こんにちは

開運極楽パワースポット巡りのスピリチュアルキュレーターの大村真吾

です。

 

今回のテーマは

モーセの出エジプトはいつ?どんなルートで?行われたのか。十戒とは?」です。

 

私は12月12日から23日までの12日間

「エジプト・イスラエル・ヨルダン モーセの出エジプトをたどる」

というツアーを行ってきました。

 

これはずっと昔からやりたかったツアーだったのですが、

どうしてもエジプトに行くのを躊躇っていたのです。

 

そう、なぜかエジプトには行きたくない。

いやもちろんピラミッドやスフィンクスや見どころがいっぱいあるので行きたいのですが

 

「足が向かなかった」

 

のです。

 

2年前セルフ過去生リーディングをしたときに、その理由が分りました。

 

それはモーセの時代にエジプトで奴隷として死んでいくユダヤ人だったからなのです。

↑ ↑ ↑

あくまでも自覚的な過去生です。そう思って読んでくださいね。

 

だからエジプトに足が向かなかったということが腑に落ちたのです。

 

それならば、分かった上で行ってみようという訳で

 

モーセの足跡を追ってみようとツアーを作ってみたのです。

 

といってもモーセとは誰だ? 

 

聞いたことはあるけど良くわからないという方もいらっしゃると思いますので掻い摘んでご紹介をしたいと思います。

モーセとはそもそもいつの人?

モーセは旧約聖書の「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」にわたってモーセのことがしめされています。

その中でラメセスという町から出発したと記されていることから(民数記33章5)エジプトのファラオがラムセス2世であった時代と推察できます。

そこでモーセが生きた時代はおよそ紀元前1300年ころと思われます。

 

モーセとはどこの人?

モーセは生まれはエジプトです。

モーセが生まれるずっと以前、イスラエルの土地は飢餓にみまわれてイスラエル人(ヘブライ人・ユダヤ人)はエジプトへのがれてきます。

実にイスラエル人は出エジプトをするまで430年間イスラエル人はエジプトに留まっていたのです(出エジプト記12章40)。

モーセはイスラエル人でありながらも生まれたのはエジプトだということになります。

 

モーセはどんな人

モーセが生まれるころエジプトに住むイスラエル人の数が膨大になっていました。

人口が増えイスラエル人の力が増すことを嫌ったファラオは重労働を課します。

イスラエル人の生活は過酷を極めるのですが、さらに生まれた男の子はみなナイル川に放り込めと命じます。

まさにその時にモーセは生まれたのです。

母は三か月間赤ちゃんを隠そうとするのですが、いよいよ隠し切れなくなりパピルスの篭に赤ちゃんであるモーセを入れてナイル川畔の葦の茂みに置いたのです。

赤ちゃんのモーセである姉は心配そうにその様子を遠くから見ていました。

そこにファラオの王女が水浴びにやってきて葦の茂みで篭を見つけます。

王女は籠の中の赤やんを見て不憫に思っているところに、姉がやってきて

「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んできましょうか」というのです。

(お姉ちゃんいい仕事をします!!!)

乳母と称された母を連れてくると

王女は「この子を連れて行って、私に代わって乳を飲ませておやり。手当は私が出しますから」

というのです。

その赤ちゃんが大きくなると、王女のもとへ連れていき、王女の養子となったのです。

王女は彼をモーセ(マーシャ:水の中から引き上げるという意味)と名付けたのです。(出エジプト記2章)

モーセは王宮で育ち成人したころイスラエル人の住んでいる町にでかけます。

そこでエジプト人がイスラエル人を鞭打っているのをみて怒りエジプト人を殺してしまいます。

それが明るみになりモーセは逃亡することになります。

そこでモーセに神からの声が届きます。

「イスラエルの民にエジプトから逃れて乳と蜜の流れる土地へ導こう」

神はその旨をイスラエル人達に伝えろとモーセに言うのです。

 

しかし

 

モーセは訳が分からず、懸命に拒否します。

 

しかし結局モーセは神に説得されます(というか神の怒りが怖くて従ったのだと思います)

 

モーセはどうやら口下手だったようです。

その旨を神に告げると神は「兄のアロンと一緒にやれ」と言ってきます。

モーセとアロンは二人してイスラエル人達に「奴隷として過酷な生活をしているエジプトからもとの先祖たちがいた土地に戻ろうと」説得をするのです。

 

