大村ブログ

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2022年1月 
四国八十八カ所歩き遍路
結願(廻り終える事)した
大村真吾と巡る

東京版ゆるっとお遍路 第1回 開催します。』

いつかはお遍路へ行きたい!
と願っている方は多いと思います。

時間ができたら・・・
お金が貯まったら・・・
体力があったら・・・
一人では不安・・・
どこから始めればいい?
何キロも歩けるかな?
荷物はどうするの?

都内でもお遍路はできます!

四国八十八カ所遍路の前に
都内お遍路してみませんか。

『御府内八十八か所』をまずは巡ってみよう!

御府内八十八か所』とは
都内(一部近郊)の弘法大師ゆかりの
お寺です。
みなさんの近所にもあるかもしれませんね。

お散歩よりは少し距離が長いですが
1日に数か寺無理なく
参拝していこうと思います。
もちろんちゃんと参拝しながら歩きます。
これから不定期に月1回ほどのペースで
御府内お遍路をしていこうと思います。
まずは練習の気持ちでのご参加もありあり!
気軽な気持ちでご参加ください。

いつかは本場・四国お遍路へ!!

の気持ちで楽しく都内お遍路してみましょう。

【日時】
3月12日(土)10:00~16:00(予定)

【集合場所】
高輪ゲートウエイ駅周辺を予定

【参加費】
お1人様 ¥4,000(税込)

参加申し込みはコチラ

 

【3月12日に巡るお寺】
1番 高野山東京別院 ☆START☆
(港区高輪)

↓ 1.8km  約30分

4番 高福院(品川区上大崎)

↓ 5.6km 約75分

8番 長遠寺(大田区南馬込)

↓ 3.6km 約45分

26番 来福寺 ☆GOAL☆
(品川区東大井)

※天候・その他により訪問地等が変更になる場合もございます

合計11km 約3時間、
参拝時間を入れると約5時間
昼食休憩時間を含めて合計6時間程の
歩き遍路になります。

長時間の歩きに適したスニーカーなどの
歩きやすい靴、および動きやすい服装にて
ご参加下さい。

※お一人参加がほとんどです。
初めての方も安心してご参加ください。

 

私の名は 「光満院 天真 こうまんいんてんしん」。

2022年2月22日 午前2時22分をもって
大村真吾の身体を借りて、皆の前に現れ
さまざまな話をしようと思う。
そのため、大村真吾の日常・行動・活動などは
制限されることもあるかもしれないが
本人には了承済みである。

なぜ、2022年2月22日 午前2時22分なのか?

2022年2月22日 午前2時22分は2という数が9つ。
2 x 9 = 18
18=3+6+9
つまりは・・・・・・・
369 ミロク 弥勒!!!

そして、奇しくも、今から1400年前の2月22日は
弥勒菩薩の生まれ変わりとも言われる
聖徳太子が没された日』と言われている。

そのため今回の配信では、その聖徳太子が残した予言が
その後の歴史とどのように合致しているかを
まずは簡単に話しておこう。

また、今後は日本の歴史のあり方、
スピリチュアルの真実、
また、世界中に大きな変動を呼び起こしている
【コロナ禍】の意味などを語っていこうと思う。

また、現在の難局をどのように乗り越えて
溢れ来る情報の洪水の中から
いかに正しいものを取り入れて行けばよいのか?
世界に先駆けて、日本人が進むべき方向とは?
直感とインスピレーションを司る上丹田の使い方、
そして弥勒の世への行き方・・・

現在の世に今まさに必要な話を、大村真吾の身体を借りて
発信する時が来たと思っている。

今後の発信は こちらから。

ぜひチャンネル登録を
不定期配信となるので、リマインダーの登録を
おすすめする!!!
見逃すな!!

光満院 天真

 

 

みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。

四国八十八か所歩きお遍路 結願しまして
本日四国を離れて、高野山へお礼参りへ
行きましたよ。

和歌山港までフェリーで行きます。
なんか、電車やバスで大都会大阪に着くのは
ちょっと違うなと感じまして、フェリーで
のんびりとても良かったです。
なんと、和歌山港ではサプライズ!
中村さんご夫妻が待っていて下さいました。


高野山は雪です。かなり冷えますが良い雰囲気です。

高野山はみなさんご存知かもしれませんが
平安時代のはじめに弘法大師によって、
開かれた日本仏教の聖地です。
「金剛峯寺」という名称は、お大師さまが
『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経
(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』
というお経より名付けられたと伝えられています。
高野山と言う山はないんですよ。
総本山金剛峯寺という場合、
金剛峯寺だけではなく高野山全体を指すそうです。
普通、お寺といえば一つの建造物を思い浮かべ、
その敷地内を境内といいますが、
高野山は「一山境内地」と称し、
高野山の至る所がお寺の境内地であり、
高野山全体がお寺という考えです。

