四国お遍路 八十八か所霊場巡礼

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 45日目です。
今日も本当にありがたい出会いがありました。

まず、出がけにホテルの前のファミレスで
朝食をしていると、昨夜もお世話になった、
仏師さんをご紹介してくださった
高橋さんから電話。
ずっと一緒にお遍路をしているてっちゃんと
話がしたいと。
てっちゃんは今、仕事をやめて
お遍路にこれているので
就職の話かな?面接かな?という雰囲気。
ずっと歩き遍路をしているのは4人。
4人それぞれ、この遍路中に転機のようなことが
起きているんですよね・・・・。
さて、どうなりますか。


第七十番札所 本山寺

大同2年(807)平城天皇の勅願により
弘法大師が七十番札所として開基。
当時は「長福寺」という名で、
本堂は大師が一夜ほどの短期間にて
建立したという伝説があるのだそう。


五重塔がシンボルです。

天正の兵火では長宗我部軍が本堂に侵入
住職を刃で切って進んだところ
脇仏の阿弥陀如来の右手から血が流れ落ち
これに驚いて軍勢が退去したたと言われています。
この仏は「太刀受けの弥陀」と呼ばれているそう。
ここでも出ました長曾我部さん

こぶし程度の大きさの石に
般若信教の一文字を書いて
裏に願い事、名前などを書いてお供えする
という「経石」というのがあるのですが
僕たちは今日、8人だったのですが
ちょうど経石をしようとしたら
車遍路の仲間2人が到着したので
10人になり、うまく般若信教1文字ずつを
書くことができました。

ここではすごい方にお会いしました。
納経所で前に並んでいた方が高齢の方で
なにげなく話しかけたところ・・・
99歳でお一人で参拝にこられていて
もうお遍路は100回以上という
すごい方でした。

もってらっしゃる納経帖は朱印を重ねて
真っ赤です。
こんなの見たことありません!
少しお話をさせていただきましたが
耳は遠いけど、お元気でしっかりされていて
自然と涙が出てきましたよ。
お会いできて本当によかった。
裏に自分の住所や名前が入った(印鑑)
金色の納め札を人数分くださいました!
金色!すごいことですよ。


説明しますと・・・
納め札というのは、各お寺の本堂と太子堂に
参拝した際に1枚ずつ納める札なのですが
こういう冊子状になっています。
祈願すること、住所、名前などを記入します。
100枚とか200枚束なんです。

お接待の返礼にお渡ししたり、
お遍路さん同士の
名刺のような使われ方もするんですよ。

白:1~4回、
青:5~7回、
赤:8~24回、
銀:25~49回
金:50~99回
錦:100回以上

となっています。
通販でも購入できますが、白は1束100円程度
銀・金は少し高いです(笑)。500円程。
錦は楽天では100枚で11,000円でした!
どんなに少なくても88か所x2枚必要です。
錦はだいぶレアですので、普段は金をお使い
なのでしょうね。。。

1回でも大変なお遍路を100回以上とは!!
すごい方にお会いできました。ありがたいことです。

第七十一番札所 弥谷寺


本堂は弥谷寺山頂に位置し、
岩壁に囲まれるように建っているお寺。 
ご本尊は千手観世音菩薩で、
今からおよそ1300年前
聖武天皇の勅願により、行基菩薩が堂宇を建立し、
疾病平癒の為、光明皇后により、
『大方広仏華厳経』がお祀りされ、
寺院を創建したといわれているそう。
華厳経以外にも、寺宝の経典の中には724年頃に
つくられた経典があるのだそうです。

古来より霊山(仏山)として信仰され、
日本三大霊場の一つに数えられたのだと。
『本堂下にある、水場横の洞窟が
神仏のせかいへの入口だ』といわれ、
修験者により刻まれた摩崖仏が
今も無数に点在しているそうです。


太子堂まで長い階段を進みます。
ここの太子堂がすごかったです。

大師堂の堂内奥には、岩屋が獅子の咆吼に見える
から獅子之岩屋と呼ばれる奥の院があります。
弘法大師が9~12歳の頃、この岩屋にて
修学(学問)に励まれたのだそうで
この岩屋の右手奥にある洞窟は経蔵として
使われていたとされ、大師はこの経蔵から
経典をとりだし、岩屋の窓(明星之窓)からの明かりで
勉強に昼夜問わず励まれたのだと。

なんというか、すごく弘法大師を感じられる
空間のように感じました。
包まれているような親近感もあり
今までにあまりない感覚です。
ここは僕の中でとても重要なお寺に
なったと思います。
大師が岩壁に彫られたとされる
「磨崖仏(まがいぶつ)」も見られますよ。