しかし環境に慣れてしまった人々を変えるには相当苦労をします。

 

同時にモーセはファラオにイスラエル人たちの解放を懇願しに行きます。

しかし事は進まず、逆にファラオは更に厳しい仕打ちをイスラエル人に与えることになってしまいます。

 

イスラエル人にとってはモーセとアロンは疫病神のように思えたに違いありません。

 

そんなとき神はモーセにエジプトに起きる不吉な現象をいわれます。

疫病や腫物の流行り、雹、いなごの大群、暗闇の禍です

そのたびごとに神に言われたモーセはファラオに忠告に行きます。

しかしファラオは

 

無視

 

そして最後の禍が起きます。

神はモーセに

「真夜中にエジプト国中の初子はみな死ぬ。子羊を用意して家に応じて食事にする用意をしなさい。それは家族の人数にみあって食べる量でなければならない。そしてその血を家の玄関の柱と鴨居に塗りなさい。その夜、肉を火で焼き、酵母の入っていないパンを苦菜を添えて食べなさい」(出エジプト記12章1)

といわれたのです。

イスラエルの人達はモーセの言うことをきき備えをします。

その夜災いは起きてエジプト人の初子はみな死んでしまいました。

ところがモーセの忠告を聞いたイスラエル人の家族には災いは起こらなかったのです。

これがユダヤ教で最も重要な儀式である過越しの祭になるのです。

 

ファラオは自分の子供も失い、イスラエル人の国外脱出を認めることになります。(出エジプト記12章29)

大挙してエジプト脱出を図るイスラエル人。その数が男性だけで60万人と聖書には書かれています。

しかし翻意したファラオは大挙して兵を差し向けます。

 

モーセ達の前には海。

後ろにはエジプト軍。

前にも後ろにも行けないイスラエルの人達はパニックに陥ります。

そして猛然とモーセを非難する声を上げます。

阿鼻叫喚

 

そこで神がモーセに言います

「イスラエルの民を出発させなさい。杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい」

 

海は裂け、そこをイスラエル人々は渡りきったとき、再び海は元に戻りその波の中にエジプト軍は飲まれてしまいます。

 

出エジプト成功!!!!!

 

モーセはエジプトに奴隷として400年以上留まっていたイスラエル人達を先導してエジプト脱出を導いた人なのです。

 

出エジプトのルートとは?

前述しましたが当時のエジプトにいたイスラエル人の人口は成人男だけで60万人。

女性子供も居れると200万人はいたのではないでしょうか。

もう民族大移動です。

それだけの数の人が奴隷として働いていたのでエジプトとしては大打撃です。

また、通過される村はたまったもんじゃありません。

気になったので日本の年の人口を調べてみました(Wikipediaより)

東京都区部 9,200,000

横浜市   3,700,000

大阪市   2,600,000

名古屋市  2,200,000

札幌市   1,900,000

福岡市   1,500,000

神戸市   1,500,000

政令指定都市の人みんなが移動しちゃう規模なのです。

この大集団が移動したルートです。

日本聖書教会発行 聖書 新共同訳より

イスラエルの人々はラメセスを出発してスコトタムに宿営し(中略)

海の中を通って荒れ野に入り(中略)

シナイの荒れ野に宿営し(中略)

エリコに近いヨルダン川の対岸にあるモアブの平原に宿営した。(民数記33章)

 

全体地図はこんな感じ

ふ~んと思うかもしれませんがこの辺りの地形をみてみると

ヨーロッパの緑とくらべて辺り一面茶色。

ということは砂漠、荒野ということです。

ここを40年間彷徨ったのです。しかもあの大規模人数で!!!!

 

この彷徨える大集団を導いたのがモーセ、そして兄のアロンです。

これが簡単じゃなかった・・・

 

水がない、食べ物がない、暑い、寒いなど人々は不満を口にします

「こんなことならエジプトにいた方が良かった」

「お前たちに騙された!!」

みたいな罵詈雑言がモーセとアロンに向けられます。

死んでいく者もいれば、生まれる者もいます。

争いもあったでしょう、不衛生にもなったでしょう。

 

だからこそ、神はモーセに戒律を教えるのです。

それが十戒であり、その他のこまごまとした律法なのです。

出エジプト記や民数記、申命記には行程やモーセ達のことが記されていますが、

大部分は決りごとの詳細が記されています。

レビ記にいたっては全てが決まり事といっても過言ではありません。

 