弘法大師が2カ年の入唐留学を終え、
唐の明州の浜より帰国の途に
つかれようとしていた時、
伽藍建立の地を示し給えと念じ、
持っていた三鈷(さんこ)を投げられた。
その三鈷は空中を飛行して
現在の壇上伽藍の建つ壇上に落ちていたということです。

寒い日も毎日お勤めは続きますね。

弘法大師は今でも奥の院の御廟の中で
禅定を続けているとされています。
弘法大師は即身成仏されたのですから、
死んでいても生きている、つまり永遠の生命を
身に付けて皆を救済するために禅定を続けておられると。
なので毎日欠かさず御廟にお食事を届けます。
弘法大師がご飯を食べているというものではなくて、
いつも私達を救って下さって有難う御座います、
という感謝のお膳なのだそうです。

私達も、無事お遍路結願できたことを
感謝のご報告をさせていただきました。

実は、橋本であかしっくさんが待っていて
くれました。
小林さんも、あいちゃんも会いに来てくれました。
お遍路仲間、ありがとうございます。


youtubeでコメントを頂いたりしている
ご縁のある方のご提案もあり
慈尊院へも参拝しました。

弘法大師御母公のお寺として知られる慈尊院。
「乳房型絵馬」をご奉納して祈願するという
日本でもたいへん珍しいお寺で、
そのご利益を願って多くの女性に
女人高野と称され信仰されているんですよ。

有吉佐和子さんの小説「紀ノ川」の映画で
慈尊院に安産祈願に「乳房型絵馬」を
ご奉納されるシーンがあり有名にもなったそう。

こちらは弘法大師が出会った猟師と犬。

弘法大師はこの三鈷を求め、
今の大和の宇智郡に入られた時
異様な猟師と2匹の犬に会い
犬に導かれて山に分け入ると女性に会い
その方が「わたしはこの山の主です。
あなたに協力致しましょう」と。
そこから進んでいき、
明州の浜から投げた三鈷がかかっているのを
見つけ、この地こそ真言密教にふさわしい地
であるとされたわけです。

そして慈尊院にも犬が。

高野山案内犬 ごん です。
説明によると
昭和60年代に、慈尊院近くに住みついていた
紀州犬と柴犬の雑種である
白い雄の野良犬がおりました。
誰が教えたわけでもないのですが、
不思議なことにその犬は高野山への
参詣者の道案内をするようになったのです。

最初の頃は九度山駅と慈尊院の間を
案内するだけでしたが、
いつしか慈尊院をねぐらとして、
約20kmの道のりを朝、慈尊院を発って、
夕方に高野山上の大門まで道案内し、
夜には慈尊院に戻るという毎日を
送るようになったのです。

ゴンは2002年6月5日息を引き取りましたが、
あまりに参詣者から愛されていたゴンを惜しみ、
同年7月23日に当院境内の弘法大師像の横に、
ゴンの石像が載せられた「高野山案内犬ゴンの碑」を
建てました。

とのことですよ。お大師様の会った犬の
生まれ変わりかもしれませんね。


そして現代も生まれ変わり犬が来ていますよ。

動物はいつも人間の仲間ですね。(笑)

それから、真田庵にも行きましたよ。

善名称院と言います。
真田幸村父子の屋敷跡に建てられたお寺。
真田昌幸は、この九度山町にて亡くなり、
息子である幸村は、父の供養のために、
森の中に宝篋印塔を建てたのだそうです。


本日はいつもお世話になっている
宿坊 三宝院 に宿泊しています。
お食事も美味しいのです。
今夜はみんな揃っての最後の夜ですね。
なんだか明日東京へ戻るのが
信じられないですね。

お遍路と言っても、人それぞれのやり方があり
どれが正しいとも言えません。
もちろん寒かったり、暑かったり、痛かったり
くたびれたりつらいこともあるでしょうけど
こうやって50日も過ごしていると
楽しいこと、おもしろいこと、心に響くこと
素敵な人達にもたくさん出会えました。
お遍路を人生に例える方もありますが
本当にそうかもしれません。
お遍路、素晴らしい日々でした!

みなさんも、ぜひみなさんなりの
お遍路を!!