それ以外にも、弘法大師と守敏大師との
法力比べの昔話なども残っているお寺です。

第七十二番札所 曼荼羅寺


実は七十三番を先に参拝してしまって
時間がおしてしまい、閉まっていた納経所を
開けてくださったのが曼荼羅寺。

夕暮れになっていますね。

縁起によると、創建は四国霊場で
最も古い推古四年(596)。
讃岐の領主・佐伯家の氏寺で
「世坂寺(よさかでら)」という名前だったのだと。
弘法大師が唐から帰朝した翌年に訪問された。
母玉依御前の仏果菩提を祈るためだったとも
いわれています。
唐の青龍寺にならって伽藍を三年がかりで建立。
本尊に大日如来を祀り、唐から持ち帰った金剛界と
胎蔵界の曼荼羅を安置し、寺名を「曼荼羅寺」に。

四国霊場の古い案内書には、樹齢1200年を超す
弘法大師お手植えの「不老松」の存在もでているそう。
すでに今は枯れてなくなっています。
曼荼羅寺の近くの「水茎の丘」に庵をむすび
7年ほど西行法師がおられたそうですよ。
この寺に通い、本堂前の平らな石の上で
よく昼寝をしていたようで、
この石は「西行の昼寝石」と呼ばれで今もあります。
気持ちの良い昼寝場所だったのでしょうね。

第七十三番札所 出釈迦寺

弘法大師が7歳の時。
我拝師山に登り
「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて
多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら
釈迦如来よ、姿を現したまえ。
もし叶わぬのなら
一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、
断崖絶壁から身を投じました。
すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と
羽衣をまとった天女が舞い降り、
雲の中で弘法大師を抱きとめました。
命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、
青年になって我拝師山の山頂で釈迦如来を
刻んで安置し、堂宇を建てたと書かれていました。

7歳で!すでに!

境内からかなり坂を上っていくのですが
「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、
今は寺の奥の院となっているのですね。
弘法大師が身を投じた場所は、
さらに50mほど登った場所で
下を見れば足のすくむような深い谷底だそう。
今日は時間的に行けないので
明日再度訪れたいと思います。

今日の濃厚な1日を元気に過ごせました。
明日もしっかり参拝します。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 44日目。

かなり寒いですがいい天気です。

第六十六番札所 雲辺寺

かなり雪が残っていそうですので
ロープウエイで登ります。
車道もロープウエイもないころは
本当にお遍路道だけで大変だったでしょうね。
僕たちはできるだけ歩きますが
危険だったり、天候や時間の制限によって
無理はしない方針です。

それでも山頂付近の気温はマイナス。

凍えますね!


山門から、お釈迦様のお弟子である
五百羅漢像が実物大で並んでいて
ものすごく壮観です。

表情も豊か、やっていることや
持ち物もいろいろ様々です。
すごい数です。
本当に五百以上あったのだと思います。
番号がついていましたから。

四国霊場のうち最も高い標高911メートル。
「遍路ころがし」と呼ばれる難所のひとつ。
住所は徳島県だが、霊場としては香川の
「涅槃」の打ち始めですね。
弘法大師は雲辺寺に3度登られたと。
大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の
建材を求めてこられ、
深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立したそう。
3度目に嵯峨天皇の勅を奉じて登り、
本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を
山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。

四国の各国からの僧侶たちの学問・修行の
道場だったのだと。四国の高野山と呼ばれたようです。
土佐の豪族・長宗我部元親が雲辺寺に参拝し、
住職に四国制覇をしたいと聞いてみたが
「器ではないから」と諫められたが
諦めず、戦火になってしまったとか。
「雲辺寺裏山問答」というのだそうですよ。

多くのお寺が戦火に巻き込まれていますね。
だいたいは権力争いですね・・・。
長曾我部時代の戦火に巻き込まれ・・・
という話がとても多いです。
長曾我部さん、恨まれてないかな。

こちらには「目」に良い秘仏があるそうで
目のお守りがありました。
また、「成す」=「茄子」から茄子のお守りも。


そして参拝のあとは・・・

山頂の公園には、今大人気の
インスタスポット、天空のブランコが!
これはとっても気持ちがいいです。

 

第六十七番札所 大興寺

真言宗の寺院ですが、同じ境内で
真言天台二宗が兼学したという珍しいお寺。
天台宗の影響があるので、
本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、
右側に天台宗第三祖智顗を祀る
天台大師堂がありました。
本尊脇侍は不動明王と毘沙門天であるが、
不動明王は天台様式となっていました。



本堂で赤い蝋燭を7日間灯し祈祷して
いただく七日燈明。
病気平癒、安産、良縁などのご利益があるそう。
ご本尊は薬師如来(伝弘法大師作)です。

第六十八番札所 神恵院
第六十九番札所 観音寺


なんとこの2ケ寺は同じ場所なんです。


神恵院は近代的な建物です。

琴弾公園内の琴弾山の中腹に2つの札所が
存在する、とても珍しい霊場ですね。
開基は法相宗の高僧・日証上人と。
大宝3年(703)この地で修行中、
宇佐八幡宮のお告げを受け、
海上で神船と琴を発見。
「琴弾八幡宮」を建立して祀り
このとき、神宮寺として建てられた寺が
起源だそうです。
大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の
本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、
後に院号を「神恵院」とし、六十八番霊場とされたと。

