2019年カミーノ サンティアゴ巡礼

みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路 44日目。

かなり寒いですがいい天気です。

第六十六番札所 雲辺寺

かなり雪が残っていそうですので
ロープウエイで登ります。
車道もロープウエイもないころは
本当にお遍路道だけで大変だったでしょうね。
僕たちはできるだけ歩きますが
危険だったり、天候や時間の制限によって
無理はしない方針です。

それでも山頂付近の気温はマイナス。

凍えますね!


山門から、お釈迦様のお弟子である
五百羅漢像が実物大で並んでいて
ものすごく壮観です。

表情も豊か、やっていることや
持ち物もいろいろ様々です。
すごい数です。
本当に五百以上あったのだと思います。
番号がついていましたから。

四国霊場のうち最も高い標高911メートル。
「遍路ころがし」と呼ばれる難所のひとつ。
住所は徳島県だが、霊場としては香川の
「涅槃」の打ち始めですね。
弘法大師は雲辺寺に3度登られたと。
大師が16歳のときで善通寺(第七十五番)の
建材を求めてこられ、
深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立したそう。
3度目に嵯峨天皇の勅を奉じて登り、
本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を
山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。

四国の各国からの僧侶たちの学問・修行の
道場だったのだと。四国の高野山と呼ばれたようです。
土佐の豪族・長宗我部元親が雲辺寺に参拝し、
住職に四国制覇をしたいと聞いてみたが
「器ではないから」と諫められたが
諦めず、戦火になってしまったとか。
「雲辺寺裏山問答」というのだそうですよ。

多くのお寺が戦火に巻き込まれていますね。
だいたいは権力争いですね・・・。
長曾我部時代の戦火に巻き込まれ・・・
という話がとても多いです。
長曾我部さん、恨まれてないかな。

こちらには「目」に良い秘仏があるそうで
目のお守りがありました。
また、「成す」=「茄子」から茄子のお守りも。


そして参拝のあとは・・・

山頂の公園には、今大人気の
インスタスポット、天空のブランコが!
これはとっても気持ちがいいです。

 

第六十七番札所 大興寺

真言宗の寺院ですが、同じ境内で
真言天台二宗が兼学したという珍しいお寺。
天台宗の影響があるので、
本堂に向かって左側の弘法大師堂とともに、
右側に天台宗第三祖智顗を祀る
天台大師堂がありました。
本尊脇侍は不動明王と毘沙門天であるが、
不動明王は天台様式となっていました。



本堂で赤い蝋燭を7日間灯し祈祷して
いただく七日燈明。
病気平癒、安産、良縁などのご利益があるそう。
ご本尊は薬師如来(伝弘法大師作)です。

第六十八番札所 神恵院
第六十九番札所 観音寺


なんとこの2ケ寺は同じ場所なんです。


神恵院は近代的な建物です。

琴弾公園内の琴弾山の中腹に2つの札所が
存在する、とても珍しい霊場ですね。
開基は法相宗の高僧・日証上人と。
大宝3年(703)この地で修行中、
宇佐八幡宮のお告げを受け、
海上で神船と琴を発見。
「琴弾八幡宮」を建立して祀り
このとき、神宮寺として建てられた寺が
起源だそうです。
大同2年(807)弘法大師が琴弾八幡宮の
本地仏である阿弥陀如来を描いて本尊として祀り、
後に院号を「神恵院」とし、六十八番霊場とされたと。

明治初年の神仏分離令で八幡宮は琴弾神社と
神恵院に分離され、神恵院は麓の観音寺境内に移転。
同時に八幡宮に安置されていた
阿弥陀如来像も西金堂(さいこんどう)に移され本堂と
され今に至っているそう。


大師は、琴弾山の中腹に奈良の興福寺に倣って
中金堂、東金堂、西金堂の様式で七堂伽藍を建立し、
その中金堂には本尊とする聖観世音菩薩像を
彫造して安置した。それが観音寺とのこと。
元は「琴弾八幡宮」で、3つに分かれた形のようです。

さて、今日は、昨夜の高橋さんからご連絡があり
夕食にお蕎麦をうってくださるとのこと。
仏師の凡海さんもご一緒してくださいました。
いろいろお話もし、僕は1滴も飲めませんが
珍しいお酒も持参してくださいました。
そこで凡海さんに、僕たちはどんどん
質問をさせてもらったりしたのですが
こころに残っているのは
正確には書ききれませんが、僕がカミーノで
凡海さんの地蔵尊を見た時に
「仏師という方が、現在の日本にいらっしゃる
とは思いませんでした。」ということを
失礼ながら正直に話したのです。
すると、凡海さんは
「元々はアーティストだったこともあり
仏師と名乗ってよいものかずっと迷っていた。
が、今は仏師としての責任を負う覚悟があり
仏師と名乗るようになった。
美しい仏像というだけでなく
みなさんが祈りたいと思ってくれる
仏像を彫ろうと願っている。
木との共同作業なので、木の霊力も大きい。」
とおっしゃられて、感じ入りました。
カミーノへは何度も行くことはできないので
彫った生木へ
「あとは頼んだよ。」と託してきたそうです。
何とも素晴らしいお話だなあと
心に響きました。