 

ご支援、応援、ありがとうございました。

 

今後も、日々のyoutube配信は続きます。
ぜひ遊びにきてくださいね。

帰京後もお遍路についてお話しています。
これからお遍路に行かれる方もぜひ参考にしてください。

お遍路振り返り – YouTube

お遍路の写真を見ながらお話しします – YouTube

まだまだ続くよお遍路は。ともみってぃ・隊長 – YouTube

続お遍路は続くよどこまでも★ゲスト:ともみってぃ・キク隊長 – YouTube

お遍路の持ち物 – YouTube

お遍路に必須のボディケア 靴や靴下サポーターなど – YouTube

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みなさん、こんにちは!
クラブワールド大村真吾です。

四国八十八か所歩きお遍路52日目。
ついに四国最後の八十八番目のお寺へ・・・。

その前に、昨日参拝した87番目の長尾寺へ。
ご住職にお会いできなかったので、ご挨拶。
懇意にさせていただいている福島・円明院の
ご住職の同級生でいらっしゃるとのことで。
ご挨拶に伺ったら、全員分交通安全お守りを
頂いてしまいました。
ありがとうございました。


こちらは、本日八十八か寺全て参拝となる
最初から参加の4名。ほぼ1,000kmほどは
歩き通しました。
途中少し、電車やバスや車もありましたが
ほとんどは歩きです。頑張りました。
お遍路サロンというところがあって
歩き・自転車遍路で全部巡拝できたかたは
「お遍路大師」に任命される証書が頂けます。

さあ、ラストの大窪寺へ向かいます!


女体山を超えていく、山ルートです。
結構な険しさです。さすがラストです。


山間部は雪が残っていますが
なんとか登れそうです。


なかなかきつかったです。
みんな頑張っています。


到着です!!

この時の様子は生配信していました。
泣いている人もいましたよ!

大窪寺配信はこちら

第八十八番札所 大窪寺

八十八ヶ所結願(けちがん)の霊場「大窪寺」。
結願というのは願いが叶ったという意味。
四国お遍路を無事回りきれたという
願いが叶った瞬間です。

矢筈山(標高788m)の東側中腹に位置するお寺。
養老元年に行基菩薩がこの地を訪れた際に、
霊夢を感得し草庵を建て修行をしたそう。
弘仁6年に、唐から帰国した弘法大師が、
現在の奥の院にある岩窟で、
虚空蔵求聞持法を修法し堂宇を建立。
等身大の薬師如来坐像を彫造し
本尊とされました。
また唐の恵果阿闍梨より授かった
三国(印度、唐、日本)伝来の錫杖を
納めて大窪寺と名づけ、結願の地と定めました。
本堂西側にそそりたつ女体山には
奥の院があります。
大師が本尊に水を捧げるために独鈷で加持すると
清水が湧き出たとのこと。
ご利益があるお水とされています。

みんなでお大師さんの前で記念写真。
感慨深いですね。
みんないい笑顔です。
お疲れ様でした。

こちらで、代行祈願の方はもちろん、
今回いろいろな支援をして
支えてくださったみなさまのお名前を
書いて、お札を納めてまいりました。
本当にありがとうございました!!

スタッフの真樹ちゃんと、ひろこさんの
お友達が大窪寺で迎えてくれました。

「結願」した人には、賞状のような
名前入りの証が書いてもらえます。
(¥2,000)

またいつかみなさんにご披露しようと
思いますが、納経帖という各お寺で
御朱印を頂く帳面もあります。
以前お会いした100回以上参拝された
お爺さんのは朱印で真っ赤でしたね。
参拝の度に重ねて押していただくのです。

それと同時に、僕は御詠歌入りの白衣にも
御朱印を押していただいています。
御詠歌はそのお寺お寺で一般の人が唱える
歌(和歌)のようなものですよ。
お寺ごとに異なります。
こちらも赤い印が押されました。

八十八か所+東寺+高野山金剛峰寺と全部
押して頂いたら、亡くなったときに着せてもらう
のだそうですよ!
すごいですね。


さて、お待ちかねのランチです。
大窪寺の参道にある、有名なうどんやさん。
たかみーさん(高松在住)も美味しいと
お勧めでした。
打ち込みうどん というのです。
寒かったので温まりますね!

