12月25日 クリスマス
この日はいよいよイスラエル最終日
最後のイスラエル朝食をすませ
ホテルをチェックアウト
なぜかアフリカ率が高いホテルです
ホテルを出発し約30分でオリーブ山に到着
こちらからは神殿の丘を見渡せます
旧約聖書では、最後の審判の日に
死者が甦る場所とされています
そのため麓の一面はユダヤ人の墓地として
利用されています
また、イエスのゆかりの地としても有名で
捕えられる前に弟子たちに説教をおこない
復活した後はこの山の頂上から
昇天したといわれています
私も昇天を
周りにいた中国人観光客から
冷ややかな目で見られます
オリーブ山を出発し約15分で
麓にあるゲッセマネの園に到着
イエスが処刑前夜の夜を苦しみながら
神に祈ったとされる最後の場所で
弟子のユダに捕らえられた場所でもあります
かつては一面のオリーブ林でしたが
現在は数本のオリーブの老木が残っています
ゲッセマネの奥にあるのが万国民の教会
別名苦悶の教会です
最後の夜を過ごした時にイエスが座り祈り続けた
岩を取り囲むように建てられています
1925年に世界12カ国からの献金によって
再建されたので
万国民教会と呼ばれています
ゲッセマネの園を出発し車で5分ほどで
ダビデの町に
紀元前1000年頃にダビデ王によって
イスラエルの首都とされた場所です
現在も発掘が続いています
入場してすぐに映像コーナーが
まさかの3D映像
キャプテンEOを彷彿させます
現在も発掘が続いているこちらでは
第一神殿時代の建物や遺跡、発掘物などが
見学できます
最も新しく発掘されたのがウォーレンの縦穴
もとは泉の水をくみ上げる水道システムで
ダビデ王がエブス人を襲撃する際に
ここから兵を送り込んだといわれています
ダビデの町から車で約30分、旧市街にランチに
この日はアルメニア人街にある
レストラン「BULGHOURJI」
人生初のアルメニア料理です
どのあたりがアルメニアなのかはよくわかりません
日本語が堪能な謎のおじさんも登場
観光客に有名な店のようで
いろんな国の方で混雑していました
食事が終わったらアルメニア街を出発
午後からはヴィア・ドロローサを巡礼します
その前にザクロジュースで水分補給
ヴィア・ドロローサ巡礼スタート
ヴィア・ドロローサとはイエスが磔にされた
ゴルゴダの丘まで十字架を背負って歩いた
道のことです
その中での出来事をステーション(留)として
巡礼ポイントが設定されています
第2留にあるのは第鞭打ちの教会と宣告の小聖堂
ここでイエスはいばらの冠をかぶせられ
自分を処刑するための十字架を背負わされました
エッケ・ホモ教会
総督ピラトが群衆の前でイエスを指して
「この人を見よ」と言ったとされる場所です
ローマ皇帝ハドリアヌスが築いた
凱旋門の一部がアーチとして残っています
第3留はアルメニア正教会
十字架の重みにイエスが最初に倒れた場所です
さらにヴィア・ドロローサを西に向かい
アラブ商店街的なところを抜け
第9留の聖墳墓コプト教会の入口に
聖墳墓教会のドームが見えてきます
ここでなぜか磔刑にされました
そしていよいよ最後
イエスの墓があるといわれる聖墳墓教会に
ヴィア・ドロローサの第10~14留は
西暦326年にローマのコンスタンチヌス皇帝の
母ヘレナがエルサレムを巡礼したさいに、
ここでイエスの遺物を発見したことから、
この地をゴルゴダの丘だと認定して
聖堂を建てたことが由来です
現在、聖墳墓教会はギリシャ正教会、
アルメニア使徒教会、カトリック教会、
コプト正教会、シリア正教会が
それぞれ所有権を争っているので
揉めないように実際に管理しているのは
ムスリムという聖地なのに
非常にややこしい状態になってます
こちらがイエスの墓
この日はイエスの生誕2018年祭
熱心なキリスト教徒がたくさん訪れ
かなり混みあっていましたので
曹洞宗の信徒は入るのは遠慮しておきました
教会内部には他にもイエスの埋葬場面の壁画や
イエスが十字架から降ろされた後、
聖骸に香油を塗ったとされる石板もあります
とりあえず触れるものは触っておきます
なぜか外にはイエス?もおりました
クリスマスだからか!?
教会を出て相変わらずパン屋などにつかまり
いよいよ旧市街を出発します
旧市街を出発し約20分でイスラエル博物館に到着
ここには紀元1世紀のエルサレムの街が模型で
忠実に再現されています
博物館内部にはクムラン遺跡で発見された
死海文書のオリジナルが展示してあります
残念ながら撮影は禁止でした
このイスラエル博物館で
今回のイスラエルツアーの行程はすべて終了
途中かなりあやふやな行程になりましたが、
そこがクラブワールド!
誰も何も言わないので
結果オーライということに無理矢理落とします
その9へ続く