明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と
神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。
同時に八幡宮に安置されていた
阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移され本堂と
され今に至っているそう。


大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って
中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、
その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を
彫造して安置した。それが観音寺とのこと。
元は「琴弾八幡宮」で、3つに分かれた形のようです。

さて、今日は、昨夜の高橋さんからご連絡があり
夕食にお蕎麦をうってくださるとのこと。
仏師の凡海さんもご一緒してくださいました。
いろいろお話もし、僕は1滴も飲めませんが
珍しいお酒も持参してくださいました。
そこで凡海さんに、僕たちはどんどん
質問をさせてもらったりしたのですが
こころに残っているのは
正確には書ききれませんが、僕がカミーノで
凡海さんの地蔵尊を見た時に
「仏師という方が、現在の日本にいらっしゃる
とは思いませんでした。」ということを
失礼ながら正直に話したのです。
すると、凡海さんは
「元々はアーティストだったこともあり
仏師と名乗ってよいものかずっと迷っていた。
が、今は仏師としての責任を負う覚悟があり
仏師と名乗るようになった。
美しい仏像というだけでなく
みなさんが祈りたいと思ってくれる
仏像を彫ろうと願っている。
木との共同作業なので、木の霊力も大きい。」
とおっしゃられて、感じ入りました。
カミーノへは何度も行くことはできないので
彫った生木へ
「あとは頼んだよ。」と託してきたそうです。
何とも素晴らしいお話だなあと
心に響きました。

本当に今回は素晴らしい方々に出会えた
貴重な旅となっています。
感謝しかありませんね。

仲間と大笑いできることも
心にずしりと感じることも
いろいろなことを経験できている日々です。
香川のお遍路もしっかり進みます。

 

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路43日目。

今日は、標高1000メートルクラスの山の上の
お寺に参拝予定でしたが、雨で始まりました。
お寺と民宿に電話をしてみると
やはり、山は雪なのでやめたほうがいいと。
急遽予定を変更して、観音寺市まで電車移動。

実は、愛媛でお世話になった松本さんの車に
僕らが乗せていただいていた時のこと。

松本さんの知人の高橋さんと言う方から
偶然電話がかかり、
「お遍路中の知人達と一緒なんや。」と
松本さんがおっしゃってくださり
(高橋さんもお遍路関係のサポートをされる方)
その高橋さんの知人に仏師さん
(生木仏像を彫られる方)がおられ
どうやらその方は、僕がスペインのカミーノ
で巡礼していた際に見た、生木の仏像を
彫られた方らしいと。

NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク
という団体があって、同じ巡礼地ということで
スペインのカミーノ モリナセカとの交流が
続いているのだそうです。
あまりの偶然に驚いていたところ
高橋さんと仏師さんにお会いできることになり
今日、急遽伺うことにしました。


高橋さん、仏師の凡海さんへのお土産を買いに
偶然入った酒屋さんがまた不思議酒屋(笑)。
普通の街の酒屋なのに、グランドピアノや
アップライトピアノがあり、ワインセラーも。


お店のご主人が弾いてくださいました。
♪ナタリ~♪って曲です。
飲み屋さんじゃないですよ。
お酒を販売する酒屋さん!
そして、ご主人はやぎも飼っておられ
やぎグッズも飾られていましたよ。
面白いですね。
こちらでスペインのワインをお土産に。


約束の時間まで腹ごしらえ。
香川に入りましたからには
またまたうどん。うどん県ですので。

おいなりさんもそこそこでかい。

みそおでん、温まるし最高ですね!


仏師 凡海さんのアトリエへおじゃま。
大人数で伺って驚かせてしまったかと
思いますが、いろいろお話をして
くださいました。
偶然の出会いって本当にすごいですね。
この方が、あのカミーノ・モリナセカという
小さな町にある 観音様を彫った方かと思うと
感慨深い出会いでした。
マリア像だと思われる方も多いとのことですよ。


高橋さん、凡海さんと。


それから、樹齢1200年ほどの
楠の大木に掘られた
生木のお地蔵様を見に行きました。
ものすごい大木に彫られています。
今は、お堂も作られていますが
地蔵尊はお参りすることができますよ。

この地蔵尊は「生木の地蔵さん」と呼ばれ、
崇拝されています。五尺(150cm)ある
地蔵尊の身長は、木の成長とともに現在までに
10cmほど高くなったそうです。
生きている木ですもんね。

天保7年(1837年)に、近隣の住民「森安利左衛門」が
病弱な一人娘ナヲを案じ、3か月かけて彫り上げた地蔵尊。
その後、病弱だったナヲさんは、なんと百歳まで生き、
長寿を全うしました。この親子2人のお墓は
地蔵堂横の墓地に現在も残っているのですよ。