さて、ついに四国での巡拝は今日で終了です。
いろいろなことがありましたが
本当に幸せな不思議な時間を過ごすことができ
感謝しております。

明日は、高野山の金剛峰寺へお礼参りに
向かいます。
四国をついに離れますよ。

高野山の配信もみてくださいね。

お遍路の様子を毎日配信しています。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 51日目です。


今日は、さぬき市志度ということろからです。
こちらは、平賀源内の生誕の地だそうです。
みなさん、平賀源内さん知ってますか?
面白い方だったようですね。奇才天才かな?

享保13年(1728)高松藩の御蔵番の子として生まれる。
発明の才に富み、酒脱の気風があった源内は、
エレキテル(日本で初めて復元された電気機器)の復元、
燃えない布・火浣布、量程器(万歩計)、
磁針器等多くの発明をした。
その他にも、本草学者として薬品会(博覧会)を
開催したり、人気作家として
戯作浄瑠璃作品を発表したり
西洋画や源内焼を広めたりと天才的な業績を残している。
ですが、いつの世も天才は認められがたく・・・
不遇のうちに亡くなったようですね。

第八十六番札所 志度寺


ついに86番まで来ました。
ここは少し変わっているお寺でしたね。

開創は古く推古天皇33年(625)だそう。
海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が
霊木を刻み、十一面観音(かんのん)像を彫り、
精舎を建てたのが始まりと言われ、
その後、藤原鎌足の息子、藤原不比等が
妻の墓を建立し「死度道場」と名づけられました。
その息子房前の時代、持統天皇7年(693)、
行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として
栄えたと書かれています。

藤原鎌足がここへきて登場ですね。
中国からの玉を竜が取ったので
それを取り返しに来た不比等が
こちらの海女と契って子供ができ
(房前)その海女が竜と戦って玉を
取り戻して亡くなると言うお話。
房前という子供の名前は
このあたりで地名になってますね。


こちらの奥の院がなかなかすごかったです。
「地蔵寺」
志度寺の奥の院ですが、八栗寺との関係の方が
深いのだそうですが。

丁度、ご住職がいらっしゃって、あがって
お話を聞かせていただきました。
たいへん面白いお話でした。

ご本尊は文殊菩薩様。

「地蔵寺」と呼ばれるようになったのは、
日本武尊の子の霊子が天皇より
土佐の海で船を襲い人を食して暴れる
大魚の退治を命じられ、
大魚が志度浦に隠れたところ退治し、
魚霊堂(うおみどう)と呼ばれる小堂を建立し
地蔵菩薩をまつったという伝説からだそう。

これ、サルレオ(讃岐の王)のお話ですね。
大きなエイに飲み込まれ、お腹から突いて
やっつけたお話です。
この木の版木はお寺で修行や食事を知らせる
チャイムの役割。
こちらではエイですね。
大魚はエイだったのでしょう。


いろんなお寺の木版には魚の物がありますね。
魚は目を閉じないので、寝ずに修行せよとの
戒めもあるようです。

昔々はお遍路が一般化する前に
日本全国六十六カ国の神社仏閣を巡る
日本一長い道のりの巡礼があったそうで、
その御本尊が「日本廻国六十六体尊」として
今、ここに祀られているそうです。
そこにも、最近のお話が。
百何十年前か、この中の1体の赤いお不動さんの
仏像が、何かのご縁で
関西の方へ移されて長く大事にされていたそうですが
持ち主が保管できなくなり
知り合いのお寺に預かってほしいと
お願いをしたが、そちらでは受け入れることができず
この地蔵寺を紹介されたのだそう。
それが20年前位だそおうですが
預かって開いてみたら
元は地蔵寺の仏像だったと判明したそうです。
驚きますね!百何十年かぶりに
戻ってこられたわけですよ!


こちらのしめ縄は少し珍しいものでした。

第八十七番 札所 長尾寺


地元では「長尾の観音さん」や
「力餅・静御前得度の寺」といわれているそう。
開創は聖徳太子という説もありますが、
天平十一年に行基菩薩の説が一般的とのこと。
行基がこの地を歩いていると
道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で
聖観音菩薩像を彫造し本尊とした。
その後、弘法大師がこの寺を訪れ、
入唐が成功するように年頭七夜に渡り
護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を
祈願されましたとなっています。

こちらのご住職は、福島の円明院のご住職の
同級生の方だそうです。
円明院は僕らが親しくさせていただいている
「奇跡のお寺」と呼ばれる福島のお寺です。
今日は、ご住職は不在だったので参拝させて
いただき、明日また伺います。


長尾天満自在天神宮です。

平安時代、長尾寺に明印という名僧がいて
讃岐国司であった菅原道真公と親交厚く、
道真公が九州へ左遷のときに
志度浦に出て
「不期天上一円月、忽入西方万里雲」
の詩を贈って心を慰めた。
公もまた詩と自画像を明印に与え
別れを惜しんだがということから
おまつりされているとのことでした。

