援、ありがとうございました。

 

今後も、日々のyoutube配信は続きます。
ぜひ遊びにきてくださいね。

帰京後もお遍路についてお話しています。
これからお遍路に行かれる方もぜひ参考にしてください。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 44日目。

かなり寒いですがいい天気です。

第六十六番札所 雲辺寺

かなり雪が残っていそうですので
ロープウエイで登ります。
車道もロープウエイもないころは
本当にお遍路道だけで大変だったでしょうね。
僕たちはできるだけ歩きますが
危険だったり、天候や時間の制限によって
無理はしない方針です。

それでも山頂付近の気温はマイナス。

凍えますね!


山門から、お釈迦様のお弟子である
五百羅漢像が実物大で並んでいて
ものすごく壮観です。

表情も豊か、やっていることや
持ち物もいろいろ様々です。
すごい数です。
本当に五百以上あったのだと思います。
番号がついていましたから。

四国霊場のうち最も高い標高911メートル。
「遍路ころがし」と呼ばれる難所のひとつ。
住所は徳島県だが、霊場としては香川の
「涅槃」の打ち始めですね。
弘法大師は雲辺寺に3度登られたと。
大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の
建材を求めてこられ、
深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立したそう。
3度目に嵯峨天皇の勅を奉じて登り、
本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を
山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。

四国の各国からの僧侶たちの学問・修行の
道場だったのだと。四国の高野山と呼ばれたようです。
土佐の豪族・長宗我部元親が雲辺寺に参拝し、
住職に四国制覇をしたいと聞いてみたが
「器ではないから」と諫められたが
諦めず、戦火になってしまったとか。
「雲辺寺裏山問答」というのだそうですよ。

多くのお寺が戦火に巻き込まれていますね。
だいたいは権力争いですね・・・。
長曾我部時代の戦火に巻き込まれ・・・
という話がとても多いです。
長曾我部さん、恨まれてないかな。

こちらには「目」に良い秘仏があるそうで
目のお守りがありました。
また、「成す」=「茄子」から茄子のお守りも。


そして参拝のあとは・・・

山頂の公園には、今大人気の
インスタスポット、天空のブランコが!
これはとっても気持ちがいいです。

 

第六十七番札所 大興寺

真言宗の寺院ですが、同じ境内で
真言天台二宗が兼学したという珍しいお寺。
天台宗の影響があるので、
本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、
右側に天台宗第三祖智顗を祀る
天台大師堂がありました。
本尊脇侍は不動明王と毘沙門天であるが、
不動明王は天台様式となっていました。



本堂で赤い蝋燭を7日間灯し祈祷して
いただく七日燈明。
病気平癒、安産、良縁などのご利益があるそう。
ご本尊は薬師如来(伝弘法大師作)です。

第六十八番札所 神恵院
第六十九番札所 観音寺


なんとこの2ケ寺は同じ場所なんです。


神恵院は近代的な建物です。

琴弾公園内の琴弾山の中腹に2つの札所が
存在する、とても珍しい霊場ですね。
開基は法相宗の高僧・日証上人と。
大宝3年(703)この地で修行中、
宇佐八幡宮のお告げを受け、
海上で神船と琴を発見。
「琴弾八幡宮」を建立して祀り
このとき、神宮寺として建てられた寺が
起源だそうです。
大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の
本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、
後に院号を「神恵院」とし、六十八番霊場とされたと。

明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と
神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。
同時に八幡宮に安置されていた
阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移され本堂と
され今に至っているそう。


大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って
中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、
その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を
彫造して安置した。それが観音寺とのこと。
元は「琴弾八幡宮」で、3つに分かれた形のようです。

さて、今日は、昨夜の高橋さんからご連絡があり
夕食にお蕎麦をうってくださるとのこと。
仏師の凡海さんもご一緒してくださいました。
いろいろお話もし、僕は1滴も飲めませんが
珍しいお酒も持参してくださいました。
そこで凡海さんに、僕たちはどんどん
質問をさせてもらったりしたのですが
こころに残っているのは
正確には書ききれませんが、僕がカミーノで
凡海さんの地蔵尊を見た時に
「仏師という方が、現在の日本にいらっしゃる
とは思いませんでした。」ということを
失礼ながら正直に話したのです。
すると、凡海さんは
「元々はアーティストだったこともあり
仏師と名乗ってよいものかずっと迷っていた。
が、今は仏師としての責任を負う覚悟があり
仏師と名乗るようになった。
美しい仏像というだけでなく
みなさんが祈りたいと思ってくれる
仏像を彫ろうと願っている。
木との共同作業なので、木の霊力も大きい。」
とおっしゃられて、感じ入りました。
カミーノへは何度も行くことはできないので
彫った生木へ
「あとは頼んだよ。」と託してきたそうです。
何とも素晴らしいお話だなあと
心に響きました。

本当に今回は素晴らしい方々に出会えた
貴重な旅となっています。
感謝しかありませんね。

仲間と大笑いできることも
心にずしりと感じることも
いろいろなことを経験できている日々です。
香川のお遍路もしっかり進みます。

 

お遍路の様子を毎日配信しています。

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