モーセは民たちからの突き上げ(200万人からの突き上げですよ)

しかも生死の淵を彷徨っているのも同然の200万人です。

そして神からの言葉。

絶望的な自然環境の中、神と民の間で苦悩するモーセ。そしてアロン。

圧倒的逃げ場のない中間管理職。

しかしモーセは神を信じ、民を説得し、時に奇跡をおこしながら約束の地を目指すのです。

 

十戒とシナイ山

イスラエルの人達はエジプトを出て3月目にシナイの荒れ野に到着しました。

そして「神が3日後にシナイ山の頂に降りる」ことと注意事項をモーセに告げます。

雷鳴で山全体が震え煙で覆われ、角笛が鳴り響く中、神が降臨されます。

(出スエジプト記19章)

その後、モーセは民のもとに戻り、再びシナイ山の頂に登ります。

そこで十戒を授かるのです。

「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である・・・(以下略)

そして十戒を話されます。(出エジプト記20章)

内容は

1:主が唯一の神であること
2:偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3:神の名をみだりに唱えてはならないこと
4:安息日を守ること
5:父母を敬うこと
6:殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
7:姦淫をしてはいけないこと
8:盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
9:隣人について偽証してはいけないこと
10:隣人の財産をむさぼってはいけないこと

以上が10の戒めです。これは聖書に書かれていることを要約しています。

キリスト教徒の人達にとっては当たり前のことかもしれませんが、

ここの大きな疑問があるのです。

上記の十戒は正教会やプロテスタントの十戒です。

 

かたや

カソリックの十戒はというと

1:わたしのほかに神があってはならない。
2:あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
3:主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
4:あなたの父母を敬え。
5:殺してはならない。
6:姦淫してはならない。
7:盗んではならない。
8:隣人に関して偽証してはならない。
9:隣人の妻を欲してはならない。
10:隣人の財産を欲してはならない。

大きな違いは

偶像崇拝を禁止する項目がカソリックでは無いのです。

そして 10の他人のものを取ってはならないという項を妻と財産に分けて9と10にしてるのです。

 

確かに

プロテスタントの教会に行くと十字架しかありませんが

カソリックの教会に行くとイエス像やマリア像などがあります。

 

モーセの十戒における偶像とは他の宗教を信仰することの禁止を言っているとの見解があります。

その後、イスラエルの民は苦難に合い、モーセは山に登ったまま帰ってこないときに

牛の偶像をつくり祈ってしまいます。

そこで神が怒るというシーンがでてくるように

祈りの対象を形にしてはいけないという意味だったと思われます。

 

ユダヤ教にはもちろん偶像はありません。そこから発した宗教にキリスト教とイスラム教

があるのですが、イスラム教にも偶像はありません。

そう思うと、神道にも偶像は無いんですよね。

 

イエスの像を造らないプロテスタントだって十字架があるというのに・・・。

 

ここにこれからの宗教問題を解くカギがあるように思えます。

 

私の疑問はさておき十戒はというと。

すったもんだがあるのですが結論を示します↓

 

モーセはシナイ山の上で40日間神と語り、10の戒めを2枚の石板

に記し下山しました。

石板を携えて降りてきたモーセは光り輝いていたそうです。

モーセは神から聞いた幕屋の作り方、それにまつわる仔細を人々に話して

祭壇の場所を作り整えていきます。

そのなかには石板を入れる箱もありました。

その箱はとは

おみやげ物だと

 

 

この箱に十戒を入れてイスラエルの民は再び約束の地を目指して大移動を続けるのです。

 

モーセ最期の場所

モアブの地に移動したイスラエルの民たち。

モアブはヨルダン川の東側に位置します。

モーセはモアブの平野からネポ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。

主はモーセにすべての土地が見渡せるようにされた。

ギレアドからダンまで、ナフタリの全土・・・(中略)

主はモーセに言われた「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに

誓った土地である。

わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした。

あなたはしかし、そこに渡っていくことはできない。」

主のしもべモーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。

主はモーセをベト・ぺオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、

今日に至るまで、誰も彼が葬られた場所を知らない。(申命記34章)

 

モーセは120歳で天寿をまっとうされ、イスラエルの民は30日間モーセの死を悼んで泣き、

喪に服したと聖書に記されています。

 