さあ、明日はいよいよ結願の
八十八カ寺になりますね。
山を登ります。
美味しいうどんやさんもあるとのこと(笑)。
楽しみに、最後まで頑張ります。

お遍路の様子を毎日配信しています。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 50日目。

今日は、昨日、一昨日とお話ししています
現在お遍路で巡拝している場所とも関わりの深い
第73世武内宿禰 竹内睦泰さん むっちゃんの
御命日です。
日々むっちゃんを感じながらの旅でもあるのですが
今日もいろいろやってくれましたよ。

風は強いし、歩いているとダスキン竹内はあるし(笑)。

第八十四番札所 屋島寺

ここは讃岐周辺ではめずらしく、台形の山の上。
那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な
源平合戦の古戦場の史蹟で知られています。
鑑真和上によって開創されたと伝えられる!
鑑真さんですよ!知りませんでしたね。
鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ
5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、
天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。
翌年、東大寺に船で向かう途次、
屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、
普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、
経典を納めて創建されたそう。
弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が
堂塔を建立して精舎を構え、
「屋島寺」と称し初代住職になったのだそうです。


大きな狸です。
四国狸の総大将「太三郎狸」と呼ばれる
土地の氏神。子宝、縁結びや家庭円満にご利益
ありだそうです。

源平盛衰記絵巻物、「源氏の白旗」、
屋島合戦屏風など豊富な寺宝が
保存・展示されている宝物館も
ありましたよ。

ここからまた山道を歩きますが
お腹が減ったので、お昼を。。。
探して偶然入ったのが有名店
山田うどん。

かっこいいですね~。
今日もうどんです。讃岐ですもんね。


僕たちどんだけうどんに魅せられているのか?
嫌いな人がいなくてよかった。
それからまた恒例のコーヒータイム。
てっちゃんがいつもいいお店を
見つけてくださいます。


アンティークでかっこいいお店!
外側はトタンだったので心配しましたが。
素敵なお店が多いですね~。

今日も歩きますが、途中にホテルの廃墟のような
どうにもいただけない崩れかけた建造物が・・・。
こういうものをなんとかしないと
世界遺産登録は難しいかもね。
ここだけではなくて、日本の観光地いずれも
廃墟問題はあるようですね。

第八十五番札所 八栗寺

天長6年、大師がこの山に登り
求聞寺法を修めた時に、
五振りの剣が天振り注ぎ、
山の鎮守蔵王権現が現れました。
そして「この山は仏教相応の霊地なり」と
告げられたので、大師はそれらの剣を山中に埋め
鎮護とし大日如来像を刻み五剣山と
名付けられましたと書かれています。

 延暦年中、師は唐に留学する前に、
再度この山に登りました。
そして入唐求法の成否を占うために8個の焼き栗を
植えられました。
無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が
芽吹いていました。
これが八国寺を八栗寺へ改名した由来だそうです。
この寺も長宗我部元親による
八栗攻略の兵火により全焼したと!ここも!

ここには、歓喜天が祀られているお堂が。
僕は歓喜天がなんか好きなんですね。
中までなぜか入れることが多いし(笑)
なんだか守られてる感じがしましたね。


風もかなり強い日でしたのでケーブルカーで
登りました。
3分ほどの短い区間です。
今までも2か所ほどケーブルカーで参拝したの
ですが、いずれもガイド的な方が案内を
されていました。
が、ここのはテープで、しかものびのびの
演歌的な曲が流れて終了(笑)。
昭和40年か!な感じでした。


のんびり旅ももう少しなので
それはそれで楽しんでいます。

今日もありがとうございました。

 

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 49日目です。

今日は、札所も3か寺参拝しましたが
昨日に続いて「崇徳天皇」に関する
フィールドワーク的になっております。
流刑地として流されて生涯を終えたのが
讃岐なのでどうしてもそうなりますね。
前回もお話ししましたが、むっちゃんこと
第七十三世武内宿禰 竹内睦泰さんとのご縁が
いたるところに現れる今回のお遍路旅。
そのむっちゃんに関わりが深い崇徳天皇なので
僕たちも思い入れが強くなりますね。

「八十場の霊泉」
古くから、不思議な力があると伝えられてきた
霊水がわくパワースポット。
崇徳上皇が崩御された際、
このわき水に遺体をつけて、腐敗から守り
都からの指示を待ったと伝えられています。
今はところてんやさん。