そして、平家の落人の集落にある鹿子の木に
凡海さんが38歳の時に彫られた
生木地蔵があるとのことで行きましたよ。

かなりな山道でした。


こちらは、江戸末期に鈴木庄兵衛さんという
仏師が彫られた延命地蔵尊があったが
老木が天命を完了したので
昭和54年に凡海さんが新しく彫られたのだそう。
素晴らしいですね。
木の生命と一体の地蔵尊です。


素晴らしい経験ができた1日でした。
これもお遍路体験の貴重な出来事です。
感謝したいと思います。

そして今夜は、ホテルでも民宿でも宿坊でもない
遍路小屋というところに泊まります。
無料なんですよ。
なので、広くはありませんがみんな仲良く
雑魚寝です。これもお遍路旅ですね!

では、また明日もお遍路は続きます。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 42日目。

昨夜はまた松山まで戻っていましたので
路面電車とJRを乗り継いで、四国中央市まで
戻ってお遍路の続きを歩きます。


腹ごしらえを、途中のレストランで。
山なのに「アマルフィ」という名前。
イタリアの岸壁のある街の名前ですね。
ここもはるか昔は海がせまって
岸壁だったのかもしれませんしね。
人気店でかなり混んでいまして
僕らは歩いてきたので、暑くて外のテラスで
大丈夫と言ったところ、速攻寒くなりました(笑)。
ですが、室内は空いていなかったので。
凍えながら食べましたが、パスタは
美味しかったです!

今日は1ケ寺だけ参拝ですが、
なかなか山道に入ってきました。

あまり管理はされていないようでしたが
朝日山古墳という古墳もありましたよ。

第六十五番札所 三角寺

愛媛のお寺はここで最後です。
「三角寺」って何が三角なのかなと
ずっと考えながら歩いていました。


門までの階段はこれまたかなりしんどい。
もうゆっくりではなく、一気に上がったほうが
上がりやすいとみんな知っています。
お遍らーたちも強くなりました(笑)。


聖武天皇の勅願によって、行基菩薩が
弥勒の浄土を模して具現するために開創した。
その後、弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を
彫造して安置、さらに不動明王像も彫られ、
三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と
万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を
修法されたのだと。

ここで三角が出ましたね。護摩壇が三角!
でも文献だけにしか残っていないそう。
この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある
「三角の池」の中の島だそうです。


とても静かでよい感じのお寺。
江戸時代の俳人・小林一茶が訪れたとき、
「これでこそ 登りかひあり 山桜」と
詠まれたのだそう。
樹齢3、400年の桜の名所だそうです。

句 と言えば、霊場には御詠歌があるところが
多いですよ。
御詠歌は寺院や霊場を巡礼する際に、
僧侶ではない一般の人々が唱える歌のことです。
鈴(れい)や鉦(かね)を鳴らしながら詠われます。
仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、
旋律=曲に乗せて唱えるものと書かれています。

ちなみにここの御詠歌は
『おそろしや三つの角にもいるならば
心をまろく慈悲を念ぜよ』
ここでも三角ですね!

さて、今日はスーパーホテルに宿泊です。
一人用の部屋でも、2段ベッドがあります(笑)。

明日からはまたかなり厳しい山道です。
標高1000メートルクラスでお寺までは
23KMほどなのですが、近辺に宿泊できる
ところがないので、2日位かけて
巡拝することになりますが、またまた天候次第。
雪だと登れなくなりますからね。
焦らず、続けたいと思います。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 41日目。

今日は再会と別れの1日でした。
お寺は3か所、神社も1箇所巡拝しましたよ。

第六十二番札所 宝寿寺

今日のyoutubeではのっけから寿命の話。
宝寿寺の寿は寿命の寿。
ここ数日なんだか寿命ということを考えていましたよ。
12歳のL君と歩いているからでしょう。

僕は子供はいないので、お子さんと接しないので
なんとなくあまり寿命とか老後とか
考える機会がなかったので。


伊予三島水軍の菩提寺として
大山祇神社の別当寺だったのが宝寿寺。
聖武天皇がこの地に大国主大神ら三神を祀る
伊予の一の宮神社を建立され、
大和の僧・道慈律師が勅命をうけて法楽所としての
別当寺を創建したのがはじめとされる。
このときは寺名も場所も違っていたそう。
弘法大師が寺に久しく留まり
聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった
十一面観世音菩薩像を彫造した。
これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。

この頃国司だった越智氏の夫人が
難産で苦しんでいたので大師に祈念を頼み、
大師が本尊に祈願した霊水・玉ノ井で加持したところ、
夫人は玉のような男子を無事出産したことから
安産の観音様としても信仰されたのだそう。

