12月22日
死海のヨルダン側から昇る朝日を部屋から遥拝し
相変わらず美味いイスラエル朝食を食べ
準備ができたらチェックアウトし出発です
この日の最初の目的地、マサダ要塞を目指します
マサダ要塞は紀元前120年頃から死海沿岸の
400mの岩山に建設されはじめ、
のちにユダヤ王国のヘロデ王が離宮兼要塞として
大規模改修をおこないました
ヘロデ王の死後、ローマ帝国の支配下に
置かれたユダヤ王国では
ローマの圧政に耐えかねユダヤ人が起こした
反乱(ユダヤ戦争)により紀元70年に
エルサレムが陥落し、都を追われたユダヤ人
約1000人がここマサダに立てこもり2年以上も
抵抗を続けます
しかし、圧倒的な数のローマ軍に攻め入られ
女性と子供7人だけを残し全員が自決しました
この時からユダヤの民は1948年にイスラエルを
建国するまで世界に離散することとなりました
現在イスラエル軍はここで新兵の入隊式を行い
民族の団結力を高めています
ロープウェーにてマサダ要塞まで登ります
5分程度で山頂駅?到着
山頂の要塞跡にはユダヤ教のシナゴーグ跡や
住居跡の遺跡
さらにヘロデ王が建設した
一通り見学が終わったら
再びロープウェーにて下山
帰るころにはだいぶ乗り場が混み合っていました
絶妙のタイミングでの見学でした
マサダ要塞を後にし、約70分でロトの塩柱到着
旧約聖書によると、ロトと妻と2人の娘が
住んでいたソドムの町が神の手によって
焼き滅ぼされる前に、2人の天使によって
町外れまで連れ出されました
その際に決して後ろを振り返ってはならないと
天使から厳命されていましたが、ロトの妻は
思わず振り返ってしまうと、途端に塩の柱に
なってしまったといわれています
ロトの塩柱を出発し、
途中コーヒーブレイクなどとりつつ、
約70分でエン・アブダット国立公園に到着
こちらの公園内にはイスラエル初代首相の
ベン・グリオンとそのご夫人のお墓があります
ベングリオンはネゲブ砂漠に緑を蘇らせ
そこをイスラエルの中心にして
全く新しいイスラエルを建国するべきだ、
と砂漠の発展に固執していました
その彼のために、没後に1度はウィーンに
埋蔵されましたが、イスラエル建国後の
1948年にネゲブ砂漠が見渡せるこの地に
棺が移されました
公園内にはアイベックスの姿を
見ることができます
そしてエン・アブダット国立公園を出発し
ネゲブ砂漠の町ミツペラモンに
さらに町の中心部から離れて
砂漠の悪路をひた走り
この日の宿泊場所
「Succar In The Desert」に到着
こちらはネゲブ砂漠のど真ん中
360度見渡す限りの砂漠、
周りに建物はひとつも見えません
ネゲブ砂漠はユダヤ人が真に自分に帰ることを
求める時に訪れる場所だそうです
敷地内にはイヌやネコはもちろんのこと
ロバや馬やラクダ
到着後まず食堂にて遅めの軽めの昼食を
こちらはすべてベジタリアンメニュー
シェフ特製のオーガニック料理です
昼食が終わったら各自の部屋?に
バギーで荷物を運んでくれます
こちらがこの日の私の宿泊場所
こちらの各部屋は砂漠のど真ん中にあり、
部屋と部屋の間は約数百m離れています
大草原の小さな家ならぬ
ネゲブ砂漠の小さな家状態です
こちらが部屋の中
wifiなど当然ありません
町から電気ガス水道もきておりません
テレビもねェ ラヂオもねェ
オラのホテルにャ電気がねェ! 状態です
あ、でも太陽光などで最低限の電気はあります
こちらは大村のスーペリア?ルーム
なんとベットの土台が岩!
磐座の上での就寝です
夕食まで時間があるのでホテル内?を散策
私の部屋の後ろには
エンジェル・マウンテンという名の小山が
ナントカと煙のナントカですので、
当然高いところがあれば登ります
大村曰く、じつはこの山は聖山とのこと
山頂にてネゲブ砂漠に沈む夕陽を遥拝します
ご丁寧にちゃんとベンチも置いてあります
そして食堂から食事の合図のドラ?がなり
一堂ワラワラと食事に集合
素朴なイスラエル家庭料理の夕食です
食堂には看板猫のリモナーダ20歳が
往年の貫禄、なかなかの目つきの悪さです
さらに2号猫のハチワレも
こちらは噛み付いてきますので注意
夕食の後はドライバーのエリーさんの
ミニマジックショーなどが
食事が終わってもグダグダ過ごしていたら
宿のスタッフが「私はもう帰るから終わったら
電気を消しといて、あとネコ出入り用に
窓を少し開けて勝手に帰ってくれ」
との捨て台詞で帰宅
なかなかのアバウトさ、さすがユダヤ民族⁉︎
そしておひらきになり
食堂から部屋まで再び数百mの道のりを
満月が近かったので比較的明るく、
懐中電灯なしでも大丈夫でした
その6へ続く