今回のツアーの行程

2019年12月12日から23日の12日間 エジプト・イスラエル・ヨルダンを巡る旅行でした。

 

1日目:成田空港からイスタンブール経由でカイロへ

成田からトルコ航空でイスタンブールへ。乗り換えてカイロへ

2日目:エジプト歴史博物館とクフ王のミラミッド

朝にカイロに到着。ビザは空港で取得します。

あらかじめ現地エージェントにお願いをしているので空港スタッフが出迎えてくれて

つつがなく入国。この空港スタッフFayekさんが後に大活躍をしてくれることになるのです。

まずはエジプト考古学博物館へ

このピンクの建物が考古学博物館

 

一歩中にはいるとクラクラします。

もう驚くようなものばかり

これはピラミッドキャップ。ピラミッドの上、最上部にあるもの。

宇宙的です。

クフ王像

あんなに大きなピラミッドがあるのに、クフ王の像はこの小さいものしか現存していません。

これはミイラが入っていた棺。この外側には幾重にも箱があり、中にも小さな棺がありました。

その中にミイラを弔ったのです。

そして念願のラムセス2世のミイラとご対面。

これは写真は撮れなかったのでお見せすることはできません。

かなり大柄の人だったようです。ミイラにすると小さくなると思うのですが

ミイラの横に寝そべってみると私の身長よりも大きそうでした。

ちはみに私は170CMですので、ラムセス2世は180CMくらいあったのではないでしょうか

この写真は映画十戒でユルブリンナー演じるラムセス2世

なぜラムセス2世にこだわるかというと、

モーセが対峙したファラオがラムセス2世だった可能性があるからなのです。

モーセは聖書の中の人です。前述したようにお墓もありません。

そこで実在するモーセのミイラを見ることで、モーセをもっと身近に感じてみようと思ったのです。

 

考古学博物館はとても1日では回り切れません。

しかも2020年には新しくエジプト大博物館として場所も移転して生まれ変わります。

ますます楽しみが増えますね。

 

そして夕暮れ誓いギザのクフ王のピラミッドへ。

これは貸し切りにしてもらいました。

ピラミッドの中へ。

女王の間、王の間両方にいくことができました。

ピラミッドについては中がまるで古代の出雲大社が高く本殿をしていたころにそっくりだ。

ギザの3つのピラミッドがオリオンの3星の並びとそっくりとか様々なことが言われています。

出雲大社はともかくとして、天体の動きを計算して作られていることは確かだともいます。

一体だれが、どのようにして作ったのだろう?と思うのですが

もうひとつ疑問があります。

ピラミッドの石組は非常に精密なのです。なかにシャフトい呼ばれる空気穴が通ているのですが、

それは作った後から穴をあけたわけではなく

事前に窪みのある石を造り、それをちゃんと計算して組み合わせて積み上げて1本の直線の穴にしているのです。

しかもその穴は横に空いてるのではく、斜めに開いています。

もっと驚きは、その穴が星座を向けて開いているというのだから驚きです。

その石組の技術も持っていたならば、いや誰かから与えられたのだとしたら、今のエジプトの人達に

その片鱗でも残っていてもいいのではなかと思ってしまうのです。

エジプトの方々には申し訳わりませんが、橋げたの基礎や道の穴とか・・・

古代の先祖が見たら気を失うのではないかと思うくらいの雑さなのです。

DNAが受け継がれていない・・・

ピラミッドを造ったの人達とは別の民族なのではと思ってしまうのです。

方やモーセ率いたイスラエルの人々は、今もその気質やライフスタイル、宗教を受け継いでいます。

もちろんエジプトの方々は気さくでいい人たちなのですが、古代の人達とは違うDNAをもった人たちの

ように思えてなりませんでした。

 