とてもよい雰囲気のお寺でした。
全員にお守りを頂きましたよ。

ここでお遍路メンバー(おへんらー)に
松尾さん夫妻、明石さんが加わりました。

第六十三番札所 吉祥寺

今回のお遍路で毘沙聞天ご本尊とする札所は
ここだけ。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間、
そ大師は1本の光を放つ檜を見つけ、
一帯に霊気が満ちているのを感得したそう。
この霊木で本尊とする毘沙聞天像を彫造、
さらに脇侍として吉祥天像と善膩師童子像を彫って
安置し、貧苦からの救済を祈願したのが最初だそう。

金剛杖を通せば願いが叶えられるという
くぐり石。


あらゆる貧困を取り除き大富貴をもたらす
仏様といわれる毘沙門天の御妃
吉祥天如。この像の下をくぐると
ご利益があると伝えられており
「くぐり天女」と呼ばれているそう。

ここでまた、イギリス人のお坊さん
(コリンズさん)にお会いしました!
参拝するお寺はまあ同じですが、日程や
歩きと車という違いもあるのに
重なるなんで不思議ですね。
松尾さんも一緒だったのでご紹介して
2月4日の熊本の 魂の巡礼パンフと
松尾さんのCDをお渡ししました。

こちらには寺宝に「マリア観音像」(非公開)が
あるとのこと。30cmほど、美しい高麗焼の像で
土佐沖で難破したイスパニア船の船長が、
長宗我部元親に贈ったもので、
元親はマリア像とは知らず、美しい観音像として
代々伝えられ、徳川幕府のキリスト教禁令にも
見つからなかったそうです。

さて、実は今日は直美さん(クラブワールド)の
お母さまの命日。
お母さんのお墓はここではありませんが
同名の吉祥寺というお寺にあるので
これもご縁でしょうね。
直美さんたちは、『ぽっくりさんお守り』
を購入していました。
秘守、長患いをしないお守りだそうです。

霊峰石鎚山総本山 石鎚神社にも
参拝しました。

古くから山岳信仰の霊峰として
修験道の修行の山として知られています。

第六十四番札所 前髪時


天武天皇時代に修験道の祖・役行者小角が
石鎚山で修行を積んだ後、衆生の苦を救済するために
釈迦如来と阿弥陀如来が石鈇山大権現となって
現れたのを感得し、尊像を彫って安置し祀ったことが
開創なのだと。
多くの歴代天皇の信仰が厚かったそう。
後に空海(弘法大師)も2度石鎚山を巡鍚し
虚空蔵求聞持法や護摩修行、断食修行などを
行ったと。

住職の手作りの門松がありましたよ。
蝋梅が使われていたようです。
(直美さんのお母さまが好きだったと)


さて、L君親子が去っていき
その他にも一旦お遍路を離れる人
また戻ってきた人など、メンバーの入れ替わりが
激しくなっています(笑)。
こんな自由なお遍路も珍しいですね!

そしてなんと今日はまた松山に戻っています。
引き返したのは・・・
あの、お世話になった松本さんに松尾さんを
ご紹介するため。


『松本さんはいい人です!』が合言葉の
松本さんは、なんと仙遊寺のお大師像とそっくり
ということをてっちゃんが発見!!(笑)

松山での楽しい再会となりました。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。

四国八十八か所歩きお遍路40日目。

今日は、いくつかある『遍路ころがし』
難所の1つ、横峰寺です。

第六十番札所 横峰寺


L君を筆頭に、750m位の高さの山を
登っていきます。
結構きつい道が3kmほど登りで続きます。

これが結構くだりもきついんですよね。


昭和59年に林道が完成して、
現在は境内から500m離れた林道の駐車場まで
車で行き参拝できる。
ただし、冬期は12月下旬から2月いっぱい
不通となる場合がある。大型バスは通行が不可である。
と書かれていました。

ここの境内は西日本の最高峰・石鎚山(標高1982m)
の中腹にあり、弘法大師は若いとき
「或時は石峯に跨って粮を絶ち(断食)
轗軻(苦行練行)たり」
と書いている通り、こちらで修行をされたそう。
山岳信仰の霊地で修験道の道場でもあるのです。


奥の院に進むと、小さい(1mほど)の
高さの鳥居があり、ここからのぞめるのが
石鎚山。

縁起によると、白雉2年、
役行者が石鎚山の星ヶ森で修行をしていると、
山頂付近に蔵王権現が現れた。
その姿を石楠花の木に彫り、
小堂を建てて安置したのが創建となっていました。


弘法大師がこの寺で厄除けと開運祈願の
星供養の修法をしたとされ、
このとき蔵王権現が現れたのを感得、
堂宇を整備して霊場とした
以来、神仏習合の別当寺として栄えているが、
明治新政府の廃仏毀釈令により寺は一時
廃寺になったそうです。

