12月20日金曜日午後
ランチが終わったら「ノートルダム」を出発
旧市街に戻ります
旧市街の入口の1つであるライオン門
(ステパノ門)から旧市街に入ります
ライオン門から入場するとイエスが死刑の宣告を受けた
ローマ総督のピラト官邸から、十字架を背負って歩いた
ゴルゴダの丘(聖墳墓教会)までの約500mの道のりである
「ヴィア・ドロローサ」が始まります
宣告をうけてから墓に納められるまでが
14のステーション(留)に分けられています
ライオン門をくぐってすぐのところには
聖母マリアの母アンナと父ヨアキムが住んでいたといわれる
聖アンナ教会があります
あいにく神父様が昼寝 休憩中で
入ったときは中は真っ暗
神父様ちょうど起きてきたので
地下の礼拝堂にもようやく灯りが点灯
教会内ではジンバブエから来たカトリックの団体が
讃美歌の奉納を始め、美しい歌声が教会内に響き渡っていました
エルサレムではこの先各教会で
このようなことが続きます
聖アンナ教会敷地内にはべテスダの池の遺構が
38年間にわたり病に苦しんでいた者を
イエスが癒やしたといわれる場所です
そしてヴィア・ドロローサ巡礼スタート
第2ステーションの鞭打ちの教会と宣告の小聖堂
ここでイエスは十字架刑を言い渡され
いばらの冠をかぶせられました
鞭打ちの教会内にはイエスが歩いたとされる
約2000年前の当時の敷石が残っています
エッケ・ホモ教会
ラテン語で「この人を見よ」の意味があります
ローマ総督ピラトが群衆の前でイエスを指差し
「この人を見よ」と言ったとされる場所です
ローマ皇帝ハドリアヌスが築いた
凱旋門の一部がアーチとして残っています
エッケ・ホモ教会ではフランシスコ派修道会によって
毎週金曜日におこなわれる十字架の道行き行進にも遭遇
第3ステーションのアルメニア使徒教会
十字架を背負ったイエスが最初に倒れた場所と
いわれる場所にある教会です
なぜか後頭部にイエスの十字架がささりました
イエス様からの罰でしょうか…
同じ敷地にある第4ステーションの
苦悩の母マリア教会
十字架を背負ったイエスの姿をマリアが目撃したとされる場所です
この2つの教会は地下の売店でつながっております
時間がないと言っても買い物タイムになります
ガイドの信夫さん苦悩で倒れそうです
第5ステーションのキレネ人シモンがイエスを
助けた場所には、イエスが触れたことによって
できたとされる石のくぼみが
とりあえず触れるものは触ります
第7ステーションの二度目に倒れた場所
何故かアフリカからの信者で大賑わいでした
そして途中スークの中を通り抜け
ドイツカトリック教会の「Lutheran Church of the Redeemer」
にも立ち寄りつつ
第10~14ステーションのある聖墳墓教会に
イエスが磔刑にされたゴルゴタの丘の跡地と
される場所に、335年にコンスタンティヌス1世に
よって建てられました
カトリック教会・東方正教会・コプト教会などが
それぞれ所有権を主張しているので、
お互いが揉めないように教会の鍵を管理するのは
何代も続くイスラム教徒の2つの家族です
入口正面には、イエスが処刑後に安置された
石があり、常時香油が垂らされています
石に触り祈りを捧げることができます
壁にはイエスが十字架を背負いゴルゴダの丘を歩かされ
亡くなるまでの絵が描かれています
そして第14ステーションでもある
イエスが埋葬されたといわれる墓
なかには1度に4~5人しか入ることがでないので
周囲は原宿のタピオカ屋並みの大行列
入場してのお参りは断念しました
・
そして2階に上がると、イエスが磔刑にされた
ゴルゴダの丘があります
・
ちょうど毎日17時からおこなわれている
アルメニア正教会による清めの儀式に遭遇
・
そしてこちらがゴルゴダの丘
・
十字架像の前にはテーブル状の覆いがあり
この覆いの下にゴルゴダの丘に掘られ
実際に十字架を立てたとされる穴があります
このイエスの血が流れ落ちた穴に
手を入れてお参りができます
通常でしたら年末のアメ横並に混雑してますが
時間も遅いせいかこの日はガラガラ
全員ゆっくりお参りすることができました
・
聖墳墓教会を出て数分歩いて
ヤッフォ門から旧市街の外に
・
旧市街から車で約10分、エルサレムの街を見渡す
丘にへばりつくように建つホテル
「ダン エルサレム」にチェックイン
ロビー入口が最上階の6階、その下が部屋やレストランという
地蜂の巣のようなホテルです
部屋に荷物を置いたらレストランに
お客様ムスリムの衣装でディナーに参加
大村の第1~第3婦人の様相です
レストランのボーイから「ウチの料理は
ハラールじゃないから、それ着ていると
肉料理食えへんよー」と言われて
速攻で脱ぐことに
・
その12に続く