3日目:アブシンベルへ

カイロからアスワンで飛行機を乗り換えてアブシンベルへ。

早朝にの飛行機なので、集合時間は4時半。

ロビーで待っていてもあと4人がなかなかやってきません。

ふと携帯をみてみると「エレベーターに閉じ込められてます」とのメッセージ。

あわててフロントのスタッフと現地ガイドさんに行って救出をまちます。

ところが、一向に進まない。

飛行機の時間はせまってくるは、中の人達の様子も心配だし。。。

やっとのことで50分後にドアーがあいて脱出成功。

出エジプトならぬ出エレベーター。

笑い話になったところで、空港へ。

バスが飛んでるんじゃないかってくらいのスピードで走り空港へまっしぐら、

ここで昨日の空港スタッフFayekが大活躍。

航空会社と交渉をしてくれてチェックインの時間をじわりじわりと引き延ばし作戦に成功。

滑り込みでチェックインすることができました。

それ以降FayekのことをMRエアポート呼ぶことに。

一路アスワン乗り継ぎでアブシンベルへ。

アブシンベル大神殿。これはラムセス2世が作った神殿です。

門の4体のの像 これみんなラムセス2世です。

ラムセス2世 究極の俺様感。

なんとこの像 高さ20m!!!

しかもアスワンハイダムの建設で目の前に人造湖ができることに。

それにより水没することになったのです。 何やってるエジプト政府!!!

確かにナイル川の治水は大事です。しかし・・・

この難局にユネスコが呼び掛けて世界中が援助をすることになり。

元の位置から約60m上にあげた場所に移設したのです。

ただの移設ではすみません。

なんといっても4体の像の後ろは山の中。そこに巨大な空間があり、その中に壁画や像や柱があるのです。

そう山ごと移さなければならないという事態。

各国からさまざまなプランが出されましたが、結局切り刻んで上にあげることになったのです。

1960年から4年かけて大移設工事は無事終わったのです。

工事終了の時は目の前まで水が迫っていたそうです。

そしてこの神殿の中には

壁画も残っています。

これはヒッタイトとのカデシュの戦いの様子です。

戦いは膠着し、結果エジプトとヒッタイトは世界初の和平条約を結ぶことになります。

この絵に描かれているのは戦車です。

きっとモーセ達を追ったのもこの戦車だったのでしょう。

至聖所

至聖所は神殿の最深部。この四体の像は右から

ラー・ホルアクティ ラムセス2世 アメン神 プタハ神

ちなみに4月21日と10月21日には太陽が昇ると入り口から光が至聖所まで差し込むのです。

しかしプタハ神だけには光があたりません。

それはプタハ神が冥界の神だからだそうです。

ところで移設をしたらどうなったのか?

もちろん太陽の事も考えて移設をしたのですが・・・

1日ずれて4月22日と10月22日に太陽が差し込むことになったそうです。

アブシンベルをあとにして空港からカイロへ。

あわただしい日帰りアブシンベルでした

 

4日目:出エジプト イスラエルへ マリアの受胎告知教会へ

昨日の事件に懲りて、エレベーターを使わずにロビー集合。

今日はエジプトからイスラエルに行きます。

本当はシナイ山をへて、陸路で国境をこえたいところなのですが、

シナイ半島全体が危険度3

自分一人で行くのは構わないですが、さすがに人を連れていくとなるとあきらめざるえません。

ということで飛行機で出エジプト。

ここでまたMRエアポートと再会

なぜか白くかすむMRエアポート

シナイ航空という航空会社でイスラエル テルアビブに飛ぶのですが

ご覧の通り真っ白な気機材。

ペインティングが一切されていません。まさに覆面飛行機。

そういえばチェックインカウンターにもシナイ航空とは表示がありませんでした。

だけど機内のプリントはエジプト航空。

機内でアテンダントに聞いてみると

何聞いてくるのみたいな感じでまごつきつつ

「会社のポリシーだからわからないわ」という返事。

調べてみると、イスラエルと反目しているアラブ諸国。

そのなかでエジプトは国交を保っています。

アラブ諸国とエジプトは同じイスラム教の国として国交があります。

そこでエジプト政府はフラッグキャリア(国の代表的な航空会社)がアラブの敵国であるイスラエル

に就航するのは政治的に不都合というわけで、別会社のシナイ航空ということにして就航させているようです。

だから覆面にしているというわけです。

ここでも複雑な中東諸国の現状を垣間見ることができました。

テルアビブに到着して目指すはナザレを経てガリラヤ湖へ。

ナザレの受胎告知教会

ここは聖母マリアが大天使ガブリエルから受胎を告知されたことを記念する教会です

教会の内部

教会の内部に大きな窪みがあり、下に降りていけるようになっています。

地下に当たるその場所が受胎告知をうけた場所なのです

受胎告知の場所

 