星ヶ森(山門から約600m、霊峰石鎚山の遥拝所)
とうのが奥の院の大師が修行をされた場所。
星供養とはなんでしょうね?
星とは空の星か、それとも暦の意味か・・

いずれにしてもとてもいい雰囲気のお寺でした。
そしてまた10kmほど下りまして。

第六十一番札所 香園寺


いい景色ですね。

ちょっと変わった雰囲気のお寺です。
四角いコンクリートの建物があり
本堂というか教会のような雰囲気もあり。

元々聖徳太子の開基という四国霊場屈指の古刹で
用明天皇の病気平癒を祈願して、
皇子である聖徳太子が建立したと伝えられている。
太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、
本尊の大日如来像を安置したそう。

弘法大師が訪れたのは大同年間で
門前で身重の婦人が苦しんでいたので
大師は、栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。
すると婦人は元気な男子を無事に出産した。
大師は唐から持ち帰った小さな金の
大日如来像を本尊の胸に納め、
再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、
身代わり、女人成仏を祈る「四誓願」の
護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められたのだと。

寺が創始した子安講の輪は、
海外にまで広がっているそうです。

ここでまた、前日のイギリス人の方に
お会いしました。彼も、このお寺は他のお寺と
ちょっとエネルギーというか
バイブレーションが違うとおっしゃてました。
なんとなく協会のような、フリーメイソンの
ような・・・。あくまで個人の感覚です(笑)。

さて、今日のyoutube配信は短めです。

なんとヒーリングピアニストの松尾泰伸さんが
こられているので、2部は松尾さんと配信します。
松尾さんとは、ずっと『魂の巡礼』というイベントを
やらせてもらっていて、次回は2月4日熊本です。

魂の巡礼 熊本 はこちら

2部の松尾さんとのyoutube配信はこちら
演奏ではありませんよ。
おしゃべりのみです(笑)。

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みなさん、こんにちは!
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 39日目。

元旦を、順番飛び越えて仙遊寺で迎えましたので
特急で今治まで戻ります。

ゆるキャラのバリィさんです(笑)。

第五十四番札所 延命寺


聖武天皇の勅願により、行基菩薩が
大日如来の化身とされる不動明王像を
彫造して本尊とし、伽藍を建立して開創した
と言われています。

 

宝冠をかぶった珍しい不動明王座像で、
再三の火災から逃れているので
「火伏せ不動尊」と呼ばれているのだそう。

宝永元年(1704)に住職が私財を投じて
鋳造された鐘があり、こちらはひとりでに
鐘の音が鳴ることがあるという
言い伝えがありますよ。
お城へ移そうとしたら、「嫌だ」と
鳴ったので、移さなかったとか。

第五十五番札所 南光坊
今回の巡拝で「坊」がつく寺院は
この南光坊だけですね。
本尊は大通智勝如来。
大山祇神社から分離したお寺です。
大山祇神社は全国の山祇神社、
三島神社の総本社。しまなみ海道の
大三島にあります。

弘法大師は四国巡錫の時別館参拝し、
坊で御法楽をあげられて
四国霊場第五十五番札所と定めたと。

今日のランチはいつ食べても飽きない
うどんです。

かま福 さん。創業42年。
出汁が売り切れ寸前の人気店。
少し甘めの味付けでとても美味しいです。

第五十六

弘法大師が弘仁6年ごろこの地へ。
蒼社川という川が毎年氾濫して、
田地や家屋を流し、人も亡くなり被害が大きく
人取川といって悪霊のしわざと信じられていた。
この事情を聴いた大師は、村人たちと堤防を築いて
「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法。
満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、
治水祈願が成就したとのいわれがあります。

今日はここで外国人のようなお遍路さんを
おみかけしました。

第五十九番札所 国分寺

はい、今回も出ました国分寺です。
(五十七、八は大晦日、元旦に参拝)


伊予の国府があったところ。
聖武天皇の勅願により行基菩薩が
本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創。
第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して
「五大尊明王」の画像一幅を奉納した。
また大師の弟子・真如も2年間留まり、
『法華経』の一部を書写して納められていると
書かれています。

国分寺というのはかつて国府がおかれた
その土地の中心であったところのはずですが
今までいくつもの国分寺というお寺や
場所を各地で訪問しましたが
なぜか、今はあまり賑やかではなくて
だだっ広い場所になっている気がします。
どうしてなんでしょうね?