鼓岡神社です。
「鼓岡の御所(木丸殿)」で6年間、
都からの便りを待ちつつ過ごされた場所。
建物自体は本当に小さなものです。
こちらは2軒目の住居でこちらで
亡くなるまで過ごされたところ。
清々しい場所でしたよ。


狛犬の足が巻かれているのは
なぜなのだろう。

次に「雲井の御所」へ。
最初に4年ほど過ごされた場所。
ここは地元の綾氏の土地で、綾氏が
崇徳天皇をこちらで住まわせていたと。
そして今も、綾さんのお宅は
あるんです!
まだ一族の方がお住まいです。
すごいですね!!

崇徳天皇のお世話をした綾氏の娘との
間にできた姫のお墓。


「高家神社」
崇徳上皇の遺体を八十場から
白峯山へ運ぶ際に、ひつぎを置いた場所から
血がしたたり落ちたという言い伝えがあり
「血の宮」と呼ばれています。

東にそびえる山々が「五色台」。


「青海神社」
崇徳上皇が讃岐で没して3年後に西行法師が
御陵を詣でたそうで、西行の道となっています。

歌碑88基と石灯籠93基があるそうで
歌碑を詠みながら歩くことができます。


第八十一番札所 白峯寺

こちらの横に、第75代崇徳天皇の御陵があります。

霊峰の五色台には青峯、黄峯、赤峯、白峯、
黒峯の五峯の山があり、
その最も西よりの白峯山にあります。
瀬戸内海の雄大な景色が望める静かな古刹です。

弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が
創建されました。
境内には上皇の悲話を伝える玉章木(たまずさのき)も
あります。
白峯山には日本八天狗の一狗である
心優しい相模坊という天狗が住んでいると
伝えられているそうです。


第八十二番札所 根香寺

五色台の主峰、青峰山の寺。
大師は密教修行の地とし青峰に「花蔵院」を
建立されました。後に大師の甥にあたる
智証大師が訪れた際、山の鎮守である
一之瀬明神に出会いお告げをうけたそう。
智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、
「千手院」を建て安置しましたと。
この霊木の切り株から芳香が放たれていて
根香寺と名づけられたそうですよ。
もうひとつ、牛鬼の伝説もあるそうです。


第八十三番札所 一宮寺

開基は、奈良仏教の興隆の礎を築いた義淵僧正。
行基菩薩、良弁僧正らを輩出。
和同年間、諸国に一宮寺が建立の際、
行基菩薩が堂宇を修復し、神毫山一宮寺に
改名されたとなっています。
また大同年間、弘法大師が訪れ約106cmの”
聖観音” 聖観世音菩薩を彫造し、
伽藍の再興にあたり、
この時に真言宗に改宗されたのだそう。

弘法大師が戒めのために作られた
「地獄の釜」があるそうです。

さて、今日もフル活動で巡拝しました。
お遍路旅もあと少しになりましたが
本当に感慨深いです。
歩かなければわからなかったことも
本当に多くて、みなさんにも
ぜひ、できるだけ歩き遍路をお勧めしたいのが
僕の正直な気持ちです。

では、明日は屋島へ向かいます。

 

お遍路の様子を毎日配信しています。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 48日目です。


youtubeでは1日多く49日目と言ってしまって
ますが(数日前から1日ずれてます)
48日目です(笑)。

今日は、白峰寺あたりまで行く予定でしたが
天気が悪く雨です。
白峰寺あたりは山なので雪かもしれませんので
今日は休憩として1寺のみ参拝。

あとはお話会となりました。

第八十番札所 国分寺

ここもまた国分寺ですね。

寺の創建は聖武天皇の時代。
勅命を受けた行基菩薩が開基した讃岐の国の
国分寺です。その後、弘仁年間(810〜823)に
弘法大師が本尊千手観音像を修理し、
霊場に定めますが、「天正の兵火」で
堂塔のほとんどを焼失したそうです。


この寺で有名なのは四国最古の梵鐘。
どこかでも聞いたような伝説があります。
江戸初期の藩主がこの鐘を高松城の鐘にしようと、
田1町(ちょう)と引き換えに手に入れ
城へ運ぼうとするとなかなか重く。
城についた途端音がならず、
おまけに城下では悪病が流行。
そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に
毎夜鐘が現れ「もとの国分へいぬ(帰りたい)」
と泣く。鐘は国分寺へ返すことに。
帰りは楽々だったようです。
以前もどこかで同じ伝説が・・・
話が入違っているかな?