そうです、ここで聖母マリアは受胎を告知されたのです。

当時のマリヤの心境や、ましてはヨセフの心境はどうだったのでしょうか。

相当パニックになるのではないかと思うのですが、実はそうでもなかったらしいのです。

実はマリアが懐妊する少し前に親戚の女性エリサベトも高齢にもかかわらず身もごり、

天使がそれを告げに来るということが起きているのです(ルカによる福音書1章5)

 

だから聖母マリアは懐妊を告げられてからエリサベトの元をちゃんと訪れてるのです。

エリサベトに生まれた子供がヨハネ。

マリアに生まれた子供がイエス。

後年、イエスはこのヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けることになるのです。

 

受胎告知教会の隣にあるヨセフの教会へ。ここでヨセフは石工の仕事をしていたのです。

 

ナザレをあとにして変貌教会へ。

変貌教会

ここはイエスが降臨してきたモーセとエリヤと話をした場所。

弟子たちからその時イエスは光り輝いて見えたと聖書には書かれています(マタイによる福音書17章)

ここは4世紀までの祭壇の場所。

教会の外にあります。ここが気持ちよい場所でした。

そしてガリラヤ湖のキブツが経営するホテルに到着

5日目:ガリラヤ湖周辺 カバラ発祥の町など

ガリラヤ湖はイエスが数々の奇跡をおこなった場所です。

そして多くの人達のを奇跡的な治療をしていきます。

そうですイエスは超ヒーラーなのです。

そしてイエスはペテロ達ガリラヤの漁師を弟子にしていきます。

ペテロ召命教会

イエスは磔刑をうけて亡くなった後、ガリラヤ湖のこの教会の近くに出現をします。

そしてペテロはここでイエスから召命(神の恵みによって神に呼び出される)を受けるのです。

つまり、この時ペテロはイエスから後の使命を託された場所なのです。

 

この日はほかにカバラの発祥の町ともいえるツハットにいったり、

マグダラに行ったりしました、まさにイエス一色といった1日でした

ここはマグダラの遺跡。マグダラというのは地名です、

マグダラのマリアとはマグダラに住むマリアという意味なのです。

 

6日目:ヨルダンへ モーセ終焉の場 ネポ山へ

今日はイスラエルから国境を越えてヨルダンにはいります。

ヨルダン川が国境になっていてます。

そしてモーセが神から約束の地をみせられたネポ山へ

ネポ山に立つモーセの杖

ネポ山からみるイスラエルの土地

ここでモーセは神から約束の地を見せられたのです。

ここからイスラエルの大地を見たときは、やはりモーセに感情移入してしまいました。

苦難の末、やっと神から見せられた約束の地。

アブラハムから続く子孫をエジプトから脱出させて、ここまで導いてきた。

目の前にその血が迫っている。

しかし

しかし

自分はその地は踏むことはできない。

自分の使命はここで終わる。

非常に感慨深い場所でした。そしてモーセを辿る旅のクライマックスといってもよい場所だなのです。

旅は続くのですが・・・

そしてペトラへ向かいます

 

7日目:ペトラ遺跡

そして憧れのペトラ遺跡。

画像ではなんども見た遺跡、絶対に行ってみたい遺跡。それがペトラでした。

まずは最初にノックアウト!!!!!!

上の写真山の上に小さく見える白い点。

その近くにアロンがアロンの亡くなった場所なのです。

そうですモーセの兄アロン。モーセより先にホル山で亡くなります。

そこはペトラ遺跡から片道3時間くらいの場所なのです。

こんな景色を見ながらシークに

シークはインディジョーンズでおなじみの地形です

 

シークを抜けると信じられないような光景が待ち受けています

あ~~この感激

このあとはロバに乗って一番奥のエルシッドまで。

もう感激のペトラ遺跡でした

ペトラ遺跡の詳しくはコチラを見てみてください

 