ここでまた先ほどおみかけした
外国人らしきお遍路さんに遭遇。
少しお話をしたところ
イギリス人の方で、熊本の菊鹿のお寺で
仏教の勉強をされているとのこと。
お遍路は5回目で、今までは歩き、
今回は途中から体調の問題で
車にしたそうです。

以前、骨肉腫のような病気になり
仏様が現れたので、お遍路を巡り
今はこうやって元気に生活しているので
仏様の力を信じるしかないのですと
おっしゃっていました。
外国の方ならではの、仏教に関する
疑問や問題点なども語られていて
またここでよいお知り合いができました。

2月の熊本 魂の巡礼に お誘い
してみました。
(魂の巡礼熊本公演はこちら

今日は4ケ寺、歩いた距離は18KMほどです。


夜は中華で乾杯です。
12歳Lくんも元気に歩いています。

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明けましておめでとうございます。

本年も、シンクロ加速しんごちゃんネル
どうぞよろしくお願いいたします。

2022年の元旦は、仙遊寺の6時の法要から
始まりました。
今回年越しをさせていただいた仙遊寺は
大変開かれたお寺という雰囲気です。
ご住職の考え方が柔軟で、宗教の変遷を
見る思いがしました。

国宝級の千手観音像は以前は
60年に1度だけの御開帳だったのですが
「せっかく参拝にきてくれてるのに
御本尊を見せないほうがおかしいでしょ」
とご住職はおっしゃって(もっともですね)
写真撮影もOKなのです。
60年も閉ざされた場所に置かれていると
傷みもひどいらしいのです。

また、お遍路は四国4県全土にまたがっているが
県やお寺によってかなり違いが大きいけれど
4県で協力し、まとまって世界遺産申請を
したいとも考えておられるよう。
ご住職はそれ以外にも農業にも取り組まれたり
すばらしいお寺だと思いました。
これまで巡拝してきた中では、神峯寺に次ぐ
2位に浮上(笑)。
それくらい良いお寺だと思いました。

さて、今日は札所も1カ寺。
仙遊寺に近いところで。

第五十七番札所 栄福寺


嵯峨天皇勅願により、大師が
内海の風波、海難の事故の平易を祈って、
府頭山の山頂で護摩供を修法された。
その満願の日、風波はおさまり、
海上には阿弥陀如来の影向が漂ったとのこと。


ここのご住職も面白い方で
ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)。さんに
「坊さん――57番札所24歳住職7転8起の日々――」
という連載を書かれ
出版や映画化もされている方。
若くして住職になられてからのことを書かれた
「ぼくは坊さん。」
「坊さん父になる。」
などの著書があり、僕も購入してみました。
お子さんの話もおもしろいです。

お寺も時代や人が進むにつれて
新しい考え方になってゆくのは必然でしょうね。
直美さん(クラブワールド)はTシャツを購入
していました。

それから札所ではないのですが
宝厳寺にも行きました。

境内は「一遍上人の誕生地」として
愛媛県指定史跡となっているところ。

そして元旦からお寺ではないのですが

地域拠点型劇場 坊ちゃん劇場で
ミュージカルを見ました。
「ジョンマンラブ」
AKB48の高岡薫さんが主演です。

ジョンマンはジョン・万次郎。
幕末に14歳で漁に出た船が遭難して
鳥島に流され、アメリカの捕鯨船に
救助されアメリカへ渡った男。
今回はその最初の妻の鉄さんの話。
振付がラッキー池田氏でしたよ。

ジョン万次郎は高知の足摺岬の方の
出身で、救助してくれた船長に気に入られて
アメリカで学校へも行かせてもらい
英語ができるようになり
ゴールドラッシュで金鉱で働き
お金をゲットして帰国した。
その後、スパイと思われたりも
したが、幕末の有志たちともつながり
日本の外交や通商の重要な役割を
はたした人。
若くて頭も心も柔軟だったのでしょうが
相当優秀だったのだと思います。
救助された年上の仲間はハワイで
一旦降ろされたのに、自分は残らず
船長についてアメリカ本土へ渡ったのです。
そこから小学校から入って英語を学び
飛び級して航海術や捕鯨術も学び
金鉱にも行って成功しています。

舞台は考えていたよりも(すみません)
感動できるもので
子供から大人まで楽しめそうでした。
年始の3日間だけ、上演後
ライブでマツケンサンバを替え歌で
出演者が歌って踊るのも楽しかったですよ。

すでにお遍路で通過した土佐清水市には
ジョン万次郎資料館があります。
機会があったら行ってみてくださいね。

さて、2022年も盛りだくさんの1日で
始まりました。
明日からはまたお遍路で巡拝を続けます。
どうぞよろしくお願いいたします。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路37日目。

宿から10数キロくらい歩いてきました。

第五十二番札所 太山寺

こちらはおもしろいいわれがありますね。
開基とされる真野長者。
長者は豊後(大分)で炭焼きをしていた。
神のお告げで久我大臣の娘・王津姫と結婚、
いらい運が開けて大富豪となった。
その後、商いのため船で大阪へ。
大暴風雨に遭い、観音さまに
無事を祈願したところ、救われた。
その長者が一夜にして御堂を建てた
という、「一夜建立の御堂」と言うそう。


その後、聖武天皇の勅願をうけて、行基菩薩が
十一面観音像を彫造し、その胎内に真野長者が
瀧雲山で見つけた小観音像を納めて本尊にした
のだそうです。
後冷泉天皇、後三条、堀河、鳥羽、崇徳、近衛の
6代にわたる各天皇が、十一面観音像を奉納。
そのため7体の観音像があるとのこと。