実は、ここのところいろいろな偶然というか
出来事が重なって起きているのです。
それは、昨日からお話ししている
崇徳天皇にまつわる話でもあるのですが。
今回の旅でも強いご縁を感じている
第七十三世武内宿禰 竹内睦泰さん。
2000年に亡くなられましたけど
当社は竹内睦泰さん(通称むっちゃん)と
セミナーやツアーでお世話になっていたのです。
その関係の方が今回のお遍路でも
偶然集まっています。

そして最近数年ぶりにご連絡があった
白峰先生・・・
白峰先生の夢にむっちゃんが登場し
僕らを助けてあげてと。
そして今僕らがいるのが、なんと崇徳天皇に
関係する今の場所・・・。
むっちゃんの戒名には崇徳の文字。
もちろんご縁があるわけですけど。
そして13日はむっちゃんの御命日。
そんなこんなの時空を超えたと思える
不思議な重なりの話から、
崇徳天皇の怨霊となった話を
今日のyoutubeではお話ししています。

文字に書くより、聞いていただいた方が
わかりやすいので、ぜひyoutubeで
聞いてみてくださいね。
今日の話は こちら

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 47日目。


今日は4ケ寺巡拝予定です。
お遍路旅もあと残りは数日です。
なんだか早いような、もっといたいような。

第七十六番札所 金倉寺

金倉寺は、弘法大師の甥で
(姪の子供となっているのですが)
天台寺門宗の開祖「智証大師」が誕生した地。
天台宗なんですね。

宝亀5年に智証大師の祖父・和気道善(わけどうぜん)
が建立し、唐から帰朝した智証大師が
唐の青龍寺にならって伽藍を造営、
薬師如来を刻んで本尊にしたそう。
醍醐天皇の勅命で「金倉寺」になったのは928年。

「智証大師」は、子供の頃賢いと評判だったそう。
智証大師が2歳の時には、体からなんとも後光が射し
5歳の時には目の前に天女が現れた伝説もあると。
この天女が「訶利帝母(かりていも)」
(別名「鬼子母神(きしもじん)」)だそうですよ。
今は子授・安産にご利益があると。
一族の方もすごいのですね。

音曼荼羅というのがありましたよ。

自分や家族の干支の鐘をたたいて祈る
そうですよ。どんな音だと思いますか?
一度やってみてくださいね。


移動していたら、民家からおじいさんが
「ちょっとまってくださーい。」と
出てこられ、箱に並べられたものを
お接待でくださいました。

こんなにかわいいお地蔵様ですよ!
息子さんが焼き物をされていて
作られたそうです。
中には紙が入っていて
第七十七番札所参拝記念となっています。
ありがとうございます!
素敵な方ですね!

第七十七番札所 道隆寺

和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が
桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、
草堂を建てたのが寺の初めだそう。
なので、名前から道隆寺。
ブロンズの観音様がずらっと並びます。

道隆公は、桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っていて
この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、
乳母が倒れて死んでいた。
嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、
草堂に安置して供養したと。

道隆公の子・朝祐公は
唐から帰朝した弘法大師にお願いし
弘法大師自ら90センチほどの薬師如来像を彫造、
その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊としたそう。
第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が
嗣ついで二十三坊を建立し、
第四世の円珍(智証大師)
第5世聖宝(理源大師)と高僧が相次いだそうです。

幼少より盲目だった丸亀京極藩の
京極左馬造公が、ご本尊の薬師如来に
祈願したところよくなり
以後医学を学んで「眼病の達人」と
呼ばれるほどのご典医になったので
「道隆寺の眼なおし薬師さま」と
呼ばれて目にご利益があるとされています。


僕も目は悪いので、よくお参りして
おきましょう。

77番札所の前のお土産や仏具のお店は
すごいです。今までで一番の規模かも。
お遍路をしていると、仏具が欲しくなります(笑)。
普段は買わないのにね。

第七十八番札所 郷照寺

こちらはこのあたりの厄除けとして
有名なお寺だそうです。
参拝の方がものすごく多かったです。

「厄除うたづ大師」と呼ばれ、
四国霊場で唯一「時宗」の霊場とのこと。
神亀2年、行基菩薩によって開創され
55センチほどの阿弥陀如来像を彫造し、
本尊として安置されたそうです。
大同2年(807)に弘法大師が訪れ、
仏法有縁の地であると感得し、大
師自身の像を彫造して厄除けの誓願をされたそう。
この大師像が「厄除うたづ大師」です。
いろいろな高僧が滞在されたので
真言・時宗の2教の法門が伝わることになり、
八十八ヶ所の中で特異な霊場となったのだと。