本当に今回は素晴らしい方々に出会えた
貴重な旅となっています。
感謝しかありませんね。

仲間と大笑いできることも
心にずしりと感じることも
いろいろなことを経験できている日々です。
香川のお遍路もしっかり進みます。

 

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みなさん、こんにちは。
クラブワールドの大村真吾です。
四国八十八か所歩きお遍路43日目。

今日は、標高1000メートルクラスの山の上の
お寺に参拝予定でしたが、雨で始まりました。
お寺と民宿に電話をしてみると
やはり、山は雪なのでやめたほうがいいと。
急遽予定を変更して、観音寺市まで電車移動。

実は、愛媛でお世話になった松本さんの車に
僕らが乗せていただいていた時のこと。

松本さんの知人の高橋さんと言う方から
偶然電話がかかり、
「お遍路中の知人達と一緒なんや。」と
松本さんがおっしゃってくださり
(高橋さんもお遍路関係のサポートをされる方)
その高橋さんの知人に仏師さん
(生木仏像を彫られる方)がおられ
どうやらその方は、僕がスペインのカミーノ
で巡礼していた際に見た、生木の仏像を
彫られた方らしいと。

NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク
という団体があって、同じ巡礼地ということで
スペインのカミーノ モリナセカとの交流が
続いているのだそうです。
あまりの偶然に驚いていたところ
高橋さんと仏師さんにお会いできることになり
今日、急遽伺うことにしました。


高橋さん、仏師の凡海さんへのお土産を買いに
偶然入った酒屋さんがまた不思議酒屋(笑)。
普通の街の酒屋なのに、グランドピアノや
アップライトピアノがあり、ワインセラーも。


お店のご主人が弾いてくださいました。
♪ナタリ~♪って曲です。
飲み屋さんじゃないですよ。
お酒を販売する酒屋さん!
そして、ご主人はやぎも飼っておられ
やぎグッズも飾られていましたよ。
面白いですね。
こちらでスペインのワインをお土産に。


約束の時間まで腹ごしらえ。
香川に入りましたからには
またまたうどん。うどん県ですので。

おいなりさんもそこそこでかい。

みそおでん、温まるし最高ですね!


仏師 凡海さんのアトリエへおじゃま。
大人数で伺って驚かせてしまったかと
思いますが、いろいろお話をして
くださいました。
偶然の出会いって本当にすごいですね。
この方が、あのカミーノ・モリナセカという
小さな町にある 観音様を彫った方かと思うと
感慨深い出会いでした。
マリア像だと思われる方も多いとのことですよ。


高橋さん、凡海さんと。


それから、樹齢1200年ほどの
楠の大木に掘られた
生木のお地蔵様を見に行きました。
ものすごい大木に彫られています。
今は、お堂も作られていますが
地蔵尊はお参りすることができますよ。

この地蔵尊は「生木の地蔵さん」と呼ばれ、
崇拝されています。五尺(150cm)ある
地蔵尊の身長は、木の成長とともに現在までに
10cmほど高くなったそうです。
生きている木ですもんね。

天保7年(1837年)に、近隣の住民「森安利左衛門」が
病弱な一人娘ナヲを案じ、3か月かけて彫り上げた地蔵尊。
その後、病弱だったナヲさんは、なんと百歳まで生き、
長寿を全うしました。この親子2人のお墓は
地蔵堂横の墓地に現在も残っているのですよ。

そして、平家の落人の集落にある鹿子の木に
凡海さんが38歳の時に彫られた
生木地蔵があるとのことで行きましたよ。

かなりな山道でした。


こちらは、江戸末期に鈴木庄兵衛さんという
仏師が彫られた延命地蔵尊があったが
老木が天命を完了したので
昭和54年に凡海さんが新しく彫られたのだそう。
素晴らしいですね。
木の生命と一体の地蔵尊です。


素晴らしい経験ができた1日でした。
これもお遍路体験の貴重な出来事です。
感謝したいと思います。

そして今夜は、ホテルでも民宿でも宿坊でもない
遍路小屋というところに泊まります。
無料なんですよ。
なので、広くはありませんがみんな仲良く
雑魚寝です。これもお遍路旅ですね!

では、また明日もお遍路は続きます。

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