大きな門から結構歩きますし、中に民家のような
おうちがあるのが珍しいです。


ここのところすっと肉うどんが
食べたかったのですが、大晦日で
うどんやさんがお休み(なぜ?)。
お好み焼きをランチで食べましたよ。

第五十三番札所 円明寺

聖武天皇の勅願により、
行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と
脇侍の観世音菩薩像、勢
至菩薩像を彫造して安置し、
七堂伽藍を備えた大寺として建立。
当時は、海岸沿いで「海岸山・圓明密寺」
といったそうです。

豪族・須賀重久によって現在地に移され
京都・御室の覚深法親王からの令旨により
仁和寺の直末として再建され、寺号も変わったそう。
円明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにした
キリシタン灯籠があります。

またアメリカ人巡礼者がシカゴ大学のスタール博士が
発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されて
います。すごいですね!

僕は毎年、大晦日に東京を出発して
福島・南相馬の円明院というお寺で
ご来光を拝んでいましたので
今年は違う円明(寺)でなんだかご縁を
感じました。

さて、今日は大晦日です。
愛媛にきてずっとお世話になっている
松本さんのご厚意で、

第五十八番札所 仙遊寺 

の宿坊で
年越しをさせていただくことになりました。
宿坊での年越し、お遍路中の我々には
願ってもないことです。

仙遊寺はしまなみ海道を見下ろせる
小高い山の上。
とても見晴らしの良いお寺です。
登ってくる途中は結構ハードな所も
ありますが、「加地の井戸」という
弘法大師が掘られた井戸もあります。
病に効くということでした。

創建は天智天皇の勅願により、
伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立。
本尊の千手観音菩薩像は
天皇の念持仏として、海から上がってきた竜女が
一刀三礼しながら彫って安置したと。

さらに阿坊仙人という僧が40年にわたって籠り
修行などをされていたが、
忽然と姿を消してしまったという伝説が
あるのだそう。

今日はこちらで除夜の鐘、講和
明日の朝もお勤めをさせていただく予定です。

今日のyoutubeでは、
シンクロ加速しんごちゃんネルでの
年間流行語大賞を発表しました!!
栄えある1位は ぽこんぬ!!

特別賞は ほたるさん(中島知子さん)です!!
(笑)・・・今後とも活躍を期待します。

こちらのお寺からの景色、昼と夜。
夜景も綺麗です。

では、みなさま、2021年も
大変お世話になりました。
たくさんの応援、ご支援を頂き
心より感謝申します。

よいお年をお迎えください。

2022年も皆様にとりまして
幸福な1年となりますように。
お遍路はまだ続きます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路36日目。

今日からまた合流する人があり増えました。
今日のyoutubeは大人数満員でお送りしました。
見ていただいたでしょうか?
本日は2か寺+1神社に参拝しました。

第五十番札所 繁多寺


松山城や、市内、瀬戸内海まで見渡せる
山の高台にあるお寺です。

天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により
行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、
建立したそうです。
天皇より祭具としての幡(はた)をたくさんを賜った為に
幡多寺→繁多寺となったと言われています。
弘法大師がこの地を巡錫し、寺に逗留されたそう。

天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺との縁が深い
お寺です。


せっかく松山にきておりますので
美味しいものも頂いております。

こんなお遍路飯!ありがたいですね!

今日から中学生L君もお母さんと参加。

伊予電にものります、お遍路隊。

第五十一番札氏 石手寺

こちらは昨日のブログにアップした
お遍路の始めになったと言われる
「衛門三郎」の石が納められていると
言われるお寺です。


こちらは愛媛では本当に有名なお寺で
他のお寺とはちょっとテイストが違うというか
いろいろなものがあります。

境内ほとんどの堂塔が国宝、
国の重要文化財に指定されていて
寺宝を常時展示している宝物館もあり
四国霊場では随一ともいえる文化財の寺院。

神亀5年(728)に伊予の豪族、
越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、
この地が霊地であると感得、
熊野12社権現を祀ったのを機に
鎮護国家の道場を建立た。
翌年に行基菩薩が
薬師如来像を彫造して本尊に祀って開基。


これは弘法大師が投げたとされるもの?
をモチーフにしたのかな。
かなり大きいです。


めでたい感じの恵比須様。
イルカならぬ鯛にのった恵比須様も
ありました。
洞窟のようなところもあり
アミューズメント的ですねえ・・・。


こちらは伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)
国の重要文化財に指定されている
八幡造りの社殿は、日本に3つしかない貴重なもの。

宇佐神宮風ですね。

今日は道後温泉にいるのですが
本館は今改装工事中でした。


観光客も大変多く、温泉は
2時間待ちであきらめました。
宿で入ります。


車遍路の仲間も合流して
今最大人数11人です。

明日は大晦日。
宿坊に泊まる予定ですので
また配信をお楽しみに。

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