第七十九番札所 天皇寺

天平年間に行基は、
山中腹に薬師如来を御本尊とした
金山摩尼珠院を建立し、こ
の地が神仏習合の地であることを現したと。

後の弘仁年間に空海が訪れ、
朽ち果てた金山摩尼珠院を現在の
79番札所の場に移動させ、
金華山妙成就寺摩尼珠院とした。

 

その後讃岐へ流された崇徳上皇の
冥福を祈願して崇徳天皇社が建立され,
天皇ゆかりの寺ということで「天皇寺」
と呼ばれるようになったとのこと。

元は白峰宮の神宮寺で、
お寺は崇徳上皇をおまつりする
白峰神社に隣接し,
本尊は十一面観世音菩薩。山門は無く,
赤い鳥居があります。
これが三つ鳥居で、三峯神社などにもありますね。
神社を抜けて本堂・太子堂へ向かう感じ。

崇徳天皇のお話はまた明日にでも。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 46日目。

昨日参拝した、出釈迦寺ですが
弘法大師が7歳で身を投げたとされる
奥の院の捨身ヶ嶽まで今日行ってみます。


かなり山の上ですので、登りますよ。


景色もいいですね。


お釈迦様の像と鐘撞堂があり
そちらでお経を唱えさせてもらいました。


身を投げたとされる場所までは
鎖場をよじ登っていきます。
かなりきついですね!
ですが、遠足らしく小学生の団体が
元気に登ってきましたよ。
絶景でもありますし、雲海のような雲も見え
とてもいい雰囲気でした。

お経もみんなで唱えますが、日に日に上達し
らしく?なってきているようです。
僕らも徐々にお遍路さんに慣れてきていますね。

第七十四番札所 甲山寺


甲山寺周辺は弘法大師の故郷で、
幼少時代によく遊んだのだそう。
大きくなった弘法大師は善通寺と曼荼羅寺の間に
伽藍を建立する霊地を探していました。
ある時甲山を歩いていると、麓の岩窟から
おじいさんが現れ
「私は昔からここに住み、人々に幸福と利益を与え、
仏の教えを広めてきた聖者だ。
ここに寺を建立すれば私がいつまでも守護しよう。」
と言われたので、大師は毘沙門天像を刻んで
岩窟に安置し、供養したそうです。

嵯峨天皇の勅命で「満濃池」の修築工事を
命じられた弘法大師。難しい工事だが
弘法大師は甲山の岩窟で修復工事の完成を祈願し、
薬師如来像を刻んで修法しました。
すると大師を慕って数万人の人々が集まり、
力を合わせてわずか三ヶ月で完成させたとのこと。
それから先に祈願をこめて刻んだ薬師如来を
本尊とし、安置。山の形が毘沙門天の
甲冑の形に似ていることから「甲山寺」と
名づけられたとのことです。

第七十五番札所 善通寺

ご存じ(笑)、市や町の名前になるくらい
有名なお寺ですね。
さすがに大きなお寺で、連休と言うこともあり
人出がすごい!!初詣の方も多いのかな。
地元ではさすがに知られたお寺ですね。


唐より帰朝されたお大師さまが、
御父の寄進した四町四方の地に、
師である恵果和尚の住した長安・青龍寺を模して
建立したお寺だそう。
父の諱「善通(よしみち)」をとって「善通寺」と
号したと記されていました。
お父さんのためお寺ですね。


「誕生院」の院号は、大師の御誕生の地であり
産湯の井戸がありました。
ここでお生まれになったのですね~。
京都の東寺、和歌山の高野山とならぶ
弘法大師三大霊跡のひとつと言われます。
御影堂地下には、約100メートルの
「戒壇めぐり」があり、暗闇の中、
御宝号を唱えながら大師と結縁する
道場となっています。
善光寺などにもある戒壇です。

こんぴらさんにも行きましたよ。

金刀比羅宮 

御本宮の御祭神は、大物主神と崇徳天皇です。
古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として
信仰されています。とのこと。

さて、以前来たことがあるのですが
かれーうどんやさんが美味しいのですよ。
高松のたかみーさんに教えていただいた
琴平むさし 。
汁なし?カレーうどんみたいな感じで
美味しい!!


みんながっついていますね。


四国を歩いていると、必ずおでんもあります。

明日も寒そうですがしっかり進みます。

お遍路の様子を毎日配信しています。

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