8日目:死海 イエスが洗礼を受けた場所

今日はフリータイム。

といわけで、午前はイエスがヨハネから洗礼を受けた場所へ

死海のホテルから車で30分ほど。

このあたりはイスラエルとの国境地帯。

ここでガイドさんが警察に届け出を出しに行きます

また車に乗ってしばらくいくとバプテスマの場所に到着します

この教会のむこうにその場所はあります。

これは対岸のイスラエル側。

ヨルダン川よりも賑わっています。昨年私もここで沐浴をしました。

そしてここがバプテスマの場所。

昔はもっとヨルダン川の川幅が広く、この辺りまで川だったそうです。

そして、ここがバプテスマの場所を祭壇として崇めている場所。

普通 祭壇があるはずなのに、その場所は水辺に降りていく階段になっています。

つまりそれは、その場所が特別であったという証拠になります。

それによりイエスがバプテスマを受けた場所とされることになりました。

運よく、私たち以外には誰も人がおらず聖地感を味わうことができました。

イエスのバプテスマの場所の様子は動画にもしましたのでご覧ください

そして死海に戻り、死海で水遊びアンド泥パック

死海の浮遊体験

9日目:エルサレム入城 ダビデの町

ヨルダンから再びイスラエルに戻りダビデの町へ

モーセ以降結局イスラエルに入ることができたのはダビデの時代になってからでした。

ダビデがイスラエル人を率いてエルサレムに来たときは、エブス人が町に住んでいました。

攻めることにできないダビデは彼らの水道施設から入ることを思いつきます。

エルサレムは左右が谷になっている長細い土地です。

その右側に水場があり、そこから上に向けて水路が作られています。

そこをダビデは伝わりエブス人の懐に入り、町を攻め落とすことに成功しました。

上の写真は水路です。

こうしてエジプトを出たイスラエルの民の40年にわたる放浪が終わるのです。

そしてダビデは契約の箱を岩の上に置いたのです。

そうです、その岩とはアブラハムがイサクを生贄にしようとしたあの岩です。

そこに神殿を建てることになります。

そのあと、ビアドロロサを歩きました

ビアドロロサとは十字架を背負ってあるいた道。

旧市街の道をたどりながらゴルゴダ、聖墳墓教会へ歩きます。

そしてたどり着くのが聖墳墓教会

この日はアルメニア教の儀式が行われていて、うんよくその場に立ち会うことができました。

そしてここが十字架が刺さっていた穴が残る場所

 

そしてイエスの遺体が置かれたところ

ビアドロロサを歩くのは何度目だろう。

だけどやはりいつも胸が痛くなる。

イエスの思いはどれほど伝わっているのだろうか?

 

10日目:イエスが生まれた生誕教会

オリーブ山から岩のドームを眺めます

教はもうひとつのゴルゴダの丘へ。

ここは昨日の聖墳墓教会よりも開け放たれた場所。名前も園の墓

写真はここが発見された当時の写真。

ゴルゴダとはしゃれこうべの意味、崖の穴がしゃれこうべのように見えます。

園の墓を見終えて生誕教会へ

イエスが生まれた場所。

ここがイエスが生まれた場所。その場所は教会になっています

 

ここがイエスが生まれた場所。

この旅でイエスを身ごもったことを告知された場所

イエスが生まれた場所

イエスが亡くなった場所

イエスが復活した場所

を巡ったことになります。

イスラエルは面白すぎる

 

11日目:岩のドームテルアビブ空港へ

これが神殿の場所、イサクの燔祭の場所、ダビデが契約の箱を置いた場所です

しかしいま、ここはユダヤ人の場所ではありません。

アラブ人の聖地となっています。

ここの岩からマホメッドが昇天をしたということになっているのです。

ここの東には閉ざされた門があります。

その門は救世主が現れたときに広くとされています。

果たして門は開くのか? 救世主は現れるのか?

聖書はまだその時を待っているのです。

12日目:成田到着

 

エジプト観光 危険度

エジプトはかつては危険なときがありましたが

今は平穏を保っています。いたるところに観光警察なる警官が警備をしています。

エジプトは観光立国だけに観光客の安全にはことさら力を入れています。

現在(2020年1月)の外務省の情報は以下のとおり

黄色い部分がいわゆるエジプトの観光で訪れるところです。

ここはレベル1ということになっています。

ずっとレベル1が続いている状況です。

 

ちなみにモーセが十戒を受け取ったシナイ山はシナイ半島(地図の右側)濃いオレンジ色の危険度レベル3に該当をしています。

シナイ山にも個人で観光に訪れる人はいるようですが、ここはお勧めできません。

 

しはがって、いまのところエジプトに行ってカイロ市内でピラミッドやスフィンクス、あるいはナイル川のクルーズ、アスワンやルクソールといった場所は問題のいえると思われます。

 

今回はエジプト、イスラエル、レバノンの旅行、特にモーセをテーマにしてみました。

また新しい記事をアップしますのでお楽しみに。